第八話 スキルを選ぶ
今では、俺は何もしなくても、経験値が勝手に増えていく。
これも、パーティー『earth』のみんなのおかげだ。
俺の観察によると、猫たちが誰かに撫でられたり、抱きしめられたり、抱き上げられて構われたりするたびに、俺の経験値が少しずつ増えている。
一回ごとの量はそれほど多くない。
それでも、積み重なれば確実に数字は増えていく。
つまり――
猫召喚士という職業は、ダンジョンを探索することには向いていない。
むしろ、別の分野のほうが向いているのかもしれない。
日本から持ってきた知識と、この職業の能力を組み合わせれば……。
そこまで考えたところで、俺の頭の中に一つの考えが浮かんだ。
だけど――
それを実現するために、今の俺に一番足りないもの。
それは、お金だった。
いくら必要になるのかは分からない。
それでも、もしすべてがうまくいけば……。
そのときは、キアラの力になれるかもしれない。
そう決心した俺は、ハクさんたちと別れ、ラジが率いる「精鋭」パーティーと一緒に、ダンジョンの探索を続けることにした。
俺たちのリーダーであるラジは、最初から武器を一つも持っていなかった。
持っているのは、大きな袋だけ。
見るからに、中にはかなりの量が入っているようだった。
そして、俺たちがスライムを倒し、スライムが液体のように溶けていくたびに、ラジは素早くその場まで駆け寄っていく。
そして袋の中から小さな瓶を取り出すと、その液体を慎重に集め始めるのだった。
あとになって知ったのだが、スライムの体液はダンジョンではなかなか使える素材らしい。
特定の魔物をおびき寄せるために使ったり、薬を作る材料にしたりできる。
異世界では、こんな一見すると何の役にも立たなそうなものにまで、ちゃんと使い道があるらしい。
ただ――
俺は一つ、気になることに気づいた。
ステータス画面を開いてみると、そこに見慣れない表示が追加されていた。
《状態異常:誘敵》
「……え?」
つまり、今の俺は魔物に狙われやすい状態ってことか?
「大丈夫だ。スライムの体液によるものだから、水で洗い流せば消える」
出発する前、ハクさんはそう言っていた。
「それに、放っておいても数時間もすれば自然に匂いは消える。一階層にはスライムしかいないから、大した問題じゃない」
ただ――
ラジが俺たち「精鋭」に向かって、いくつかの身振りを始めた。
まず、さらに奥へ続く通路を指差す。
次に、自分の胸を叩く。
そして、一本の指を立てて左右に振り、続けて二本の指を立てた。
言葉は通じなくても、その動きが何を意味しているのかは、なんとなく分かった。
「一階層にはスライムしかいない。ここにいるのは時間の無駄だ。二階層へ行こう」
ハクさんからは、確かに一階層に留まるように言われていた。
攻撃に参加した人たちの身体には、みんなスライムの匂いがついている。
もちろん、俺も同じだ。
このまま二階層へ降りたら、未知の魔物に囲まれて苦戦することになるかもしれない。
問題は――
この階層の敵は、いつまで経ってもスライムしかいないことだ。
戦うのが難しいわけではない。
でも、正直なところ、だんだんやる気が出なくなってきた。
どうやら、特に珍しい素材が手に入るわけでもないらしい。
それに、ラジはリーダーとしての判断もずっと正確だった。
他のみんなも反対していない。
なら――
俺もみんなと一緒に、二階層へ続く通路へ向かうことにした。
二階層は、一階層よりもさらに暗かった。
壁に生えている苔も少なくなっている。
その代わり、鉱石そのものが発しているような、かすかな青い光が辺りを照らしていた。
しばらく進むと、俺たちはスライムと遭遇した。
ただし、一階層のスライムとは違う。
二階層のスライムは、身体が一回り大きく、色も濃い。
中には、ほんのり赤みを帯びているものまでいた。
俺は大きく息を吸い込み、手にした鉄の剣を握り直す。
そして、前へ飛び出した。
仲間たちと連携しながら、俺は一匹のスライムを一人で相手にする。
剣を叩きつけた感触は、これまでとそれほど変わらない。
だけど――
動きが明らかに速い。
ときどき、こちらへ自分から跳ねてきて、身体ごとぶつかってこようとする。
俺はその突進をかわし、横へ回り込んだ。
そして、核を狙って思い切り剣を突き刺す。
「……!」
スライムが、まるで泡が弾けるような奇妙な音を立てた。
そして、ゆっくりと溶けていく。
その瞬間――
言葉ではうまく説明できない、不思議な感覚が身体を駆け抜けた。
苦しいわけじゃない。
むしろ……なんと言えばいいんだろう。
身体がすごく心地いい。
まるで温かいお湯に浸かっているような感覚だ。
その温かさが胸の奥から四肢へと広がっていき、全身の力が抜けていく。
だけど――
それが逆におかしいと思った。
俺は慌ててステータス画面を開く。
「……レベルが上がった?」
いつの間にか、俺のレベルは五になっていた。
「すごいな……パーティー『earth』のみんな……」
俺は思わず呟いた。
心の中に、感謝の気持ちが込み上げてくる。
だけど、それと同時に、ステータス画面に新しいページが追加されていることにも気づいた。
そこに表示されていたのは――
猫のアイコンだった。
タップして開いてみる。
すると、これまでに俺が召喚した猫たちの顔が一覧で表示された。
そして、それぞれの猫の横には、一つの数値が表示されている。
《疲労値》
「……疲労値?」
一匹ずつ確認していく。
94、66、82、57、74、88……。
うん。
どうやら、ほとんどの猫がかなり疲れているらしい。
よく考えてみれば、さっきの探索中、パーティー『earth』のみんなは代わる代わる猫を抱いたり、撫でたりしていた。
猫たちは、ほとんど休んでいない。
人間にずっと可愛がってもらえるのは、猫にとっても悪いことではない。
でも――
猫にとっては、それも一種の「仕事」なのかもしれない。
そして――
俺は気づいた。
疲労値が高い猫ほど、俺が得られる経験値が少なくなっている。
つまり、効率よく経験値を稼ぐためには、猫たちをずっと疲れた状態にしてはいけない。
適度に休ませて、体力を回復させる必要があるということだ。
どうやら、一度一階層に戻ったほうがよさそうだ。
こいつらを、しっかり休ませてやらないとな。
そう考えていた、そのときだった。
ステータス画面に、また新しいメッセージが表示された。
《レベル5到達。スキルアップが解放されました》
「スキルアップ……?」
俺は興味を抱きながら、そのページを開いた。
そして――
固まった。
どうやら、一定のレベルに到達すると、自分が欲しいスキルを選べるらしい。
しかも、選択できるスキルは三つ。
一つ目。
《攻撃力強化》
自分の十メートル以内に猫がいる場合、力が5%上昇する。
「うん……」
このスキルは確かに強い。
もし将来的に戦闘を中心とした道を進むのなら、かなり役に立ちそうだ。
ただ――
俺はまだ、自分が本当にその道を進むのか決めていない。
そもそも、猫召喚士のレベルの上げ方は、普通の戦士とはかなり違う。
とりあえず保留にして、次を見てみよう。
二つ目。
《魔力回復力強化》
自分の十メートル以内に猫がいる場合、魔力の回復時間が7%短縮される。
「……これは、今の俺には関係ないな」
俺はまだ魔法を使えない。
いくら回復時間が短くなったところで、そもそも使える魔法がない俺には意味がない。
このスキルは、今の俺には必要ないだろう。
そして――
三つ目。
《翻訳》
自分の十メートル以内に猫がいる場合、聞いた言葉と自分が話した言葉を自動的に翻訳する。
「おおおお……!」
これだ!
このスキルだ!
まさに俺のためにあるようなスキルじゃないか!
俺が今、一番困っているのは言葉の問題だった。
この異世界では、言葉が通じないことが最大の障害になっている。
もし、もっと多くの人と自由に話せるようになれば――
ダンジョンの探索だって、もっとスムーズになる。
それだけじゃない。
俺が考えている「あの計画」だって、実現しやすくなる。
俺は迷わず、《翻訳》を選択した。
そして――
まずは一階層へ戻り、猫たちを休ませることにした。
来た道を戻っていく。
次第に光が明るくなり、空気も少し乾燥してくる。
やっぱり、一階層のほうが二階層より過ごしやすい。
俺は綺麗な場所を探して、そこに腰を下ろした。
すぐそばでは、猫たちが三々五々に地面へ寝転がっている。
中には、もううとうとと眠り始めている猫もいた。
そんな猫たちのリラックスした姿を見て、俺はホッと息をついた。
そのとき――
隣を見ると、金髪の女の子が一人、地面にしゃがみ込み、一匹の白猫を抱いていた。
彼女は、以前ハクさんから聞いたことのある女の子だった。
ニーナ。
写字の仕事でお金を稼ぎ、そのお金を惜しげもなくみんなのために使っている女の子だ。
彼女も、かなり猫が好きらしい。
ニーナは白猫の背中を優しく撫でながら、何かを小さな声で呟いている。
俺は彼女のところへ歩いていき、試しに声をかけてみた。
「こんにちは」
ニーナが、勢いよく顔を上げた。
目を大きく見開き、驚いたように俺を見る。
「……ロシア語が話せるの?」
彼女が話しているのは、俺には聞き覚えのない言葉だった。
だけど――
彼女が口を開いた瞬間。
その言葉が、俺の耳には自然な日本語として聞こえてきた。
翻訳スキルが発動したのだ。
「これ、俺のスキルなんだ」
俺が笑いながら答えると、ニーナはさらに驚いたような顔で俺を見つめた。
そして――
ゆっくりと笑った。
「……あなたの職業、けっこう面白いじゃない」
「あっ、初めまして。私、ニーナっていうの。あなたの名前はなんていうの?」




