34.とある王の話
ギルベルトという男の話をしよう。
彼は生まれながら王だった。彼の母親はまだ彼が幼い頃に亡くなり、彼には父親しかいなかった。
彼の父親は厳格の王だった。もちろん父親は彼のことを愛していた。しかしいずれ王となる彼に対し、息子という立場よりも王位を継ぐ者としての立場を大事にした。
彼はとても優秀な子供であった。幼いながらに父親の意図をくみ、王としてふさわしい者になるよう努力した。
彼が努力すればするほど周りも彼を認め、王位を継ぐ者として扱った。
いつからだったか。皆、彼を王と同等の存在として扱うようになったのは。
敬い、忠誠を誓い、服従の意を皆が示し、心から彼に頭を下げる。それを見て、彼はその意思をくみ、ますます王として相応しい者として努力するようになった。
彼の父親が亡くなり、彼が王となった時、気付けば周りは彼を当たり前のように王として扱った。
彼はまさに理想の王だった。国に対し誠実で、威厳ある、絶対的な王。皆が彼を理想の王だと信じていた。それがわかっていたからこそ彼は己の感情を殺し、皆が求める王を演じ続けた。
そうして長く演じ続けるとやがてそれが当たり前になり、彼自身の感情は消えた。
彼は王だ。そこに彼個人の感情はいらない。国の民や家臣を思うことはあっても自身を思うことはなかった。
いつの間にか彼は自分が元々どのような性格であったか忘れた。
何が好きだったか、どのような人間であったか。もう彼には思い出せなかった。
その事実に気付いた時、彼は言いようのない孤独を感じた。
皆、心から彼を王として敬っていた。そうして気付いたら彼のことを王としてしか見られなくなっていた。
彼はいつも1人だった。多くの家臣、使用人、国民がいようと皆彼の後ろに立つ。誰一人として彼と同じ位置に立とうとはしない。そんなこと恐れ多くてできるはずがない。
彼は王なのだから。
国の為に彼に意見するものはいたが、彼自身のあり方に対し意見するものは誰もいなかった。近くにいても彼と皆との距離は遠かった。誰も彼の隣に立とうとはしない。
彼はしだいに理解した。
自分はずっとこのまま一人なのだと。多くの家臣に囲まれ、国民をもちながらも、王は結局一人なのだと。
彼は生まれながらの王だ。故にその事実をあっさりと受け入れた。
王なのだから仕方ない。
そうずっと思っていた。
それはギルベルトが王になってからずいぶんたった時のことだった。隣国の姫君が彼の元に嫁ぐことに決まった。
その結婚はもちろんギルベルトの意思で決めたものではない。
ギルベルトの家臣達が望んだことだ。隣国であるウォンデルト王国はアルフガルト王国に比べその規模は小さい。しかし気候や土地に恵まれ、農作物が豊潤であった。
また古くからの同盟国であり、この際に国の繋がりを強く出来れば、よりこのアルフガルト王国の発展に繋がるだろう。そう考えられた。
家臣にそう促され、ギルベルトは何の抵抗もなく、それを受け入れた。この世界の婚姻など所詮国同士の繋ぎを強くするものでしかない。
そこに個人の感情は必要ない。
とはいえ、自分の妻になる相手にギルベルトは最初少なからず、どのような女性か興味があった。
もしかしたら自分のこの孤独を少しでも癒やしてくれるのではないかと。そんな期待さえ抱いていた。
しかしギルベルトのその期待は出会ってすぐに裏切られた。
初めてギルベルトが会ったウォンデルト王国の姫君はギルベルトを一目見るなり、酷く怯えた様子を見せた。
それは仕方のないことだったかもしれない。年齢も一回りほど違い、お世辞でも愛想が良くない、体格の良い男を見て、怯えるなという方が難しかった。
もちろんギルベルトもそれはわかっている。それでもだ。ギルベルトに対し、彼女は身体を震わせ、一度も目を合わせず、言葉さえ交わさなかった。
そこにははっきりとした拒絶が見えた。
結局、王妃となる彼女もまたギルベルトを王としてしか見ていなかった。
ギルベルトの彼女への興味は一気に消え失せた。
ただ形だけの王妃。それに何を期待していたというのか。愚かにも程がある。
彼はその愚かな考えを消し去る為、今まで以上に仕事に没頭した。
自分は王なのだ。それ以外の何ものでもない。
そう自身に言い聞かせた。
そしてギルベルトはそれ以来、彼女に会うことはしなかった。会ってもどうせ怯えさせるだけだとわかっていたからだ。
彼女もまた慣れない国へ来て不安に感じているのか、部屋に閉じこもっているとギルベルトは家臣達から聞いた。
それからすぐ、彼女が寝込んだと聞いた。高熱を出し、寝込んでいると。
家臣達に促され、ギルベルトは一度だけ彼女に会いに行った。
既に時間も遅く、誰もが寝静まった後だった。寝込む彼女の部屋に入り、苦しげな彼女を見た。
「哀れな娘だ」
ここに来てしまった以上、もはや祖国に帰すことはできない。遠く離れたこの地で誰にも知られず命を落とすことになるなんて。
ギルベルトはそっと汗ばむ彼女の頬をなでた。熱のせいで彼女の頬は酷く熱かった。
「すまない」
彼女が熱で苦しむことになったのはギルベルトのせいではない。彼女がここに来ることになったのはギルベルトのせいではない。
しかし思うのだ。自分に嫁ぐことにならなければ彼女はもっと心穏やかにいられたのではないかと。
ギルベルトはそっと彼女の頬をなで、そしてそれ以上は何も言わず部屋を出た。
その後数日して彼女の熱が下がったと人づてに聞いた。しかしギルベルトはもうは彼女に会おうとは思わなかった。
ギルベルトはもう二度と彼女のもとへは行くつもりはなかった。
彼女にはできるだけ心穏やかに過ごして欲しかった。自分が会いにいったところで彼女を怯えさせるだけである。ならば、会わない方がいい。そう思っていた。
いや、本当はギルベルト自身も恐れていた。これ以上彼女に怯えられることを。
彼は王だ。個人の感情でこの婚姻を破談にする気はなかった。しかし、誰かに怯えられ、それに平気でいられる様な人間でも実はないのだ。
彼女から会いたい旨を伝えられてもギルベルトの気持ちは動かなかった。
その言葉が彼女の心からの言葉だと信じられなかったからだ。
多忙な日々をすごしていたある日、おもしろい話が報告に来た騎士からギルベルトの耳に届いた。
すっかり元気になった彼女はそれまでとはうってかわり、庭を歩き回り、使用人達に声をかけて回っていると。やることがなくて暇なのか、なにかやることがないか探しているらしい。
元気になって良かった。ギルベルトはそう思っただけだった。それ以外の感情も興味もなかった。だから彼女に会わなかった。
しかしやがてさらにおかしな話がギルベルトの耳に届く。
彼女が料理人に料理を教えているという。しかも畑仕事までやり始めたという。
何がどうなっているかギルベルトにはわからなかった。どちらも一国の姫君が行うことではない。
もう会わない。そう思っていたが、どうしてもギルベルトは気になった。
どうせ会ったところでまた失望するだけだ。それなら会わない方がいい、そう思いながらもどうしても気にならずにはいられない。
散々迷ったあげく、家臣達に促され、ギルベルトはようやく会うことにした。
忙しい責務の合間をぬって、ギルベルトは彼女に会いに行った。正直驚いた。彼女は最初に会った彼女とはまるで別人だった。
ギルベルトを真っ正面から見据え、そして挑むように笑いかけた。そこに怯えは全くない。王であるギルベルトに対し、敬う態度もへりくだる態度もない。
ギルベルトは彼女に再度興味がわいた。
次に会った時彼女は姫君らしい格好をしていた。内心気を落とした。結局彼女も他の令嬢と変わりない。そう思ったからだ。
会話もなんともぎくしゃくしたものだった。彼女はやはり自分に対し、良い感情を思っていないのだろう。そう思った。
ギルベルトは早く帰るべく、用件をさっさとすまそうと思った。
彼女が作ったというパイを食べる。一口食べ、それまでの思考が止まる。
普通のパイとは違い、それは美味しかった。だが、疑問が浮かんだ。そもそも何故姫君が料理などできる。もしかすれば料理人に作らせた物を自分が作ったと偽り、出しているのではないかと。
ギルベルトは彼女に料理を作るように言った。それが真実かどうか確かめる為に。しかしそれは杞憂だった。
彼女は手慣れた手つきで料理を作って見せた。とても姫君とは思わぬ手際の良さだった。思わずその手際に見とれる。
とその時、火が上がった。とっさに彼女の手を引き、ギルベルトは厨房を後にした。
彼女の戸惑う声が聞こえた。どうしたのかとそう問われ、その問いにギルベルト自身うまく答えることが出来なかった。
何故か、酷く苛立っていた。理由はわからない。ただただ危険なことを平気で行う彼女が許せなかった。
たしかに強引ではあったと思う。彼女の話も聞かず、力いっぱいその手をひいた。それに耐えきれなかったのか、彼女が怒った。
王であるギルベルトにだ。
まさか彼女が言い返すとは思っておらず、ギルベルトはただ驚いた。
それからはもはやただの言い合いだった。ああ言えばこう言い、こう言えばああいう。
生まれて初めてギルベルトは人と言い合いなどした。今まで誰一人として彼にそんなことしなかった。彼を真っ正面から睨み、怒鳴る相手などいなかった。彼のすることに文句をいおうとする者などいなかった。
「夫に対して妻が物を言って、何がいけないんですか!?」彼女の言ったその言葉にギルベルトは息をのむ。
その言葉は王に向けた言葉ではなかった。ギルベルトへ、彼自身に向けた言葉だった。
その瞬間、ギルベルトの中で彼女は特別になった。
彼女はギルベルトを王としてみない。ギルベルトを、彼自身をいつでも見た。
彼女は平気で自分の思ったことをギルベルトに素直に言った。それを腹立たしく思うこともあったが、何故か同時に満たされた。
彼女はまっすぐとギルベルトを見る。その目が酷く好ましく思えた。
気付けば自然と足は彼女の方へ向いた。執務の合間をぬい、彼女に会いに行った。彼女はいつでも突拍子もない行動をとってギルベルトを楽しませた。
気付けばギルベルトは笑っていた。
こんな気持ちはいつぶりだろうか。一時、たった一時だが彼は自分が王であることも忘れた。
楽しかった。とても楽しかった。
彼女と過ごす日々はそれまでの日々とは全く違った。
誰もが自分の後ろを歩いた。王なのだから仕方ない。そうギルベルトは思っていた。
それなのに。気付けば彼女は当たり前の顔でギルベルトの隣に並んだ。
当たり前の様に王ではなくギルベルト自身を見る。
そんな彼女にいつの間にかギルベルトは惹かれていた。愛おしいと思うと同時に心の底から彼女が欲しいと思った。
王になって初めてギルベルト自身が抱いた願いだった。
欲しい。彼女が欲しい。誰にも渡したくない。彼女を自分の物にしたい。その為なら何をしてもいい。
ギルベルトは生まれて初めて本気でそう思ったのである。




