45.それに込められた思い
重い沈黙が流れる。
その間も陛下は私のことを恐ろしい顔で睨んでいた。
最近はその冷たい表情も見なくなったんだけどな。
まるで最初に戻ってしまったようなその態度に私は耐えきれず俯く。
「陛下、その」
謝らないといけない。
そう思って口を開きかけたが、私が謝る前に陛下が口を開いた。
「離宮内から勝手に出たそうだな」
「そ、それは」
「何故そんなことをした?」
何故か。そう問われて、理由は一つしかない。
「私は、陛下に会いたくて」
「会いたかっただと?それだけだと?」
そう、それだけだ。それだけ。
しかし、そのそれだけを決めるのに私がどれだけ悩んだか。どれだけの覚悟を決めたか。それが陛下にわかるだろうか。
陛下は何も言わない。ただ表情一つ変えずに私を睨む。
「それだけの理由でお前は離宮から出たのか?」
「はい」
しばらくまた沈黙がまた流れた。そして。
「お前は本当に阿呆か!!」
陛下の怒声が響いた。私は思わず身を縮める。
陛下の顔は怒りで歪み、私をただただ睨む。
いつもの私なら間違いなく逃げ出していただろう。それほどの迫力があった。
「何を考えている!?お前が勝手に離宮から出たことで離宮の使用人や騎士たちは皆お前を心配し、今も必死に探し回っている!」
陛下のその言葉に私の胸に痛みが走る。そう今頃きっと離宮にいた人達は皆私を心配しているだろう。 部屋に閉じこもっただけで、あれだけ心配してくれた人達だ。心配していないはずがない。
「王宮の兵も侵入者が入ったと勘違いし、今もいない侵入者を捜索し、動いているのだぞ!?」
そうだ。会いたい。それだけの為に王宮の兵達にも迷惑をかけた。
意図していなかったとはいえ、私は結局ただ悪戯に王宮を混乱させてしまっただけかもしれない。
「余に会いたかっただと!?たかがそんな思いでお前は何をしているのだ!?」
たかがそんな思いで。
そう言われた時、私の頭の中が真っ白になった。
「たかがそんな思いなんて言わないで!」
気付いたら声が出ていた。
私は目の前の陛下を睨む。一瞬陛下の目が見開き、その目がよりきつくなる。それでも私は引かない。
だってきっとこれが最後だから。ここで言わなきゃもう言えないだろうから。
「そうよ!私の我儘よ!私が勝手にしたことで大勢の人に迷惑をかけたわよ!でも、仕方ないじゃない!だって、私が側室をもたないでって言ったから、陛下の立場が悪くなったんでしょう!?私のせいなんでしょう!?」
「違う!それを決めたのは余だ!お前は関係ない!」
「関係ない訳ないじゃない!私がいたからそう思ったんでしょう!?私と会ったからそう思うようになったんでしょう!?」
ずっと考えていたことがある。
何故、陛下が側室をもたないと言い出したのか。陛下がそう言った真意はわからない。でも、わかるのはあの時、私に聞いてきたということは、側室を持たないと決めたのは、私がいたからだ。
私がいなければ、陛下は側室を持たないなど言い出さなかったのだろう。
「私はね!自分のせいで貴方がまずい立場になったのに、それを知らない顔して過ごせるほど図太い性格じゃないの!」
陛下は知らない。私がどんな気持ちで離宮にいたかを。私が原因なのに何もできない自分をどれだけ責めていたかを。どれだけ悔しかったかを。どれだけ後悔したかということを。
「私には政治とか国の内情とか難しいことはわからないわよ!でもね、貴方が私に側室を持たないって言ってくれた時、貴方がすっごく考えて、覚悟を決めて言ってくれたんだって、それぐらいは私にだってわかったの!」
あの日、陛下が決めた時、私はすぐそばにいたのだ。陛下の表情や言葉から陛下の思いや覚悟がわかった。
だからそれが凄く嬉しかった。
「自分が決めたことだから気にするな?気にするに決まっているでしょう!だってそうなればいいなって思ったもの!側室がなければ陛下ともっと一緒にいられるとそうばかみたいなこと思っちゃったもの!」
本当は口でいくら言っていても、ずっと私は自分に自信がなかった。
陛下が私を好きになってくれるか、本当に恋愛などできるか。ずっとそう思っていた。
それでも陛下と会ううちに少しずつ距離が近くなってきて、陛下が私を嫌っていないとわかるようになって。
少しずつ、ほんの少しずつ私は自分に自信がもてた。
それでも、いつか陛下が私よりもずっと素敵な女性にとられてしまうのではないかと、その不安は消えなかった。
だからこそ私は陛下が側室を持たないと言ったのを止めなかった。
それを決めればどうなるかなんて少し考えればいくらでもわかったのに。
「本当だったら何をしてでも貴方を止めるべきだったの!それなのに私は自分の気持ちを優先させて止めなかったの!」
私は陛下を真っ直ぐと見る。
陛下は何も言わない。ただ黙って私の言葉を聞いている。相変わらずその顔は厳しい。それでも最初の鬼の様な形相はもうその顔にはなかった。
何故か我慢するような、押し殺すような、そんな苦しげな表情をして、陛下は私を見ている。
「会いたかった!そう、それだけよ!でも私だって何も考えずにそれをした訳じゃない!離宮を出ることがいけないことだってわかっていたわよ!それでも貴方が辛いときに何もできないのはどうしても嫌だったの!勝手なことをして罰せられることだって、この婚姻が破棄されることだって、祖国に帰されることだって考えて。貴方に、貴方に嫌われることだって考えたの!」
私のその一言に陛下の身体がびくりと動いた。その顔が困惑したような顔になる。
どうしてそんな顔をして私を見るのかわからない。
陛下は何も言わない。だから私は最後まで言うことに決めた。
「それでも私は貴方に会いたかったの!!そういう思いで貴方に会いに行ったのよ!!」
最後はもう力の限りそう叫んだ。もう陛下がどんな顔をしているか、見られない。
私は俯くとゆっくりと息をはく。
言い切った。言いたいことは全て言い切った。もう十分だ。
私は陛下に向かい深々と頭を下げる。
「個人的感情で陛下の命令に背き、離宮を勝手に抜け出し、そのうえ王宮内に侵入するという暴挙にでました。どのような罰でも受けます。お好きになさって下さい」
そう、これでもう思い残すことはない。
言いたいことが言えて、気分はすっきりしていた。
あれだけ悩んで、考えて、本当にこれでいいのか、そう何度も思ったけど、今はこうして良かったと思う。
でも、もう婚姻は無理だろうな。初めてこんなに誰かを好きになれたのに。
そう思うと少し残念な気がした。
前世の私は今度こそ恋愛にいきたいと、全力で恋愛がしたいとそう願っていた。
そして私はその思いを継ぎ、今まで全力でやって、これがその結果なら、残念だけどしょうがない。
私は十分にやった。そうでしょう?
誰に問いかける訳でもなく、そう心の内で呟く。もちろん返答はない。
「顔を上げろ」
ずっと黙っていた陛下がようやく口を開き、そう言った。
私は顔を上げる。そして陛下の顔を見て、固まった。
陛下が、あの陛下が何故か今にも泣き出しそうな顔をして、私を見ている。そのあまりの悲痛な様子に私は思わず言葉を失う。
な、何で!?何か陛下を傷つけるようなこと私言ったっけ!?
慌てて自分の言った言葉を思い返す。陛下を責めるつもりはなかった。ただ分かって欲しかっただけ。
どれだけの思いで会いにいくと決めたかを。
「あの、陛下?」
「……すまなかった」
いつもの陛下と比べものにならない程、弱々しい声だ。
いったい、どうなっているの!?
「ちょ、陛下。まさか、泣きそうとか?え、何で?だ、大丈夫ですか?てか、何で陛下が謝って!?」
もう正直、私の頭はパニック状態だ。
どうしてこんなふうになったのか全然わからない!というか本当に陛下どうしたの!?これならまだ怒っていてもらった方が良かったんですけど!?
「へ、陛下!と、とりあえず何か食べます?きっと、お腹がすいているから、元気がでないんですよ!」
こんな状況になったことがないから、どう慰めていいかわからなくて、ひたすら訳のわからない励ましを陛下に言っていると陛下が動く。
励ましの効果がでたかと思ったら、陛下は私に近づき、そのまま何も言わず私を抱きしめた。
「っ!?」
な、な、何でだ!?全然訳がわからない!?え、今、抱きしめるところあった?え、これは、励ましてくれて、ありがとうとかそういう意味!?
「あの、陛下!?」
「すまなかった。お前のことを余は何も理解していなかった」
耳元で囁かれた一言に私は言いかけた言葉を飲み込む。
陛下はそのまま私を強く抱きしめたまま言う。
「たかがそんな思いでと言って悪かった。お前の気持ちを侮った余を許してくれ」
その一言を聞いて、ああと思う。
わかってくれたんだ。私の気持ちを。ちゃんと聞いてくれたんだ。
それがただただ嬉しかった。
もう嫌われてもいい。婚約破棄されてもいい。祖国に帰されてもいい。そう思っていたけど。
「やっぱり、離れるのはいやだな……」
好きだと思った。
私は本当にこの人が心の底から、好きだと。
あんなに覚悟を決めたのに、それなのに、それがあっさり崩れ落ちてしまうほどに。
私はいつの間にかこの人のことを本気で好きになっていた。
「なら、離れなければいいだろう」
陛下はそう言って、私を抱きしめる腕の力を強める。
痛いほどの抱擁なのに、まるで陛下に強く思われているように感じられて、それが嬉しくて、気付けば、私の目には涙がたまっていた。
「もう、そんな優しいこと……言わないで下さいよ」
そう言った声はもう涙声だった。
気付けば、瞳から涙がこぼれ落ち、頬を伝う。
もう止まらなかった。次から次へと涙がこぼれ落ちる。そして気付けば、私は声を出して泣いていた。
陛下は何も言わない。ただ私を強く抱きしめて、そっと優しく私の背中を撫でる。その手があまりにも心地よくて私はただただ泣いた。




