第六話 スライムとの戦い
ハクに連れられて、俺は広場の一角へやって来た。
そこには、すでに大勢の人が集まっていた。
男も女もいる。
肌の色も、年齢もバラバラだ。
そして、全員が地球から持ってきた服を着ている。
周囲にある異世界風の建物とは、どうにもミスマッチな光景だった。
その中から、浅黒い肌をした男性が真っ先にこちらへ歩いてきた。
チェック柄のシャツにジーンズ。
顔には満面の笑みを浮かべ、右手を差し出してくる。
「Hello!」
俺も手を伸ばし、握手を交わした。
力強い手だった。
掌は温かい。
「彼はインド人。名前、ラジ」
隣にいたハクが通訳してくれる。
ハクの説明によると、ラジはこのパーティーのリーダーらしい。
「まだ具体的にどうすればいいのかは、よくわからない。でも、魔石を手に入れれば地球に帰れるんだろ? だったら、みんなで頑張れば何とかなるさ! ムンバイで働いてた頃より、ずっと楽だよ!」
ラジの前向きな精神に影響されたのか、勇者に選ばれなかった地球人たちは互いに協力することを決め、このパーティーを結成した。
パーティー名に選ばれたのは――「earth」。
「パーティー『earth』はな」
ハクが説明する。
「このダンジョンにある冒険者パーティーの中でも、人数が一番多い。全部で三十二人だ」
「俺を入れたら三十三人ですね」
俺は周囲を見回した。
三十三人の地球人。
誰かと話している人。
装備を確認している人。
地面に座ってぼんやりしている人。
みんな、まだ完全にはこの状況に慣れていない。
それでも――
俺たちは、一人じゃない。
これが「地球人同士」の強みなのかもしれない。
「雅人、好きな装備を一つ選んでいいぞ。ダンジョンを探索するなら、装備は必要だからな」
ハクが指差した先には、大きな布が敷かれていた。
その上には、様々な武器や防具が並べられている。
鉄の剣、短剣、盾、革鎧、兜、指輪。
それに、俺には名前すらわからない道具もいくつかあった。
「装備……これ、どこから持ってきたんですか?」
「もちろん買ったんだよ。異世界でも金は大事だからな」
「お金……どこから?」
「それなら、ニーナのおかげだ」
ハクが人混みのほうへ顎をしゃくった。
俺もその方向を見る。
そこには、金髪の少女がしゃがみ込み、何かを真剣な表情で数えていた。
「ニーナ?」
「ああ。勇者に選ばれなかった地球人は、王様から見れば大した価値がない」
「でも、地球人には異世界人が持っていない知識がある。それに――地球人には『職業』がある」
「ニーナの職業は『写字生』だ」
「写字生?」
「そう。職業能力を使って、異世界人のために本を書き写してるんだ」
「この世界には印刷技術がない。だから、本は全部、人が一冊一冊手で書き写している」
ハクはニヤリと笑った。
「王様からは『ハズレ職』扱いされた職業だけどな。ニーナはそれで異世界で生活して、しかも少しずつ稼いでる」
「そのお金を、みんなに分けてるんですか?」
「本人が言ったんだよ」
ハクがニーナのほうを見る。
「『このお金はみんなで使いましょう。私は早く地球に帰りたい。みんなで方法を探したほうが、きっと早く帰れるから』ってな」
……すごい人だな。
そうして、ニーナが稼いだお金によって、パーティー「earth」のメンバーは全員、一つずつ装備を手に入れることができた。
ある者は兜をかぶり、ある者は盾を選び、またある者は腕に指輪をはめている。
俺は装備の山を前にして、しばらく悩んだ。
そして最後に――一本の鉄の剣を手に取った。
いや、剣なんて使ったことないけど。
「異世界で冒険」といえば、やっぱり剣だろ?
三十二歳の俺は、試しに剣を振ってみる。
……なんというか。
高校生が文化祭のコスプレで、慣れない剣を振り回しているようにしか見えない。
……いや、別に恥ずかしくなんかないぞ。
だって、ここは異世界なんだから。
「それで、次はどうすればいいんですか? ここ、ただの広場にしか見えませんけど」
「こっちへ来い」
ハクに連れられ、パーティー「earth」は広場の中央へ移動した。
俺たちだけではない。
周囲にいた冒険者たちも、次々と集まってくる。
地面には、紫色の線で描かれた巨大な模様があった。
文字のようにも見えるし、複雑な幾何学模様のようにも見える。
その線は、淡い光を放っていた。
「これは……魔法陣?」
「そうだ。ダンジョンへ入るには、この魔法陣を使って転移する」
俺は足元の光をじっと見つめた。
……危なくないのか?
そんな俺の不安に気づいたのか、ハクが俺の肩を軽く叩いた。
「大丈夫だって。そのうち慣れるさ」
その言葉が終わると同時に――
足元の魔法陣が、一気に輝いた。
まばゆい光が地面から立ち上がり、俺たち全員を包み込んでいく。
お、おお……!
この感覚は……!
数秒もしないうちに、体に妙な違和感が走った。
何かが足元から頭のてっぺんまで、一気に駆け上がってくるような感覚。
これは――
俺が何かを考えるより先に、光が消えた。
同時に、あの不快な感覚もなくなる。
俺は反射的に周囲を見回した。
すると、周りにいた冒険者たちの多くが地面にしゃがみ込んでいた。
中には、そのまま座り込んでいる人までいる。
「さすが地球人だな。俺たちより肉体が強いらしい」
「地球人って、そんなに強いのか? 厄介な相手になりそうだな」
「もしかすると、仲良くしておいたほうが得かもしれない……」
冒険者たちは立ち上がりながら、俺たちを見てひそひそと話している。
……いや、なんというか。
魔法陣による転移の感覚は、俺にとってはエレベーターで一気に三十階まで上がったようなものだった。
地球人は、普段からそういう加速に慣れている。
多少気持ち悪くはなったが、地面に這いつくばるほどではない。
それだけのことで、異世界人からは、
「地球人ってすごい!」
と思われているらしい。
正直、ちょっと面白い。
でも、俺は笑わなかった。
異世界人から見れば、俺たち地球人は本当にすごい存在なのかもしれない。
俺は改めて周囲を見回した。
さっきまで松明で照らされていた地下の広場とは違い、ここは本当に洞窟そのものだった。
岩壁はデコボコしていて、頭上からは鍾乳石のような岩がいくつも垂れ下がっている。
空気には、湿った植物と水のような匂いが混じっていた。
どうやら――
本当にダンジョンへ入ったらしい。
「パーティー『earth』の諸君!」
ハクの声が響く。
「ここは『アセラニア地下迷宮』第一層だ。すでに数え切れないほどの冒険者が探索している」
「目立った宝物もないが、それは逆に言えば、新人冒険者が自分の力を鍛えるにはちょうどいい場所ってことだ」
ハクは俺たち全員を見回した。
「今日がパーティー『earth』の初探索だ」
「忘れるな――安全第一だ。人数の多さを活かして、ここを探索してみろ!」
「よし――探索開始!」
「おおーっ!」
ハクが右手を高く掲げ、先頭に立って声を上げる。
三十三人の地球人が、それに応えた。
その声が、洞窟の岩壁に何度も反響する。
そして――
パーティー「earth」は、ダンジョンの奥へと歩き始めた。
洞窟の通路は、思っていたよりも広い。
五、六人なら横に並んで歩けそうなくらいだ。
岩壁には、淡い光を放つ苔が生えている。
青白い光が、どうにか足元を照らしていた。
湿った空気。
足元の小石を踏むたびに、ジャリ、ジャリという音が響く。
十分ほど歩いただろうか。
前方に、円形の広い空間が現れた。
そして――
俺たちは「それ」と遭遇した。
半透明で、ゼリーのような物体。
それが、ぷるぷると震えながら通路の中央を塞いでいた。
高さは俺の腰くらい。
柔らかな体をゆっくり揺らしながら、まるでどこかから這い出してきたばかりのように見える。
「おお、あれが『スライム』と呼ばれている魔物だ」
ハクが説明する。
「こいつはな、普通の物理攻撃じゃ、ほとんどダメージを与えられない。倒すには――」
ハクが言い終わる前に、
「おおーっ!!」
何人かがスライムへ向かって走り出した。
……まあ、ハクの説明は何度も通訳を挟まないといけないからな。
待ちきれない人がいても仕方ないか。
みんなでスライムを取り囲む。
剣で斬る。
盾で殴る。
中には、足で蹴る者までいた。
しかし――
スライムはぷるんと体を揺らすだけ。
反撃する様子はまったくない。
「俺もやってみるか」
俺は鉄の剣を握り、スライムの前まで歩いていった。
近くで見ると、こいつは思っていた以上に……変な生き物だった。
半透明の体の中では、時々いくつもの光がちらついている。
まるで呼吸をするように、体全体が規則正しく上下していた。
俺は剣を振り上げる。
そして――
思い切り振り下ろした。
「……あれ?」
意外と硬い。
見た目は柔らかそうなのに、剣を振り下ろした感触は、硬いゴムを叩いたようだった。
剣先が弾かれ、わずかに軌道が逸れる。
そのまま刃がスライムの表面を滑り――
透明な液体が少しだけ俺の服に飛び散った。
「うわ、汚っ!」
「大丈夫だ。スライムの体液に毒はない。ただ、ちょっと臭うぞ」
ハクが相変わらずのんびりした口調で言う。
……毒がないなら、まあいいか。
俺は液体がついた袖の匂いを嗅いでみた。
確かに、植物の汁みたいな、少し生臭い匂いがする。
戦闘は五分以上続いた。
スライムには、これといった変化がない。
それどころか、俺たちのほうが先に疲れてきた。
何人かは息を切らし、交代で地面に座って休んでいる。
俺も少し休もうかな……。
そう思った、そのときだった。
背後の人だかりから、ざわざわとした声が聞こえてきた。
振り返る。
すると、一人の屈強な中年男性が、人混みの中から歩いてきた。
濃い髭。
がっしりとした体格。
粗末な布の服を着ている。
見たところ、どこかの職人か作業員のような男だ。
しかし――
その目だけは、鋭かった。
男は俺の隣まで来ると立ち止まり、少しだけ腰を落とした。
そして、構える。
次の瞬間――
「ドンッ!」
「ドンッ!」
男はスライムに向かって、拳を叩きつけ始めた。
拳がスライムに当たるたび、鈍い音が響く。
スライムの体が大きくへこみ、まるで捏ねた生地のように左右へ揺れた。
……この人、俺たちの中で唯一まともに戦えてるんじゃないか?
構えも妙に様になっている。
まるでボクサーみたいだ。
名前は知らないけど――
とりあえず「ボクサーのおじさん」と呼ぶことにしよう。
ボクサーのおじさんは、左右の拳を何度も叩き込んでいく。
そのたびにスライムの体が小さくなり、透明な液体が周囲へ飛び散っていく。
そして――
スライムが拳ほどの大きさまで縮んだとき。
その体の中央から、小さな黒い珠が姿を現した。
「あれがスライムの『核』だ!」
ハクの声が響く。
「覚えておけ――魔物には、すべて『核』が存在する」
「核にダメージを与えれば、魔物は大きな傷を負い、場合によっては死ぬ」
「もちろん魔物も自分の核を守る。だから、まずは魔物の体力を削って、核を露出させる必要があるんだ」
ハクが俺を見る。
「雅人、ああいう核には、刃物がよく効く。お前が一番近い。あの核を攻撃してみろ!」
「わかりました!」
俺は剣を構えた。
そして――
黒い珠へ向かって、思い切り突き出す。
今度は、驚くほど簡単だった。
まるでフルーツの缶詰にフォークを突き刺すように、剣先があっさりと「核」を貫いた。
その瞬間――
スライムの体が、一気に液体へと変わった。
「……倒した!」
俺は思わず声を上げた。
俺が――
異世界で初めて、魔物を倒した!
確かに、ちょっと大変だった。
でも――
これは、本当に気持ちがいい。
俺は息を切らしながら、剣を握った手を見つめた。
核を貫いたときの感触。
勝ったと確信した瞬間の安心感。
周囲から聞こえてくる歓声。
そのすべてが、俺にとって新鮮で、そして現実だった。
「さあ、自分のステータスを確認してみろ!」
ハクが人混みの後ろから声をかけてくる。
「職業者なら、自分のステータスを確認できる。自分の力をしっかり把握しておくんだぞ!」
「俺、50ポイント上がった!」
「えっ……俺、2ポイントしか上がってない……」
あちこちから、驚きの声や歓声が上がる。
一方で、ため息をつく者もいた。
俺も急いで集中する。
昨日キアラに教えてもらったように、心を落ち着ける。
そして、自分のステータスを呼び出した。
俺はスライムの核を貫いた。
最後の一撃を決めたのは俺だ。
当然、かなりの経験値を獲得しているはず――
……え?
どういうことだ?
ステータスに表示された数字は――
何も変わっていなかった。
まったく、上がっていない。
どうして……?
もしかして、猫召喚士って――
本当に、成長すらできない。
徹底的なハズレ職なんじゃないのか?
俺はスライムの液体が残る地面を見つめながら、鉄の剣を握った手をゆっくりと下ろした。
さっきまで聞こえていた歓声が――
急に、遠くに感じられた。




