62.陛下のご命令ですから
しばらくして陛下はようやく泣き止んだ。
顔を上げた時、それまでの苦痛な様子はなく、いつもの不愛想な顔に戻っていた。少しその目が赤いのはまあ、仕方ないだろう。私の時なんて目を腫らすまで泣いていたから、それに比べればまだましな方だろう。
陛下は立ち上がると、そのまま自分もベッドの上にいき、自分の方に引き寄せ、そのまま私を後ろから抱きしめる。
本当は恥ずかしくて、やめてほしかったが、そこはお詫びということで我慢し、陛下の好きにさせてあげた。
そしてそれからずっと陛下は私を後ろから抱きしめたまま、私の髪をいじったり、その手や頬に触れたりして遊んでいる。
まあ、それで陛下が元気になるなら私は別にいいけど。なんかお気に入りのぬいぐるみか何かになった気分だ。
「すまなかった」
しばらくそうして陛下の好きにさせていたら、不意にそんなことを言った。
私は陛下の方を見る。陛下はどこか苦々し気に言う。
「守るといって、余は何もできなかった」
後悔するようにそう言う陛下に私はため息をつく。
本当に陛下は全くわかっていない。
「そんなことないですよ」
私がそう言うと陛下はちらりと私を見る。どこか自信ないその目に私は思わず笑ってしまう。
普段はあんなに威圧的な目で相手を睨んでいるくせに。
私は笑いながら、陛下の顔をじいっと見ながら言う。
「来てくれたじゃないですか。ちゃんと私のピンチの時に」
そう、絶対に来てくれる。そう信じてはいたけど、ほんの少しも疑わなかったと言われれば嘘だ。正直、本当に来てくれるまで不安はずっとあった。
「陛下があの場に来てくれたから、私はあんなことできたんですよ」
そうだ。もしも陛下がいなければ、あんなふうに私は言い返せただろうか。陛下がいなければ、あんな大胆な行動ができただろうか。
陛下がいたからこそあんなことができたのだ。
「陛下、ありがとうございます。助けに来てくれて」
私がそう言うと陛下は苦笑する。そして「そうか」と言って、そっと私の手に自分の手を重ねる。
「お前は本当に無茶ばかりする」
「それは、その、本当にごめんなさい」
「だいたい、なんだ?あの投げ技は?」
「柔道っていうんですよ。なんなら陛下にも教えてあげましょうか?」
そう、前世の時に4年に1度のスポーツの祭典で柔道が金メダルをとったことに感動し、私は柔道を始めた。
柔道を始めたと言った時の後輩のひきつった笑顔を今でもしっかり覚えている。「いったいそんなの覚えてどうするんですか」とあの時は言われたが、今は堂々と役に立ったでしょうと言い返せる。
そんな懐かしい記憶を思い出していると不意に陛下がじっと私の左肩を見ていることに気付いた。
「痛むか?」
陛下は痛みをこらえるような顔をして私にそう言う。
怪我したのは私だというのに。
「大丈夫ですよ」
別に怪我じたいはそこまで気にしていない。むしろさっきも言ったが自業自得だ。これはもうしょうがないと思う。
ただ1つだけ気にしていることがある。
「その、傷が残るかもしれないですけど」
私はちらりと陛下を見る。この世界では女性に傷跡が残ることを重く考える。実際身体に傷がついただけで、婚約破棄だってありえるのだ。
まさか陛下がそんなことをするとは思っていないけど。
思ってはないんだけど。
私の心配に陛下も気付いたのだろう。思いっきり顔をしかめ、私を見る。
「余はそんなもの気にしない」
わかっていたことだ。陛下はそんな人じゃない。
そうわかっていたことだけど。実際そうやって言葉にしてもらえると、酷く安心できた。
ついでに私はこの際、ずっと心に引っかかっていたことも聞いてみることにした。
ずっと陛下に聞きたいと思っていたことを。
「あの、陛下」
「なんだ?」
「その、もうわかっていると思いますけど、私たぶん普通の姫君とは違うんです」
そう違う。普通の姫君は料理や畑仕事はしない。運動だってしないだろうし、筋トレなんてもっての他だろう。おまけにこんな身体を張るような無茶は絶対にしない。
それでも、それが私だから。
普通の姫とは違い、そうゆうことをしてしまうのが、私だから。
「それでも私をそばにおいてくれますか?」
私のその言葉に陛下はすぐに返事を返してくれなかった。陛下は無表情で私を見る。
もしかして、迷っている?
予想外の態度に耐えきれず私は俯く。
まさかここで駄目だなんて言われたらどうしよう。
え、祖国に帰る?ここまで来て!?でも、今更姫らしくしろと言われてもたぶん無理だし。
そうやって色んなことを考えているとぽんと頭を軽く叩かれた。
「陛下?」
「阿呆が。今更何を言っているのだ」
その言葉に勇気づけられ、私は顔を上げる。陛下はとてもとても優しい笑顔を浮かべ、私を見つめる。そして陛下は笑ったまま、私に囁くように言う。
「お前を手放す訳がないだろう」
返されたその言葉に私を思わず、ぎゅうと唇を噛みしめる。
幸せだと思った。結婚するのが本当にこの人で良かったと。
心の底からそう思った。
もう本当に困っちゃうな。
陛下がいつも以上に私を甘やかすから、私もついつい調子にのってしまう。
「陛下、私のこと好きですか?」
「ほお。王にそのような戯れ言を聞くか?」
「聞きますよ。まだちゃんと言われてないですし」
答えはもちろん私だってわかっている。陛下は態度でいくらでも示してくれたし、最近ではそれに近い言葉もたくさん言ってくれた。でも、まだその決定的な言葉は聞いていない。
陛下は笑いながら、私を挑むように見る。
「お前はどうだ?」
「私は、もう、わかるじゃないですか」
「余も聞いていないが?」
「っ!?」
そう、実は私も陛下のことを好きだとは言ったことがない。
それに近い言葉や態度はたくさんあったんだけどね。
どうやら聞きたいのならまず、お前から言えということらしい。陛下は私の言葉を今か今かと待っている。その目は期待に満ちていて、今更言えないとは言えない。
私はついに観念した。
「す、好きですよ」
「そうか」
陛下はとっても嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、私の胸も暖かくなり、嬉しくなる。しかし肝心の言葉はいくら待っても来ない。
「あの陛下?」
「なんだ?」
陛下はにやりと笑う。その意地の悪そうな笑みに私は自分がまんまと引っかかったことに気付いた。
「ちょっ!?私にだけ言わせておいて自分は!?」
「お前は余の名前さえまともに呼ばぬだろう」
「それとこれとは関係ないでしょう!?」
確かに名前を呼ばないのは悪いと思うけど、それとこれとは別の問題だ。
しかし陛下はそう思っていないようで、私の返答に不満げな顔をする。
「なら、今呼べ」
「え、今?」
「呼べぬのか?」
いや、呼べない訳じゃないけど。
私はそおっと視線をそらす。いざやれと言われると結構恥ずかしいし。
陛下は私を黙ってじいっと見ている。どうやら陛下は相当名前で呼んで欲しいらしい。あの塔の時もしつこく言っていたからな。
私は大きく息を吸うと、覚悟を決め、口を開く。
「ぎ、ぎる」
陛下は無言で私の顔をこれでもかというほど見る。
それがよけいに緊張する原因になるのに。でも、ここで止めるのは。もう勢いだ。勢い。
私はぎゅうと目を閉じ、勢いよく思いっきり言う。
「ぎるべ、ると」
そして思いっきり噛んだ。顔がかあと赤くなる。まさか大事なとこでああも噛むとは。
あまりにも情けないでしょう!?
そう思っていると陛下が吹き出し、声を出して笑う。陛下の笑い声が部屋に溢れる。それに私は慌てて怒る。
「笑わないで下さい!」
「すまん」
そう言いつつ、陛下の笑いはなかなかおさまらない。私はむうと頬を膨らませる。しばらくして、ようやく笑い止むと私の頭をあやすように撫でる。
「よくやった。よく呼んだな」
ほめ方が雑だ。やっぱり陛下は私を犬かなにかだと思っているんじゃないだろうか。
「今度からもっと呼べ。そうすればそのうち慣れる」
「慣れるまでが大変なんですよ!?」
「毎日呼び続ければ、すぐ慣れるぞ?」
「もう!勝手なことばっかり言って!それで陛下の答えをまだ聞いてないんですけど!?」
私のその言葉に陛下は「そうだったな」と上機嫌な顔で答える。そして、そっと私の前髪を持ち上げ、額にキスをした。それから目に、頬に顔中にキスを落とす。
あれ?これ?違うでしょう!?何でこうなるのよ!?
私は慌てて陛下を止める、陛下は面白がるように私を見る。
「どうした?」
「どうしたじゃないですよ!?何なんですか、これは!?」
「お前に余の気持ちがわかるように、しているが?」
「いやいや、言葉でお願いしますよ!だいたいそんなことされたら!」
「されたら何だ?」
わくわくしたような陛下のその目に私は思いっきり苦い顔をする。
この人は完全に遊んでいる。私で。
「もう、いいですよ!」
「すねるな」
「すねてないです!」
このままでは危険だ。そう思い私は陛下から離れようと身体を起こすが、私が離れるよりも早く、陛下は私を抱きしめ直し、すぐに元の位置に戻す。
「レティシア」
陛下はそっと耳元で私の名前を呼ぶ。
「何ですか!?」
私は若干きれながら返す。
もう本当に、いちいち耳元で囁くのは止めてほしい!心臓にとっても悪いんだから!
もう既にいっぱいいっぱいで、早くこの甘い時間が終わらないかと思っている私を陛下は更に追い詰める。
陛下は私を見下ろしながら、懇願するように言う。
「口づけをしてもいいか?」
「はい?」
今なんて言った。思わず、陛下の方を見る。陛下は静かに私を見つめ返す。
「今度は罰則でなく、余の願いだ」
そう言って陛下は切なげな顔をして私を見る。
その顔はずるいでしょう!?
「嫌か?」
耳元で囁かれる、かすれた低い声。
その声もずるいでしょうが!?
陛下のあまりの態度に、私の心臓がぎゅうとなる。
もう、断ることなんてできるはずがなかった。
「嫌じゃ……ないです」
私がそう答えると同時に陛下はそっと私の顎を持ち上げ、上を向かせる。そしてそのまま唇を重ねた。
2度目のキスは1度目のキスよりも長かった。唇を重ねたまま、時間がゆっくりすぎる。そして私は耐えきれず陛下の頭をばんばんと叩く。
長い!長すぎる!死ぬから!このままだと、窒息するから!この状態で鼻呼吸するとかレベル高すぎるから!無理だから!だから早く、早く唇を離して!
私の必死の訴えに陛下は気付いたのかようやく唇が離れる。それと同時に私は思いっきり、深呼吸をする。
こわいっ!キスこわっ!キスで窒息死とかさすがに笑えないんですけど!?
いや、陛下はいいですよ。余裕ですから。
でも、私は無理!こんなこと何回もやったら死ぬ!絶対に!
抗議しようと思って、振り返り、陛下の顔を見る。しかしその顔があまりの予想外で、私は思わず固まる。
陛下も息が切れていた。どうやら陛下も息を止めていたらしい。その顔は酷く焦ったようなもので、思っていた余裕は全くない。おまけにその顔がやたらと赤い。
「陛下?」
大丈夫と続くはずだった言葉が口から発せられる前に消える。
一瞬、本当に一瞬だった。陛下は私を抱き上げたと思うと、そのままベッドへと押し倒した。そしてすぐに陛下が上に覆い被さる。
「え、あの?え?」
まさか。まだ2回目のキスですよ!?それで、まさか、え!?いやいや知識はあるけど、でも急にそんな。
完全にパニックになる私をよそに陛下の切羽詰まった顔が近づく。
ええ!?まさかこのまま!?そんなことってある!?
この後どうなるかを考え、私は耐えきれずぎゅうと目を閉じる。
目を閉じてしばらくして、とんと軽く胸に衝撃がくる。思っていたのと違うその衝撃に、なんだと思って目を開けると陛下が私の胸に顔を埋めていた。
それだけである。後は何もない。
「えっと、陛下?」
うん、えっと、どうしよう。これは逃げるべきかな。それとも、このままでいるべきか。
しばらくそのままどうするべきか考えていると陛下が大きく息をつく。そしてそのまま、私を抱きしめるとそのまま自分もベッドに寝転んだ。
いわゆる抱き枕状態である。
「って、やっぱり私、ぬいぐるみじゃない!?」
「何を言っている?」
いやいや何をとか言いたいのは私だから!急に押し倒して、あげく最後は抱き枕!?訳が分からないから!?
「ちょ、陛下これは何ですか!?」
「抱きしめているが?」
「えっと、一緒に寝てないですか!?これって同衾ですよね!?さすがに結婚前にまずいんじゃ!?」
「いくら余でも婚儀前に手を出すようなことはせん」
「本当です!?めちゃくちゃ手出そうとしていたように思いましたけど!?」
「お前がこれ以上煽ればわからん」
「い、今すぐ出ていきます!」
私は慌てて陛下の腕の中から逃れようともがく。しかし陛下はぎゅうと私を抱きしめ、絶対に離さない。
お気に入りのぬいぐるみをとられまいとする子供のような態度に私はもう色々と諦めた。
「あの、陛下?」
「なんだ?」
「私、離宮に戻らないといけないんですけど」
王妃は半年間離宮に籠もらなければいけない。アルフガルト王国の古い習慣である。
それによって、私はずっと離宮で陛下と別に過ごしていたはずなんだけど。
陛下だって、もちろんわかっているはずだ。それなのに、ちっとも私を離そうとしない。どうしようと思っていると陛下が小さな声でぽつりと言う。
「今夜はここにいろ」
「それって、ルール違反じゃないですか?」
私の言葉に返答はない。私は大きなため息をつく。
まあ、いいか。
だって、陛下は私を離す気が全くないし、陛下自身が手を出さないと言っているし、どうせみんなに怒られるのは陛下だし。私はもう知らない。
それにちょうど眠くなってきたし。
「しかたないですね。まあ、陛下の命令ですから」
そう言って私は目を閉じる。陛下はぎゅうと私を抱きしめたままだ。
すぐそばに人のぬくもりを感じる。それが心地いい。
そんなに強く抱きしめなくてもなくなったりしないのに。まあ、陛下は心配症だから仕方ないか。
そんなことを考えているとそのうちまぶたが重くなって、私は気付くと深い眠りに落ちていた。
「レティシア」
しばらくしてギルベルトはそっと声をかける。返事はない。かわりに小さな寝息が聞こえた。
ギルベルトはそっとその顔をのぞき込む。レティシアは目を閉じ、動かない。
「眠ったか?」
見ればわかることをあえて尋ねる。もちろん返事はない。ギルベルトは小さく息を吐くとそっとレティシアの頬を撫でる。
大切そうに、愛おしげに、優しくそっと、その無骨な指で何度も撫でる。
「レティシア。余の妃よ」
ギルベルトはそっと耳元で囁く。レティシアは身じろぎ一つせず、眠っている。それにギルベルトは思わず笑みを浮かべる。
「やっとお前が手に入る」
それはまさにギルベルトにとって感無量の思いだった。
ずっと孤独に耐え、必死に王として生きてきたギルベルトにとって、それはけして手に入らないものだと、とうの昔に諦めていたものだ。
それが今、自分の腕の中にある。それはもはや言葉に言い合わせぬ程の喜びである。
やっと手に入れた。
腕の中のものを大事に大事に抱きしめながら、ギルベルトは幸せに満ちた笑みを浮かべた。




