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33.最初に気になっていたのは


「陛下、そろそろ休憩にいたしましょう」


 執務室に閉じこもり大量にある政務を片付けているとオーランドが不意にそう口にした。

 ギルベルトは顔を上げ、時間を確認する。

 たしかに作業を始めてから既に2、3時間は過ぎていた。とはいえ、休んだところでこの大量の政務が勝手に減ることはない。

 ギルベルトはペンを動かす手を止めなかった。


「必要ない」

「陛下に無理されて倒れられでもしたら、余計に政務に支障をきたします」


 オーランドはそう言い、黙ってギルベルトを見る。睨んでいる訳ではない。ただ黙って見ているだけだ。しかし幼い頃から彼に厳しくしつけられた為かギルベルトはどうもその目が苦手だった。

 ようやくギルベルトは手を止め、ペンを置く。それを見て、オーランドは頷く。


「休憩の準備を」


 オーランドのその一言で、すぐに控えていた使用人達がお茶を運んでくる。机に置かれたそれをギルベルトは一瞥するが飲もうとはしない。

 無言の抗議だ。休憩など必要なかった、そう言いたいようだ。


「早く仕事を片付けたいのはわかりますが、あまり無茶しないで下さい」

「何の話だ?」

「離宮に行かれるつもりなのでしょう?」


 そう言われ、ギルベルトは黙り込む。表情は変わっていないが、おそらく図星だろう。

 長年付き従ったオーランドにはもちろんわかる。


「そんなにレティシア様のことを気に入ったのですか?」


 そう言って、オーランドは実に不機嫌そうな顔をする。どうやらレティシアに対し彼はあまり良い感情を抱いていないようだった。ギルベルトももちろんそれを知っている。

 とはいえ、オーランドの場合、その相手がどんなに素晴らしい文句のつけようがない姫君であっても、良く思わないに違いなかった。


「面白いとは思っている」

「本当にそれだけですか?」

「どういう意味だ?」

「いえ、何も」


 オーランドの探るようなその目にギルベルトは不快げな顔をする。いくら長年付き従った臣下であったとしても、知らなくて良いことがある。

 特にレティシアへの感情についてはだ。

 ギルベルトの態度からそれ以上踏み込んではいけない話題と判断したのだろう。オーランドはそれ以上深く聞かなかった。

 それに気をよくしたのかギルベルトはようやく用意されたお茶に手を伸ばす。入れ立てのお茶を黙って飲んでいると部屋の扉が開く。


「陛下、失礼します」


 そう言って、入ってきた人物は離宮にもよくいる人物だった。好青年を思わせる容姿、女性陣を魅了する爽やかな笑み。彼もまたギルベルトに長年使える臣下だ。慣れた様子で部屋に入る。


「ツヴァイか」

「はい。お待ちかねの姫様の報告をもってきました」


 ツヴァイはそう答えると陛下の前へ立つ。姫様のという言葉を聞いてオーランドが僅かに眉を寄せる。


「最近部屋に籠もっていると言っていたが、病気ではなかったのか?」


 オーランドの問いかけにツヴァイは頷く。


「はい。陛下と追いかけっこしてからは元気になったみたいですよ」


 その返答を聞いて、ギルベルトは表情こそ変えなかったものの、内心安堵した。こう見えてかなり心配していたのだ。

 あれでレティシアが元気になったというのなら、走り損ではないだろう。

 しかしその事実を聞いていなかったオーランドはその返答に目を丸くする。


「何だそれは?」

「あれ、聞いてないですか?姫様を追いかけて陛下が離宮中を走り回ったそうですよ」


 ツヴァイは爽やかな笑みを浮かべたままそう答える。それに内心ギルベルトは舌打ちをする。

 余計な一言を言うな。

 そう思って、ツヴァイを睨んだが、彼はこの場の状況を楽しんでいるのか満面の笑みを浮かべていた。


「陛下いったいどういうことですか!?」


 そう言って、オーランドはギルベルトに詰め寄る。その目が鋭くなったのは気のせいではないだろう。

 ギルベルトはツヴァイを睨んだが、ツヴァイは関係ないとばかりにそっぽを向いている。


「なにがだ?」

「まさか事実ではないでしょうね!?」

「事実だ」


 聞かれたら答えない訳にはいかない。内心の動揺を悟られないように淡々とした口調でギルベルトは返す。

 しかしそれでオーランドは引き下がらなかった。


「陛下!?何でそのようなことに!?」

「余が知るか」


 そう、ギルベルトだってやりたくてやったわけではない。そもそもレティシアが逃げた為、ギルベルトは追いかけたのだ。

 何故逃げたのかは未だによくわかっていない。


「今すぐ離宮の使用人達に陛下が走り回ったことを口外しないように言え!」


 オーランドは顔を真っ赤にさせてそう叫ぶ。どうやら逆鱗にふれたようだ。こうなったらオーランドを止められる者はギルベルト以外いない。しかし自分のしでかしたことをオーランドが慌てて尻ぬぐいしている状況では止めるに止められない。

 ギルベルトはどうしたものかとツヴァイを見るが、ツヴァイはもう慣れたもので、オーランドに詰め寄られても顔色一つ変えずに答える。


「そう、言われましても。もう離宮中の噂ですし」

「何をやっているのだツヴァイ!お前をわざわざ姫のもとにおいているのは姫を守るだけでなく、そういうことも想定してだぞ!?」


 そうツヴァイは本来庭師などではない。本来であればギルベルトの護衛につく騎士の1人だ。

 それをわざわざ正体を隠し、庭師としてレティシアのそばにおいたのには理由がある。まずは王妃の監視。無論、護衛の騎士も目を走らせているが、外にも目があった方が良いと考えてだ。

 もうひとつはレティシアの行動の報告。姫君としての行動、何をしていたか、どのように離宮で過ごしているか、使用人に対する態度はどうか、実は人知れず見られており、それは逐一ギルベルトへ報告されている。

 今のところ残念ながら姫君の行動として最悪ランクがつけられている。もっともギルベルトはそこが面白いと思っているところであるが。

 そしてもう一つはもちろん護衛だ。万が一ラルフ1人で対応できない場合はツヴァイも護衛の任ができるようにしている。

 最近はそちらの意味合いが強くなってきている。特にギルベルトがよく離宮に行くようになってからは。


「すみません。あまりにも衝撃的で、つい」

「ついではない!」


 ツヴァイはオーランドと口論しながら、ちらりとギルベルトを見る。それにギルベルトは僅かに顔をしかめる。

 この男、間違いなく面白がっている。

 ギルベルトはため息をつくと一番気になっていたことを口にする。


「あれは元気になったのだな?」

「姫様ですか?ええ、かなり元気です。今もラフットを庭でやっていますよ。私の剛速球を見ろとか言って、ボールを投げていました」

「なんだそれは」


 レティシアの祖国であるウォンデルト王国の習慣か言葉か、時々ギルベルトではわからない言葉や行動をすることがあった。

 以前やった料理もそうだ。レティシアが教えた料理のほとんどはアルフガルト王国にはないものだった。


「姫様はラフットが上手ですよ。クライドはまた姫様に負けていました」

「レティシア姫はいったいなんなのだ!?ウォンデルト王国では姫君が料理や畑仕事してラフットまでするのが普通なのか!?」


 間違いなく普通ではないだろう。さすがにギルベルトもそれはわかった。もちろんオーランドもそうである。頭を抱え、若干悲鳴のような声を出す。


「いったいどんな教育を今までされてきたのだ!」


 全くそのとおりである。しかしレティシアがそういった風変わりなことばかりしたからこそギルベルトはレティシアに興味をもったのだ。

 世の中とは不思議なものである。


「まあまあ、宰相様。落ち着いて下さいよ」


 ツヴァイがオーランドをなだめているその隙にギルベルトは立ち上がった。

 あわよくばこのまま部屋から出て行こうと思ったのだが、さすがにそこまで上手くはいかなかった。ギルベルトが立ち上がったことにオーランドがすぐに気づき、顔を上げる。


「陛下どこに?」

「休憩なら、どこにいっても構わないだろう?」


 ギルベルトはそう言って、さっさと部屋から出て行こうとする。しかしそれを慌ててオーランドが止める。


「いけません!フォルト公爵様よりフランチェスカ様がぜひとも陛下にお目通りしたいと伺っています!」

「何だと?」


 誰だそれは。

 そうギルベルトが言いかけたが、それよりも早くツヴァイが答えた。


「ああ、あのきつい公爵令嬢ですか。いやあ、陛下も大変ですね」

「ツヴァイ!余計なことを言うな!」


 そのやりとりでギルベルトはそのフランチェスカというのが誰かわかった。舞踏会の日にレティシアにちょっかいを出したあの娘だ。一気に気分が落ちる。

 不機嫌さを隠すことなくオーランドを睨めば、さすがのオーランドも何か感じたのか僅かに申し訳なさそうな顔をする。


「陛下。不満なのはわかりますが、相手は公爵家です。無碍に断ることはできないかと」


 オーランドのその言葉にギルベルトは黙る。

 フォルト公爵と言えば以前から怪しい節があるところだ。貴族派の筆頭公爵であり、王家にことあるごとに反旗を翻している。しかしその手腕は見事なもので決定的な証拠は何一つなく、排除しようにも排除できない状態が続いている。


「やっぱりまだ証拠はでませんか」

「そう簡単に出すような相手なら、ここまで苦労する必要はない」


 オーランドは渋い顔をする。渋い顔をしたのはオーランドだけでない。ギルベルトもまた渋い顔をしたままだ。


「側室の話は一度とめるように言ったはずだが?」

「そうは言われましても、上位貴族は納得しないでしょう。皆自分の娘を陛下に気に入って頂こうと必死ですので」


 オーランドのその返答にギルベルトはうんざりする。

 自分に必死になって媚びを売るような娘には興味がないのだ。

 ギルベルトが望んでいるのは既に1人。その事実にもちろんオーランドも臣下達も気付いている。


「姫様以上の逸材がいるとは思わないですけどね」

「ツヴァイ。お前は黙れ」

「でも、本当のことじゃないですか。そうでしょう?陛下」


 ツヴァイはそう言ってギルベルトを見る。

 ギルベルトは黙る。それは肯定していると同義だった。それにオーランドは大きくため息をつく。

 わかっていてもオーランドには受け入れがたい事実である。


「まったく。何故あのような姫君に陛下もお前も惹かれるのだ」

「姫様はいい人ですよ。何より姫様は人を誰であっても対等に扱ってくれますから。自分よりどんなに位が低くてもけして相手を見下すようなことはしない人です」


 ツヴァイの言うとおりだった。レティシアはどんなに地位が低くてもけして相手を見下さない。

 そしてどんなに地位が高くても謙ることもしない。そこがギルベルトも気に入っていた。


「おまけに料理も上手ですし」

「料理の腕は王妃には必要ないだろう!」

「そんなこと言って。ついこの前までは食欲がないとか言って、ご飯を残していたのにここ最近は完食しているそうじゃないですか?」


 その一言にオーランドは目を見開く。

 どうやら図星らしい。もちろんレティシアの料理はギルベルトも美味しいと思っていた。おそらくこの城のものはみんなそう思っているだろう。


「それって姫様が教えた料理でしょう?」

「ツヴァイ!いい加減にその口を閉じろ!」


 そう2人で言い合っているとそれを止めるようにギルベルトが口を挟む。


「ツヴァイ」

「はい」

「レティシアは何か言っていたか?」

「いえ、特には。ただ陛下が次いつ来るか気にしていたようですが」

「そうか」


 ならばいい。ギルベルトは思わず口元を僅かに緩める。

 ふと視線を感じてそちらを見れば、オーランドが静かに見ていた。ギルベルトはすぐに無表情に戻す。 それを見て、オーランドがゆっくりと口を開く。


「陛下」

「なんだ?」

「陛下はレティシア姫と会うようになり変わりましたね」

「そうか」

「ええ。以前はけして人前で笑うことなどしなかったのに」


 別に非難されている訳ではない。ただ指摘されただけだ。

 それでもギルベルトには十分応えるものではあった。


「駄目か?」

「王としてはあまり喜ばしいことではありませんな」


 その通りだ。王には個人的な感情は必要ない。そうギルベルトも思っている。そしてそう生きていた。

 だというのにレティシアに会うようになってから、それが徐々に崩れてきている。

 まずいとは思っている。しかしギルベルト自身、そのようなことになったのは初めてのことでどうしたらいいかわからないのだ。

 ただ、その感情は不快ではない。

 オーランドはギルベルトを静かに見つめる。その目には非難の色はない。むしろ少しだけどこかほっとしたような穏やかな目をしていた。


「ただ、個人的には大変良いことだと思います」


 予想外のオーランドの一言にギルベルトは目を見開く。ギルベルトだけでなくツヴァイも意外だったのか驚いたような顔をした。

 それにオーランドはばつの悪そうな顔をし、そっぽを向く。それにギルベルトは黙ってそうかと頷く。


「にしても意外でしたね。最初はどこにでもいる姫君だと思ったのですが」


 その通りだった。レティシアはこの国に来た当初はどこにでもいる姫君であった。今のような快活な様子はなく、生気のないような顔をしていた。

 それがいつの間にああなったのか。

 ギルベルトでさえわからない。思えば、病を患って回復してから、徐々に快活さが出てきたような印象はある。

 死にかけて何かが変わったとでも言うのか。


「それにしても陛下はいつから姫様のことを気にかけていらしたのですか?」

「馬鹿者。陛下は最初からレティシア姫のことを気にかけておられた」

「え、そうなんですか!?」


 驚かれても無理はない。実際オーランドの言っていることは事実だが、オーランドを除いて誰一人として、それに気付いたものはいないだろう。

 そう、ギルベルトは最初からレティシアを気にかけてはいた。

 最初に出会ったあの日から。


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