22.ただ名前を呼ばれただけなのに
もう、視線がすごいわ。
下にいる大勢の貴族達の視線がいっきに私たちに向けられる。
こんなに大勢の前に立ったことなんて今まであっただろうか。思わず緊張で身体が強ばる。万が一こんなところで転べば、大醜態だ。
私は気を引き締め、一歩一歩丁寧に足を出す。幸いなことに私が歩きにくいのに気付いているのか、陛下はいつもより歩く速度を落とし、私に合わせてくれている。
本当にこういうところは優しい。
一番下まで無事に降りきると下で見ていた貴族の方々がみんな集まってくる。そして順番に陛下の前に出て、話しかけてきた。それからはほぼ流れ作業だ。
まず陛下に挨拶をする。それから私に挨拶をし、私を褒める。私は笑顔で礼を返す。その後は陛下とその貴族との会話になる。世間話の様な話もあれば、重要そうな話もある。いずれも私はただ隣立って、笑っているだけだ。相手は全て陛下がする。
どうやらこの国ではそれが普通らしい。誰もそれを不審がらない。
これって私の顔見せが目的だったんじゃないの?私、本当にいる?
まあ、噂だとお飾りの王妃様らしいから、相手もそんなに重要視してないのかも。
そんなことを考えているとまた新しい人が陛下に挨拶をしてきた。
「陛下、この度はご婚約おめでとうございます」
「レンドルト侯爵か」
陛下の前に黒髪で立派な髭を蓄えた中年の男が進み出る。
どうやらその男は侯爵家の人間らしい。丁寧に挨拶をした後にその視線が私へといく。
「ほお。こちらがウォンデルト王国の姫君ですか」
そう言って侯爵は私を上から下まで品定めするように見てくる。
無遠慮なそれに最初こそ不快に感じていたけど、正直もう慣れた。
だって、みんなそんな感じで見てくるんだもん。
私はただただ笑顔を崩さないように気をつける。陛下が言うとおり今日私がすることは陛下の隣で笑っていることだけだ。
言われたことぐらいできないとさすがにまずい。
「実に可愛らしい姫君ですね」
散々私を見てから侯爵様はそう言い、陛下に向き直る。陛下は一言「そうだな」とだけ返す。陛下のその一言に私は思わず陛下の方を見る。
可愛いって。陛下もそう思っているってこと?
そう思って期待の目で陛下を見たが、陛下は顔色一つ変えない。
本当に感情の読めない人だ。
結局その後、当たり障りのない会話をしだす。私は内心退屈だなと思いながら、笑顔を崩さず、その話を聞く。ふと、侯爵様が言葉を切り、陛下の方を伺うような様子で見る。
どうしたのかと思っていると侯爵様は少し言いづらそうに言う。
「それであの、陛下、側室に我が娘を迎え入れる話ですが」
「え?」
侯爵様が続けて言った予想外の一言に思わず私は声が出る。
側室。その言葉はいくら私だって知っている。前世で言えば合法的な愛人の様なものだ。もちろんこの世界では王族が正室の他に側室をもつことは珍しくない。
そ、そうだよね。側室ぐらいもつよね。だって陛下はこの国の王様なんだから。
私と間に子供ができなかったら大変だし。ある意味、王様が側室をもつのは義務みたいなものだし。そうだよね。うん、そういうものだよね。
そう、なんだよね。
わかっている。内心ではしょうがないことだと。わかっている。
もちろん私は陛下と恋愛結婚するつもりでいるけど、それは私の一方的なもので、陛下には関係ないことだと。
むしろ立場が正室であって、良かったと思うべきだと。
そう、わかってはいるけど。
でも、と納得できない自分がいる。
もしも陛下が別の女性と親しくしていたら。私じゃない女性にあの時みたいに優しく笑いかけたら。
そう思うと何故か胸が痛んだ。
陛下の方を見る。陛下は相変わらず無表情で、こちらさえ見ない。それにますます胸が痛んだ。
なんで。わかっていたことなのに。
ああ、だめだ。笑顔が崩れる。
私は慌てて下を向く。崩れた表情を見せる訳にはいかない。
笑顔でいろって、それだけでいいって言われたのに。こんなこともできないなんて。
そう思っていたその時、急に私の手が掴まれる。
はっとして見れば、陛下が私の顔をじっと見ていた。
「陛下?どうされましたか?」
「レンドルト。その話はまた後日にしろ。余は席をはずす」
それだけ言うと陛下は侯爵様の返事も聞かず、私の手を引いて歩き出す。
そう、手を引いて。手を。
「ええええ!?」
い、今、私陛下と手をつないでる!?すごい!?異性と本当に手をつないで、いや、もうそれ以上のことをしている気もするけど!で、でも手を!
私はそう内心感動していたが、そんな私に一切構わず、陛下はどんどん歩いて行く。
そのペースが結構速い。
ちょ、陛下。あんまり早く歩くと足が!ちょっとついていけないというか、危ないと言うか!
「へ、陛下!ストップ!転ぶ!転んじゃうから!」
思わずそう呼ぶが、陛下は足を止めない。私の方を不快げに一度見て、足のスピードを僅かに下げてくれたが、手を引くことは止めない。足がもつれながらもそれになんとかついていく。
陛下が歩くのを見て、周りが慌てて退く。あっという間に道ができて、そこを陛下は堂々と私の手を引いたまま歩いて行く。
人々の驚きと好奇満ちた視線が私達に向く。
うん、そりゃあ、目立つよね。陛下も私もこの舞踏会の主役みたいなものだし。
ざわめく会場など気にもとめず、陛下はそのまま手をつないだまま王宮の外へと出る。外に出てしばらく歩いた後、陛下は私の手を離し、ようやく足を止めた。
それに私はほっと息をつく。
良かった。転ばなかった。あと、少し歩いていたら危なかった。
よくやったな私と自分で自分をこっそり褒めていると陛下が振り返る。
「大丈夫か?」
「え?」
「具合が悪かったのではないのか?」
そう言って陛下は訝しむように私を見る。
もしかして、私が顔を伏せたから、私の気分がすぐれないと思って、外に連れ出してくれたってこと?あの陛下が?私の為に?
それは、うん、そのちょっと嬉しいかもしれない。
思わず顔がにやける。
「えっと、もう大丈夫です」
「そうか」
そう言って陛下は黙る。私も得にそれ以上言うことがなく黙り込む。お互いに流れる沈黙。
うん。気まずい。
陛下と話すのもだいぶ慣れてきたけど、実際二人っきりになるとなかなか話題が出てこない。とはいえ沈黙も辛い。
何か、何か、話さないと。えっと。
ふと、さっき気付いた事実が頭に浮かぶ。
「あ、陛下の名前ってギルベルトって言うんですね!」
あまりに話せる話題がなくて、つい思いつきのままに口にする。
しかし良かれと思って口にしたことだったけど、それはどうやら間違った選択だったようだ。
陛下の顔がひきつる。
「陛下?」
陛下は顔をひきつらせたまま、私を呆れたように見る。
「お前は名前も知らぬ相手に嫁ぐ気だったのか?」
その一言に今度は私の顔がひきつる。
あ、そうだよね。うん、そうなるよね!いや、うん、その通りだけど!?いやいや、だって、わかんないって!
誰も陛下のこと名前で呼ばないし!
たぶん知っていたとは思うけど!ただその辺とのところはレティシアの記憶も曖昧でよくわかんなかったし!だから!だから!
「ちがっ、えっと、ちょっと忘れちゃっただけで」
「余の名前を忘れたと言うのか?」
「えっと、ちがっ、えっと……」
駄目だ!ますます墓穴ほっている気がする!違うんだって!私だって好きで忘れた訳じゃないんだって!悪気はないんだって!
「お前という奴は……」
「違うんです!そ、それに陛下だって私の名前知っています!?いつもお前とかで呼んで!」
そうだ。私だけじゃない。私は陛下って呼んでいるけど。陛下なんて私を呼ぶときは名前どころかお前呼ばわりである。
「もしかして陛下も私の名前知らないじゃないですか!?」
私の問いかけに陛下は何も言わない。やっぱり私の名前わからないんだ。
そう思ったその時、ぽつりと小さな声で陛下が言う。
「レティシア」
「あ……」
呟かれた名前にどくんと胸が高鳴る。私の名前だ。私の。
無意識に顔が赤くなる。
「知らぬ訳がないだろう」
陛下はそう言って私をまっすぐと見る。
そんなふうに見ないで!今、顔が赤いから!
私は慌てて顔を背け、すみませんとわざと大きく頭を下げて謝る。
うん、これでたぶん顔は見られないはず。
いや、ね。確かに名前を知らない私も悪いんだけど。でも、でもね。名前を知っているなら、もっと呼んでも良かったんじゃない!?
お前なんて呼ばずレティシアって呼べばいいじゃない!
そう思っていると不意に「陛下!」と大きな声で呼ぶ声がした。
陛下は私から視線をはずし、声のした方を見る。つられて私も見る。
舞踏会の会場から走ってきたその男は、いつぞや見た神経質そうな眼鏡をかけた初老の男だった。
「陛下!この様な場所にいたんですね!」
「ああ」
そう言えばこの人が誰かは聞いていない。
いったい誰なんだろう。そう思っていると初老の男は私を見て、何故か顔をひきつらせた。
え?あれ?何その反応?
なんで会って間もない人にそんな反応されなきゃいけないの?
初老の男はすぐに表情を戻すといかにも胡散臭そうな笑顔を浮かべる。
「これはこれはレティシア姫。姫様のご活躍はよく陛下より聞いていますよ」
男はそう言って私を見る。凄い。口元は笑っているけど私を見るその目は全く笑ってない。
「えっと」
誰だ?このあからさまに私をよく思ってなさそうな人は?
ちらりと助けを求めるように陛下を見る。陛下はそれに仕方ないといった感じで答える。
「オーランドだ。この国の宰相を務めている」
「さ、宰相!?」
宰相様ってあれですよね。国で2番目ぐらいに偉い人!?しかもさっき何て言ってた!?
私のご活躍を聞いてる?!
うわあ、やっちゃった!?その目を見る限り、絶対それ、いい話じゃないでしょう!?
内心頭を抱えている私をよそに宰相様は陛下へと視線をやる。
「陛下。申し訳ありませんが、すこしお話が」
「そうか」
あっと思う間もなく、陛下は私から離れる。
どうやら宰相様との話を私に聞かせる気はないようだ。もっとも宰相様がわざわざ陛下を探しに走ってくるぐらいだから、その内容はきっとよほど大事なことなのだろう。
陛下はいつもの不機嫌そうな顔で私を見る。
「余は少し離れる。いいか、大人しくここで待っていろ」
「はい。わかりました」
「いいか。喋るな。たとえ誰かに話しかけられたとしても喋らず、黙っていろ」
「わ、わかってますって!」
本当に信用がないな。私がいくらそう言っても陛下は疑わしそうに私を見る。結局、最後は宰相様に促され、やっとその場を後にした。
残されたのは私だけ。ぽつんと王宮の庭に残され、私は所在なさげに立つ。
「べ、別に寂しくないし」
思わず口からでる強がり。本当は陛下がいなくなって、少なからず心細さを感じていた。こうやって離れて思うと意外と陛下のことを頼っていたんだなと思う。
だ、大丈夫。だって、あの陛下のことだし。たぶんすぐ帰ってくると思うし。そうきっとすぐに。
そう思っていたその時だった。靴音が聞こえる。陛下のものではない。かつんかつんとヒールがうつ音が聞こえる。
その足音が私に向かって徐々に近づいてくる。




