カフェテリア
『ヒュギエイア』ステーション、司令・居住棟のカフェテリア。ここは0.5Gだ。
司令・居住棟と実験棟は似た構造になっている。
中心に5メートルの軸がある円筒形だ。軸は回転しない。そして軸を囲む円筒部分が内層と外層に分かれている。それぞれの厚みは5メートルだ。
内層の床は回転軸から7.5メートル、外層のそれは12.5メートル離れており、それぞれ床面のところで約0.3G、0.5Gの重力を感じるようになっている。
カフェテリアにはすでに3名の職員が集められていた。ステーション司令の佐伯玲司大佐がエレナを連れて入って来る。
「やあ、みんな。集まってくれてありがとう。エレナ・ロペス博士を紹介する。今回のインフルエンザウイルス変異株調査の担当者だ」
エレナが、よろしく、と挨拶し、3人がうなずいた。
「ロペス博士は、すでに地上からこの施設を何度も利用している。なので当研究所の利用については問題ない。しかし、宇宙に出るのも、この施設に実際に入るのも初めてだ。そこで、3人のアシスト・チームを結成した」
「ありがとう」
「最初はミア・ハーバーだ。医師だ。インフルエンザウイルスの研究で論文を書いたこともあるそうだから、相談相手になるだろう」
「よろしくお願いね」エレナがミアに向かって言った。三十代の女性だった。
「次はマルコ・ロッシだ。施設管理が担当だ。当研究所内に入るのは初めてだから、いろいろ聞くとよい。最初に尋ねるべきなのは、自分の寝場所だろう」
マルコが握手を求めて来たので、エレナが握り返す。50歳くらいのイタリア人らしい。
「最後はコンピュータ技術者のアレックス・チャンだ。エレナはここのシステムを使った経験があるので必要ないかもしれんが、なにか困ったことが出て来たら尋ねると言い」
チャンが軽く頭を下げる。これも50歳くらいかな、とエレナが思う。東洋人だった。スマート・グラスらしい眼鏡をかけている。
「このステーションは協定世界時(UTC)を採用している。第1直が朝8時から夕方4時、2直が夕方4時から24時、第3直が0時から8時だ。エレナ博士には原則第1直で活動してもらいたい。3人も1直に移動している」
「残業はゆるされていますか」エレナが尋ねる。
「それはかまわない、研究者なんだから好きにしていい。ただスマートフォンの時刻表示は協定世界時に変更しておいてほしい。でないと混乱をまねくだろう。内部時計はそのままでいい」
「わかりました」
「現在、船内は午前7時だ。夕方4時、16時には月から例の物が届くことになっている。初日から残業になるだろう」
「そうですね。到着したらすぐにやらねばならないことが、いくつもあります」
「承知した。それから私は施設の司令として保安、安全管理などを担当する。私に関しては24時間いつ呼び出しても構わない」佐伯司令が言った。
「ひとつ聞いてもよろしいですか」エレナが尋ねる。
「なにかな」
「佐伯大佐、ということは軍人でいらっしゃいますね」
「そうだ、本来の職業は日本の海上自衛官だ。国連軍に出向し、そこからWHOの依頼を受け、本ステーションの司令をしている」
「ここは生物学研究施設なのに、なぜ軍人さんが司令をなさっているのでしょう」エレナが微笑みながら尋ねた。疑問に思っただけで、ここでそのことについて争うつもりはない。
「学者は管理職などやりたくないのだろう」
「それは、そうでしょうけど」
「護衛艦の艦長なぞ、管理職そのものだ」
「なるほど」
「長期間宇宙に滞在して管理職をやりたい学者がいなかった。それで軍人に役が回って来たということだ。それに私は日本人だ、都合が良い」
「どういうことでしょう」
「日本国の憲法は、戦争を放棄している」
「憲法9条とかいうものですね。聞いたことあります」
「軍人でも、日本人の将校を管理職に据えておけば、物騒なことはやらんじゃろう。皆そう思う」
「そうでしょうか」
「宇宙空間の生物学研究施設の司令などという閑職をあてがうにはちょうどいい、というわけだ」
「まあ、わかったような、わからないようですが」そういって笑った。
「そのくらいで、許してくれ」佐伯が閉口したように言った。
軍人である佐伯大佐がこの施設の司令をしている理由はもう一つあるのだが、それはこの場での会話としては、ふさわしくない。




