番外編1 結婚式の後に待っていたもの2
「陛下、本当に来るのかな」
私のその言葉にルイザは呆れる。
何を今更。そう言いたげなその顔を見て、私は思わず、顔を背ける。
あの後、私はルイザに引きずられるようにお風呂場へ連れて行かれた。お風呂場では侍女達が待っていて、そこで身体のすみずみまで洗われ、そして今に至る。
ついでに下着と寝着も普段着ている物よりも良い物を着せられた。
つまり、そういうことなんだろう。
私は両手で顔を覆う。
「でも、陛下だって、今日は疲れただろうし、後日にしようとか思わないかな」
「絶対にくると思います。初夜ですよ。遅れても絶対に来ますよ」
「でも、こんなに疲れた日にやりたいと思う?普通はベッドでゆっくり休みたいとか思うでしょう?」
そうだ。そもそも陛下は今までそういうことをしたい素振りを一度もしなかった。
もしかしたら、今日だってこのまま何もしないで終わるかも。
そんなふうに楽観的に考える私を見て、ルイザは深くため息をつく。
「レティシア様」
「なによ」
「はっきり言って、陛下はよく我慢していた方ですよ」
「え?」
「姫様をあれほど溺愛している陛下が一晩を共にした時によく手を出さなかったと皆で感心したものです」
「えええええ!?」
予想外の一言に顔が赤くなる。
何それ!?私、聞いていないんですけど!?
「ちょ、溺愛ってなによ!?」
「どう見てもそうでしょう!?陛下がどれほどレティシア様を大事にされているかなんて、誰の目にも明らかです!というかあそこまでされて全然わかっていない姫様に私は驚愕ですよ!?」
「そ、そうなの!?」
溺愛。そうなのだろうか。
いや、そりゃあ、愛しているって言ってもらったし、私のことすっごく大事にしてくれているとは思うけど。
そこで私は気づく。
「もしかして、陛下もそういうことしたいって思っている?」
私の問いかけにルイザは当たり前だろうという顔をして頷く。それに私は思わず顔をひきつらせる。
ちょっと待って。そりゃあ、一緒に寝た時、ちょっとやばいかなとか思ったけど。でも、そんな。
ふと、陛下と一緒に寝た時のことを思い出す。「これ以上煽られればわからん」そう陛下が言っていたことを思い出し、私は思わずごくりと息をのむ。
あれ?もしかして、陛下、あの時、そうとう我慢していたんじゃ。
まずい。だんだん逃げられる状況じゃなくなってきた。
でも、あの陛下が?あの陛下と私がその、そういうことをするの?
想像しただけで私の顔は真っ赤になる。同時に心臓がやかましくなる。
無理!絶対無理!でも、ここで逃げられる訳がない!
私はルイザに縋るように抱き着く。それにルイザは驚きながらも私を受け止める。
「ルイザ!どうしよう!?やっぱり私には無理よ!やり方もわからないし!このままじゃ陛下になんて言われるか」
「大丈夫です!陛下は例えレティシア様が何をしても許して下さいますから!」
「でも、でも!」
「いいですか!?もしも今夜そういう雰囲気になったら、姫様のやることは一つです!陛下に全てをゆだねて下さい。くれぐれもご自分で何かしようとはしないこと。いいですね。姫様は寝ているだけでいいです!」
「えええええ!?」
いや、わかるけど。ルイザの言いたいことはわかるけど!
「他にも何かあるでしょうが!?」
私は思わずルイザの胸を叩く。ルイザがうっと少しだけ苦しそうにうめいた。
「だ、大丈夫ですって。陛下はきっと優しくして下さいますから」
「そうじゃなくて!」
そういうことじゃないんだよ。
そう言って嘆く私を見て、ルイザは何も言わず、そっと私の手を自分の身体から引きはがす。そして私から素早く離れる。
止める間もなかった。
えっと思って、ルイザを見れば、にっこりとすがすがしい笑顔を浮かべていた。
「それでは私はこれで失礼します。レティシア様、いいですか、朝の心配は何もしなくていいですから!終わった後のことは私に任せて下さい!」
ルイザは笑顔でそう言うと私を置いて、さっさと部屋から出て行く。私はその姿を呆然と見送る。
朝の心配って、何よ。後のことは任せろって一体何なのよ!?
「ちょっと待ってよ!」
まだ心の準備ができてないって!
とはいえ、いつまでもルイザにここにいてもらう訳にもいかない。仕方なく、私は一人、陛下が来るのを待つ。
でも、一人になるとなおさら、落ち着かない。
私はそわそわと身体を動かす。
落ち着かない。全然落ち着かない。
大丈夫。ここまできたら、もうルイザの言うとおりにするしかない。やることはひとつ。私は陛下に身をゆだねればいいだけ。あとは陛下が勝手にしてくれるはず。
大丈夫。大丈夫だとは、思っているけど。
「でも、本当にそれで大丈夫なの!?」
そもそも、考えてみて!あの陛下よ!あの陛下とそういうことするのよ!?
「あああああ!無理!!」
違うの!そういう行為を陛下としたくない訳じゃないの!そうゆうんじゃないの!
でも、あれだけかっこいい相手とそういうことをすると思うと、なんだか自分が相手として酷く不十分に思えるというか!
私は自分の身体をちらりと見る。実年齢よりも貧相な身体がそこにはあった。
そう、胸も真っ平らで、でるべきところが全く出ていない。残念ながら私の身体は女性として魅力的な身体ではなかった。
「これで、実際やってみたらやっぱりお前じゃ無理だとか言われたらどうしよう」
いやいや、陛下に限ってそんなこと。
で、でも、男の人は胸が大きいのが好きだって前世でみんな言っていたし。ないよりはあった方が絶対にいいはずだし。
そんなことを思いだすと私はいてもたってもいられず、立ち上がる。
そのまま意味もなく部屋の中をうろうろと歩き回る。
無駄に部屋の中を何十回と往復しながら、訳のわからない思考をどれだけしたことだろう。
不意に部屋の扉がノックされた。
陛下だ。
顔から血の気がひく。
もうその時が来てしまったのだ。
「レティシア、入るぞ」
聞き慣れた声とともに扉が開く。
陛下が入ってきてしまう。そう思った瞬間、私の身体は無意識に動いていた。
やっぱり無理!無理だって!
私は扉に向かって走り出す。開きかけた扉を何とかして閉ざそうとする。
しかし、当然ながら間に合うはずがない。私が止める前に扉が開く。
と、その時、目の前に開かれた扉が迫った。
あ、あれ?
しまったと思った時には遅かった。
扉はそのまま開ききり、私の顔面に直撃した。
鼻に鈍い痛みが走る。思わず、顔面を押さえながら、私はその場にうずくまる。
「レティシア!?」
陛下の驚いた声がする。何があったのかすぐに分かったのだろう。
陛下は酷く慌てた様子で部屋の中に入り、うずくまる私に駆け寄る。
「この阿呆が!何故扉のすぐそばにいるのだ!?」
「っ!?」
「どうした!?顔が痛むのか!?」
陛下が心配げな声でそう言いながら、私の顔をのぞきこもうとする。それに私は慌てて、両手で顔を隠したまま、俯く。
まずい。ほんとうにまずい。
痛みもまずいけど、それ以上にまずいものがある。
鼻が痛い。そしてそこから流れ落ちる生暖かなもの。
見ていないけど、それが何かわかる。
血だ。
そう、私は扉に鼻をぶつけ、今まさに鼻血を出していた。
「レティシア、大丈夫か!?」
「大丈夫ですから!陛下は離れて下さい!」
まずい。まずいって。
初夜だよ!初夜!初夜の日に鼻血だして、それどころじゃないとかもう笑えないんですけど!?
どうするのよ、これ!?
「手をどけて、傷を見せろ!」
「見せる訳ないでしょう!?いいから、離れて!」
「何を言っている!?いいから見せろ!」
「嫌だって!」
私は鼻血が出ていることを陛下に知られたくなくて、必死に隠そうとする。
それなのに陛下ときたら、何を思ったのか、私の両手を無理矢理にはずしにかかる。
私は必死に抵抗したけど、残念ながら私と陛下では力の差は歴然だった。しばらく私も頑張ったが、最後にはあっさりと手がはずされた。
同時に手で押さえていた鼻血が流れ落ち、私の寝着を汚す。
終わった。
流れ落ちる血に陛下はぎょっとしたが、すぐにそれが鼻血だと気付いたのだろう。
陛下はほっとしたような顔をする。
「良かった。怪我はそこだけか?」
「……ない」
「レティシア?」
「全然良くないでしょう!!」
私は再び鼻を両手で覆いながら、陛下を睨む。
何が良かっただ。全然良くない!
「離れてって言ったのに!」
「おい。お前は何を怒っているのだ?」
「怒ってないですよ!ただ、情けなくなっているだけですよ!初夜なのに鼻血出して!鼻血ですよ!?鼻血!もう恥ずかしい!」
「そんなに見られるのが嫌だったのか?」
「当たり前でしょう!?好きな人に鼻血出しているところを見られたい女性がいると思います!?もうやだあ!」
もう、泣きたい。というか泣いている。
涙ぐむ私を陛下は呆然と見る。
引かれただろうか。
いや、そうだよね。鼻血はないよね。さすがにない。うん、誰だって引く。
もう、本当に最悪だ。
そう思っている時、陛下がぽつりと呟く。
「好きな人か」
「え?」
「そうか。そうなのか」
陛下はなにやらしきりそう呟いた後、不意に大きな声で笑う。突然のそれに私はただただ驚く。
え、何?急にどうしたの!?怖いんですけど!?
私の混乱をよそに陛下は上機嫌だ。嬉しそうに笑いながら、座り込む私に近寄り、そっと抱き寄せる。
「ちょっ!?陛下!近づかないで下さい!血がつきますから!」
「分かったから落ち着け。大丈夫だ」
「全然大丈夫じゃないんですけど!?」
「大丈夫だ。大丈夫だから」
そう言って陛下は私を抱きしめたまま背中をぽんぽんと軽く叩く。それが優しくて、逆にたまらなくなる。
「違うんですよ、別にやましいことを考えていた訳じゃないですよ。これは扉が鼻にぶつかっただけで、それだけで」
「わかっている」
「陛下が急にきたから驚いて、それで、つい扉に近づきすぎちゃっただけなんです」
「そうなのか」
「別に初夜が怖かったとか、そういうんじゃないんです。ただちょっと不安だっただけで、嫌とかじゃないんですからね」
「そうか、わかった」
陛下は私の訳のわからない言い訳をただただ聞いていた。
私が何を言っても、わかっている、大丈夫だと言って、私の背を叩き続ける。
次第に焦っていた心が徐々に落ち着いてくる。
不思議なものだ。あんなにももう駄目だと思っていたのに。陛下に大丈夫だと言われると本当に些細なことの様に思えてくる。
私はもう途中から考えるのを止めた。そうやって抱きしめられて、背中を叩かれるのが心地よくて、しばらく黙ってそうされていた。
どれだけそうしていただろう。気付けば鼻血は止まっていた。痛みももうない。
とはいえ、情けない状態なのは変わっていないけど。
ちらりと陛下を見れば、陛下は静かに私を見返してきた。
「落ち着いたか?」
「はい」
「痛みは?」
「大丈夫です」
「血は?」
「止まりました」
「そうか」
陛下は穏やかな表情でそう言い、笑う。
少なくとも鼻血を流した私を見て、幻滅した訳ではなさそうだ。
それに少しだけ、私は安心した。




