第13話 青い髪の冒険者
鳥の声で目が覚めた。
「……ん」
目を開ける。
最初に見えたのは、木々の隙間に広がる青い空だった。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
それから昨日のことを思い出す。
「……そうだ。大森林迷宮」
洞窟の中。
なのに森があって、空があって、風が吹いている。
寝起きで見ても、やっぱり意味が分からない。
そしてやっぱり――。
「すげぇな……」
「朝からそれ?」
隣から声がした。
ミアはもう起きていた。川の水で顔を洗ってきたらしい。
「だって見ろよ」
「昨日ずっと見てたでしょ」
「朝はまた違うだろ」
「そう?」
「違う」
俺は起き上がった。
足元ではクウが丸くなっている。
「クウ、朝だぞ」
「クゥ……」
「珍しいな。まだ眠いのか?」
耳だけがぴくりと動く。
昨日は一日中、森を走り回っていたから疲れたんだろう。
「置いていくよ」
「クゥ!」
飛び起きた。
「起きれるじゃん」
「クゥ!」
慌てて俺の足元へやってくる。
ミアが笑った。
「置いていかれるの嫌なんだね」
「誰かさんと違って素直だな」
「誰のこと?」
「……クウ、朝飯にしようぜ」
「逃げた」
◆
朝食を済ませ、野営跡を片づける。
火も完全に消した。
荷物も確認。
地図も確認。
「よし」
俺は冒険ノートを開いた。
今日調べるのは、昨日より少し奥。もちろん既知区域の中だ。
「今日はこの辺だな」
「うん。採取するものは?」
「昨日の苔と――」
依頼書を見る。
「赤い斑点のある葉。それと、川沿いに生える細長い青色の草」
「間違えないでね」
「一か月前の話をまだ言うのか?」
「月白草」
「……今日は間違えない」
「月白葉」
「分かったって!」
クウが先頭。
その後ろを俺とミアが歩く。
二日目になっても、大森林迷宮は飽きなかった。
巨大な木。
見たことのない花。
遠くを飛ぶ大きな鳥。
頭上の枝を、小型の魔物が走っていく。
「あ!」
「何?」
「今の見た?」
「見た」
「尻尾三本あったぞ!」
「あったね」
「何だあれ!」
「知らない」
「追いかけ――」
「依頼」
「……帰りにまだいたら探す」
「よろしい」
最近、このやり取りにも慣れてきた。
気になる。でも今じゃなくていい。また来ればいい。
世界には知らないものが多すぎる。一日で全部見るなんて無理だ。
だったら、一つずつ見ればいい。
「……ん?」
しばらく歩いたところで、クウが止まった。
大きな耳が立っている。
「どうした?」
「クゥ……」
右。
クウの顔が森の奥へ向く。俺とミアも足を止めた。
「魔物?」
「分からない」
クウの耳が細かく動く。
そのとき。
――キィン!
遠くから、硬いものがぶつかる音がした。
「……今の」
「うん」
もう一度。
ガキンッ!
そして――何かの咆哮。
俺とミアが顔を見合わせた。
「戦ってる?」
「たぶん」
「行ってみよう」
「待って」
ミアが俺の服を掴んだ。
「ぐえっ」
「突っ込まない」
「でも誰か戦ってるんだぞ」
「だから確認してから」
「……分かった」
以前なら、もう走っていたかもしれない。
俺たちは荷物を確認し、武器を取り出す。
俺は剣。ミアは弓。
「クウ」
「クゥ」
声を抑えて森の中へ進む。
戦闘音が大きくなる。
木々の隙間から――何かが見えた。
「……いた」
魔物。一頭じゃない。三頭。
黒い毛に覆われた、猿に似た魔物だった。俺より少し小さいくらい。腕が異様に長い。
その三頭が、一人の人間を囲んでいる。
「一人?」
ミアが小さく呟く。
女の子だった。
俺たちより少し年上だろうか。
長い青色の髪。その一部を邪魔にならないよう後ろで結んでいる。
手には短い刃――短剣。
軽装で、重そうな鎧は着ていない。
一頭の猿型魔物が飛びかかる。
「危な――」
言い終わる前だった。
少女が身体を沈める。
魔物が頭上を通過する。
その瞬間、少女が左手を引いた。
「……?」
何かが光った。
魔物の足が突然引かれた。
「ギャッ!」
空中で体勢を崩し、地面へ叩きつけられる。
「何した?」
「分からない」
目を凝らす。
細いものが木々の間に張られていた。
「……糸?」
いや、もっと硬そうだ。
金属の糸。鋼糸。
少女は周囲の木に何本もの鋼糸を張っていた。
別の魔物が背後から迫る。
少女は振り返らない。
鋼糸を引く。
張られていた一本が跳ね上がり、魔物の進路を塞ぐ。
怯んだ一瞬。
少女が踏み込む。
短剣が魔物の腕を浅く切る。
「……すげぇ」
思わず声が出た。
「ルカ」
「何?」
「見てないで手伝う!」
「あ」
そうだった。
「行くぞ!」
「うん!」
森から飛び出す。
「――風よ、押せ!」
風が背中を押す。一気に距離を詰める。
少女がこちらを見る。
「!?」
「一頭もらう!」
「誰!?」
「ルカ!」
「名前を聞いてるんじゃない!」
「え!?」
「前!」
「うおっ!」
猿型魔物の長い腕が飛んでくる。
剣で受ける。重い。
「ルカ!」
ミアの矢。
俺の横を抜け、魔物の肩に刺さる。
「助かった!」
「ちゃんと見て!」
「見てる!」
「今見てなかった!」
魔物が再び腕を振り上げる。今度は見える。
俺は横へ跳んだ。
風。身体を滑らせる。
剣で脇腹を切る。浅い。毛が厚い。
もう一撃――。
「下がって!」
少女の声。
「え?」
反射的に後ろへ跳ぶ。
直後、俺がいた場所を鋼糸が走った。
魔物の足に絡みつく。
「ギャッ!」
倒れる。
「今!」
「おう!」
剣を振り下ろす。魔物が動かなくなった。
「……おお」
「まだ!」
少女に怒鳴られる。
「分かってる!」
残り二頭。
一頭は少女。もう一頭は――。
「クゥ!」
クウが走る。
魔物の目の前を横切った。長い腕がクウを追う。
「クウ!」
届かない。
クウは木の根を飛び越え、方向を変える。
魔物の身体が完全に俺たちから逸れた。
「ミア!」
「うん!」
矢が飛ぶ。脚。
魔物の動きが止まる。
俺が踏み込む。
その横を――青い髪が通り過ぎた。
「え?」
少女。俺より先に魔物の懐へ入っている。
短剣が走った。魔物がよろめく。
「止め!」
「分かってる!」
俺も剣を振るう。
魔物が倒れた。
残る一頭。
仲間が二頭倒されたのを見て、逃げ出した。
「追う?」
俺が聞く。
「追わない」
少女が即答した。
「もうこっちを襲う気はない」
「でも――」
「怪我人はいない。追う理由もない」
「……なるほど」
俺は剣を下ろした。
言われてみれば、その通りだ。
◆
「助かった。ありがとう」
戦闘が終わると、少女は短剣についた汚れを拭きながら言った。
「俺たちが来なくても倒せたんじゃない?」
「倒せたかもしれない」
少女は倒れた魔物を見る。
「でも、怪我はしてたと思う」
「じゃあ助けになった?」
「なった」
「よし」
「なんであなたが嬉しそうなの?」
少女が少し笑った。
近くで見ると、やっぱり俺たちとそこまで年齢は変わらない。
青い髪。金色っぽい瞳。
腰には短剣。そして細く巻かれた鋼糸。
「俺、ルカ」
「ミアです」
「クゥ!」
「こいつはクウ」
少女がクウを見る。
「……この子も?」
「仲間」
「クゥ!」
「そう」
少しだけ不思議そうな顔をした。
「私はセリア」
「冒険者?」
「そう」
「何歳?」
「十六」
「一個しか違わないの!?」
「……失礼じゃない?」
「いや、もっと――」
ミアが俺の足を踏んだ。
「痛っ!」
「すみません」
「なんでミアが謝るんだよ!」
「ルカが失礼だから!」
セリアが笑う。
「あなたたちは?」
「俺が十五。ミアは十四」
「十四?」
セリアの視線がミアへ向く。
「じゃあ、まだ祝福は?」
「はい。来年です」
「それで大森林迷宮まで来たの?」
「一応、ギルドの依頼で」
「一応って何よ」
「ちゃんと依頼で!」
俺は依頼書を見せた。
セリアが目を通す。
「既知区域の素材採取と生態調査……」
「そう」
「だったら、ここは少し外れてる」
「え?」
俺とミアが同時に地図を見る。
「嘘」
「この川がこっちだから――」
セリアが地図を指差す。
「今いるのはここ」
「…………」
俺は地図を見る。
周りを見る。
もう一度地図を見る。
「……ちょっとだけ?」
「結構」
「ルカ」
「俺だけのせい!?」
「誰が先頭歩いてたの?」
「……俺」
「じゃあ誰のせい?」
「俺です」
セリアがまた笑った。
「迷ったなら、元の川まで一緒に行く?」
「いいの?」
「助けてもらったし」
「じゃあ頼む!」
俺は地図を畳む。
「セリアはどこに行くんだ?」
「ルカ」
「何?」
「初対面」
「だから?」
「質問しすぎ」
「そう?」
「そう」
セリアが少しだけ黙った。
それから森の奥を見る。
「未踏区域」
「え?」
俺の足が止まる。
「未踏区域!?」
「声が大きい」
「なんで!?」
「探し物」
「何探してるんだ?」
「だから質問が多いって」
「でも気になるだろ!」
「あなたが気になるだけでしょ」
「そうだけど」
「認めるんだ……」
ミアが呆れている。
セリアは少し考えてから言った。
「……手がかり」
「何の?」
「私が探してるものの」
「だから何を――」
「ルカ」
「はい」
ミアに止められた。
セリアは笑っている。
でも。
ほんの一瞬だけ。
森の奥を見るその目が、さっきまでとは違って見えた。
「未踏区域に、あるかもしれないの」
腰元。
セリアの服の隙間から、小さな飾りのようなものが見えた。
何なのかまでは分からない。
セリアはすぐに服の中へ戻した。
「行こう。川まで案内する」
「おう」
俺たちは歩き出した。
三人と一匹――。
いや。
「……四人と一匹?」
「クウを別に数えないでよ」
「じゃあ四人?」
「そうでしょ」
「クゥ!」
クウが満足そうに鳴いた。
俺たちの最初の出会いは、そんなものだった。
このときはまだ。
セリアが俺たちの旅に、こんなにも深く関わることになるなんて――。
……なんてことは、もちろん考えていなかった。
ただ一つ。
俺はセリアの腰に巻かれた鋼糸を見ながら思っていた。
「それ、どうやって使うんだ?」
「……あなた、本当に質問多いね」
知らないものが、また一つ増えた。




