54.生まれて初めての恐怖
花嫁衣装の仮縫いから数日、ギルベルトの元にある物が届いた。
何の飾りげもない白い封筒。その封筒には少し曲がったような字で自分の名前と差出人の名前が書かれている。
ギルベルトが送った物に比べるとやや粗末な印象を受けるが、しかし受け取った当人は酷く嬉しそうにその封筒を眺める。
オーランドもそれに気づき、その封筒を見る。
「陛下どうされたのですか?」
「あれから手紙がきた」
「レティシア様からですか?」
そう言えば手紙のやりとりをするようになったと楽しげに語っていたなとオーランドは思い出す。
よほど嬉しいのだろう。いつものギルベルトからは想像できないほど、その顔は緩んでいる。
その様子にオーランドはやれやれと首を振り、ため息をつく。
そんなオーランドをよそに、ギルベルトはようやく封筒を開け、中身を確認した。そして思わず吹き出す。
ギルベルトが送った物に比べればだいぶ拙い文章であるが、それでもおそらく必死に書いたのだろう。ところどころ何度も書き直した跡が見つけられる。ギルベルトはそっと指でその文章を愛おしげになぞる。
「それでなんと?」
「余の花婿衣装が楽しみだと」
「それはそれは良かったですね」
実際の文章ではもっとケンカ口調で書かれていた。自分の花嫁衣装を見せたのだから当然陛下も見せてくれるんでしょうね。といった感じだ。
しかしそれすらギルベルトは嬉しいらしい。
レティシアらしいその文章からは、いつもの彼女の姿を思い浮かべることができ、ギルベルトはまた笑う。
手紙を読み終え、封筒の中に戻そうとすると中に何か入っていることに気付いた。
ギルベルトはそれを取り出す。中にはカードのような物が入っていた。シロナの花で作られた押し花がいくつも貼られたそれは、この世界では珍しい。
レティシアが自ら作った物だ。色々もらったお礼にと書かれていた。ギルベルトはそれを嬉しそうに眺める。
あらゆるものが望めば手に入る彼にとって、彼女からの素朴で些細な贈り物は逆に珍しく、そしてそれを彼女がわざわざ作った物だと知ると思わず笑みがこぼれる。
今度は何か贈り物を考えなければ。そんなことをギルベルトが考えているとオーランドが近づく。その顔はやや硬い。
「陛下」
「何だ?」
ギルベルトはカードと手紙を大事に封筒にしまうとオーランドの方を見る。オーランドはやや言いにくそうに口を開く。
「今度の夜会ですが、姫様にも出て頂いた方が良いかと思います」
オーランドのその言葉に封筒を持つギルベルトの手が一瞬震えた。顔は無表情のままだ。しかし内心酷く動揺していた。
「必要ない」
「しかし、婚儀前ですし今一度顔を出した方が良いです」
オーランドの言うことはもっともだった。
レティシアはゆくゆくこの国の王妃になるのだ。そうすれば嫌でも貴族達とも関係をもつことになる。顔を見せておくにこしたことはない。そうギルベルトも理屈ではわかっているのだ。
しかしそれをどうしてもギルベルトはのむことが出来なかった。
「既にいくつかの舞踏会や夜会を欠席しております。最後ですし、出て頂くべきです」
オーランドは間違っていない。ギルベルトが気をもまないように王妃が出るはずであったほとんどの舞踏会や夜会をオーランドが裏で手を回し、欠席とさせたのだ。だが、最後は出るべきだ。なにせ次は結婚式になるのだから。
しかしギルベルトはまだ決心がつかない。
それがどれほどレティシアを危険にさらす行為かわかっているからだ。今のところ反対派の貴族は大人しくしているが、またいつ勢いがますかはわからない。
そして次の夜会ではあのフォルト公爵も出席することが既に決まっている。
「分かっているのか?それは」
「もちろん、わかっています。ですが、敵をあぶり出すにしても正式に王妃様を迎える前にしておいた方がよいかと思います」
オーランドは間違ったことは言っていない。全面的に正しい。
しかしだ。もしものことが起きれば。
心の内でギルベルトは一人葛藤する。もしも、レティシアに何かあれば。その時は。
手に握られた封筒を見る。無意識にギルベルトは唇をかみしめる。
怖いと思った。例えどんな逆境の中に立たされても一度も思わなかった恐怖を生まれて初めてギルベルトは感じた。
レティシアと過ごす時間は今では穏やかで、酷く心が満たされていた。それを失う。それはギルベルトが今一番恐怖していることに違いなかった。
それでも彼の王としての立場が嫌だと言わせない。
ギルベルトは胸の内に抱いた様々な感情を何とか抑え込み、ようやく言葉を繋ぐ。
「そうか。頼んだ」
いつも通りの声が出た。顔も無表情のままだ。
しかしギルベルトの苦悩がオーランドにはわかる。あれほど大事にしている姫君を危険にさらすのだ。どのような気持ちでそれを決断したのか。
「必ずお守り致します」
オーランドはそう答えると頭を下げ、レティシアの夜会への出席を知らせるため、部屋から出て行く。
残されたギルベルトは手に持っていた封筒を優しく撫で、見つめる。
「大丈夫だ」
誰に言うでもなくそうギルベルトは呟くと、ここにはいない彼女のことをただただ思った。




