61.私は何度でもそう答える
私が運ばれた先は陛下の寝室だった。
さすがは王様の寝室である。無駄に広いし、豪華だし、煌びやかである。普段なら目を輝かせるところだが、今の私にはその部屋をゆっくりと見る心の余裕がない。
陛下は私を中央に置かれた広いベッドにおろす。すぐに医者がやってきた。
医者は私の傷を見る。幸いそれほど深く切ったわけではなかったらしい。すぐに処置をしてくれた。しばらくすれば傷自体はすぐ治るといわれた。ただし。
「跡は残るかもしれません」
医者が言いにくそうに言った一言。それに私は思わず固まる。
傷跡。それは前世の世界であれば深く考えなかっただろう。しかし、この世界では違う。女性の身体に少しでも傷がつけばそれだけで敬遠される危険性がある。
陛下はそれに対し、何も言わなかった。ただ医者が私を見ている間も陛下は私に付き添い、ずっとそばにいてくれた。
それだけで嬉しかった。
医者が処置を終え、部屋から出ていく。
部屋に残されたのは私と陛下の2人だけ。重い沈黙が流れる。
早く謝らなければいけない。そう思うのになかなか声がでない。緊張で身体が震える。陛下はしばらく無言で立っていたが、やがて、私の元へくると膝をつき、私と視線をわざわざ合わせる。
「余は会場内からけして出るなとそう言ったな」
静かな声だった。その声は淡々としていて、それが余計に怖く感じられた。
私は陛下がこっちを見ていることに気づきながらも、顔を上げることができない。
「目の届くところにいろとも言った」
その通りだ。そう言われたのに、それを守らなかったのは私だ。身体が震える。寒さや痛みからではない。恐怖からだ。
怖い。嫌われたかもしれない。この人に。
それが怖かった。
「何故あんなところにいたのだ?」
陛下は問いかける。それに答えなければと思い、顔を上げる、そして陛下と目が合い、凍った。
陛下は怒りに満ちた顔で私を真っすぐと睨んでいた。
「お前は何を考えているのだ!?」
陛下の怒声が響く。陛下はそのまま私の肩をつかみ、顔を覗き込む。新緑の緑色の瞳が憤怒に染まり、私を睨む。
左肩は強くつかまれたわけではなかったが痛みが走る。
「お前はわかっているのか!?死んでいたかもしれないのだぞ!?」
陛下はそう言うと力のかぎり叫ぶ。
「何故、じっとしていない!?何故大人しくできない!?何故無茶ばかりするのだ!?」
私は何も言えなかった。陛下の言う通りだ。私はあれだけ陛下に言われて、心配されているのがわかっていながら、また無茶をしてしまった。
陛下に心配をさせてしまったのだ。
「やはりお前を夜会などに出すべきじゃなかった!」
陛下はそう苦痛に満ちた顔で言う。それまで怒られることに対して怯えていた私だったが、その妙な違和感に気づく。
陛下は私に怒っていたはずだ。さっきまでは確かに私に怒鳴っていたはずだ。
それが何かが可笑しい。
「許すべきではなかったのだ!それを!」
陛下はそう言い、責める。そこで私は気付いた。陛下は確かに責めている。しかしその相手は私ではない。
私はそれに気付くと思わず「陛下」と呼ぶ。しかし彼はこちらを見ない。それどころか私が呼んでいることにさえ気づかない。
「そうしなければこんなことには!」
そう苦し気に言う。本当に苦しそうに。
まるで自らの胸を鋭利な刃物で自ら刺すように。
「こんなことにはならなかった!」
「陛下!!!」
私は力の限り叫んだ。ようやく私が呼んだことに気づき、陛下は押し黙る。すぐそばにある陛下の顔を今度は私が覗き込む。
顔が触れるほど近づけ、そして私ははっきりと言う。
「私の話を聞いて!」
陛下の目が揺らぐ。まだその顔は苦し気で、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。
「本当にごめんなさい。私、陛下に言われたことを守らなかったし、もう無茶しないって約束も守れなかったわ」
陛下は静かに私を見る。私は目をそらさずに言う。
「全部私のせいなの。怪我したのも私の自業自得。だから陛下が私を怒るのは当然だし、私を責めるのも構わないわ」
そうそれはいい。私のせいだ。私がいけない。だからそれはいい。
でもと言い、私は陛下を真っすぐと見たまま言う。
「自分を責めるのは許さないから」
私の言葉に陛下は目を見開く。唇が震える。何か言いかけ、口を開くが、結局言葉にできなかったのか、何も言わぬまま口を閉じる。
「陛下は何にも悪くないんですから、自分を責めるのは止めて下さい!」
はっきりと大きな声でそう言った。それに陛下は何も答えない。
「悪いのは私だから!陛下は何にも悪くないですから!」
私がそう言うと陛下は何かに耐えるようにぎゅうと目を閉じる。そして私の胸にそっと自分の顔を押し付ける。
「なら何故あんなことをしたのだ?」
陛下の声は震えていた。いつもの威厳に満ちた声とは違う。酷く弱々しい声だった。
「何故あの時、言い返した?」
陛下の身体が震える。陛下は私の胸に顔を押し付けている為、私からは全く表情が見えない。だから陛下が今どんな顔をしているかわからない。
それでもきっといつもの陛下らしくない顔をしているとわかった。
私はそっと陛下の肩に手をやり、大きな体を抱きしめる。当然私が精一杯手を伸ばしても、陛下の身体を覆うことはできない。それでもどうにかその背に手を回す。
「言い返しちゃいけないってわかっていたんですけどね」
私はそう言いながら自嘲気味に笑う。我ながら自分の頑固さに笑ってしまう。それでもと思う。
その思いの強さがなければ、きっとここまでこれなかっただろう。
「私は何度言われても、ああ言い返しますよ」
そう例え、あんな状況でも、もっと酷い状態であっても、私はそう返すに決まっている。
だって。
「嘘でも貴方を諦めるなんて、言いたくないから」
私はそう言い切る。それに陛下は息をのみ、声を押し殺す。陛下はそれっきり何も言わない。大丈夫かなと上から見ていると陛下が弱々しい声で私の名前を呼ぶ。
「レティシア」
「はい」
「余はお前が大事だ。何よりも誰よりも、お前が大事だ」
知っている。陛下は本当に私を大事に思っていてくれている。そうでなければここまで心配なんかしない。
痛いほどそれはわかっている。
「だが余は王だ。お前よりも国を優先させねばならん」
続けられたその声はとても苦しそうだった。それもわかっている。陛下は王だ。王が最も優先させるべきはいつだって国が一番だ。そしてそれ故、あらゆるものを切り捨てなければいけない。
「王であるがゆえ、余は時に大切な者を切り捨てなければいけない。どんなに信用している臣下であっても、どんなに大事な王妃であっても、国の為に捨てなければいけない」
陛下は苦し気に呻くようにそう言う。小刻みに身体が震え、顔は見えなくても怯えていることがわかる。
そう、陛下はそうやって生きてきたのだ。
国の為に他者を切り捨て、そして同時に自身の気持ちも切り捨ててきた。
そうやって生きてきた人だ。
「その重責が、その辛さが、その苦しみが、お前にわかるか?」
わかるはずがない。私は王ではない。それほどの覚悟も生き方も私にはわかる訳がない。それでも、その苦しみを理解できなくても寄り添うことはできる。
私は陛下の背を軽く叩く。ちゃんとここにいるよとわかるように何度も何度も叩く。
「余は王だ。死ぬまでそうだ。けして王でなくなることはない」
そうだ。陛下は王だから。その生き方から逃れられない。
その苦しさが、辛さが、痛いほどにわかって、私は自分のことでもないのに苦しくなった。
「だが、お前といる時だけは、自分が王であることを忘れることができた。褒められることではないが」
陛下が少しだけ声を出して笑う。それが酷く嬉しかった。
私がいることで少しでも陛下の気が紛れたのなら、それ以上に嬉しいことはない。
「だからお前が大事だ。お前を失いたくない。頼む。余にお前を失わせないでくれ」
それはもはや懇願に近かった。かすれた弱々しい声で陛下は祈るようにそう言う。
私はそれに答えず、黙って、その背を叩く。前に私が泣いた時に陛下がそうしてくれたように優しく、小さな子供をあやすように叩く。
「陛下、その、先に謝らないといけないんですけど」
私は陛下の背を叩きながらそう言う。申し訳ないなと思いつつも、言わない訳にはいかない。
「今日ので思ったんですけど、たぶん私、また無茶すると思います」
私の言葉に陛下の身体が大きくびくりとはねた。それに気づき、私は慌てて付け足す。
「できるだけしないようにしますよ!?でも、性分というか、自分でもしないようにしていてもとっさに身体動いちゃうことがあるので」
「なんで……お前は、そうなのだ……」
陛下が震える声でそう言う。気のせいかその声が若干涙声だ。
私は慌てて謝りながら、その背を慰めるように叩く。
とはいえ、嘘を言っても仕方ない。それで例え陛下が安心できるとしても、そんなものはいずればれる。その度に陛下が傷つくぐらいならそんな約束はしない方がいい。
そのかわりに。私はずっと思っていたことを口にする。
「でも。一つだけ約束できますよ」
そう絶対に守れる自信があることがある。私ははっきりと陛下に言う。
「もしも私を切り捨てなければいけない場面になったら、迷わず私を切り捨てて下さい」
私のその言葉に陛下は私の背に腕を回し、きつく抱きしめる。言葉にしなくても、そんなことはしたくないと言うのが、ありありとわかった。私はそれに笑って答える。
「でも、安心して下さい!私は例え貴方に切り捨てられたとしても必ず貴方の元に戻ってきますから!」
そう、それだけは言い切れる。
そもそもお姫様のようにただ助けを待つだけなんて、私の性分ではないのだ。おとぎ話の様に王子様が来るまで待ってろなんて言われても、私は待たない。自分で脱出してみせる。そして自分で帰ってみせる。私はただ守られる姫君になる気はない。
もしも陛下に何かあれば逆に私が助けに行くぐらいはしてみせる。
「これは約束できますよ!」
自信満々でそう私は言い切る。陛下は何も言わない。
「陛下?」
私は再度呼ぶが、やはり返事はない。
どうしよう。もしかしてそういうことじゃねえよとか思ってる?それか、また怒らせたとか?
どうしたものかと思っていると、陛下の身体が震え、微かな声が聞こえた。耳を澄ませば、微かにむせび泣くような声が聞こえる。必死に声を押し殺そうとして、それでも漏れてしまうその声を私は黙って聞きながら、気付いていないふりをする。
かわりに私はそっと陛下の頭を撫でる。
前に陛下にしてもらった時とても嬉しかったから、これはそのお返しだ。まあ、私も人の頭なんて、撫でた経験がないから、どれぐらいの力加減でやればいいかわからないけど、少なくとも陛下の1回目に比べればましなはず。
陛下は嫌がらなかった。だから私は撫で続ける。自然に視線は撫でている髪へといく。
太陽が溶けたみたいにきらきらしている陛下の金髪の髪を実は私は結構気に入っている。染めた色とは全然違う、それは本当に鮮やかで綺麗な色だから。
私は陛下が泣き止むまで、飽きもせず陛下の頭を撫で続けた。




