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世界の果てを、この目で  作者: 亜蓮


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第12話 森の中の空

 大森林迷宮へ向かう街道を歩き始めて、二日目の昼。

「まだ?」

「まだ」

「もうそろそろ?」

「さっきも聞いたよ」

「でも、もうそろそろだろ?」

「私に聞かれても知らないってば」

 俺は何度目か分からない質問を繰り返していた。

 隣を歩くミアは、もうまともに答える気もないらしい。

「クウはどう思う?」

「クゥ?」

「ほら。クウもそろそろだって」

「絶対そんなこと言ってないから」

 昨日は街道沿いの開けた場所で野営した。

 一か月前なら、火を起こすだけで一仕事だった。

 昨日は三十分もかからなかった。

 かなり上達している。

 ……たぶん。

「でも昨日は早かったよな、火」

「最初が一時間くらいかかってたからね」

「半分だぞ?」

「そこ誇るところなのかな……」

 クウが俺たちの少し前を歩いている。

 時々立ち止まって匂いを嗅いでは、また進む。

 荷物の重さにも、長い街道にも、以前より慣れた。

 野営もした。遠くの町にも行った。

 依頼で何日か村を離れることも、もう初めてじゃない。

 それでも。

 今回は、ずっと胸が落ち着かなかった。

 大森林迷宮。

 父さんが見た場所。

 子供の頃、何度も話を聞いた場所。

 それを今から、自分の目で見る。

「あ」

 ミアが前を指差した。

「ルカ。あれじゃない?」

「どれ!?」

「近い近い!」

 慌てて顔を寄せたせいで押し返された。

 街道の先。

 森と岩山の間に、人が何人も集まっている。

 荷車。冒険者。簡素な小屋。

 そのさらに奥。

 岩山に、巨大な穴が開いていた。

「……あれ?」

 思わず足が止まる。

「どうしたの?」

「森は?」

「……中じゃない?」

「大森林迷宮だぞ?」

「うん」

「洞窟じゃん」

「入口はね」

「もっとこう……でっかい木とかが入口にあると思ってた」

「勝手に想像して勝手にがっかりしないでよ」

「クゥ」

「クウまで!」

 とはいえ。

 近づくにつれて、がっかりはすぐ消えた。

 入口だけでも、十分にでかい。

 俺たちの村の家なら何軒も並べられそうなほどの穴が、岩山にぽっかり開いている。

 中から冷たい空気が流れてくる。

 入口の周囲には冒険者が何組もいた。

 武器を確認している者。荷物を分けている者。地図を見ながら話している者。

「人、多いね」

「未踏区域が見つかったからかな」

 その言葉だけで、また胸が騒ぐ。

「見るだけなら――」

「駄目」

「まだ何も言ってない!」

「顔に書いてある」

 俺の顔はそんなに分かりやすいんだろうか。

 入口近くの小屋で依頼書と冒険者証を見せる。

 俺たちの仕事は、既知区域での素材採取と生態状況の確認。地図に記された範囲から出ないよう、念を押された。

「未踏区域方面には現在、調査隊が入っている。勝手に近づくなよ」

「分かってます」

 俺より先にミアが答えた。

「俺も分かってるって」

「ならいいけど」

 そう言った男まで、なぜかミアの方を見ていた。

 なんでだ。

     ◆

 大森林迷宮へ足を踏み入れる。

 中は――普通だった。

「暗いな」

「洞窟だもん」

「もっと何かないの?」

「何を期待してるの?」

「大森林」

「だから奥なんでしょ」

 天井から水滴が落ちている。

 湿った岩。苔。細い地下水。

 光が届かなくなると、俺たちは持ってきた灯りを使った。

 道は広い。

 ところどころ枝分かれしているものの、既知区域だけあって目印が残されていた。

 壁に付けられた印を確認しながら進む。

「父さん、本当にここ来たんだよな」

「嘘だったりして」

「ありえる」

「そこは信じてあげようよ」

 一時間ほど歩いただろうか。

 クウが突然立ち止まった。耳がぴくりと動く。

「どうした?」

「クゥ」

 前を見る。

 遠くに――光が見えた。

「出口?」

「でも、まだ山の反対側まで歩いてないよね?」

「じゃあ何だ?」

 自然と足が速くなる。

「ルカ、走らない!」

「走ってない!」

「早歩き!」

「それはいいだろ!」

 光が近づく。

 冷たかった洞窟の空気が変わった。

 風。

 頬を撫でる。

「……風?」

 ミアも気づいた。

 さらに進む。光が広がる。

 そして。

 俺たちは、洞窟を抜けた。

「…………」

 何も言えなかった。

 目の前に――森があった。

 一本一本が、リベル村の周りにある木よりずっと大きい。

 太い幹。遥か頭上で重なり合う枝葉。

 巨大な葉の隙間を、光が差し込んでいる。

 遠くから水の流れる音。

 鳥のような鳴き声。

 草木の匂い。

 そして。

 俺は上を見た。

「……空?」

 青かった。

 どこまでも。

 白い雲まで浮かんでいる。

「ここ……洞窟の中だよね?」

「さっきまで洞窟だった」

「だよね」

「でも空だ」

「……空だね」

 風が吹いた。

 木々の葉が一斉に揺れる。

 ざああああ――。

 その音が、森いっぱいに広がった。

「…………」

「ルカ?」

「すげええええええ!」

「うるさい!」

 我慢できなかった。

「何だよここ! 本当に森じゃん! 空あるし! 風も吹いてるし!」

「見れば分かるから!」

「雲まであるぞ!」

「私も見えてる!」

 クウまで興奮したのか、草の中を走り回っている。

「クゥ! クゥ!」

「クウ! あんまり遠く行くなよ!」

「それルカにも言いたい」

 俺は冒険ノートを取り出した。

『大森林迷宮。

 洞窟の中に森がある。

 空もある。

 風も吹いてる。

 意味が分からない。

 すごい。』

「よし」

 横から覗き込んだミアが言った。

「最後だけ感想になってる」

「すごいものはすごいんだからしょうがないだろ!」

「もうちょっと冒険者らしい記録できないの?」

「じゃあミアが書いてみろよ」

「私は私で書いてるもん」

「いつの間に!?」

「前から」

 知らなかった。

「見せて」

「嫌」

「なんで!?」

「絶対嫌」

 気になる。ものすごく気になる。

 でもミアはさっさと歩き出してしまった。

「待てよ!」

「依頼するんでしょ?」

「……そうだった」

 危ない。

 大森林を見た時点で目的を忘れかけていた。

     ◆

 地図を確認しながら、指定された採取地点へ向かう。

 歩いているだけで、知らないものが次々現れた。

「ミア!」

「今度は何?」

「あれ!」

 木の根元。

 俺の腰ほどもあるキノコが生えていた。

「……大きいね」

「ノートにあったやつだ!」

 子供の頃に書いた。

『木より大きいキノコがある』

「木よりは小さいじゃん」

「父さん、盛ったな」

「種類が違うんじゃない?」

「じゃあもっとでかいのがあるのか!?」

「なんで嬉しそうなの」

 少し進めば、葉が半透明の植物。

 さらに進めば、俺の腕ほどもある羽虫。

「でかっ!」

「ルカ、近づかないで!」

「見るだけ!」

「その台詞何回目!?」

 羽虫は俺たちを無視して飛んでいった。

 俺は【???】を意識する。

 生きている。異常なし。

 それくらいしか分からない。

「やっぱり名前までは分からないか」

「便利だけど、何でも分かるわけじゃないね」

「だから面白いんだよ」

「……ルカは本当にそういうところだけ前向きだよね」

 しばらく歩き、依頼の素材を見つける。

 大きな木の根元に生える青緑色の苔。乾燥させると傷薬の材料になるらしい。

 指定された特徴と見比べながら採取する。

「これかな?」

「葉の形は合ってる」

「苔に葉って言うのか?」

「依頼書にはそう書いてある」

 俺は【???】も使う。

 状態は良い。変色なし。

「たぶん大丈夫」

「たぶん?」

「俺の祝福、名前までは教えてくれないから」

「じゃあちゃんと見本と比べて」

「はい」

 最近、ミアがどんどん母さんみたいになっている気がする。

 言ったら怒られそうだから黙っておいた。

     ◆

 その日の夕方。

 俺たちは地図に記された野営場所まで来ていた。

 近くに小さな川が流れている。

 周囲の視界も悪くない。

「ここにしよう」

「うん」

 荷物を下ろす。

 俺は当然のように火起こしの道具を取り出した。

「今日は二十分でつける」

「目標低くない?」

「最初の半分以下だぞ」

「はいはい」

 火を起こす。食事を作る。採取した素材を確認する。ノートを書く。

 一か月前なら、それだけで大仕事だった。

 今は少しずつ順番が分かってきた。

「……俺たち、結構冒険者っぽくなってきたよな」

「自分で言う?」

「だってそうだろ」

「火をつけるのに二十五分かかったけど」

「五分は誤差だ」

「そうかなぁ」

「クゥ」

「クウもそう思うよな?」

 クウは俺を無視して、ミアから肉をもらっていた。

「裏切り者」

 食事を終えるころ。

 森の上に広がる空が、ゆっくり赤く染まり始めた。

「……夕方になるんだ」

 ミアが呟く。

 俺も見上げた。

 洞窟の中なのに。

 空が赤い。

 やがて暗くなる。

 木々の間に、青白く光る小さな虫が飛び始めた。

 一匹。二匹。十匹。

 いつの間にか、無数の光が森を漂っている。

「……きれい」

 ミアが言った。

「うん」

 俺はしばらくノートを開かなかった。

 ただ見ていた。

 父さんも、昔ここを見たんだろうか。

 同じ空。同じ森。同じ光。

 いや。たぶん同じじゃない。

 父さんが見た大森林と、俺が見ている大森林は違う。

 これは俺が、自分でここまで来て見つけた景色だ。

「来てよかったな」

「まだ一日目だよ」

「一日目でも」

 ミアが少し笑った。

「……うん。私もそう思う」

「クゥ」

 クウが俺たちの間に座る。

 三人で森を見た。

 そのとき。

 ずっと遠く。

 森の奥から――。

 何か大きなものの鳴き声が響いた。

 低く。長く。

 木々がわずかに震えるような声。

 俺とミアが同時にそちらを見る。

「……何だろう」

「見に行かないよ」

「まだ何も言ってない!」

「顔」

「俺の顔そんなに分かりやすい!?」

「ものすごく」

 俺はもう一度、暗い森の奥を見る。

 何がいるのかは分からない。

 でも明日になれば、また知らないものが待っている。

 そう思うだけで胸が高鳴った。

 大森林迷宮の最初の夜。

 俺はまだ、この場所を――

 ただ、すごい場所だと思っていた。

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