第十一話 涙と星空
迷宮を出て地上に戻ると、まったく違う感じがした。
初めて、太陽があるっていいなと思った。
「雅人、はい」
ニーナが小さな布袋を差し出してきた。
「今回の探索の分け前。ハクさんに、借りてた魔石代を先に取られたけど」
俺は袋を受け取り、中身を確認した。
……おお。
ハクさんにいくらか取られたとはいえ、残りも少なくない。
それよりも重要なのは――
「これだけあれば、生活を維持するだけじゃなくて、願いも叶えられるよな」
「何をするつもり?」
「猫カフェを開きたい」
ニーナは一瞬、驚いたような表情を浮かべた。
「猫……カフェ?」
「うん。この世界には猫がいないから、俺が猫を出したら、みんなこの動物は本当に可愛いって思ってくれた。疲れた冒険者たちも、猫の体に顔を埋めて癒やされたいんじゃないかな? この商売ならできると思う」
ニーナは笑った。
「面白そう。お店を開いたら私も行くから、割引券ちょうだいね」
「絶対来てよ」
ニーナと別れたあと、俺は帰り道を歩きながら考えた。
ただお金を稼ぐだけじゃない。
俺の能力で猫を召喚して、猫カフェでみんなと一緒に遊ばせれば、経験値を得てレベルアップできる。
お金も経験値も簡単に手に入る。
よく考えてみれば、地下迷宮で冒険するよりずっと楽じゃないか?
「雅人、おかえり! ご飯できたばかりだけど、食べてみる?」
「もちろん。あ、聞いてよ。今日、地下迷宮で……」
ツリーハウスに戻ると、キアラがちょうど料理を作り終えたところだった。
食卓で、俺はキアラに今日一日の出来事を話した。
俺の話を夢中になって聞いているキアラの表情を見ていると、なんとなく料理の味までさらに美味しく感じた。
楽しい一日を過ごした。
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翌日、俺はキアラと一緒に出かけ、店にできそうな家を探した。
俺はわざとキアラに子猫を抱いてもらい、俺の翻訳スキルがどうやって機能するのかを見てもらった。
キアラの案内で、俺たちは一軒の不動産屋を見つけた。
中にいた不動産屋のおじさんは、俺の話を聞くと、ただひたすら首を傾げた。
「猫カフェをやるための家が欲しい? 猫カフェって何だ?」
「店に猫を置いて、お客さんが猫と遊べる店です」
不動産屋は俺の隣にいるキアラを一目見ると、表情が少し微妙なものになった。
「猫……まさか、何かの隠語じゃないだろうな? おい、お兄ちゃん、まさか変な商売をするつもりじゃないだろうな?」
「失礼ですね。女性の前で、そんなことを言うんですか?」
俺がそう言い返すと、不動産屋のおじさんは耳をほじりながら、気にした様子もなく言った。
「仕方ないだろ。半エルフを連れてるんだから、世間の目を気にするのは当然だ。何せ半エルフだからな」
「半エルフ、半エルフって、せめて人を尊重することくらい覚えろよ!」
俺の声は、抑えられないほど大きくなっていた。
俺は、キアラが軽く見られるのが嫌だった。
「どうしたんだ?」
俺が不動産屋と大喧嘩になりそうになった、そのとき。
背後から、少し聞き覚えのある声が聞こえてきた。
振り返ると――ああ、昨日のパーティー『earth』の「ボクサーのおじさん」だ。
「お前か。名前は……雅人だったか?」
俺の顔を見ると、ボクサーのおじさんは手を差し出してきた。
「はい。昨日はお世話になりました。ははは」
俺はおじさんの手を握り返したが、気まずそうに笑うことしかできなかった。
……この人の名前、知らないんだけど。
俺の困っている様子に気づいたのか、おじさんが自分から話し始めた。
「俺はロイ。この店の店主だ。ついでに言っておくが、俺は地球人じゃない。異世界人だ」
不動産屋を帰らせると、ロイさんは自らお茶を持ってきて、俺たちをもてなしてくれた。
「これは、お前たち地球人がこっちの異世界に持ち込んだものだ。口に合うか?」
「ああ、とても美味しいです。日本にいたとしても、かなり上等なものですよ」
これはお世辞ではない。
ロイさんが出してくれたお茶は、本当に美味しかった。
「ロイさん、どうしてパーティー『earth』に入ったんですか?」
俺はロイさんに尋ねてみた。
「俺は地球人が好きなんだ」
ロイはお茶を飲みながら、俺たちと話を続けた。
「昔の俺は、ただの平凡なガキだった。お前たち地球人が持ってきた技術や物産があったから、俺は貿易でかなり金を稼ぐことができた」
「だから地球人に興味を持った。自分の力で地球人の勇者パーティーに入って、地球人と一緒に行動したいと思ったこともある」
「だが残念なことに、俺たちこの世界の人間は、地球人と比べると実力が低すぎる。それに俺自身、若い頃に商売で時間を使いすぎた。今から一生懸命鍛えたところで、勇者の隣に立てるほどの実力にはならない」
「幸い、ハクさんのもとでパーティー『earth』ができた。これなら俺も加入できる。ラジは本当に面白い奴だな。体をくねくね動かすだけで、言葉が通じなくても意思疎通ができる。地球人はみんなあれができるのか?」
「そうだ。お前、俺の店に何をしに来たんだ?」
「店を開きたいんです」
「いいぞ。何か条件はあるか?」
「地下迷宮管理局に近いところがいいです」
「冒険者相手の商売か? 武器屋や道具屋はかなり金がかかるぞ。それに一人しかいないんだろ? 忙しすぎるんじゃないか?」
「いや、猫カフェです」
「猫カフェ……なるほど、また地球人が面白いものを持ってきたんだな! 猫カフェを開いたら、俺が一番最初の客になってやる!」
エルフさんが出してくれた何枚かの候補図面の中から、俺はそのうちの一つを選んだ。
「ここにします」
「本当にいいのか? それほど大きくないぞ」
「十分です」
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エルフさんと話すのは本当に楽しかった。
店の場所も決まった。
次は人手だ。
俺の中では、もう適任者が決まっていた。
「雅人?」
「キアラ、一緒にご飯を食べに行こう」
キアラが同意するのを待たず、俺は彼女を連れて、良さそうなレストランに入った。
まあ、猫には言葉を翻訳する能力はあっても、文字を翻訳する能力はない。
とりあえず、メニューの中で美味しそうに見えるものを全部一つずつ注文した。
そして、キアラが食事をしているとき、俺は口を開いた。
「キアラ、お願いしたいことがある」
「お願いしたいこと?」
「俺の猫カフェで、店員として働いてほしい」
キアラは食器を持っていた手を止め、俺を見た。
「……私が?」
「うん」
「でも、私は……半エルフだよ?」
キアラは目を伏せた。
「……半エルフは、受け入れてもらえない。雅人も見たでしょう? さっきの不動産屋さんの態度。あの人だけじゃない。街の人たちが私を見たときも、表情が……」
俺は知っている。
ハクさんから、彼女が地下迷宮に入れないのもそのせいだと聞いている。
今だって、レストランの店員や客たちが、俺たちのテーブルに妙な視線を向けている。
だけど――
「俺はキアラに来てほしい」
「どうして? 私が足を引っ張るよ」
「俺が異世界に来て、最初に助けてくれたのはキアラだった。俺が危険な目に遭ったとき、命を救ってくれた。行く場所がなかったとき、俺を受け入れてくれた。こんなに可愛くて優しくて、それに猫が大好きなキアラより、ふさわしい人なんて思いつかない!」
「前はキアラが俺を助けてくれた。今度は、俺がキアラの力になりたい」
キアラの目が少し潤んだ。
「でも、街の人たちが……」
「街の人たちがどう思うかなんて、関係ない」
俺はきっぱりと言った。
「これは俺の店だ。俺が決める。俺はキアラを選ぶ」
キアラはしばらく黙っていた。
そして――
ぽろぽろと、涙を流し始めた。
「……キアラ?」
「ごめん……ごめん……嬉しすぎて……」
彼女は袖で目を拭きながら、それでも笑っていた。
「私、ずっと……半エルフだからって、たくさんのことを諦めてきた。地下迷宮にも入れない。友達もいないし、街の人たちとも上手く話せない」
「でも……雅人は、私を選んでくれた」
「当然だよ」
「……うん。ありがとう、雅人」
「俺こそ、ありがとう。頼むよ」
「うん!」
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その日の夜。
俺は地下迷宮管理局の前でハクさんと会った。
俺が猫カフェを開きたいという考えを説明すると、ハクさんは別のことは何も言わず、俺に一つだけ質問した。
「それで、店員はキアラを選んだのか?」
「はい」
ハクさんは酒を飲みながら話した。
「……まあ、予想通りだ。だが……」
「何か問題がありますか?」
ハクさんは酒壺を置き、俺を見た。
「街の連中は半エルフが嫌いだ。お前の店には、一人も客が来ないかもしれんぞ」
「俺がやるのは冒険者相手の商売です。特に地球人なら、気にしないでしょう。それに、本当に一人も客が来なくても、今の俺は別にいいと思っています」
「キアラを選んだ理由は?」
「彼女はいい子だと思ったからです。それだけです」
ハクさんはしばらく黙っていた。
そして、軽く笑った。
「……お前、本当に変わった奴だな」
「そうですか?」
「ああ。普通の人間は、損得で行動するもんだ。だが、お前は――」
ハクさんは立ち上がり、俺の肩を叩いた。
「まあ、それもいい。もしかしたら、本当にお前なら……」
「ハクさん?」
「何でもねぇ。店が開いたら、俺も行く。酒を持ってな」
「猫に酒を飲ませないでくださいよ」
「分かってるって」
ハクさんは笑いながら、夜の街へ消えていった。
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ハクさんが去ったあと、俺は夜空を見上げた。
異世界の星は、地球のものとは少し違う。
でも、美しいということは同じだった。
猫カフェか。
冷静になってみると、自分でも思う。
会社員の生活から外れて、思いつきで店を開く。
本当にこれでいいのだろうか?
会社員だった頃のような生活に戻って、地下迷宮でモンスターを倒し続けたほうがいいんじゃないか?
とんでもないことを始めてしまったな。
でも――
キアラは泣いた。
それは、幸せの涙だった。
今まで俺が見た中で、一番美しい顔だった。
俺には何の後悔もない。
「明日も続けないとな。看板とか、メニューとか、決めることがたくさんある」
俺は猫カフェのことを考えながら、一歩ずつ家へ帰っていった。




