第五話 地下迷宮管理局
キアラと一緒に、地下迷宮管理局へやって来た。
ダンジョンに入るためには、まず管理局で登録をしなければならないらしい。
ちなみに、この制度も地球人が持ち込んだものだそうだ。
管理局の木製の扉を開ける。
その瞬間、鼻を刺すような強烈な匂いが漂ってきた。
うっ……。
昼間から酒を飲んでる人がいるのか?
「よう、キアラ」
緑色の服を着た男性が、キアラに声をかけてきた。
昨日、俺たちの通訳を担当していた少年たちの一人らしい。
「ちょうどいい。ハク、雅人、日本人。説明、必要」
キアラがそう言うと、「ハク」と呼ばれた男が俺のところへ歩いてきた。
うっ……。
それにしても、酒の匂いがものすごい。
しかも、歩いているのに手には酒瓶を持ったままだ。
「ん? 兄ちゃん、昼間っから酒飲んでる俺たちを馬鹿にしてるのか? これはな、文化の違いってやつだ。文化の違い」
まるで俺の考えていることを見透かしたかのように、ハクは先回りして言った。
だが、俺が驚いたのはそれだけじゃない。
「えっ、ハクさん、日本語が話せるんですか? しかも、すごく流暢ですね」
「話せるだけじゃないぜ。俺は日本語の方言を三つも話せるし、安∅晋三に関する政治ネタだって、かなり詳しいぞ」
……どこで覚えたんだ、この人。
ハクは俺から離れると、今度は別の言葉で周囲の人たちに声をかけ始めた。
中国語、フランス語、ロシア語、それにスペイン語……なのか?
正直、よくわからない。
全部、俺の推測だけど。
「ハク、天才」
キアラの言う通りだ。
「こんなに若いのに、そんなにたくさんの言葉を話せるなんて……本当に天才ですね」
俺は心からハクに感心した。
「若い? いやいや、兄ちゃん。そりゃ勘違いだ」
俺の感想を聞いたハクは、酒をもう一口ぐいっと飲んでから、のんびりと言った。
「俺はもう四百七十歳だ。お前の爺さんより年上だぞ、小僧」
「え……?」
「そんなに驚くなって。俺たちエルフ族は長生きなんだよ。そのおかげで、みんな基本的に若い頃の姿をずっと保っていられる」
「ある意味、ダンジョン管理局の仕事は、俺たちエルフ族がやるのが一番向いてるってわけだ」
「ハク、話はあと。今は、することある」
キアラに注意されて、ハクはようやく本来の仕事を思い出したようだった。
「ああ、そうだったそうだった。お前、登録に来たんだよな?」
ハクは一枚の紙を俺に差し出した。
「まず、これに記入してくれ」
「おお、日本語の登録用紙だ。助かります」
少し黄ばんではいるものの、紙の質は悪くない。
名前、国籍、職業。
この世界の登録用紙なのに、記入項目が妙に親切だ。
「住所……今はキアラの家に住んでるんですけど、『キアラの家』って書けばいいですか?」
「おお、キアラの家か」
ハクは俺の耳元に顔を寄せ、声を落として言った。
「キアラはハーフエルフ、だが、俺たちエルフ族の仲間でもある。もし、たった六十歳の子どもを泣かせるようなことをしたら――俺はお前を許さないからな」
……なんというか。
思いっきり誤解されている気がする。
ともあれ、俺は必要事項を書き終え、ハクに用紙を渡した。
「ハクさん、これで大丈夫ですか? もうダンジョンに入れますか?」
「いや、まだだ」
「まだ?」
「お前、パーティーに入らないとダンジョンには入れないんだ」
「パーティー?」
俺が詳しく聞こうとした、そのときだった。
背後から、明るく大きな声が響いた。
「ハクさん、おはようございます!」
「おう、おはよう、ノリコ。ちょうどいいところに来たな。ちょっと頼みたいことがある」
振り返ってみる。
あっ。
昨日の日本人の女の子だ。
名前は……「ノリコ」だったのか。
しかし、俺の姿を見た瞬間、彼女の表情が少しだけ変わった。
「こんにちは。雅人です」
俺は礼儀正しく挨拶した。
ノリコは軽く頷いただけだった。
そして俺を通り過ぎ、そのままハクさんと話し始める。
しかも、会話に使っている言葉は、俺にはあまり馴染みのない英語だった。
……なんというか。
無視されたみたいで、ちょっと気まずい。
ノリコの話を聞いているうちに、ハクの表情も少し微妙なものになっていった。
「そうか……。じゃあ、今は必要ないな。うーん……」
しばらく話したあと、ハクが俺のところへ戻ってきた。
「悪いな。ノリコのパーティーは、もう定員いっぱいなんだ」
「じゃあ、俺は……?」
「別のパーティーに入ってもらうしかないな。行こう。俺がそいつらのところまで案内してやる」
「キアラは来ないんですか?」
俺がそう尋ねると、ハクは驚いたような顔をした。
「お前、まだ知らなかったのか?」
「半エルフには、ダンジョンに入る資格がないんだ」
「……え?」
俺がキアラを見る。
キアラは何も言わず、穏やかな表情で俺に手を振った。
「行っておいで、雅人」
「……うん」
ハクについていくしかなかった。
でも……。
この異世界、何かがおかしくないか?
キアラって、もしかして思っていた以上に立場が弱いんじゃないか?
俺は去り際に、もう一度キアラを振り返った。
一人でそこに立っている彼女の姿が、なぜかひどく寂しそうに見えた。
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ハクが管理局の奥にある扉を開ける。
その先には、地下へと続く階段があった。
「えっ……?」
まさか。
管理局の中は普通の事務所みたいになっていると思っていたのに、その先にあるのは地下へ続く長い通路だった。
「意外だろ?」
ハクが笑う。
「ダンジョンっていうのは、だいたいこんなもんだ。地下に洞窟みたいに広がっていて、地上に管理局がある」
通路の両側には、いくつもの松明が設置されている。
「やっぱり、明かりは大事なんですね」
「そりゃそうだろ。中は光がないからな」
「雨が降ったら、中に水が入ってきたりしないんですか?」
「ダンジョンに、そんな俗っぽい心配はいらねえよ」
「……どういう意味ですか?」
「まあ、そのうちわかるさ」
俺とハクは、そんなことを話しながら地下へと進んでいった。
どれくらい歩いただろう。
おそらく十分ほど経った頃。
それまでの狭い通路が、突然大きく開けた。
「……うわ」
目の前に広がっていたのは、とても地下とは思えないほど広大な空間だった。
そこには、たくさんの人がいた。
赤く熱せられた金属を、必死にハンマーで叩いている人。
見たこともない奇妙な動物の死体や、植物を売っている人。
鎧を身につけ、武器を手にしている冒険者。
地球の服を着ている人。
誰かの髪を切っている人。
賭け事に興じている人。
酒の入った杯を手にしている人。
そして――歌っている人までいる。
本当に、何でもありだ。
地下に、こんな広い街があるなんて……!
「ここが……ダンジョン?」
「そうだ」
ハクは酒瓶を片手に、笑った。
「ようこそ、雅人。冒険者として、アセラニア地下迷宮へ」
俺は目の前に広がる光景を見渡した。
地球とはまったく違う世界。
昨日までの俺なら、こんな場所に来ることなんて、夢のまた夢だっただろう。
そして今、俺はここにいる。
猫召喚士という、どう考えても頼りなさそうな職業を手にして。
一体、ここで何が待っているんだろう。
俺の異世界生活は――
ここから、本当の意味で始まるのかもしれない。




