第十三話 王城へ
「王女殿下がお前に会いたがっている」
セリアと名乗った女騎士が、もう一度そう言った。
彼女の腰にある剣の鞘には、金色の装飾が施されている。明らかに、普通の冒険者が持っているようなものではない。
「……王女殿下? 俺に?」
「そうだ。今すぐ、私と一緒に王城へ来てもらう」
「今すぐ?」
「今すぐだ」
セリアの目には、一切の妥協を許さないものがあった。
俺はキアラを見る。
キアラは猫を抱きながら、心配そうに俺を見つめていた。
「……分かった。行くよ」
「雅人!」
キアラが声を上げた。
「大丈夫。すぐ戻ってくる」
「でも……」
「キアラ、店のこと、頼めるか?」
キアラはしばらく俺を見つめ、それから小さく頷いた。
「……うん。気をつけてね」
「ああ」
セリアは俺たちのやり取りを見て、眉をほんの一瞬だけ動かした。
そして、キアラに短く言った。
「半エルフの娘か」
その言葉には、侮蔑も差別もなかった。
ただ、事実を確認するような言い方だった。
キアラは何も言わず、静かに俯いた。
セリアもそれ以上何も言わず、俺を連れて店を出た。
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王城までは、迷宮管理局から歩いて十五分ほどだった。
白い石で築かれた城壁。
その上では、青と金の旗が風に揺れている。
門の前には、鎧を身につけた二人の兵士が立っていた。
セリアが近づくと、兵士たちは慌てて頭を下げた。
「セリア様! お戻りになられたのですね!」
「中へ入れてくれ」
兵士たちは俺を一瞥したが、何も言わずに門を開いた。
城内に入ると、空気が変わった。
ひんやりとしていて、どこか厳かな雰囲気がある。
廊下には赤い絨毯が敷かれ、壁には歴代の国王の肖像画が並んでいる。
「ついてこい」
セリアは振り返ることなく歩いていく。
俺はその後ろを歩きながら、頭の中で状況を整理しようとした。
王女殿下が俺に会いたがっている。
なぜだ?
俺が猫召喚士だから?
それとも――水母の一件か?
あるいは……
「入れ」
セリアが一枚の扉の前で立ち止まった。
両開きの扉には、セリアの剣と同じような金色の装飾が施されている。
セリアが扉をノックすると、中から声が聞こえてきた。
「お姉様、お帰りになられたのですか? どうぞ、お入りください」
セリアが扉を開けた。
天井は高く、シャンデリアが光を放っている。
部屋の奥には、一脚の椅子が置かれていた。
その椅子に座っていたのは、一人の少女だった。
銀色の髪。青い瞳。
年齢は十五、六歳くらいだろう。
白いワンピースを着ていて、表情は――少し不安そうだった。
セリアが片膝をつく。
「王女殿下、猫召喚士をお連れしました」
王女は小さく頷いた。
そして、俺を見る。
「うん……あなたが、猫を召喚する人?」
その声は、俺が想像していたよりもずっと幼かった。
「はい。俺です」
王女はしばらく俺を見つめ、それから意を決したように口を開いた。
「お願いがあるの」
「はい?」
「私――」
王女は少しだけ躊躇してから、続けた。
「あなたの猫を、見せてほしいの」
俺は一瞬、言葉が出なかった。
「猫?……それだけ?」
「はい」
王女は俯いた。
「お願いします。本当に、猫ちゃんを見てみたいんです」
「分かりました。一匹、召喚します」
俺は精神を集中させ、それから――
「猫召喚!」
光が部屋の中に集まり、弾ける。
そこに一匹の猫が、王女の目の前に現れた。
銀色の毛並み。青い瞳。
王女にそっくりだな。
その猫は毛をぶるっと震わせると、遠慮なく王女の足元へすり寄っていった。
「何をする、こいつ!」
セリアが剣を抜こうとする。
しかし、王女の目が一瞬で輝いた。
「か、可愛い……!」
猫は首を傾げ、彼女に向かって「ニャー」と鳴いた。
王女は手を伸ばし、そっと猫の耳に触れた。
「……柔らかい」
その声は震えていた。
「温かい……」
彼女はおそるおそる猫を抱き上げた。
王女の様子を見て、セリアの緊張した態度も消えていった。
猫は王女の腕の中で暴れることもなく、大人しく丸くなっている。
時折、尻尾が彼女の手の甲を優しく撫でる。
王女は猫の毛に顔を埋め、深く息を吸った。
そして、彼女の肩が小さく震え始めた。
彼女は小さく呟いた。
「温かい……」
俺は隣に立ったまま、何と言えばいいのか分からなかった。
セリアも何も言わない。
ただ、扉のそばに立って、静かに王女を見つめている。
その表情は相変わらず冷たい。
だが、俺にはその口元に、わずかな笑みが浮かんでいるように見えた。
しばらくして、王女が顔を上げた。
目元は少し赤くなっていたが、表情は落ち着きを取り戻していた。
「ありがとう。こんなに……安心したのは、久しぶりです」
「お礼なんていいですよ」
「座ってください。セリア、お茶を」
「……はい」
セリアは部屋を出ていき、すぐに盆を持って戻ってきた。
そして、俺の前に茶を置いた。
俺はカップを持ち上げ、一口飲む。
温かいお茶から、ほのかな花の香りがした。
「美味しい」
王女は猫を抱いたまま、椅子に座ってゆっくりと話した。
「猫は、とても優しい動物だと前から聞いていました。今日、ようやく会えました」
「王女殿下は、どうして猫のことを知っているんですか?」
「キアラお姉ちゃんに教えてもらったんです」
「――」
俺の手が宙で止まった。
「キアラ……お姉ちゃん?」
「はい。キアラお姉ちゃんです。半エルフのキアラお姉ちゃん」
王女はごく自然な口調で言った。
まるで、当たり前のことを話しているかのように。
「お母様がまだご健在だった頃、キアラお姉ちゃんはよく王城に来ていました。いろいろなことを教えてくれたんです。猫のことも、キアラお姉ちゃんから教えてもらいました」
「だから、地球人が猫を召喚できると聞いたとき、思ったんです――絶対に会ってみたいって」
王女は顔を上げ、俺を見る。
「まさか、あなたがキアラお姉ちゃんを知っているなんて」
俺はカップを置いた。
頭の中が混乱していた。
キアラが王女と知り合い?
そんなこと、一度も聞いたことがない。
「キアラお姉ちゃん……元気ですか?」
王女の声が、俺の思考を遮った。
「ああ……うん。元気だよ。今は俺の店で働いている」
「お店?」
「猫カフェ。お客さんが猫を撫でられる店だ」
王女の目が、再び輝いた。
「猫カフェって、猫を撫でられるお店なんですか? すごく楽しそう!」
「機会があれば、王女殿下も来てください。キアラも、王女殿下に会ったらきっと喜びます」
「本当ですか? 私もキアラお姉ちゃんに会いたい……」
王女は突然、俯いた。
そして、それ以上何も答えず、俯いたまま猫を撫でている。
空気が少し気まずくなった。
どうしたんだ?
そのとき――
「おい」
冷たい声が割り込んできた。
セリアが茶を入れたポットを持って、俺の隣に立っていた。
「その猫、いくらだ?」
「……え?」
「その猫はいくらだと言っている。私たちが買おう」
「すみませんが、非売品です」
「非売品?」
セリアが眉をひそめた。
「すまないが、この猫は売れない」
俺はもう一度繰り返した。
セリアは数秒間、俺をじっと見つめた。
その視線に、俺は不快なものを感じた。
この感覚は、初めて異世界に来て、角の生えた狼に襲われたときと同じようなものだった。
セリアは俺に敵意を持っている?
なぜだ?
「お姉様、他人のものを勝手に欲しがらないでください。わ、私は大丈夫です。ただ、少し見てみたかっただけなので」
セリアは王女のほうを振り向いた。
「黙れ」
セリアの声は大きくなかった。
だが、冷たかった。
王女はすぐに肩をすくめ、俯いた。
それ以上、何も言わなかった。
そして、セリアは王女の前で片膝をついた。
「申し訳ありません、王女殿下。失礼いたしました」
その口調には、少しだけ申し訳なさがあった。
だが、それ以上に――何か、俺には言葉にできないものがあった。
「雅人さん、もうお帰りください」
セリアは立ち上がり、俺を見る。
「……分かった」
俺は猫を召喚から戻し、王女に一礼した。
王女は顔を上げ、俺を見る。
唇が動いた。
何か言いたそうだった。
だが、最後には小さく頷いただけだった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
俺は振り返り、扉へ向かって歩いた。
扉のところまで来たとき、俺は振り返った。
王女は膝を抱え、椅子に座っている。
セリアはその隣に立ち、片手を剣の柄に置いていた。
窓から差し込む夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。
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ツリーハウスに戻ると、キアラが入口に座っていた。
膝を抱え、小さく丸まっている。
俺が戻ってきたのを見ると、キアラは勢いよく顔を上げた。
「雅人!」
キアラは立ち上がり、こちらへ駆けてくる。
「大丈夫だった? 王城で……何もなかった?」
「何もなかったよ」
俺は笑った。
「王女殿下が、猫を見たかっただけだ」
「……そうなんだ」
キアラはホッとしたように息を吐いた。
だが、その表情はどこか不自然だった。
「キアラ」
「うん?」
「王女殿下と知り合いなんだな?」
キアラの体が、一瞬こわばった。
「……知ったの?」
「王女殿下が、猫のことを君に教えてもらったって言ってた」
キアラは俯いた。
「……うん。教えたことがある」
「どうして俺に言わなかったんだ?」
キアラはしばらく黙っていた。
それから、顔を上げた。
その瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
「だって……あの頃の思い出は、私にとって、幸せで……そして、辛いものだから」
「辛い?」
「王女殿下のお母様は……私のお母さんの友達だったの」
「……何?」
「王女殿下のお母様、由紀様は、私のお母さんと同じ地球出身だったの」
「私のことを、自分の子供のように可愛がってくれた。だから、昔はよく王城に行っていたの」
キアラの声が震え始めた。
「でも、その後……由紀様は病気で亡くなった。それ以来、私は王女殿下と会っていない」
「国王が、由紀様の死を私のせいにしたから」
「半エルフが不幸をもたらしたんだって」
キアラは俯いた。
「だから、王女殿下は私を知っているけど、国王は私たちが会うことを許さない」
「きっと……王女殿下も寂しいんだろうな」
俺には、何と言えばいいのか分からなかった。
どうやら、半エルフへの差別は国王から始まったらしい。
今の俺にできるのは、ただそっとキアラの手を握ることだけだった。
「キアラ」
「うん?」
「王女殿下が、猫カフェに来たいって言ってた」
キアラが顔を上げる。
「本当?」
「ああ。君にも会いたいって」
キアラの涙が、ついに頬を伝った。
「……本当に?」
「本当だよ」
キアラは顔を覆い、肩を震わせ続けた。
俺はその隣に立ち、何も言わなかった。
ただ、彼女の手を握ったまま、ずっとそばにいた。




