私は「成立しているもの」が好きだし、「お帰り」と「ただいま」が愛しい
私は「成立しているもの」が好きだ
小説を書いていると、自分が何に感動しているのかが見えてくる。
私の場合、それは最強の剣士でもないし、世界を救う勇者でもない。
もちろん、そういう物語も好きだ。
けれど気づくと私は、もっと違うものを見ている。
例えば、水門だ。
誰かが毎日見回りをしている。
増水すれば開閉する。
壊れれば修理する。
大雨の日は眠れない。
失敗すれば町が沈む。
普段は誰も気にしない。
それでも、回っている。
成り立っている。
私はそういうものに感動する。
例えば冒険者だ。
強い人だけでは遠くへ行けない。
食料がいる。
宿がいる。
武器を直す鍛冶屋がいる。
怪我を治す人がいる。
新人を育てる人がいる。
戦うだけでは世界は回らない。
その裏にある無数の支えによって、冒険は成立する。
私はそういう部分を見てしまう。
だから私の作品では、
「勝った」
よりも、
「帰れた」
の方が重要になる。
強さよりも運用。
火力よりも継続。
英雄よりも共同体。
そういう方向へ物語が寄っていく。
もちろん、私は理屈が好きだ。
魔法を書くときも、
なぜ発動するのか。
なぜ成立するのか。
なぜ壊れるのか。
そんなことを考えてしまう。
制度もそうだ。
教育もそうだ。
軍もそうだ。
産業もそうだ。
私は昔から、
「どう回っているのか」
を見るのが好きだった。
でも最近になって気づいた。
私は成立そのものを描きたいわけではなかった。
成立は目的ではない。
成立は手段だ。
町が成立する。
家庭が成立する。
共同体が成立する。
国家が成立する。
それは全部、その先のためにある。
誰かが扉を開けて、
「ただいま」
と言う。
すると誰かが、
「おかえり」
と返す。
私はその瞬間が好きなのだと思う。
冒険も。
戦争も。
政治も。
魔法も。
技術も。
制度も。
教育も。
全部、その場所を守るためにある。
だから私は、
「ただいま」と「おかえり」が言える場所を残したい。
そのために必要なものが、
補給であり、
運用であり、
教育であり、
制度であり、
そして成立だ。
たぶん私の創作の根っこには、二つのものがある。
「成立」は美学である。
うまく回っていること。
支え合っていること。
壊れずに続いていること。
私はそこに美しさを感じる。
そして、
「ただいま・おかえり」は願いである。
どれだけ遠くへ行っても。
どれだけ大きなことを成し遂げても。
最後には帰ってこられる。
そんな場所が残っていてほしい。
だから私は今日も、
最強の物語ではなく、
少し不器用にでも成り立ち続ける世界と、
そこで生きる人たちを書いている。




