第20話 旅立ち
出発の朝。
「……多くない?」
家の前に積み上げられた荷物を見て、俺は言った。
「少ないくらいだ」
父さんが答える。
「これが?」
保存食。水。毛布。着替え。薬。調理道具。ロープ。予備の靴。
その他、何に使うのか分からないものまでいくつかある。
その全部を、小さな荷車へ積んでいた。
「世界の果てまで行くのに、こんな荷車引いてくの?」
「世界の果てまでその荷車を使えとは言ってない」
「じゃあどこまで?」
「いらなくなるまで」
「適当だな」
「旅なんてそんなもんだ」
父さんが荷物を縄で固定する。俺も手伝う。
「薬はすぐ取れるところ」
「うん」
「食料と水は一か所にまとめるな」
「なんで?」
「荷物を一つなくして全部なくなったらどうする」
「なるほど」
「金も分けろ」
「なるほど」
「濡らしたくないものは布で包め」
「なるほど」
父さんの手が止まった。
「お前、本当に大丈夫か?」
「大丈夫!」
「今三回なるほどって言ったぞ」
「今覚えたから大丈夫!」
「それを大丈夫とは言わん」
父さんがため息をついた。
「そうだ」
「何?」
「昨日言ってたやつ」
「ああ、縁起物?」
「待ってろ」
父さんが家の中へ入っていく。
しばらくして、戻ってきた。
その手にあったのは。
「……これ?」
真っ黒な板。
昔から家に置いてあったものだった。
手のひらより大きく、薄く、石なのか金属なのかも分からない。
表面は不思議なくらい滑らかだ。
「これが縁起物?」
「ああ」
「何に使うかも分からないやつだろ?」
「そうだ」
「縁起いいの?」
「たぶんな」
「たぶん!?」
父さんが黒い板を俺へ差し出す。
「昔、遺跡で拾ったって話しただろ」
「場所は忘れたんだっけ?」
「そうだったか?」
「絶対覚えてるだろ」
「年寄りは物忘れが激しいんだ」
「まだそんな歳じゃないだろ」
受け取る。
冷たい。相変わらず、何なのか分からない。
「これを拾ったときな」
父さんが言った。
「結構ひどい目に遭った」
「どんな?」
「話したくないくらいだ」
「それ聞いたら余計気になるんだけど!」
「いつか自分で見つけろ」
「またそれかよ」
「その方が面白いだろ」
「父さんが説明するの面倒なだけじゃない?」
「それもある」
「あるんだ」
黒い板を見る。
「でもな」
父さんの声が少し変わった。
「俺はそいつを持って帰ってきた」
「…………」
「だから縁起物だ」
「無理やりじゃない?」
「縁起物なんてそんなもんだ」
父さんが笑う。
「お前も持ってけ」
「これ持ってたら帰ってこられる?」
「知らん」
「駄目じゃん!」
「そいつが俺を守ったとは言ってないからな」
「じゃあ本当にただの縁起物じゃん」
「だからそう言ってるだろ」
何なんだよ。
そう思いながら、もう一度、黒い板を見る。
そのとき、ふと思った。
「……そういえば」
「何だ?」
俺の祝福――【???】。
今までいろいろなものを見てきた。
薬草。魔物。傷。生きているもの。死んでいるもの。
これなら、何か分かるかもしれない。
黒い板へ意識を向ける。
いつもの感覚。対象の状態を知ろうとする。
「…………」
待つ。
「…………?」
もう一度。
何もない。
名前も、状態も、何でできているのかも。
何一つ、分からない。
「……なんだこれ」
「どうした?」
「俺の祝福使ってみた」
「何か分かったか?」
「何も」
「だろうな」
「なんで父さんが得意そうなんだよ」
「俺も散々調べたからな」
「そうじゃなくて……」
黒い板を見る。
初めてだった。【???】を使って何一つ分からないのは。
不思議と、少しだけ嬉しくなった。
「何笑ってんだ?」
「いや」
荷物の中へしまう。
「分からないもの、見つけた」
「……お前は本当に」
父さんが呆れた顔をする。
「そういう奴だな」
「いつか調べる」
「ああ」
「何なのか絶対見つける」
「好きにしろ」
父さんが荷物の縄を締める。
「ただし」
「?」
「そいつも持って帰ってこい」
「分かってる」
「剣もな」
「うん」
「荷車も」
「これも!?」
「借り物だぞ」
「世界の果てまで!?」
「いらなくなったら送り返せ」
「どうやって!?」
父さんが笑った。そして、
「一番大事なのは」
俺を見る。
「お前自身だ」
「…………」
「持ってったもの全部なくしてもいい」
「荷車は?」
「弁償しろ」
「どっちだよ!」
「帰ってきてから弁償しろ」
「…………」
なるほど。
「うん」
頷いた。
「帰ってくる」
◆
準備が終わった。
父さんからもらった剣を腰に差す。
首には、昔から使っていた父さんの古いスカーフ。
背負い袋。荷車。冒険ノート。そして、黒い板。
「クウ」
「クゥ!」
「行くぞ」
「クゥ!」
クウが俺の足元へ来る。
父さんを見る。
「じゃあ」
「ああ」
「行ってくる」
「行ってこい」
それだけだった。
「……それだけ?」
「何が?」
「もっとないの?」
「昨日話しただろ」
「そうだけど」
「じゃあ何が欲しい」
「こう……立派な冒険者になれ、とか」
「別に立派にならなくていい」
「世界を救ってこい、とか」
「頼んでない」
「父さん!」
笑う。父さんも笑った。
それから、肩を叩かれた。
「ルカ」
「うん」
「見たいものを見てこい」
第1話。剣を渡されたときにも、似たことを言われた。
『次は、お前の番だ。お前が見たいものを見てこい』
「……うん」
「ただし」
「帰ってこい、だろ?」
「分かってるじゃないか」
「何回聞いたと思ってるんだよ」
「何回言っても聞かなそうだからな」
「聞いてるって」
荷車の取っ手を握る。
「じゃあ」
今度こそ。
「行ってきます」
「ああ」
父さんが笑った。
「行ってらっしゃい」
歩き出す。
一歩。二歩。
村の道。何度も歩いた道。
振り返る。父さんはまだそこにいた。
手を上げる。父さんも上げた。
それから、俺は前を向いた。
◆
村の入口。
「…………」
一度だけ、足が止まった。
ミアの家がある方を見る。
「クゥ?」
「……なんでもない」
ミアには、言わなかった。
言えなかったんじゃない。言わなかった。
言えば、たぶん、ついてくる。
大森林迷宮。巨大な蛇。
身体がミアの周りで閉じていく。あと少し遅かったら。
「…………」
「クゥ」
「行こう」
ミアはまだ十四歳だ。祝福もない。冒険者として登録もできない。
これから行くのは、数日で帰ってくる冒険じゃない。
どこまで行くか、いつ帰るか、俺自身にも分からない。
だから、これでいい。
そう思った。
村を出た。
◆
「……重い」
出発してしばらく。俺は五回目くらいの同じ言葉を口にしていた。
「重い!」
「クゥ」
「父さん何入れたんだよ!」
荷車を引く。ぎしぎし。
坂でもない。なのに、重い。
「こんなの世界の果てまで引いてたら、着く前に腰が終わる!」
「クゥ」
クウが荷車を見る。
「何?」
「クゥ」
荷物の横を歩く。匂いを嗅ぐ。
「食料か?」
「クゥ」
「クウが食ったら軽くなる?」
「クゥ!」
「駄目だからな」
歩く。ぎし。
「……いや」
やっぱり、おかしい。
父さんと荷物を積んだとき、こんなに重かったか?
「クウ」
「クゥ?」
「ちょっと止まる」
荷車を置く。
荷物を見る。保存食、水、毛布、道具。全部ある。
「…………」
クウが、荷物の一か所を見ている。
「何?」
「クゥ」
尻尾が揺れている。
「そこ?」
「クゥ!」
大きな布袋。着替えや毛布を入れたはずの場所。
妙に膨らんでいる。
「…………」
近づく。
動いた。
「…………」
今、動いたよな?
「クウ」
「クゥ」
「これ何?」
「クゥ」
「知ってる?」
クウが、ぷいっと顔を逸らした。
「……お前」
嫌な予感がする。
袋へ手を伸ばす。紐を解く。布をめくる。
「…………」
「…………」
目が合った。
「……おはよう」
「…………」
ミアだった。
「なんでいるんだよおおおおおおおお!?」
「声大きい!」
「大きくもなるだろ!」
ミアが荷物の中から這い出してくる。
「狭かったぁ……」
「そういう問題じゃない!」
「クゥ!」
「クウ! お前知ってただろ!」
「クゥ!」
「なんで教えなかった!」
クウがミアの方へ行く。
「よしよし。黙ってて偉かったね」
「褒めるな!」
「クゥ!」
「お前どっちの相棒なんだよ!」
「私でしょ?」
「違う!」
「クゥ!」
「クウも同意するな!」
いつもの、いつものやり取り。
なのに、笑えなかった。
「……帰れ」
ミアの顔から笑みが消えた。
「嫌」
「村、まだそんなに離れてない」
「帰らない」
「ミア」
「何?」
「遊びじゃないんだぞ」
「知ってる」
「分かってない」
「分かってる!」
声がぶつかった。
「分かってたら、こんなことしない!」
「じゃあどうすればよかったの!?」
「家にいればよかっただろ!」
「なんで!?」
「危ないからだよ!」
言った。
「大森林迷宮で見ただろ!」
「見たよ!」
「人が死んだ!」
「見た!」
「俺たちだって死にかけた!」
「分かってる!」
「だったら!」
言葉が止まらない。
「ミアはまだ十四歳だろ! 祝福もない! 冒険者でもない!」
「…………」
「これからどこまで行くかも分からない! 大森林迷宮より危ない場所だってあるかもしれない!」
「だから置いてきたの?」
「……そうだよ」
ミアの表情が変わった。怒っている。
でも、少し違う。
「何も言わずに?」
「言ったらついてくるだろ!」
「当たり前でしょ!」
「だから言わなかったんだよ!」
「勝手に決めないでよ!」
「何を!」
「私のこと!」
ミアが俺を見る。
「私が行くかどうかを、なんでルカが決めるの!?」
「危ないから――」
「そんなの知ってる!」
「分かってない!」
「じゃあルカは分かってるの!?」
「……何?」
「大森林迷宮で死にかけたの、私だけ?」
「…………」
「ルカも死にかけたよね」
「それは」
「セリアさんも。クウも」
「…………」
「なんで私だけなの?」
答えられなかった。
「祝福がないから?」
「そうじゃない」
「冒険者じゃないから?」
「違う」
「じゃあ足手まといだった?」
「違う!」
思わず叫んだ。
「ミアがいなかったら――」
止まる。
鎧蜥蜴。森。蛇。
何度、助けられた。
「……だったら」
ミアの声が少し震えた。
「なんで置いていくの?」
「…………」
「鎧蜥蜴を倒したとき」
胸を突かれた。
「ルカが言ったんだよ」
『三人だったから』
「…………」
「三人だったから勝てたって」
覚えている。
「大森林迷宮だってそうだった」
「…………」
「なのに」
ミアが拳を握る。
「どうしてこういうときだけ、一人で決めるの?」
「…………」
「危ないなら」
一歩、俺に近づく。
「なんで私を置いていくの?」
「…………」
「なんで私を頼らないの?」
何も、言えなかった。
守ろうと思った。危ない目に遭わせたくなかった。
あの蛇に巻かれかけたミアを見て、もう、あんな思いはしたくないと思った。
でも、それは。
俺が勝手に決めたことだ。
「……怖かったんだよ」
やっと、言葉が出た。ミアが黙る。
「あの蛇に」
拳を握る。
「ミアが巻かれたとき」
「…………」
「ガイルたちみたいになるんじゃないかって思った」
今でも、思い出す。
「だから」
声が小さくなる。
「連れていきたくなかった」
ミアは、しばらく何も言わなかった。
「……馬鹿」
「なんだよ」
「ルカの馬鹿」
「だから何で」
「私だって怖かったよ!」
顔を上げる。
「ルカが蛇に突っ込んでいったとき!」
「…………」
「槍ごと吹き飛ばされたとき!」
「…………」
「死んだかと思った!」
ミアの目が少しだけ潤んでいる。
「でも!」
袖で目元を拭く。
「だからって、ルカに冒険するなって言った?」
「……言ってない」
「でしょ」
「…………」
「心配するのは、ルカだけじゃないんだから」
風が吹いた。父さんのスカーフが揺れる。
「……ミア」
「何」
「俺が止めても」
少しだけ、笑ってしまった。
「止まる?」
ミアが、きょとんとする。それから、
「止まらない」
即答だった。父さんと同じだ。
「そっか」
「何?」
「いや」
荷車を見る。
荷物。黒い板。剣。ノート。
そして、勝手に荷物に紛れ込んできた幼馴染。
「……じゃあ」
ミアを見る。
「一緒に行こう」
「…………」
「世界の果てまで」
ミアが目を丸くする。
「いいの?」
「駄目って言っても来るんだろ?」
「行く」
「即答かよ」
「ずっと言ってるでしょ」
ミアが笑った。
「私も見たいって」
そうだった。
最初の野営。火を起こすだけで一時間かかった夜。
焚き火の前で、話した。
世界の果て。
『一緒に見よう』
「……そうだったな」
「忘れてたの?」
「忘れてない」
「本当に?」
「忘れてないって!」
「怪しい」
「うるさい!」
「クゥ!」
クウが俺たちの間へ飛び込んでくる。
「クウ」
「クゥ!」
ミアが抱き上げる。
「じゃあ三人だね」
「…………」
「何?」
「いや」
クウを見る。ミアを見る。そして、道の先を見る。
「三人だな」
「最初からそう言ってるでしょ」
「俺には言ってなかっただろ」
「言ったら置いていくでしょ」
「荷物に隠れる方がおかしい!」
「ちゃんと作戦考えたの!」
「どんな作戦だよ!」
「村から離れるまで見つからなければ、追い返しにくい作戦」
「最悪だ!」
「成功したでしょ?」
「したけど!」
「クゥ!」
「クウまで喜ぶな!」
笑った。
さっきまで本気で怒っていたのに、いつの間にか笑っていた。
「じゃあ行くぞ」
「うん」
「荷車」
「何?」
「ミアも引け」
「え?」
「お前が乗ってたせいでめちゃくちゃ重かったんだからな!」
「女の子に荷車引かせるの?」
「都合いいときだけ女の子になるな!」
「十四歳なんですけど?」
「さっき年齢関係ないって言っただろ!」
「それとこれは別」
「別じゃない!」
「クゥ!」
「クウも手伝え!」
クウが走り出す。
「あ! 逃げた!」
「クウー!」
三人で、歩き出す。
村から続く道を。
ローデンへ。その先へ。
まだ知らない町へ。知らない国へ。海へ。
そして、世界の果てへ。
怖くないわけじゃない。
もう、冒険が楽しいだけじゃないことも知っている。
それでも。
見たい。知りたい。自分の目で確かめたい。
父さんからもらった剣。古いスカーフ。
冒険ノート。何なのか分からない黒い板。
隣にはミア。少し前にはクウ。
リベル村で始まった、俺たちの小さな冒険は、ここで終わる。
そして。
俺たちの旅が、本当の意味で、ここから始まった。




