第11話 大森林迷宮
大森林迷宮。
その名前を、俺は昔から知っていた。
「……あった!」
朝飯もそこそこに、俺は自分の部屋で一冊のノートを開いていた。
今使っている冒険ノートよりも、ずっと古い。
角は擦れて丸くなり、何度も開いたせいで表紙も少し曲がっている。
まだ俺が自分で冒険に出るなんてできなかった頃。
父さんから聞いた話を、片っ端から書き残していたノートだ。
ページをめくっていく。
知らない国。
巨大な滝。
海を泳ぐ、家より大きな魔物。
どこまで本当なのか分からない父さんの話まで混ざっている。
そして――見つけた。
『大森林迷宮』
今よりずっと汚い字で、その名前が書いてある。
『どうくつの中に森がある』
『木より大きいキノコがある』
『一日歩いても森がおわらない』
『雨もふる』
「……これだ」
昨日、冒険者ギルドの掲示板に貼り出されていた知らせ。
『大森林迷宮――未踏区域発見』
やっぱり父さんから聞いたことのある場所だった。
ノートを持ったまま一階へ駆け下りる。
「父さん!」
「朝からうるせえな」
父さんは食卓でのんびり茶を飲んでいた。
「大森林迷宮って行ったことある!?」
「あるぞ」
「本当に中で雨降る!?」
「最初に聞くのそこかよ」
「だって洞窟の中だぞ!?」
父さんが呆れた顔をする。
「別に大森林迷宮だけじゃない。ダンジョンの奥が外みたいになってるなんて、そこまで珍しい話じゃねえよ」
「空もある?」
「ある」
「風は?」
「吹く」
「川は?」
「流れてる」
「すげぇ……」
「お前、昨日まで鎧蜥蜴倒したって騒いでなかったか?」
「それとこれは別だろ!」
知らない場所の話を聞いて、興奮するなという方が無理だ。
俺は父さんの向かいに座った。
「どんなところだった?」
「森だな」
「それは名前で分かる!」
「でかい森だ」
「それも分かる!」
父さんが笑う。
「まあ、実際に見た方が早い」
その言葉に、俺は思わず身を乗り出した。
「じゃあ――」
「ただし」
先回りされた。
「行くなら舐めるなよ」
父さんの声が少しだけ変わった。
「魔物が強いの?」
「それもある。だが、あそこは広い」
「広い?」
「森の中じゃ、似た景色がずっと続く。方向を見失って、そのまま帰れなくなる奴もいる。毒のある草もある。水だって何でも飲めるわけじゃねえ。天気も変わる」
俺はノートを見る。
『一日歩いても森がおわらない』
子供の頃は、ただすごいと思って書いた言葉だった。
「迷宮じゃな、強い奴より帰ってこられる奴の方が長生きする」
「……ジャンさんみたいなこと言うな」
「誰だそいつ」
「ギルドの人」
「だったら、そいつの言うことは聞いとけ」
父さんが立ち上がる。
そして俺の頭を軽く叩いた。
「見に行きたいんだろ?」
「もちろん」
「なら準備してから行け」
「分かってるって!」
「本当か?」
「最近はちゃんと準備してる!」
「昔のお前を知ってるとなぁ」
「今の俺を見ろよ!」
父さんが笑った。
「行くなら、ちゃんと帰ってこい」
「分かってる」
そのときは、その言葉を特別なものだとは思わなかった。
◆
「駄目だ」
「まだ何も言ってない!」
ローデンの冒険者ギルド。
ジャンさんは俺の顔を見るなりそう言った。
隣でミアがため息をつく。
「顔に出てるんじゃない?」
「何が?」
「未踏区域」
「なんで分かった!?」
「分からない方がおかしいよ」
クウまで、
「クゥ」
と頷いている。
「お前はどっちの味方だ」
「クゥ!」
ミアの足元へ移動した。
「そっちかよ!」
昨日以上にギルドは騒がしかった。
大森林迷宮の未踏区域発見。その知らせを聞いた冒険者たちが集まっている。
机には大森林迷宮周辺の地図が広げられ、何人もの冒険者がそれを囲んでいた。
受付にも普段より多くの人間が並んでいる。
やっぱり未踏区域というのは、それだけ大きな話らしい。
「とにかく、お前らを未踏区域に行かせる気はねえ」
ジャンさんが言う。
「じゃあ、大森林迷宮には行っていいのか?」
「…………」
ジャンさんが黙った。
ミアが俺を見る。
「ルカ」
「何?」
「たまに変なところで頭回るよね」
「褒めてる?」
「褒めてない」
ジャンさんが頭を掻いた。
「……大森林迷宮そのものは立入禁止じゃねえ。既知区域なら普段から冒険者が出入りしてる」
「じゃあ!」
「最後まで聞け」
「はい」
「返事だけはいいんだよな、お前」
そのとき。
「お前が鎧蜥蜴を倒した新人か?」
後ろから声をかけられた。
振り返る。
四人の冒険者が立っていた。
全員、俺たちよりずっと年上だ。鎧にも武器にも使い込まれた跡がある。
先頭の男は三十歳くらいだろうか。
背中に長い槍を背負っていた。
「新人じゃない。一か月やってる」
「それを新人って言うんだよ」
男が笑った。
「ガイル」
ジャンさんが呆れたように名前を呼ぶ。
「新人をからかうな」
「いいだろ。元気そうじゃねえか」
ガイルと呼ばれた男が俺を見る。
「鎧蜥蜴、どうやって倒した?」
「三人で」
「三人?」
ガイルの視線が俺、ミア――そしてクウへ動く。
「……三人か」
「なんだその間!」
どこかで同じ反応をされた気がする。
ガイルの後ろにいた女が笑った。
「ガイル、そろそろ行くよ」
「分かってる」
四人はこれから大森林迷宮へ向かうらしい。
俺は思わず聞いた。
「もしかして未踏区域?」
「ああ」
ガイルはあっさり答えた。
「俺たちが先行調査だ」
「いいなぁ……」
「良くねえよ」
ジャンさんに即座に否定された。
ガイルは笑っている。
「何がいるかも、どこまで続いてるかも分からねえ場所だぞ」
「だから見たいんじゃないか」
「ははっ!」
ガイルが声を上げて笑った。
「お前、本当に新人だな」
「だから一か月――」
「そういう意味じゃねえよ」
よく分からない。
ガイルは背中の槍を確認すると、仲間たちと出口へ向かった。
その途中で一度振り返る。
「帰ってきたら教えてやるよ」
「何を?」
「未踏区域に何があったか」
「本当!?」
「ああ」
「絶対だぞ!」
「おう」
ガイルが片手を上げる。
四人はそのままギルドを出ていった。
俺はその背中をしばらく見送った。
「……いいなぁ」
「だからお前は行かせねえって」
「分かってるって!」
ジャンさんが疑わしそうな目を向けてくる。
「本当か?」
「なんでみんな同じこと聞くんだよ」
父さんにも言われたばかりだ。
「だったら、ちょうどいい依頼がある」
ジャンさんが一枚の依頼書を取り出した。
『大森林迷宮・既知区域における素材採取及び生態状況確認』
「未踏区域の調査に人手を取られてる。普段なら別の連中がやってる仕事だ」
「大森林迷宮に入れる?」
「ああ」
「やる!」
「だから最後まで聞け!」
「はい!」
ミアが額を押さえている。
ジャンさんが依頼書の地図を指差した。
「お前らが行っていいのはここまでだ」
大森林迷宮の既知区域。
未踏区域からはかなり離れている。
「指定された素材を集める。それと、この辺りの魔物や植物に変化がないか確認してこい」
「分かった」
「未踏区域には近づかない」
「分かった」
「妙なものを見つけても追いかけない」
「……分かった」
「今ちょっと間があったな?」
「気のせいだ」
「ルカ」
「分かってるって!」
ミアにまで睨まれた。
ジャンさんはしばらく俺を見たあと、ため息をついた。
「何かおかしいと思ったら戻れ」
「うん」
「依頼より帰ってくる方が優先だ」
それは、これまでにも何度も言われてきたことだった。
だから俺も、いつも通り答えた。
「分かってる」
ジャンさんは何も言わなかった。
◆
翌朝。
「よし!」
村の入口で、俺は荷物を背負い直した。
食料。水。薬。ロープ。
火起こしの道具。予備の布。地図。冒険ノート。
「忘れ物は?」
ミアが聞く。
「ない!」
「本当に?」
「たぶん!」
「確認するよ」
「信用なさすぎない!?」
「この一か月の実績です」
クウが俺たちの周りを走り回っている。
「クウ、今日は長いぞ」
「クゥ!」
元気な返事だ。
大森林迷宮までは、ここから二日ほど。
今までで一番遠い依頼になる。
でも不思議と、不安より楽しみの方が大きかった。
洞窟の中にある森。
空。川。雨。
見たことのない植物。
見たことのない魔物。
そして、そのさらに奥には――誰も見たことのない場所まである。
「行こうぜ」
「未踏区域には行かないからね?」
「分かってる!」
「本当に?」
「ミアまで父さんみたいになってきたな!」
「誰のせいよ!」
俺たちは歩き出した。
まだ見たことのない大森林へ。
このときの俺にとって。
大森林迷宮はただ――
今までで一番大きな冒険になる場所だった。




