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ITエンジニアの創作体験記

今日は私が過去のエピソードを修正することをやめられない理由を話します。

なぜ、私専用とはいえ、技法の発見を伴いながらも過去のエピソードを、

以前の到達点を、作品という過去の自分を、否定しかねない行為に走るのか、

その衝動の源泉の一つをお話したいです。


キャラクターは設定で固めるのが難しい。


最近、ミナトを書いていて気付いたことがある。


私は最初、キャラクターは背景と価値観、癖などの設定によって作られるものだと思っていた。


慎重な性格。 分析が得意。 仲間思い。


そういう設定を積み上げていけば、その人物になるのだと思っていた。


しかし、実際には足りていなかった。


ミナトの誕生から二十五年分のエピソードを一気に書いた。

その後で十五歳、十六歳のエピソードへ戻り、何度もウォークスルーした。


出来事そのものはほとんど変わらない。

後からエピソードが増えることはある。

だが、一度起きた出来事は基本的に変わらない。


ミナトが迷路を見ることも、 危険を分析することも、 リーンを大切にしていることも、最初から存在していた。


ところが、何度も読み返しているうちに奇妙な現象が起きた。


以前は自然だと思っていた台詞が不自然に見え始めた。


設定は変えていない。

出来事も変えていない。

認知や判断も、大きくは変わっていない。


それなのに、

言葉選びが違う。

思考内容が違う。

視線の向け方が違う。

そう感じるようになった。


例えば、ミナトがリーンを大切にしていることは最初から知っていた。


初期の原稿にも、

「リーンがいてくれる、うん、行ける」

という内心は存在している。

だから価値観を後から追加したわけではない。


しかし、二十五年分の人生を書いた後のミナトを見ると、

同じ場面でも、

「リーンは離れていない」

を確認する。

「ここは見ててくれ」

と思う。

「やって見せる」

と考える。


そういう認知や言葉が自然に出てくる。


面白いのは、

価値観そのものが変わったわけではないことだ。

ミナトは昔からリーンを大切にしていた。

しかし、

その価値観がどの場面で現れるのか。

どのタイミングで思い出されるのか。

どの言葉として漏れ出るのか。

そこが変わっていた。


私は以前、


キャラクターを理解するとは、

設定を理解することだと思っていた。

いや、正確には、設定を精緻に行えば立体化して理解できる と信じていた……。


だが今は少し違っていて、キャラクターを理解するとは、


『価値観が認知や言葉、所作のどこに現れるかを知ること』


を含むのではないかと思い始めている。これは設定に入れにくい。


この変化は、

キャラの経年変化を長期間付き合った結果として起きた。


出来事を増やす。

時間順に追う。

失敗させる。

負担をかける。

選ばせる。

それを繰り返す。


すると作者の中に、設定ではない何かが蓄積されていく。


私はそれを仮に、


「キャラクターの体感モデル」


と呼んでいる。


その状態で、別の実験を行った。

会話中心のシーンを高解像度化する。


私は普段、以下のような変換プロンプトを使っている。


会話を省略しない

感情を説明しない

会話から所作や反応を導出する

認知変化で段落を作る


そうしてシーンを高解像度化すると、時々、強い違和感が現れる。


重要なのは、高解像度化そのものが違和感を生むわけではないことだ。


違和感が出ないシーンもたくさんある。


だが違和感が出た場所には、

高確率で、

キャラクターらしい認知、

キャラクターらしい反応、

キャラクターらしい言葉

が埋まっている。


表出させると、ぐっとくる、また、過去のエピソードを直してしまう。

終わらない……。


だから今の私の仮説はこうだ。


キャラを長期間運用すると、 作者の中に体感モデルが形成される。

その状態でシーンを高解像度化すると、体感モデルと文章のズレが違和感として観測される。


体感モデルが最初からしっかりしていれば、高解像度化は違和感を作らない。


しかし、しっかりしていなければ、違和感を発見する。

あー私が喋らせているな、私がふるまわせているな、キャラを操り人形にしているな……可哀そうだ。という違和感である。


そして違和感が現れた場所には、 そのキャラクターらしい何かがまだ埋まっている可能性が高い。表出させる。すると前後の振る舞いやセリフが変わる。


ぐっとくる。


これはまだ理論ではない。

再現性も十分には分からない。


ただ、少なくともミナトを書いている間に起きた現象としては事実だ。

私は最初、ミナトを理解していると思っていた。


今振り返ると、

私は、設定を理解していた。今と変わらない程度に理解していた。それだけだった。

少なくとも、作者の中に形成される『体感モデル』が足りていなかった。


長期間歩いた後に初めて、


「こいつならこう言う」


ではなく、体感モデルが足されて、


「こいつは絶対にこんなこと言わない」


が分かるようになった。


しかし、これも厄介で、「こいつは絶対にこんなこと言わない」を語録集としての整備、エンジニアとしてはくすぐられたが、すぐにエンジニアとして感じてしまった。計算爆発しそうなP対NP問題の匂いを……。


今回記録しておきたいのは、その体験である。



そして、この体験は、以前、小説開発工程でも呟いた


設計成果物を読者向け文章へ変換する。

出来事構造線と感情構造線の二本線はもう見えない。

なぜなら、台本によって合体した一つのシーンが

文章として、両方を溶け込ませていくから。

そのグラデーションを、人生経験で取捨する感じ。

これも言語化出来たらいいけれど、当面できそうな気がしない。


へ繋がるモノの一つかもしれないと感じ始めている。

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