第十話 蒼藍傘の加護
「た、助けてくれ! ラジたちを!」
その隊員は全身血だらけで、立っていることもできず、その場に膝から崩れ落ちた。
俺は駆け寄って、彼を支えた。
「何があったんだ? ラジたちはどうした?」
「第四階層……突然、ものすごく大きな魔物が現れたんだ……スライムに似ていたけど、スライムとはまったく違う……俺たちじゃ、まったく歯が立たなかった……」
彼は息を切らしながら、途切れ途切れに話した。
「ラジが俺に助けを呼びに戻れって……他のみんなは、あの魔物を食い止めるために残ってる……」
俺が顔を上げると、ハクさんはすでに立ち上がっていた。
その顔は、さっきよりもずっと険しくなっている。
「第四階層? あの馬鹿ども! そこは迷宮ボスだ」
ハクさんは腰の酒壺を掴み――そして、手を離した。
「……ちっ。今から向かっても、間に合わねぇ」
「どうして?」
「第一階層から第四階層まで、最短でも五十分はかかる。ボスの前じゃ、ラジたちはそんなに長く持たねぇ」
五十分。
間に合わない。
ハクさんの言う通りだ。
もし迷宮ボスがスライムより遥かに強いのなら、ラジたちは俺たちが到着するまで持たない。
「まあ、これも当然のことだ。地下迷宮で死者が出るのは珍しくない。油断や自信のせいで死ぬ冒険者も多い。ラジたちが死んだとしても、それはみんなに経験を――」
「ハクさん」
遮られたハクさんは、明らかに不機嫌そうだった。
「ん? 先に言っておくが、あいつらを助けるだけの理由はねぇぞ」
「そうです。でも――」
「俺は、自分の猫を助けたい」
「猫?」
「ああ。戻ってくる前に、ラジのところに一匹残してきたんだ。みんなが話すための翻訳用にな」
ハクさんは一瞬、呆然とした。
そして眉をひそめ、隣にいる猫を見下ろした。
「可愛いが――」
「戦う必要はありません。ただ、猫を連れて帰るだけです。もちろん、機会があるならラジも連れて帰ります」
ハクさんは数秒、俺を見つめた。
そして、ため息をついた。
「……分かった。俺も一緒に行く。ニーナ、お前はここに残れ。負傷者の面倒を見て、それから他の連中には来るなと伝えろ」
「分かった」
ニーナは頷き、それ以上何も言わなかった。
「来い、小僧。覚えておけ。お前の猫を助けるんだから、魔石を借りにしてもらうぞ」
「魔石?」
ハクさんは次の階層へ向かう通路には入らなかった。
代わりに、俺たちが迷宮へ入るときに使った魔法陣のところへ向かった。
ハクさんは懐から一本の瓶を取り出した。
栓を抜き、中に入っていた紫黒色の石を魔法陣の上へと流し込んだ。
「第四階層、ボス部屋」
ハクさんがそう言い終えると、魔法陣から放たれた光が俺たち二人を包み込んだ。
地下迷宮に入ったときと同じような、不快な感覚を覚える。
そして、光が消えると、俺はどこかの通路に立っていた。
通路の先には、下へ続く階段がある。
階段の下には、開けた空間が広がっていた。
四方八方から青い光が差し込み、空間全体がまるで水の中のように照らされている。
そして、その青い光の中央には――
ラジが膝をついていた。
片手を地面につき、もう片方の手で脇腹を押さえている。
服は大きく引き裂かれ、指の隙間から暗い赤色の血が滲み出ていた。
ラジだけではない。
他のみんなもいる。
みんな傷を負っているようだが、まだ意識を失っている者はいない。
あの子猫は盾の後ろで震えている。
よかった。まだ間に合った。
そして、みんなの前にいるのは――
巨大で半透明な、クラゲのような生物が空中に浮かんでいた。
その身体からは淡い青色の光が放たれている。
触手のようなものが身体の下から垂れ下がり、その一本一本が成人男性ほどの太さをしている。
「ラジ!」
俺は声を上げた。
ラジが顔を上げる。
その顔は驚愕に満ちていた。
「雅人、ハクさん……どうして来たんだ……逃げろ! こいつは強すぎる!」
「水属性か。そいつはよかった」
ハクさんがそう言うと、俺の隣から姿を消した。
そして、ボスの上に現れた。
腰から剣を抜き、叫ぶ。
「斬・雷電!」
その直後、部屋全体にバチバチという音と、目をくらませるほどの電光が満ちた。
ボスの身体が激しく揺れ動く。
みんなは地面に伏せ、ハクさんの攻撃に巻き込まれないよう警戒している。
うわっ、こ、これが伝説の雷神なのか?!
ハクさん、本当に強い。
「ラジ! まだ動けるか?」
「動ける!」
「俺を手伝え! あいつの側面を攻撃するんだ!」
ハクさんの指示を聞いたラジは、剣を拾い、歯を食いしばって駆け出した。
だが、駄目だった。
ボスにダメージを与えられるのは、ハクさんだけだ。
他のみんなは、触手から噴き出す水柱に吹き飛ばされていく。
水柱を避けたとしても、斬撃だけでは与えられるダメージがまったく足りない。
俺は意識を集中させ、あの巨大なクラゲを見つめた。
俺に何か、できることはないのか?
すると。
俺の頭の中に、声が現れた。
それは言葉ではない。
ただ――感覚だった。
寒い。
疲れた。
お腹が空いた。
ここにいたくない。
家に帰りたい。
――
どういうことだ?
まさか。
「ハクさん!」
俺は大声で叫んだ。
「ボスを攻撃しないで、天井を攻撃してください!」
「何?」
ハクさんは呆然とした。
「こいつは閉じ込められているんです」
俺は続けた。
「帰りたがっている。でも、帰れない。誰か――あるいは何かに――ここに縛りつけられているんです」
ハクさんの表情が変わった。
彼はあのボスを長い間、見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「なるほどな。分かった」
ハクさんは剣を掲げた。
ボスではなく、部屋の天井に向けて。
電光が剣に集まり、花火のように飛び出して、天井に穴を開けた。
その直後、水母の身体が光り始めた。
どんどん明るくなる。
どんどん明るくなる。
そして――
それは無数の光の粒へと変わり、ゆっくりと上昇していった。
光の粒は空中をしばらく旋回すると、天井に開いた穴の方向へ向かって、浮かび上がっていった。
「行っちまったな」
ハクさんはその場に立ったまま、光の粒が消えていくのを見ていた。
その表情は複雑だった。
「ハクさん、あいつはどこへ行ったんですか?」
ハクさんは酒壺を持ち上げ、一口飲んだ。
「……知らねぇ」
戦いが終わると、ラジは地面に倒れ込み、大きく息を吐いていた。
「雅人、どうしてあいつの弱点が分かったんだ?」
「猫が教えてくれた」
「猫?」
「ああ。翻訳スキル……どうやら、人間の言葉だけを翻訳できるわけじゃないみたいだ」
ラジはしばらく黙っていた。
そして、笑った。
「お前……最初は、みんなお前が一番役に立たないと思ってたのにな」
「俺もそう思ってた」
「それなのに今は――お前が俺の命を救った」
「ありがとう、雅人」
「礼なんていい。お前がここで死んだら、どうやって一緒に地球へ帰るんだ?」
ラジは一瞬、呆然とした。
そして、大声で笑った。
「その通りだ!」
ハクさんは隣で酒を飲みながら、俺たちを見ていた。
「ほら、笑ってないで。負傷者は早く戻さねぇとな。ここには長くいられねぇ」
そう言うと、ハクさんは酒壺の酒をラジの傷口にかけた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!」
「ちょっと我慢しろ」
ラジの傷口が、目に見える速さで治っていく。
本当に不思議な酒だ。
俺は手を伸ばし、ラジを引き起こした。
「行こう、隊長」
「ああ」
ラジは俺の手を握り、立ち上がった。
第一階層に戻ると、ニーナが他のみんなを連れて入口で待っていた。
俺たちが戻ってくるのを見て、人々から歓声が上がった。
ラジたち負傷者は連れていかれ、さらに治療を受けることになった。
ハクさんの酒も万能というわけではなく、どうやら身体の潜在能力を引き出しているだけらしい。
俺は隅に座り、壁にもたれながら目を閉じた。
今日はあまりにも多くのことが起きた。
疲れた。
でも、収穫はあったかな?
俺はステータス画面を確認しようとした。
? これは何だ?
画面を開くと、ステータス欄にクラゲの形をしたアイコンが一つ増えていた。
『蒼藍傘の……加護?』




