35.王を理解するということは
「陛下、ずっとお会いしたいと思っていました!」
その一言でギルベルトの思考は現実へと戻ってきた。
ゆっくりと目の前にいる相手を見る。目の前にいる相手はギルベルトの望んだ相手ではなかった。そう彼女ではない。
その時点でギルベルトはもはや相手に興味などなかった。
さっさとこの場から立ち去りたい。そうギルベルトが思っていると強引に手が伸び、腕にフランチェスカが抱きついてくる。王の許しもなく、その身体に触れるとは。本来なら罰則ものである。
ギルベルトは不快に思い、フランチェスカを睨む。しかしそれをどう受け取ったのか彼女はねこなで声で甘えるようにギルベルトにすり寄る。
「陛下?」
「余は忙しい。手短いに用件を済ませよ」
「そんな寂しいこと仰らないで下さい。私ずっと陛下に会えないことが辛くて、夜も眠れず過ごしていたのです」
「そうか」
正直どうでも良かった。そもそもギルベルトはフランチェスカの名前さえろくに覚えていない。
その程度の存在にそのような事を言われて、何か思えという方が無理である。
「陛下、この前の舞踏会でのお姿はとても凛々しくて格好良かったですわ。ぜひ今度は私と踊って下さいな」
はっきり言ってそれはない。もとからギルベルトは人前で踊るのは好きではなかった。そしてもしも次があるのなら、踊る相手は既に決まっている。
その相手はもちろんフランチェスカではない。
「舞踏会か。それならばお前に尋ねたいことがあった」
「何ですか?」
「あの夜、レティシアと何を話していた?」
ギルベルトはそう言い、自分の腕にすり寄るフランチェスカをこれでもかというほど睨む。
さすがに殺気だったそれには気付いたらしくフランチェスカはほんの少し腕から離れ、ギルベルトをおずおずと見上げる。
「ただご挨拶しただけですわ」
「本当にそれだけか?」
「はい」
フランチェスカはよどみなくそう答えた。しかしそれはレティシアから聞いた内容とは違う。
その事にギルベルトは内心舌打ちした。
「余に嘘をつくことがどういう意味かわかっているな?」
「どうされたのですか?まさか、レティシア様が私に何かされたとそう仰ったのですか!?それは誤解です!私はただ挨拶をしただけで、それなのにレティシア様は私を無視なさって、睨んできて」
「そうか」
レティシアが無視した。それこそ誤解だ。
そもそもフランチェスカが公爵令嬢であっても隣国の姫君であり、王妃候補であるレティシアの方が地位は上だ。話す気がないなら無視していい身分であるし、彼女が喋らなかったのはギルベルトに話さないように言われていたからである。
しかしそれをわざわざ説明してやる気はギルベルトにはない。例えそう説明したところでフランチェスカが納得するとは思わなかったからだ。
「陛下?」
「話は終わりだ」
そう言って、ギルベルトは腕をふりほどき、離れようとする。しかし、フランチェスカはそれに対し、慌ててすがりつく。
「待って下さい!どちらに行かれるのですか!?」
話は終わりだと王であるギルベルトが言ったにも関わらず、フランチェスカはしつこく食い下がる。
無理矢理ギルベルトの腕を掴み、自身の身体を押しつける。王の意図にそぐわぬその行動は許されるものではない。
護衛の騎士が動く。それにギルベルトは空いている片手で止めた。腹だたしくはあるが、さすがに切り捨てる程ではない。
ギルベルトはそこまで無情な男ではなかった。
「余に逆らう気か?」
ギルベルトは怒りを押し殺した声でそう尋ねる。それにフランチェスカは涙目になって、いいえ、いいえと首を振りながらも、ギルベルトの腕から一向に手を離さない。
「レティシア様のところに向かわれるのですか!?」
「だとしたら何だ?」
「陛下はだまされています!あんな礼儀知らずの他国の姫君なんか、陛下の隣に立つのにふさわしくありませんわ!」
一瞬、ギルベルトはかっとなり、目の前のフランチェスカを本気で切り捨てようかと思った。
それほどまでにレティシアに対しての侮辱が許せなかったのである。
特にレティシアが隣に立つのにはふさわしくないというところがギルベルトは気に入らなかった。
そもそも誰が自分の隣に立つかはギルベルト自身が決めることであり、それを周りにとやかく言われる筋合いは全くない。
「何故、お前にそのような事を言われなければいけない?」
既にその声は怒鳴り声に近い。周りにいたものは誰もがギルベルトが怒っていることがわかっていたし、彼がいっこくも早くここから立ち去りたいのも感じていた。
だというのにフランチェスカは人の機微によほど鈍感なのか、それとも度胸があるのか、なおギルベルトにすがる。
「陛下、あんな娘に目を向けないで下さい。私なら陛下の望むこと全てわかっていますわ」
そう言ってフランチェスカは自身の豊満な胸をギルベルトの腕に押しつけた。その瞬間、ギルベルトの中で何かが切れた。
それは完全なる侮辱である。ギルベルトが欲に目のくらむ王だと言ったのと同じだ。
護衛の騎士達が再度動く。しかしギルベルトはそれをまた止めた。フランチェスカをかばったのではない。
怒り故にだ。
「余のことがわかる、だと?たかが、小娘のお前がこの王を理解できると?」
ギルベルトは笑う。その笑みはレティシアに向けていたものとは全く違う。冷たく、相手をあざけ笑う、嘲笑である。
だというのにフランチェスカは気付かないのか、言葉を続ける。
「ええ!もちろんですわ!」
「そうか!なら、今、余がどういう気持ちかお前にわかるか?」
そう言われ、フランチェスカは改めてギルベルトを見る。ここでようやくフランチェスカもギルベルトが怒っている事実に気付いた。
その顔がみるみる青ざめ、身体が震え、腕に抱きつく力が緩まる。ギルベルトはすぐに腕を乱暴に振り払った。
「はっきり言って不快だ!よくもそんなふざけたことが言えたな!」
フランチェスカはまだ気付いていなかった。王のことを理解できるとそう答えたことが、ギルベルトにとってなによりも逆鱗にふれたことに。
「理解できるだと!?余は王だぞ!?王を理解できるものなどこの世に王しかいない!」
そう理解できるはずがないのだ。王という立場にギルベルトは生まれながらになり、そして、それに苦しみ続けていた。その苦悩を、辛さを誰が理解できようか。
できるはずがない。それはギルベルトにしかわからない、王にしかわからないのだ。
「お前に何がわかる!わかる訳がない!」
「陛下……」
フランチェスカは怯える。その顔は蒼白になり、先ほどまでの自信の溢れる姿は、見るも無残な姿に変わっていた。
「2度と余の前に姿を現すな!!」
ギルベルトはそう怒鳴るとフランチェスカに背を向け、乱暴に歩き出す。
フランチェスカはまだ、「待って下さい」とその後ろ姿にすがろうとしたが、それを護衛の騎士がすぐに止めた。
後ろでもみ合う彼らを尻目にギルベルトはさっさとその場を後にした。
腹の内にたぎる怒りをおさえられず、ギルベルトは乱暴に廊下を歩いて行く。すれ違う使用人達は王の機嫌の悪さに怯え、皆後ずさり、慌てて避ける。
それが余計にギルベルトの気に障った。
「陛下」
ふと聞き慣れた声が聞こえた。自分を恐れないその声にギルベルトは足を止めた。
「ツヴァイか。なんだ?」
不機嫌さを隠しもしないその態度に普通の使用人や騎士ならすぐに下がっただろう。しかし長年王の護衛として付き従ったツヴァイは違った。
ギルベルトはどんなに不機嫌であろうと相手を切り捨てるような男ではない。そうわかっているからだ。
「凄い顔していますよ」
「軽口を叩く暇があるなら仕事に戻れ!」
ギルベルトの怒りはまだ収まっていない。よほど公爵令嬢と気に入らないことがあったのだろう。ツヴァイはそう思ったが、そこには触れない。
わざわざ逆鱗に触れていいことなどない。だからツヴァイは別のことを提案した。
ギルベルトの機嫌が良くなるように。
「陛下。姫様のところへ行ったらどうですか?宰相様には俺からうまく言っておきますよ」
ツヴァイのその一言にギルベルトはぴたりと動きが止まる。その目が僅かに迷うように揺れた。
どうやら予想外にその一言は効いたらしい。
ギルベルトはしばらく黙り込み、なにやら考え込んでいるようだった。
しばらくして、それまで怒鳴り声とは違う小さな声でぽつりと言う。
「こんな顔で行けば、また怖いと言われるだろう」
実はギルベルトはレティシアに顔が怖いと言われたことをずっと気にしていた。その事実にツヴァイも気づき、思わず笑いそうになるのを寸前で押さえ込み、努めて冷静に答える。
「大丈夫です!今は姫様ラフットやっていてご機嫌ですから。そんなこと言いませんって」
しかしギルベルトはまだ迷っているようだ。それにツヴァイは促すようにそっと言う。
「少しぐらいいいじゃないですか。政務は逃げませんよ?」
ツヴァイにそう言われ、ギルベルトは更に考え込む。
しばらくしてようやくギルベルトは頷き、離宮へ向かって足を進めた。




