36.彼女が特別な理由
「あ、陛下!」
離宮の中庭に入ってすぐ、レティシアはギルベルトに気付き、手を大きく振った。たったそれだけのことでギルベルトの口元は緩む。
まさにラフットをやっているところだろう。レティシアはバットを持ち、立っている。その向こうにはクライドがいて、その手にはボールが握られている。更に後ろには的が何カ所に用意されていた。
レティシアから横に少し離れた位置にラルフが立っていた。ギルベルトに気づくと、すぐに頭を下げる。それに答えながら、ギルベルトはレティシアに近づく。
「何をしている?」
見ればわかるが、あえてギルベルトは尋ねた。そして案の定、レティシアは満面の笑みで自信満々に答える。
「ラフットですよ!見ていて下さい!私すっごくうまいんですから!」
そう言ってぶんぶんバットを振る。それがまるで子供のようでギルベルトは思わず笑いかけ、慌てて口をきつく結んだ。
レティシアと話すとついつい感情が表にでてしまう。王は感情を悟られないように無表情であるべきなのだ。
そうわかっていても、レティシアを前にするとそれが酷く難しい。
「そうか」
何とか感情を押し殺し、冷静を装いそう答える。気付かれていないかと内心ひやひやしながらレティシアを見たが、彼女は全く気付いていなかった。
バットを握り直すとクライドの方を見る。ラフットをしているから仕方ないとはいえ、ギルベルトにとってそれはすこしばかり面白くなかった。
「クライド投げて!」
レティシアがそう言うと、クライドは投げる。その玉はなかなか速い。彼はよく同僚とやっていた為、ラフットはやり慣れているのだ。
しかし、レティシアはそれに笑みを浮かべる。
「甘い!ホームラン王と呼ばれたこの私に打てない球などない!」
そう言うやいなやバットを振り上げる。そして、良い音を立て、バットがボールに当たった。一気にボールが上がる。
「やった!」
しかしどうやらレティシアはギルベルトに良い格好をしようとして気合いが入り過ぎたようだ。ボールは的を越え、更に上へと上がっていく。
「あれ?」
不穏な空気を感じ取りレティシアが顔を引きつらせる。そして次の瞬間、ボールは離宮の窓ガラスに直撃し、部屋の中へと入った。部屋に誰かいたのだろう。きゃあと悲鳴や驚きの声が上がっている。それにレティシアは一気に顔を青ざめた。
「ど、どうしよう!やっちゃった!?わった!窓わちゃったよ!?」
レティシアはそう言いながら、その場でおろおろとしだす。それにギルベルトはまた笑いをかみ殺すはめになった。
「へ、陛下!ち、違うんです!その、こ、これは!ちょっと調子乗っちゃったというか、気合い入れ過ぎちゃったというか!」
レティシアは泣きそうな顔をしながらそう言う。
たかが窓ガラスを割った程度でどうしてそこまで悲愴な顔ができるのだ。
ギルベルトは必死に笑わないように表情筋に力を入れる。それを怒っているととらえたのか、レティシアは余計に慌て出す。
「違うんですよ!さっきまで的にうまく当たっていて、本当ですよ!?もっとうまくできたんですって!」
弁解するのはそこじゃないだろう。
もう限界だった。ギルベルトはついに声を出して笑ってしまった。ギルベルトが笑ったことでレティシアはようやく怒っていないことに気付いたのだろう。ほっとしたような表情をし、ギルベルトに近づく。
「お前は何をやっているのだ」
「笑い事じゃないですよ!万が一ボールが誰かに当たってたら!」
「そうだな。クライド見てこい」
ギルベルトは何とか笑いを押し込め、そう言う。クライドはすぐに頷き、離宮の中へ走った。とはいえ、ボールが誰かに当たっていたらもっと大事になっているだろう。おそらくは大丈夫だ。
ギルベルトがそう思っているとレティシアが陛下といつもよりおとなしめに呼ぶ。
「本当にごめんなさい!」
そう言ってレティシアは頭を下げる。そうやって素直に頭を下げられるところもギルベルトがレティシアを気に入っている理由だった。
貴族達の中にはその傲慢さ故、例え自分が悪いとわかっていても、それを他人になすりつけたり、けして頭を下げたりしない者が多いのだ。
「別にかまわん」
窓ガラスが1枚2枚破れようと大した出費にはならない。このアルフガルト王国はそれぐらいで傾くような財政では全くないのだ。
レティシアは頭を上げると安堵の表情を浮かべる。と、何かに気付いたらしくじっとギルベルトの顔を見る。
思わずギルベルトは内心動揺する。少し前まではギルベルトの顔を見ると顔を真っ赤にさせ、まともにこちらを見ようとしなかったのだ。それはそれで可愛らしい表情をしていたのでよしとしていたのだが、久しぶりに真っ直ぐとレティシアはギルベルトの顔を見た。
恥ずかしがらずに何かを確認するように。レティシアはただギルベルトを見つめる。
それに耐えきれず、ギルベルトは顔をそらし、「なんだ」と尋ねる。
レティシアは少し考えてからおずおずと答える。
「陛下、ひょっとして疲れています?」
レティシアのその言葉にギルベルトは驚き、目を丸くする。
実際ギルベルトは先ほどのフランチェスカとのやりとりに疲れていた。しかし、まさか見抜かれるとは思っていなかったのである。
「何故わかる?」
思わずそう聞き返すギルベルトにレティシアはうーんと考え込み、「なんとなくです」と自信満々に答えた。
根拠は一切無い。何だそれはとギルベルトは言いかけたが、すぐに言葉を飲み込む。
これ以上、動揺していることを悟られたくなかった。
「疲れているなら甘いものですよ!今日はレトルの実のタルトを用意しました!いっぱい食べて下さいね!」
そう言って、レティシアは満面の笑みを浮かべ、バットを置く。先ほど窓を割ったことなどもう忘れたらしい。
その顔をギルベルトは静かに見る。「どうしましたか?」そう首を傾げるレティシアにギルベルトは先ほどフランチェスカとのやりとりを思い出した。
「お前は余のことが理解できると思うか?」
「はい?」
「理解できると思うか?」
それはフランチェスカにもした問いだ。理解できるか。そう問われ、レティシアがなんて答えるか知りたかった。
理解できる。そう答えるだろうか。レティシアならあるいは。
そうギルベルトが思考を巡らせているとレティシアは短く答えた。
「まさか。無理ですよ」
それはもう潔いほどにきっぱりと。すがすがしい程のその答えにギルベルトは不思議と失望はなかった。
レティシアの顔を見つめたまま、続きを促す。
「人のあり方も考え方も人それぞれですよ。それを全部理解なんてできる訳ないじゃないですか」
その通りだった。相手のことが全てわかるなんて言えるはずがない。もしそう言ったならそれは単なる傲慢だ。
相手はあくまで相手であり自分ではないのだから。
レティシアはでもと続ける。
「だからこそ人は言葉を交わすのでしょう?会って、見て、話して。そうやって少しずつ相手を理解していくものじゃないんですか?」
レティシアの言葉にギルベルトは思わず目をつぶる。その通りだった。何も言わず全てをわかれと言う方が無理な話で、そして自分は果たしてそれを他人とどこまでやってきたのだろう。
ギルベルトは瞬時に過去を思い返す。答えは明白だった。
「私はまだまだ陛下のことわからないことだらけですけど、陛下が怒っているかそうでないかはわかるようになりましたよ」
そう言ってレティシアは笑う。そう、レティシアだけが、彼女だけが懸命にギルベルト自身を理解しようとした。
威圧的にされても、冷たい態度や怒鳴り返されてもめげず、レティシアは話すのを止めなかった。
それはギルベルトを少しでも理解したいと彼女がずっと思っていたからだ。
王としてではなくギルベルト自身を。
「陛下はどうですか?私のことわかりましたか?」
レティシアは楽しそうにそう聞いてきた。それにギルベルトは思わず、泣きそうになった。
何故かわからない。
悲しい訳ではない、ただ、それまで失っていたはずの色んな感情が巡り、思わず溢れそうになった。
さすがに人前で泣く訳にはいかず、ギルベルトはその激情をなんとか飲み込む。
「ああ、そうだな」
やっとの思いで言った声は震えていた。しかし、レティシアは嬉しそうに笑う。
ギルベルトのその変化に気付いているのか、気付いていないのかはわからない。だが、確実に言えることは、ギルベルト自身は彼女に会ってから変わったということだ。
あれほどまでに感じていた孤独が日に日に消えていく。
ようやくギルベルトは何故自分がここまでレティシアにこだわるのかわかった。
「だからこそ。お前なのだな」
ギルベルトは笑う。愛おしむ様に優しく笑う。
その笑みは誰もが見とれるほどの極上の笑みだった。
思わずレティシアも目を奪われる。気のせいか、その顔が赤い。その反応に満足しながら、ギルベルトはレティシアに手を伸ばし、そのまま抱きしめた。
レティシアが目を見開き固まる。小さい身体はいともたやすくギルベルトの腕の中におさまる。それをいいことにギルベルトは少しだけ腕の力を強めた。
あまり強くしてはまた痛いと言われてしまう。そうならないように優しく、まるで壊れ物を扱うように優しく抱きしめる。
しばらく、そうしているとやっとレティシアは状況を理解したのか、顔を真っ赤にさせて腕の中でじたばたと暴れる。
「ちょ、ちょおお!?」
訳のわからない叫び声が上がる。
全く色気のないそれに思わずギルベルトはまた笑ってしまった。
「へ、陛下!何で抱きしめて!?」
「少しは余のことがわかってきたのだろう?」
「いやいや、これに関しては全然わからないですから!」
レティシアの言っていることももっともである。おそらくレティシアは気付いていない。
自分がどれほどギルベルトにとって特別であるかを。
ギルベルトはレティシアを抱きしめながらそっと頭を撫でる。今度は痛くないように触れる程度に優しく頭を撫でた。
「え、ええ!?な、なんで!?抱きつくポイントなんてどこにあったの!?というか、頭を撫でて、えええ!?」
「暴れるな。しばらくしたら、離す。それまで大人しくしていろ」
「いやいや、無理!無理ですから!心臓もちませんから!」
そう言いいながらもレティシアは僅かな抵抗をするだけで本気でギルベルトの腕から逃れようとはしない。
その事実にギルベルトはただただ笑みを浮かべた。




