第17話 深森の蛇
巨大な蛇の身体が、俺たちと帰り道の間へ降りてきた。
音がしなかった。
あれだけ巨大なのに。
気づいたときには、そこにいた。
「……でかい」
鎧蜥蜴なんて比べものにならない。
胴だけでも、俺の身体より太い。
暗い緑と黒が混じった鱗。
木の幹に身体を沿わせるだけで、どこまでが木で、どこからが蛇なのか分からなくなる。
「ルカ」
セリアの声。
「ゆっくり下がって」
「うん」
戦う必要はない。
目的はこいつを倒すことじゃない。
生き残った冒険者を連れて帰ることだ。
ミアが男のそばにいる。動けない。
俺とセリアが前。クウがその間。
一歩、後ろへ。
蛇は動かない。
もう一歩。
まだ動かない。
「……いける?」
俺が小さく言う。
「分からない」
セリアも蛇から目を離さない。
さらに一歩。
その瞬間。
「クゥ!」
クウが吠えた。
「え――」
「ルカ!」
身体が後ろへ引っ張られた。
「ぐえっ!」
尻餅をつく。
目の前を、巨大な頭が通り過ぎた。
バキッ!
俺が立っていた場所の木が砕ける。
「……っ!」
「ぼーっとしない!」
セリア。
腰の鋼糸が俺に巻きついている。
「今のセリア!?」
「他に誰がいるの!」
「助かった!」
「なら立って!」
鋼糸が外れる。
俺は立ち上がった。
速い。
巨体だから遅いなんて、とんでもない。
蛇が再び木へ身体を這わせる。
「消える……」
目の前にいたはずなのに、森の色へ溶けていく。
「どこ!?」
「上!」
ミアの声。
見上げる。遅い。
「――風よ、押せ!」
横へ飛ぶ。
頭が落ちてきた。地面が抉れる。
ミアの矢。蛇の顔へ。
カンッ!
「弾かれた!」
鱗が硬い。
蛇の頭がミアへ向く。
「ミア!」
走る。
蛇が身体をうねらせる。尾。
「っ!」
剣で防げる大きさじゃない。
地面を蹴る。風。飛び越える。
「ルカ!」
セリアが叫ぶ。
分かってる。
着地。振り返る。
蛇がいない。
「……どこだ」
木。枝。蔓。影。
全部が蛇に見える。
【???】。
意識する。
何も分からない。
「なんで……」
見えていない。対象が分からない。
どれが蛇なのか認識できていない。
それじゃ――調べられない。
「役に立たないのかよ……!」
そのとき。
クウの耳が動いた。
「クゥ!」
左。
「そこか!」
木の幹。暗い緑。蛇だ。
見つけた瞬間、分かる。
【???】。
巨大な蛇型魔物。
全身を覆う硬い鱗。
腹部は背面より薄い。
右側面――傷。
「傷がある!」
「どこ!?」
「右側!」
ガイルたちがつけた傷だ。
でも、それだけ。
どう倒せばいいかなんて分からない。
「……考えろ」
情報はある。
答えがないなら、自分で考える。
蛇が動く。
「来る!」
◆
何度目かの攻撃を避けた。
「はぁ……はぁ……」
息が切れる。
こっちは走り回っている。
蛇は森を使っている。
木から木へ。地面から枝へ。
姿を隠し、俺たちが動いた瞬間に襲ってくる。
「……おかしい」
セリアが呟いた。
「何が?」
「あいつ、見えてないときでも私たちの位置が分かってる」
俺も思っていた。
木の裏にいる。枝の上にいる。
なのに、こっちが動くと来る。
『振動』
生き残った男の言葉。
「……止まってみる?」
セリアを見る。
「試す価値はある」
「ミア!」
「何!?」
「動くな!」
「え!?」
「クウも!」
「クゥ!」
全員、止まる。
息まで殺す。
森が静かになる。
風。葉。遠くの水。
蛇は――来ない。
「…………」
数秒。十秒。
俺は足元の小石を拾った。
「ルカ?」
投げる。遠くの木へ。
カンッ。
小石が当たる。
直後、蛇が動いた。
「……やっぱり」
小石が落ちた方へ頭が向いた。
「振動を見てる」
「見てるって言うの?」
「感じてる!」
「今はどっちでもいい!」
でも分かった。
ガイルたちが残してくれた情報。
俺たちが確認したこと。
繋がった。
「だったら――」
地面を見る。木。枝。風。
俺が今まで使ってきた魔法。
身体を押す。
土埃を巻き上げる。
矢を飛ばす。
そして昨日。
『煙を動かすのは?』
『できると思う』
風は、俺自身を動かすためだけじゃない。
「……やってみる」
「何を?」
「騙す」
◆
「ミア。あいつが顔出したら、目を狙って」
「分かった」
「セリア」
「何?」
「糸、どれくらい止められる?」
「あれを?」
蛇を見る。
「一瞬なら」
「十分」
「何するの?」
「まだ分からない」
「え?」
「途中までしか思いついてない」
「ルカ!」
「やりながら考える!」
「それ一番駄目なやつじゃない!?」
「でも今はそれしかない!」
セリアが一瞬だけ黙る。
「……分かった」
「いいの!?」
「あなたが言ったんでしょ!」
「そうだけど!」
「やるなら早く!」
「おう!」
剣を地面へ突き立てる。
両手を空ける。息を整える。
風。
自分を押すんじゃない。
遠く、あの木。
「――風よ」
風をぶつける。
枝が大きく揺れた。
ざざっ!
蛇の頭がそちらへ向く。
「……いける」
次。反対側。
風。落ちていた枝が転がる。
蛇が反応する。
「ルカ!」
「分かってる!」
頭が痛い。
いつもより細かく魔法を使っている。
でも。
「まだ!」
右。左。木。地面。
あちこちで音を作る。
枝を揺らす。葉を散らす。地面を叩く。
蛇の動きが変わった。迷っている。
「今!」
俺たちは動いた。
蛇が反応する。
でも、他にも振動がある。狙いが定まらない。
「ミア!」
「うん!」
矢。顔。
蛇が避ける。
「外した!」
「それでいい!」
顔を動かした。それだけでいい。
俺は走る。
地面に置いていたものへ。
ガイルの槍。
拾う。
「……借りるぞ」
重い。
俺の剣よりずっと長い。
使い慣れていない。
でも、こいつと距離を取って戦える。
蛇が俺を見る。
「ルカ!」
「来い!」
地面を踏む。
わざと、強く。
蛇が反応した。頭が来る。
「今!」
セリアの鋼糸が走った。
一本。二本。木と木の間。
蛇の身体へ絡みつく。
「止まれっ!」
セリアが両手で引く。
鋼糸が張る。
蛇の巨体。止まらない。
「セリア!」
「一瞬って言ったでしょ!」
でも、本当に一瞬。
蛇の頭が止まった。
「ミア!」
矢が飛ぶ。
今度は、目。
「――ッ!」
蛇が大きく身体を反らした。
「当たった!」
暴れる。
「セリア、離せ!」
鋼糸が解放される。
蛇の尾が振り回される。
「うわっ!」
地面へ転がる。槍を離さない。
起きる。
蛇が暴れている。右目に矢。
片方は見えている。
でも、俺を狙っていない。
音。振動。そっちに反応している。
「クウ!」
白い影が走った。
「クゥ!」
「待て!」
クウが蛇の前を横切る。地面を蹴る。
蛇の頭が追う。
「クウ、離れろ!」
クウが方向を変える。
その瞬間、蛇の身体が大きくうねった。
輪。
「クウ!」
違う。クウじゃない。
その先。
「ミア!」
「え?」
巨大な身体がミアの周囲を囲む。
「ミア、逃げろ!」
ミアが走る。
蛇の輪が閉じる。間に合わない。
「ミア!」
頭に浮かんだ。
ガイル。あの三人。
動かない身体。生命活動――停止。
次に、そこへミアが重なった。
「……嫌だ」
身体が止まりそうになる。
怖い。初めて。
魔物に殺されることじゃなく。
ミアが、動かなくなることが。
「ルカ!」
セリアの声。
身体が動いた。
「――風よ、押せ!」
走る。間に合え。
「ミア!」
槍。どこを狙う。
鱗。腹。傷。
違う。蛇の口が開く。
「……そこだ!」
硬い鱗なんてない。
槍を構える。
でも、このままじゃ届かない。
「ミア! 撃て!」
「どこ!?」
「口!」
「え!?」
「いいから!」
ミアが矢を放つ。口の中へ。
蛇が反応した。頭を振る。
輪が一瞬緩む。
「今!」
ミアが抜け出す。
よかった。
その安心を、後回しにする。
蛇の口はまだ開いている。
「ルカ!」
セリア。
鋼糸が俺の身体に巻きつく。
「え?」
「飛んで!」
「何!?」
「早く!」
意味は分からない。
でも、地面を蹴った。
風。跳ぶ。
次の瞬間、背中を引かれた。
「うおっ!?」
セリアが鋼糸を引く。
俺の身体が、空中で加速した。
「いっけええええ!」
槍を前へ。
蛇の口、その奥へ。
突き刺さる。
「――ッ!!」
ものすごい力。
槍が持っていかれる。
「ぐっ……!」
離さない。
蛇が頭を振る。
身体ごと吹き飛ばされる。
「ルカ!」
地面。背中。息が止まる。
「っ……」
立て。蛇はまだ動いている。
「まだだ!」
槍は刺さったまま。蛇が暴れる。
ミアが矢を構える。
「どこ!?」
「槍のところ!」
矢。一本。さらに一本。
蛇が身体を大きく反らす。
セリアの鋼糸。
傷のある右側へ。
「ルカ!」
「分かってる!」
剣を抜く。走る。風。
蛇の右側。ガイルたちが残した傷。
そこへ、剣を叩き込む。
「――っ!」
浅い。硬い。
でも傷が開く。
「クウ!」
「クゥ!」
クウが蛇の足元――足はないけど、とにかく身体の近くを走る。
蛇の頭がそちらへ動く。
「もう一回!」
剣。風。
ミアの矢。
セリアの鋼糸。
クウ。
ガイルの槍。
全部が、一つの魔物へ向かう。
そして。
巨大な身体が、地面へ落ちた。
ドォン――。
森が揺れた。
「…………」
誰も動かなかった。
「……死んだ?」
ミアの声。
「待って」
俺は蛇を見る。
【???】。
今度は、ちゃんと分かる。
生命活動――停止。
「……死んでる」
「…………」
勝った。
鎧蜥蜴のときなら、たぶん叫んでいた。
三人で飛び跳ねていた。
でも、誰も笑わなかった。
俺は地面に刺さった槍を見る。
「…………」
これは俺たちだけで倒したんじゃない。
ガイルたちが傷をつけた。
生き残った男が情報を持ち帰った。
その全部があったから、俺たちは生きている。
「ルカ」
ミアだった。
「大丈夫?」
「……うん」
「本当に?」
「ミアは?」
「私は大丈夫」
その返事を聞いて、やっと少しだけ力が抜けた。
「……よかった」
「え?」
「なんでもない」
「何それ」
セリアが俺たちの横を通り過ぎる。
「二人とも」
「何?」
「話はあと」
倒れている男を見る。
「生きてる人を帰すんでしょ?」
「…………」
そうだった。
「うん」
剣を収める。
勝ったかどうかなんて、今はどうでもいい。
「帰ろう」
俺はガイルの槍を引き抜いた。
持って帰る。今度こそ。
帰って、伝えなきゃいけない。
ここで何があったのか。
分かったことも、分からなかったことも。
全部。




