第9話 冒険者の仕事
ベルナから帰った翌日。
「次はどこ行く?」
「依頼を選ぶのが先でしょ」
「できれば遠いところがいいな」
「仕事内容で選んで」
朝から冒険者ギルドの依頼板を眺めながら、俺とミアはそんな話をしていた。
昨日行ったベルナの町。
大きな川。
たくさんの船。
知らない食べ物。
遠い土地から運ばれてきた品物。
一つ町が違うだけで、あれだけ知らないものがあった。
だったら、もっと遠くへ行けばどうなるんだろう。
「これなんか――」
「遠いから却下」
「まだ読んでないだろ!」
「場所だけ見てたでしょ」
「……なんで分かるんだよ」
「分かるよ」
「お前ら、朝から元気だな」
声をかけてきたのはジャンだった。
「ちょうどいい。お前ら、今日はこれやらねえか?」
一枚の依頼書を差し出される。
「護衛?」
「ああ」
初めて見る種類の依頼だった。
ローデンから北東にある小さな村まで、薬師を護衛する。
距離はそれほど遠くない。日が高いうちに出れば、夕方までには着くらしい。
「魔物と戦うのか?」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「別に嬉しくは――」
「顔」
ミアに言われて口を閉じる。
ジャンはため息をついた。
「街道沿いだから、そう危険な道じゃねえ。ただ最近、小型の魔物が何度か出てる。薬師一人で歩かせるよりは護衛をつけた方がいいって話だ」
「なるほど」
「今回のお前らの仕事は魔物を探すことじゃねえぞ」
「じゃあ何するんだ?」
「……お前、本気で聞いてる?」
ジャンが俺を見た。
「この人を無事に村まで連れていく。それがお前らの仕事だ」
そう言って指した先に、一人の女性が立っていた。
三十代くらいだろうか。茶色い髪を後ろでまとめ、大きな鞄を肩から下げている。
「よろしくね、冒険者さん」
「ルカです!」
「ミアです」
「クゥ!」
クウまで挨拶する。女性は笑った。
「私はエマ。薬師をしてるの」
「その鞄、全部薬?」
「そうよ」
近づこうとした瞬間、ミアに服を引かれた。
「ぐえっ」
「仕事」
「見るだけだろ!」
「これから見るもの全部にそれ言うつもり?」
「……」
エマがくすくす笑っている。
「仲がいいのね」
「昔からこうなんです」
「俺が悪いみたいに言うなよ」
「ほとんどルカが悪いよ」
「クゥ!」
「クウまで!?」
ジャンが額を押さえた。
「……不安になってきたな」
「大丈夫だって!」
「その言葉が一番不安なんだよ」
◆
ローデンを出てしばらく。
道はなだらかな草原の中を続いていた。
今までの依頼と違うのは、俺たちだけじゃないことだ。
何度も後ろを確認する。
エマは少し大きな鞄を背負っているものの、問題なくついてきていた。
「そんなに何度も見なくても逃げないわよ」
「いや、護衛だから」
「あら。ちゃんと仕事してるのね」
「当然だろ」
「さっきまで薬箱の中身を見せてくれって言ってた人が?」
ミアが横から言う。
「それとこれとは別だ」
「本当に?」
「本当だ」
少なくとも今は。
歩いていると、エマが街道脇に生えている草の前で足を止めた。
細長い葉を何枚か摘み取る。
「何それ?」
「眠り草」
「眠り草?」
「乾燥させて煎じると、眠れない人に使えるの」
「へぇ……」
ノートを取り出す。
「これは?」
「苦根草」
「何に使う?」
「熱を下げる薬に混ぜることがあるわね」
「じゃあ、これは?」
「ただの草」
「ただの草にも名前あるだろ!」
「あるでしょうけど、私は知らないわ」
「薬師でも知らない草あるのか」
「もちろん」
エマが当たり前のように答えた。
「世界中の植物を全部知ってる人なんて、たぶんいないわよ」
「……そっか」
それは、なんだかいい。
「なんで嬉しそうなの?」
ミアに聞かれる。
「まだ知らない草がいっぱいあるってことだろ?」
「普通そこで喜ぶ?」
「喜ぶだろ」
エマが笑った。
「あなた、冒険者に向いてるかもしれないわね」
「だろ!?」
「調子に乗らない」
「痛っ」
ミアに背中を叩かれた。
◆
昼休憩。
街道脇の木陰で食事を取ることになった。
エマが薬草を選り分けている横で、ミアが興味深そうに覗いている。
「この二つ、似てますね」
「よく気づいたわね。でもこっちは薬になるけど、こっちは駄目」
「毒ですか?」
「毒ってほどじゃないけど、お腹を壊すわ」
「見分け方は?」
「葉の縁を見て。こっちは少しギザギザしてるでしょう?」
「あ、本当だ」
俺も横から覗く。
「……同じに見える」
「ちゃんと見て」
「見てるって」
「ルカは昔からこういう細かいところ雑だもんね」
「失礼な」
試しに【???】へ意識を集中してみる。
植物。
状態は良好。
葉にも根にも目立った異常はない。
それ以上は分からない。
「……やっぱり駄目だ」
「何が?」
「俺の祝福。草が元気なのは分かるけど、薬になるかまでは分からない」
「変わった祝福ね」
エマが興味深そうに言う。
「便利そうではあるけど」
「便利なんだけど、答えまでは教えてくれないんだよな」
「いいんじゃない?」
「そうか?」
「全部分かったら、覚えることがなくなっちゃうでしょう?」
「……それは嫌だな」
「でしょ?」
少しだけ、この人とは話が合いそうだ。
その横で、ミアはまだ薬草を見ていた。
「ミア、薬草好きなの?」
エマが聞く。
「好きっていうか……昔から少し覚えてるんです」
「へえ」
「ルカがよく怪我するから」
「おい」
「木から落ちたり」
「昔の話だろ」
「川で転んだり」
「それも昔!」
「崖を登って手を切ったり」
「……」
「最近じゃない、それ」
「クゥ!」
「クウ、笑うな!」
エマが声を上げて笑った。
「それなら、いい練習相手がいたのね」
「はい」
「俺で練習すんなよ……」
エマは摘んだ薬草を布に包みながら言った。
「でも、怪我を治すのって薬を塗れば終わりじゃないのよ」
ミアが顔を上げる。
「違うんですか?」
「薬は手伝うだけ。ちゃんと食べて、ちゃんと眠って、体力を戻す。怪我した場所によっては、しばらく無理をさせない。それも全部、治すってこと」
「……なるほど」
「特に冒険者は、治りきってないのに動きたがるから大変なの」
エマが俺を見る。
「なんで俺を見るんだ?」
「なんとなく」
「ミアまで見るなよ」
「なんとなく」
「絶対違うだろ」
◆
午後。
街道の左右には森が増えてきた。
クウの耳がぴくりと動く。
「クウ?」
「クゥ……」
立ち止まり、森を見る。
俺も視線を向けた。
「何かいる?」
「分からない」
そのときだった。
木々の間で、青い光が動いた。
「……なんだ、あれ」
小さい。
青白い光が一つ。
二つ。
木々の奥をゆっくり移動している。
「ミア、見える?」
「うん」
「魔物かな」
「分からない」
気になる。
ものすごく気になる。
「ちょっと見てくる」
「ルカ」
足を止める。
「護衛は?」
「……すぐそこだぞ」
「でも」
「ちょっと見るだけ」
森を見る。
光がまた動いた。消えそうだ。
「すぐ戻る!」
「あ、ルカ!」
街道を外れ、木々の間へ入る。
数十歩。本当にそれだけだった。
「……いた」
葉の陰。
小さな虫が飛んでいる。
腹の辺りが青白く光っていた。
一匹だけじゃない。何十匹もいる。
「すげぇ……」
夜でもないのに光ってる。
手を伸ばしかけて止める。
代わりに【???】へ意識を集中する。
小さな生き物。
状態は正常。
それくらいしか分からない。
「なんで光ってるんだ……?」
もっと近くで――。
「ルカ!!」
ミアの声。
振り返った。
◆
街道へ戻る。
「ミア!」
二頭の魔物がいた。
大きさはクウより一回り大きい程度。犬に似ているが、背中には硬そうな棘が並んでいる。
ミアが弓を構え、エマの前に立っていた。
クウが低く唸っている。
「くそっ!」
一頭がミアへ飛びかかる。
「――風よ、押せ!」
地面を蹴る。
風が背中を押す。
一気に距離を詰め、剣で横から弾く。魔物が地面を転がった。
「ルカ!」
「ごめん!」
「今はいい!」
もう一頭が動く。
クウが飛び出した。
「クゥ!」
魔物の注意がクウへ向く。
「ミア!」
「分かってる!」
矢が飛ぶ。
魔物の肩に刺さる。
俺はそのまま踏み込み、剣を振るった。
しばらくして。
二頭の魔物は森の奥へ逃げていった。
「……」
追わない。
エマを見る。
「怪我は?」
「大丈夫」
「ミアは?」
「ない」
「クウ」
「クゥ!」
全員無事。
薬箱も無事。
「……よかった」
息を吐く。
その瞬間。
「ルカ」
ミアの声がした。
いつもの声じゃない。
顔を見る。怒っている。
「……ごめん」
「何してたの」
「青い光が気になって……」
「私じゃない」
「え?」
ミアがエマを見る。俺も見る。
エマは怒ってはいなかった。
ただ、俺を見ている。
「冒険者さん」
「……はい」
「さっきの光、面白かった?」
「……面白かった」
嘘はつけなかった。
「何だったの?」
「青く光る虫。何十匹もいた」
「そう」
エマは少し笑った。
「それは見てみたいわね」
「え?」
「面白いものを見つけたら、知りたくなる。それは悪いことじゃないと思う」
少しだけ、ほっとする。
「でもね」
エマが自分の鞄に触れた。
「今日は、この薬を待ってる人がいるの」
「……」
「あなたたちが私を護衛してくれるから、私はこの道を歩ける。そうでしょう?」
何も言えなかった。
ジャンの言葉を思い出す。
『この人を無事に村まで連れていく。それがお前らの仕事だ』
「……ごめんなさい」
今度はちゃんとエマを見て言った。
「うん」
それだけだった。
怒鳴られたわけじゃない。
なのに、胸の奥が少し痛かった。
◆
それからしばらく。
俺はなるべくエマの近くを歩いた。
「……」
「ルカ」
「何?」
「近すぎる」
「護衛だから」
「さっきまでとの落差がすごいね」
「うるさい」
ミアが少し笑った。
やがて森を抜ける。
遠くに村が見え始めた。
「もうすぐよ」
エマが言う。
そのとき。
「……あ」
街道から少し離れた崖。
その上に、大きな鳥がいた。
見たことがない。
鷲よりずっと大きい。
赤茶色の翼。
長い尾。
「……」
足が止まる。
鳥が羽を広げた。
「でか……」
見たい。
近くで見たい。
どんな鳥なんだ。
魔物なのか。普通の鳥なのか。
何を食べる。どこに巣を作る。
「……」
横を見る。
ミアが俺を見ていた。
エマも見ている。
クウまで俺を見ている。
「なんだよ」
「別に」
「何も言ってないよ」
「クゥ」
もう一度、鳥を見る。
そして。
「……帰りにまだいたら見る」
歩き出した。
「……ふふっ」
ミアが笑う。
「なんだよ」
「成長したね」
「子供扱いすんな!」
「数時間前の話なんだけど」
「うるさい!」
後ろでエマまで笑っている。
◆
村へ着くと、何人かが入口で待っていた。
「エマさん!」
一人の女性が駆け寄ってくる。
「薬、持ってきてくれたんですね」
「もちろん」
「ありがとうございます。本当に……」
女性が頭を下げる。
それから俺たちにも頭を下げた。
「冒険者さんたちも、ありがとうございます」
「え?」
思わず変な声が出た。
「エマさんを連れてきてくださって」
「あ……いや」
何て言えばいいのか分からない。
俺は途中で仕事を放り出しかけた。
それなのに。
「……どういたしまして」
それだけ答えた。
エマはすぐに村の家へ入っていった。
俺たちも荷物を運ぶのを手伝う。
家の中では、小さな子供が寝ていた。
額に汗が浮かんでいる。
エマが手際よく薬を準備する。
「水をお願い」
「はい」
ミアがすぐに動いた。
水を用意する。布を濡らす。
エマに言われる前に、子供の額の汗を拭く。
「手慣れてるわね」
「まあ……」
ミアが俺を見る。
「昔から怪我人が近くにいたので」
「俺を見るな」
子供の母親が少し笑った。
俺もつられて笑う。
でも。
薬箱を見る。
あれを待っていた人が、本当にいた。
ただ荷物を運んでいただけじゃない。
俺たちがエマをここまで連れてくることにも、ちゃんと意味があったんだ。
冒険者の仕事。
少しだけ分かった気がした。
◆
帰り道。
「あ」
さっきの崖を見る。
鳥はいなかった。
「……いない」
「残念だったね」
「ちょっとな」
でも、街道を外れることはしなかった。
ノートを取り出す。
『街道東側の崖。
大型の鳥。
赤茶色の翼。長い尾。
種類――不明。』
少し考えて。
『次に来たとき探す。』
そう書いた。
「それでいいの?」
ミアが聞く。
「何が?」
「見に行けなかったのに」
「今日じゃなくてもいいだろ」
ノートを閉じる。
「また来ればいい」
世界は逃げない。
知らないものも、たぶん全部が今日しか見られないわけじゃない。
だったら。
今日やるべきことをやってから、また見に来ればいい。
「……そっか」
ミアが笑った。
◆
「護衛対象から離れたんだって?」
ローデンへ戻るなり。
ジャンの第一声がそれだった。
「……はい」
「馬鹿」
「……はい」
「魔物が出た」
「……はい」
「危なかった」
「……はい」
「反省してるか?」
「してる」
「ならいい」
「軽くない!?」
「じゃあもう一回怒ってやろうか?」
「大丈夫です」
ミアが隣で笑っている。
ジャンは依頼の記録を確認した。
「まあ、エマからも話は聞いた。戻ってからはちゃんとやったらしいな」
「……うん」
「覚えとけ」
ジャンが冒険者証を返してくる。
「冒険者ってのは自由だ」
受け取る。
「だが、引き受けた仕事まで自由に放り出していいわけじゃねえ」
「……分かった」
小さな革張りの冊子。
初めてもらった日は、これを持っているだけで冒険者になった気がして嬉しかった。
今見ると。
少しだけ違って見えた。
◆
その夜。
家で冒険ノートを開く。
青く光る虫。
眠り草。
苦根草。
赤茶色の大きな鳥。
今日見つけたものを書いていく。
最後に少し考えた。
そして一行。
『護衛中は、護衛する。』
「……」
自分で書いた文字を見る。
「当たり前だな……」
「やっと気づいた?」
「うわっ!?」
振り返る。
いつの間にかミアが後ろからノートを覗き込んでいた。
「見るなよ!」
「いいじゃん」
「よくない!」
「じゃあ次は何を書くの?」
「もう書かない!」
「『仕事中に勝手にどこかへ行かない』は?」
「書かない!」
「『知らないものを見つけても――』」
「それは無理!」
「そこは直さないんだ」
「それ直したら冒険できないだろ」
「……まあ、それもそうか」
ミアが笑う。
俺もノートを見る。
知らないものを見たい。
その気持ちは、たぶんこれからも変わらない。
変えたくもない。
でも。
冒険者になるっていうのは。
好きなところへ行って、好きなものを見るだけじゃないらしい。
また一つ。
冒険者として覚えることが増えた。




