第18話 生きて帰る
巨大な蛇が動かなくなってからも。
しばらく、誰も喋らなかった。
風が吹いている。
木々が揺れている。
さっきまでと同じ森のはずなのに、妙に静かだった。
「……ルカ」
ミアの声で、我に返った。
「何?」
「あの人」
倒れている冒険者を見る。
「あ……」
そうだ。終わってない。
俺たちは蛇を倒しに来たんじゃない。この人を連れて帰るために戦ったんだ。
「ミア、状態は?」
駆け寄る。
ミアが男の傷を確認する。
「さっきより出血は落ち着いてる。でも歩くのは無理」
「じゃあ運ぶ」
「どうやって?」
「……担ぐ?」
「その傷で?」
「駄目か」
「駄目」
「即答……」
「担架を作る」
セリアが言った。
「担架?」
「丈夫な枝を二本探して。できるだけ真っ直ぐなもの」
「分かった」
「クウも探すぞ!」
「クゥ!」
動く。やることがある。
それだけで少し楽になった。
太い枝。布。ロープ。セリアの鋼糸。
ミアが男から離れられない分、俺とクウが材料を集めた。
セリアが枝を組む。
「そこ持って」
「ここ?」
「もう少し下」
「こう?」
「そう」
布を巻きつける。鋼糸で補強する。
「……よし」
地面に簡易的な担架ができた。
「すげぇ」
「旅してれば使うこともあるよ」
「セリア、何でも知ってるな」
「何でもは知らない」
セリアが一瞬だけ俺を見る。
「知ってることだけ」
「……そっか」
どこかで聞いたような言葉だった。
俺たちは男を担架へ移した。
「……悪い……」
「喋らなくていいです」
ミアが毛布をかける。
「今は休んでてください」
男が薄く目を開ける。
その視線が、俺の後ろへ向いた。
ガイルの槍。
「…………」
男は何も言わなかった。
俺も何も言えなかった。
◆
「これ、どうする?」
俺は蛇を見る。巨大な死骸。
鎧蜥蜴を倒したときは、素材を傷めないよう処理して持ち帰った。魔物を倒したら、それで終わりじゃない。父さんから教わった。
でも。
「置いていく」
セリアが答えた。
「いいの?」
「今、一番大事なのは?」
言われて、担架を見る。
「……この人を帰すこと」
「そう」
「じゃあ置いていこう」
迷わなかった。
セリアが蛇の頭部から鱗を数枚だけ剥がした。
「何するの?」
「討伐の証拠。それと、どんな魔物だったか調べる材料になる」
「なるほど」
俺も手伝おうとして、足元にある槍が目に入った。
ガイルの槍。拾い上げる。
「それも持って帰る?」
ミアが聞いた。
「うん」
「重いよ?」
「持って帰る」
それだけは決めていた。
「……分かった」
槍を荷物に括りつける。重い。
でも、置いていく気にはならなかった。
「行こう」
俺とセリアで担架を持つ。
ミアとクウが前を警戒する。
そして、俺たちは帰り始めた。
◆
大森林迷宮は、相変わらず綺麗だった。
青い空。白い雲。巨大な木々。
風が吹けば、無数の葉が揺れる。
初めて見たとき、俺は叫んだ。
すごい。意味が分からない。すごい。ノートにもそう書いた。
今だってすごいと思う。
なのに。
「…………」
同じ景色に見えなかった。
担架が揺れないように歩く。一歩、また一歩。
肩が痛い。腕も痛い。魔力を使いすぎたせいか、頭も重い。
「代わろうか?」
ミアが聞いた。
「大丈夫」
「でも」
「ミアは周り見てて」
「……うん」
しばらく歩く。誰も喋らない。
いつもなら、俺が何か見つけて、ミアに止められて、クウがどこかへ走って。そんなことばかりだった。
今は何かを見つけても、足が止まらなかった。それが自分でも少し変な感じがした。
「……ルカ」
セリアだった。
「何?」
「さっきから、そっちばかり見てる」
「え?」
自分の視線に気づく。
ミア。少し前を歩いている。
「…………」
蛇の身体がミアの周りで閉じていく、あの瞬間が浮かんだ。
「……なんでもない」
「そう」
セリアはそれ以上聞かなかった。ただ、
「ちゃんといるよ」
「え?」
「ミア。いるでしょ」
「…………」
ミアが振り返った。
「何?」
「いや」
「?」
「なんでもない」
「変なの」
また前を向く。その背中が動いている。歩いている。生きている。
「……うん」
小さく呟いた。
それだけで、少しだけ息がしやすくなった。
◆
森を抜け、暗い洞窟へ入る。
そして、遠くに光が見えた。
「出口……」
最初に大森林へ入ったとき、暗い洞窟の先に森を見つけた。あのときとは逆だ。
今は、洞窟の先にある普通の空が、たまらなく嬉しかった。
「見えたぞ!」
外から声がする。
「誰か戻ってきた!」
入口にいた冒険者たちが走ってくる。
「怪我人だ!」
「担架!」
「調査隊の奴じゃないか!?」
何人もの人が集まった。
俺とセリアの手から担架が離れる。
「生きてる!」
「救護を呼べ!」
「急げ!」
男が運ばれていく。その姿を見送る。
「…………」
力が抜けた。その場に座り込む。
「ルカ!?」
「大丈夫」
「本当に?」
「……足に力入らない」
「それ大丈夫って言わないよ」
ミアも隣に座った。
セリアも少し離れた岩へ腰を下ろす。
クウは、俺たちの真ん中。
「クゥ……」
全員、いる。
「……帰ってきた」
口に出した。
「うん」
ミアが答えた。
「帰ってきたね」
初めてだった。
冒険から帰ってきたこと自体を、こんなに嬉しいと思ったのは。
◆
ローデンへ戻ったのは、翌日の夕方だった。
ギルドの扉を開く。
いつもの音がする。冒険者たちの声、食器の音、依頼板の前の話し声。
「…………」
昨日までなら、ただ賑やかな場所だと思っていた。
今日は少し違った。ここにいる人たちは、みんな、どこかから帰ってきた人たちなんだ。
「……ルカ?」
カウンターから声。ジャンさん。
俺を見る。次に、背負っている槍を見る。表情が変わった。
「報告か」
「……うん」
カウンターまで歩く。槍を下ろす。
「これ」
ジャンさんが見る。
「ガイルのだ」
「……そうか」
蛇の鱗も置く。そして、俺は話した。
森の魔物の動きが変わっていたこと。
帰路が塞がれたこと。
境界近くを迂回したこと。
水筒を見つけたこと。
血。折れた矢。生き残った一人。三人。
そして、巨大な蛇。
全部。
ジャンさんは途中で口を挟まなかった。
「……三人は」
喉が詰まる。
「死んでた」
「確認したのか」
「……うん」
あの感覚が蘇る。生命活動――停止。
「俺の祝福で……確認した」
「そうか」
ジャンさんは槍を見る。
「蛇は?」
「倒した」
周囲が少しざわついた。
「でも」
俺は続ける。
「俺たちだけじゃない」
「……?」
「ガイルたちが傷をつけてた。生き残った人が、あいつが振動に反応するかもしれないって教えてくれた」
槍を見る。
「これも使った」
「…………」
「だから」
言葉を探す。
「俺たちだけで倒したんじゃない」
ジャンさんがしばらく黙っていた。それから、
「分かった」
槍の柄へ触れる。
「報告は俺がまとめる」
「……うん」
帰ろうとして、止まった。
「ジャンさん」
「何だ」
「こういうことって……あるのか?」
自分でも変な質問だと思った。でも聞きたかった。
「冒険者が……帰ってこないこと」
ジャンさんは、すぐに答えた。
「ある」
「…………」
「珍しいって言ってやりたいがな」
ジャンさんが槍を見る。
「長くやってりゃ、知ってる名前が帰ってこない日はある」
「強くても?」
「ああ」
「経験があっても?」
「ああ」
「…………」
「だから」
ジャンさんが俺を見る。
「俺はお前らに何度も帰ってこいって言ってんだ」
その言葉。何度聞いただろう。
『全部分かるまで帰ってこない奴からは、何の報告も聞けねえよ』
あのときは、分かったと思った。
でも、違った。
「……そっか」
ジャンさんが俺を見る。
「お前らは?」
「え?」
「全員いるか」
俺。ミア。セリア。クウ。
「……いる」
「なら」
ジャンさんの大きな手が、頭に乗った。
「よく帰ってきた」
「…………」
それだけだった。
なのに、泣きそうになった。
「……当たり前だろ」
下を向く。
「帰るまでが依頼なんだから」
「ああ」
ジャンさんの手が離れる。
「そうだな」
◆
ギルドを出た。夕方。
町を風が抜けていく。
「セリア」
「何?」
「これからどうする?」
「今日は宿」
「そうじゃなくて」
「分かってる」
セリアが笑った。それから、少し遠くを見る。
「大森林迷宮はしばらく入れないと思う」
「探し物は?」
「まだ探すよ」
「でもあそこには――」
「うん」
セリアが首元に触れた。
「あの人が言ってたでしょ」
『黒くて……妙に滑らかな……』
「たぶん、手がかり」
「じゃあ、また大森林に?」
「いつかね」
「一人で?」
セリアが俺を見る。
「……それは考える」
「なら」
俺は言った。
「次は一緒に行こう」
「え?」
「俺も気になる」
「そこ?」
「それだけじゃないって!」
ミアが笑った。
「ルカは半分くらいそれだと思います」
「ミア!」
「クゥ!」
「クウまで!?」
セリアが笑った。
「……分かった」
「本当?」
「うん」
右手を出す。
「約束」
その手を握る。
「約束」
「その代わり」
「何?」
「次に会うまでに、火くらい一人ですぐつけられるようになってて」
「もうできる!」
「昨日覚えたばっかりでしょ」
「今やるか!?」
「町中でやらないで!」
ミアに止められた。
セリアが笑う。俺も笑った。
少しだけ、いつもの感じだった。
◆
その夜。リベル村。
机の上に冒険ノートを開いた。
大森林迷宮。
洞窟の中の森。空。巨大な木。光る虫。
火魔法。セリア。巨大な蛇。
書くことは山ほどあった。
でも、最後のページで手が止まった。
三人の名前を書く。
ガイル。ギルドで一緒にいた二人。
一人ずつ、名前を書く。
そして。
『冒険者は、帰ってこないことがある。』
そこまで書いた。
「…………」
続きを書こうとする。書けなかった。
世界の果てまで行く。ずっとそう書いてきた。
知らないものを全部見る。今でも、見たい。
でも。
ミアが蛇に巻かれかけた瞬間を思い出す。
ガイルの身体。生命活動――停止。
父さん。ミア。クウ。
もし、俺が帰ってこなかったら。
「…………」
ペンを置いた。
今日は、これ以上書けなかった。
窓の外を見る。
いつもの村。いつもの夜。
隣の家にはミアがいる。足元ではクウが眠っている。
俺も、ここにいる。
世界の果てへ行きたい。その気持ちは、まだ消えていなかった。
でも。
初めて、その先へ進むことが、少しだけ怖かった。




