第14話 四人目
セリアについて歩き始めて、しばらく。
俺は一つ、気づいたことがあった。
「……なあ」
「何?」
「本当にこっちで合ってる?」
「合ってるよ」
セリアは振り返りもしなかった。
「地図見なくていいの?」
「さっき見たから」
「一回しか見てないだろ?」
「うん」
「…………」
俺は自分の持っている地図を見る。
右。左。目の前の木。また地図。
「全然分からない」
「でしょうね」
ミアが言った。
「なんでだよ!」
「だから迷ったんでしょ?」
「ちょっと道を間違えただけだ!」
「セリアさんは結構外れてるって言ってたよ」
「ミアはどっちの味方なんだよ」
「道が分かる方」
「ひどい!」
前を歩いていたセリアが小さく笑った。
「地図だけ見てるから分からなくなるんだよ」
「じゃあ何見るの?」
「色々」
「色々って?」
セリアが足を止めた。
「例えば、あれ」
指差したのは一本の木。
「……木」
「そう」
「それは分かる」
「幹の片側だけ苔が多いでしょ?」
「……本当だ」
「それから風」
セリアが髪を押さえる。
「さっき川沿いを歩いたときと湿り気が変わった」
俺も風を感じてみる。
「……分からない」
「すぐにはね」
さらにセリアは地面を見る。
「足跡もある」
「どこ?」
「そこ」
「……これ?」
「昨日か今朝、誰か通ってる」
俺には、少し草が潰れているようにしか見えなかった。
「すげぇ」
「普通だよ」
「普通なの!?」
「冒険者なら覚えておいた方がいいこと」
「俺も冒険者なんだけど」
「一か月でしょ?」
「一か月も、だ」
「一か月しか、だよ」
「ぐっ……」
何も言い返せない。
ミアが楽しそうに笑っている。
「ルカより一歳上なだけなのに、全然違いますね」
「冒険者になって一年くらいだから」
「一年……」
俺は自分の一か月と比べた。
十二倍。なんかすごい。
「じゃあ俺もあと十一か月でセリアくらいになる?」
「なんでそうなるの?」
「計算上」
「ならないと思う」
「即答!?」
◆
セリアの言った通り、やがて水の音が聞こえてきた。
「川!」
見覚えがある。昨日も通った川だ。
「本当に戻ってきた……」
「疑ってたの?」
「ちょっとだけ」
「案内してあげなきゃよかった」
「嘘! すごく信じてた!」
「遅いよ」
セリアが呆れたように笑う。
これで俺たちは元の調査区域へ戻れる。
「じゃあ私は行くね」
セリアが森の奥を見る。
「もう?」
「元の場所まで案内するって約束だったから」
「未踏区域に行くの?」
「うん」
俺もその方向を見る。
この先のどこかに、誰も調べていない場所がある。
行きたい。ものすごく行きたい。
でも。
『未踏区域には近づかない』
ジャンさんの声が頭に浮かぶ。
「……俺たちは行けないな」
口に出すと、ミアが少し驚いた顔をした。
「何?」
「いや……ちゃんと我慢できるんだなって」
「俺を何だと思ってるんだよ!」
「ルカ」
「ひどい!」
セリアが俺を見る。
「行きたいんでしょ?」
「行きたい」
「即答だね」
「でも依頼で来てるから」
俺は依頼書を軽く叩く。
「こっちを終わらせないと」
「……そっか」
セリアが少しだけ笑った。
「じゃあ、気をつけて」
「セリアもな」
「うん」
青い髪が森の奥へ向かう。
――はずだった。
「クゥ!」
クウが突然鳴いた。
「ん?」
大きな耳が立つ。空を見上げている。
俺たちもつられて上を見る。
「……何?」
ミアが呟いた。
ぽつ。
頬に何か当たった。
「水?」
ぽつ。ぽつ。
次の瞬間。
ざああああああ――!
「うわっ!」
「雨!?」
一気に降ってきた。
洞窟の中なのに、普通に雨だ。
「本当に降った!」
「喜んでる場合!?」
「父さん本当のこと言ってた!」
「そこ!?」
セリアだけが素早かった。
「こっち!」
近くの巨大な木の根元。
根と岩が重なった場所に、小さな空間がある。
俺たちは慌てて駆け込んだ。
◆
「……すごいな」
目の前を雨が覆っている。
さっきまで青かった空は灰色。風も強くなった。
「本当に天気変わるんだ……」
俺はノートを出そうとした。
「濡れるよ」
「そうだった」
慌てて戻す。
セリアは外を見ている。
「しばらく止まないかも」
「分かるの?」
「雲」
言われて空を見る。
「……全部灰色」
「だから、すぐには止まない」
「なるほど」
また一つ覚えた。
雨脚はさらに強くなる。
地面を水が流れ始めた。川の音も大きくなっている。
「これ、今から移動するの危ない?」
「危ないね」
セリアが答えた。
「足元が滑るし、川も増水する。視界も悪い」
俺とミアは顔を見合わせる。
「じゃあ……」
「今日はここまでかな」
まだ夕方には少し早い。
でも無理に進む理由もない。
「野営場所を探そう」
セリアが言った。
「雨が弱くなったら、少し高いところへ移動する」
「川の近くじゃ駄目?」
「増水したら?」
「…………」
「流される」
「なるほど」
「ルカ」
「何?」
「今日何回目の『なるほど』?」
「知らないことが多いんだからしょうがないだろ!」
セリアが笑った。
◆
雨が少し弱くなったころ。
俺たちはセリアと一緒に、少し高くなった場所へ移動した。
大きな木の根元。
風を遮れる。地面も比較的乾いている。
「ここなら大丈夫」
セリアが荷物を下ろした。
「じゃあ火だな」
「そうだね」
俺は荷物から火起こしの道具を取り出した。
乾いた細枝。火口。濡れていないものはちゃんと袋に入れてある。
この一か月で覚えた。
「今日は雨だから難しいぞ」
「頑張って」
「任せろ」
俺はしゃがみ込んだ。火起こし開始。
しばらくして。
「……何してるの?」
セリアの声がした。
「ん?」
顔を上げる。セリアが俺を見ている。
「見れば分かるだろ。火を起こしてる」
「どうして?」
「どうしてって……」
俺はミアを見る。
ミアも不思議そうな顔をしている。
「火がないと飯食えないだろ」
「火魔法を使えばいいじゃない」
「…………」
俺は止まった。ミアも止まった。
「……火魔法?」
「うん」
「俺、風が得意なんだけど」
「知ってる。さっき使ってたから」
「ミアは?」
「私も火は得意じゃないです」
「別に得意じゃなくても、火をつけるくらいならできるでしょ?」
「…………」
「…………」
セリアが俺たちを見る。
「え?」
俺は手に持っていた火起こしの道具を見る。
それからセリアを見る。
「……できるの?」
「できるよ」
「誰でも?」
「基本的なものなら」
「…………」
俺は立ち上がった。
「ミア!」
「私に言わないでよ! 私も知らなかったんだから!」
「俺、前にこれ一時間かけてつけたんだけど!」
「私も一緒にやってたでしょ!」
「昨日だって三十分!」
「二十五分!」
「細かい!」
セリアが完全に呆れている。
「……二人とも今までどうやって旅してたの?」
「これで!」
俺は火起こし道具を掲げた。
「見れば分かるよ……」
セリアがしゃがむ。
乾いた枝を集め、手をかざした。
「最初は大きな火を想像しなくていいよ。必要なのはこれに火を移すだけだから」
短い言葉を呟く。
指先に、小さな火。
「おお……」
枝へ火が移る。
ぱち。ぱちぱち。燃え始めた。
時間にして――。
「……一分もかかってない」
「だからそう言ったでしょ?」
「俺の一時間……」
「ルカ」
「何?」
「私の一時間でもあるから」
「ミア……」
「うん……」
俺たちはしばらく火を見つめた。
「そんなに落ち込む?」
セリアが困っている。
◆
その後。
「水も少しくらいなら出せるよ」
「嘘だろ」
「本当」
「地面も?」
「簡単な範囲なら整えられる」
「寝る場所も!?」
「多少なら」
「風は?」
「それはルカの方が得意でしょ」
「……魔法って戦うためだけじゃないんだな」
思わず口から出た。
セリアが首を傾げる。
「むしろ旅してたら、こういう使い方の方が多いよ」
「…………」
知らなかった。
風で身体を押す。矢を飛ばす。土埃を巻き上げる。
戦うときばかり使っていた。
でも。
「じゃあ風で服を乾かしたりできる?」
「できるんじゃない?」
「煙を動かすのは?」
「できると思う」
「匂いも?」
「それは……やったことない」
「じゃあ――」
「ちょっと待って」
セリアが手を上げた。
「何?」
「一気に試さない」
「なんで?」
「魔力なくなるよ」
「……なるほど」
「また言った」
ミアが笑った。
「でもルカらしいかも」
「何が?」
「一個教えてもらったら十個試したくなるところ」
「だってできるかもしれないだろ」
セリアが俺を見ていた。
「……面白いね」
「俺が?」
「その考え方」
「そう?」
「普通は火魔法を教わって、そこから風で匂いを運ぼうとは思わない」
「できるかな?」
「知らない」
「じゃあ今度試そう」
「魔力に余裕があるときね」
「分かった」
「本当に?」
「セリアまで!?」
ミアとセリアが同時に笑った。
なんか悔しい。
◆
夕食。
火魔法で簡単についた焚き火で作った飯を食べる。
「……味は同じだな」
「火のつけ方で味は変わらないでしょ」
「俺の二十五分が入ってない」
「何その隠し味」
セリアが笑う。
クウはセリアの横に座っていた。
「クウ」
「クゥ?」
「お前までそっち行くの?」
セリアが肉を少し分けている。
「懐かれたみたい」
「食べ物に釣られてるだけだぞ」
「クゥ!」
「怒った」
「事実だろ」
ミアが笑う。
雨音。焚き火。四人で食べる飯。
昨日までは三人だった。
なのに不思議と、そこまで変な感じはしなかった。
「セリアはずっと一人で旅してるの?」
俺が聞く。
「ずっとじゃないよ」
セリアはスープを飲む。
「その場で一緒になった冒険者と組むこともあるし、一人のときもある」
「怖くない?」
「怖いよ」
意外だった。
「怖いの?」
「当たり前でしょ」
「セリア、全然怖そうに見えないから」
「怖くない人が冒険者になるわけじゃないよ」
セリアが焚き火を見る。
「怖いから準備するし、怖いから周りを見るし、危ないと思ったら逃げる」
「……ジャンさんみたい」
「誰?」
「ギルドの人」
「その人、たぶん正しいよ」
今日二人目だ。
「みんな同じこと言うな……」
「ルカが同じこと言われるようなことしてるんじゃない?」
「ミアまで」
「私はずっと言ってる」
セリアがまた笑った。
「じゃあルカは、どうして冒険者になったの?」
「世界を見たいから」
それだけはすぐに答えられた。
「世界?」
「うん」
俺は空を見る。
洞窟の中にある、偽物みたいなのに本物にしか見えない夜空。
「知らないものを全部、自分の目で見たい」
「全部?」
「全部」
「無理じゃない?」
「やってみないと分からないだろ」
「そういうところだよ」
ミアが呟く。
「最初は世界の果て」
セリアが俺を見る。
「世界の果て?」
「いつか行く」
「……本気?」
「もちろん」
少しの沈黙。
それからセリアは、
「そっか」
とだけ言った。
「セリアは?」
「何が?」
「なんで旅してる?」
セリアの手が止まった。ほんの少し。
首元へ触れる。そこには昨日見えた、小さな飾りが隠れている。
「……探してるものがあるから」
「未踏区域にあるかもしれないやつ?」
「うん」
「何?」
「ルカ」
「聞くだけだろ!」
セリアは少し考えた。
「自分のこと」
「自分?」
「私は、自分がどこから来たのか知らないの」
ミアの表情が変わる。
俺も、今度は何も聞かなかった。
「だから探してる。それだけ」
セリアはそう言って笑った。
いつもの笑い方より、少しだけ小さかった。
「……見つかるといいな」
俺が言う。
「え?」
「探してるもの」
「……うん」
「見つからなかったら?」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「違うって! 見つかるまで探せばいいだろって言おうとした!」
「言い方!」
ミアに怒られた。
セリアは一瞬きょとんとして、それから声を出して笑った。
「本当に変な人」
「よく言われる」
「そこは否定しなよ」
雨はいつの間にか止んでいた。
森の夜。
昨日は三人で見た光が、今夜は四人の周りを飛んでいた。
◆
翌朝。
雨で濡れた森に、朝の光が差し込んでいた。
荷物をまとめる。
「じゃあ、ここで――」
セリアが言いかけたとき。
遠くから声がした。
「おーい!」
俺たちは振り返る。
森の向こうから、冒険者が一人走ってくる。息を切らしている。
「誰かいるか!」
セリアの表情が変わった。
男が俺たちを見つけ、駆け寄ってくる。
「未踏区域へ向かった調査隊を見なかったか!?」
「調査隊?」
俺の頭に、四人の姿が浮かぶ。
槍を背負った男。
『帰ってきたら教えてやるよ』
「ガイルたち?」
「知ってるのか?」
「出発するとき会った」
男は息を整えながら言った。
「昨日戻る予定だった」
胸の奥が、わずかにざわつく。
「……まだ帰ってないの?」
「ああ」
森を吹き抜ける風が、急に冷たく感じた。
「四人とも――戻ってきてない」




