19.ぶつかったその人はもちろん
数十分ほど走り、程よいところで休憩がてら足を止める。
いい運動になった。心地良い疲労感とともに私はふうと一息入れる。
すぐにルイザが用意していた冷たい水を持ってきてくれた。こういうところはさすがである。
私が水を飲んでいるとラルフがすぐそばにやってくる。ラルフは私と一緒に走っていたのだが、さすがと言うべきか、息切れなど一切していない。
まだまだ余裕といった感じだ。
「驚きました。姫様、本当に体力がついたのですね」
ラルフはそう言って笑う。それに私は満面の笑みで答える。
「でしょう!?ふふふ、この調子ならそのうち、陛下にぎゃふんと言わせられるわ」
「陛下に何てこと言うんですか!」
ルイザは呆れたようにそう言い、私を少し責めるように見る。
もう、そんなに怒らないでよ。冗談だから。
私はそっとルイザから視線をそらし、ラルフの方を見る。
「そうだ!ラルフ!せっかくだから私と競争しない?」
「競争ですか?」
「そう。準備運動も終わったし、どう?」
そう言って私はにやりと笑う。
そう。前世の私はなにを隠そう、陸上部だった。その為、走ることは得意だ。
もとからレティシアの身体は運動神経がいい。そして筋トレを続けて、筋肉がほどよくついてきた今、足の速さも前世の私の全盛期に近づいてきている。
先日、クライドと競争した時はなんと圧勝だった。負けたのが悔しかったのかクライドから何度も再戦を申し込まれたが未だに負けなしである。
もちろんそのことはラルフも知っている。
負けたクライドを苦い顔をして見ていたから。
「姫様と競争ですか」
「まだラルフとはやってなかったでしょう?せっかくだし、やりましょうよ」
「姫様、あまり無茶を言わないで下さい。そもそもラルフ様とでは勝負にならないでしょう」
ルイザはクライドとの勝負を見てないので、私がどれだけ足が速いのかわかっていないようだ。私は得意げにルイザを見る。
「残念!足の速さだったら、私ラルフに勝つ自信あるから!」
「たしかに姫様は足が速いですからね」
「え、そうなのですか?」
ラルフにそう言われてもルイザは疑わしげに私を見る。
うん、全然信じてないね。こうなったら実践あるのみだ。
「まあ、見てなさいって」
私はルイザに持っていたグラスを渡す。そして軽く準備運動をした後、離宮の入り口の方に向かって、思いっきり走り出す。
ついさっき走ったので足が軽い。この調子ならいつも以上にスピードがでそうだ。
私は一気に加速する。
やっぱりズボンだと走り安い。どんどんスピードがでる。
「姫様!!!」
ルイザの大きな声が後ろから聞こえる。どうやら予想外に早くて驚いているようだ。
ちらりと振り向けば、遠くでルイザとラルフが何故か焦ったような顔をし、私に何か言っていた。
何を言ってるんだろう?
私は僅かにスピードを緩め、二人が何を言っているのか聞き取ろうとする。
「姫様!前を見て!止まって!!」
え?前?前を見て?
ルイザのその声に私は視線を前に戻す。目の前には黒い影。
そして、次の瞬間、衝撃が走る。
「っ!?」
ああ、前を見てってこういうことだったのか。
私は目の前にあった何かに勢いよく衝突しながらそう思った。
全身に走る痛み。痛みにもだえる間もなく、そのまま身体のバランスを崩し、私は前へと倒れこむ。
私が倒れると同時にぶつかった何かも一緒に倒れ、そのまま私はその何かを下敷きにし、倒れた。
倒れる瞬間、何かが私を包み込む。それは木から落ちたときに私を抱き留めてくれ時によく似ていた。
というか、そのままで。私は誰かとぶつかって、そのぶつかった誰かに抱き留められたのだとわかった。
そう、問題は、それが誰かなんだけど。
なんとなくその誰かがわかりながらも、私は怖くて顔をあげられない。
まさか、そんな二度目はないわよね。ね?そんな?
「おい!」
怒りを抑えた声が聞こえ、私は恐る恐る顔を上げる。
すぐそばには予想通りの端正でありながら不機嫌な顔。そして目が合うとその顔が一瞬にして怒りに歪む。
どうやら、私はまたやってしまったらしい。
「この阿呆が!!!!」
凄まじい音量の怒声。耳がきーんとなる。
うん、わかってた。というか、本当にごめん。
まさか国で一番偉い人を2回も下敷きにするなんて。
「本当にごめんなさい!」
私は飛びのけるように陛下の上から降りようとしたが、出来なかった。
陛下は何故か、がっしりと私の身体に両手を回し、強く抱きしめる。何度かその腕から逃れようと頑張ったが、結局私は抜け出すことができなかった。
そうこうしているうちに陛下のお説教が始まる。
「いったい、お前は何をしているのだ!?」
「す、すみません!」
「何故、前を見ずに走る!?こうなることは予想できただろう!?」
「お、仰るとおりで」
「お前は何故大人しくしていられないのだ!?」
「いや、それは、その」
えっと、陛下。うん、言いたいことはわかる。今回も私が悪い。
本当にそのことに関しては謝る。謝るからね。とりあえず、とりあえず。とりあえず離して!?
恥ずかしいから!周りの目が気になるから!いいからとりあえず、陛下は腕の力を緩めよう!結構強くて痛いから!そんなにぎゅうとしなくても、もう大丈夫だから!さっきまで走ってたから汗臭いし!できれば抱きしめてほしくない!
てか、顔が怖い!本当に怖いんですけど!間近でそんな怖い顔しないで!
本当だったら抱き留められて、ときめくはずのポイントなんだけど、これは無理だわ。
陛下の顔が怖いし、その怒りがもうひしひしと伝わるし、ときめくにときめけない。というか、命の危険性さえ感じる。
いや、大丈夫だよね。陛下は優しいから、こんなに怒っても私を罰したりしないよね?大丈夫だよね!?
「いくら言っても大人しくしていられないなら、今後は自室に閉じ込めるように兵に命令するぞ!」
「それは困るから、やめて!」
「なら大人しくしていろ!」
「だから、本当にごめんって!」
本当に私が悪かったって。二度も陛下を下敷きにするなんて、もう、本当にごめんなさい!
全面的に私が悪いんだけど!本当に悪いんだけど!でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ言わせて。
「何で陛下はよけなかったんですか!?」
そう今回は木から落ちたときとは違う。ぶつかったのだ。前方から走ってきたなら避けることだってできたはず。
私がそう言えば、陛下はますます大きな声で怒鳴る。
「何故余がよけねばならぬ!」
「ええ!?そこはよけて下さいよ!!」
うん、わかるよ。王様だもんね。
塔に行くとき見てたけど、周りがみんなよけてくれたもんね。自分がよけることなんて確かになかったよね。
わかるよ、わかるけどさ。でもね。
「避けようと思えばできたでしょうが!」
そう、陛下ならできたはずだ。私が走ってくるのを見て、避けることが。それぐらいの間はあったはずだ。
それなのに陛下はよけず、あえて私にぶつかり、受け止めた。
何でそんなことを。いや、正直ぶつかってくれて、私はすごい助かったけどさ。でも、そうすればこんなことにはならなかったはず!
私のその訴えに陛下は眉をしかめながら怒鳴る。
「余がよけたら後ろのものがぶつかるだろうが!?」
「えええ!?」
そうか。忘れてた。
陛下は顔に似合わず、優しい人だった。自分が避けたら、後ろがぶつかることに気付いて、避けれるのにわざとぶつかったのか。
うん、本当に優しい。優しいけどさ!もう、そんなとこで優しさを見せないでよ!そこは陛下が身を挺する場面じゃないから!そこは自分の身を大事にしてよ!
そう思って、私はじっと陛下を見る。陛下は不機嫌そうに私を睨んでくる。
「何か言いたげだな?」
「陛下」
「何だ?」
「陛下って本当に顔に似合わず、優しいですよね」
「顔に似合わず、悪かったな」
陛下は大きなため息をつきながら、私を見る。
相変わらずその目はきついが、段々と私も慣れてきた。というか、わかってきた。陛下は顔が怖いけど、けして怒っているわけではない。
今の発言だって本来ならもっと責められてもいいぐらいなのに、陛下の目は思いのほか優しい。
陛下って目つきが悪いし、すぐ大声で威圧的に喋るから、怒っているように見えるけど、実際は見た目ほど怒ってないのかもしれない。
今のところはだけど。
「それで陛下はみんなの為に私にぶつかってくれたということですか?」
「それもあるが」
陛下は何故か少しためらうそぶりを見せる。
どうしたのかと思っていると、陛下は声の音量を下げ、ぽつりと言う。
「あのままだとお前は派手に転んでいた」
陛下の思わぬ一言に私は言いかけた言葉を飲み込む。陛下は相変わらず無表情で感情が読めない。
でも、その言葉通りにいくと、私のことを少しは心配してくれたらしい。しかも私が怪我をしないようにわざわざ受け止めてくれて。
「それはちょっと反則かも」
普段あんなに怒るくせに。顔すっごく怖いくせに。全然笑ってくれないくせに。
それなのにそうやってふとした瞬間に優しいなんて。
そんなのちょっとずるいじゃない。
これはあれだ。ヤンキーが捨て犬を拾ってときめくのと同じ。普段そうしない人がふとした瞬間で優しいとときめいてしまう。
当然、私も正直、ちょっときた。ちょっとだけだけど。
わかっている。陛下は誰にでも優しい。
だから私が特別って訳じゃない。そうわかっているけど、それでも。私のことを少しでも考えてくれて、心配してくれたなら。
それは、ちょっと嬉しいかもしれない。
「陛下」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
避けないでくれて。私のことを少しでも思ってくれて。本当にありがとうございます。
私がお礼を言うと陛下は黙って、目をそらす。
「別にかまわん」
あれ?これ、照れてる?もしかして、あの陛下が照れてるの?
顔は怖いままだけど。それでもちょっと、こう、胸に迫るものがある。
というか、もう心臓がもたないから!
「すみません、陛下。お願いあるんですが」
「なんだ?」
「いい加減に降りていいですか!?」
そう、今までできるだけ気にしないようにしていたけど、私はいまだに陛下に抱き留められたままである。
うん、もうね。私の心臓はずっとうるさくなりっぱなしだし、周りの生暖かな目が結構くるし、とにかくもう降りたい!
というか本当に離して!
「嫌なのか?」
「嫌じゃないですけど!そういう問題じゃないんですよ!?」
そもそも前世の私は恋愛したことがなくて、当然異性にこんなことされたことない訳で、もう本当にやばい!
このままだと不整脈になるから!もう、冷汗もすごいし!できれば今すぐ離れたい!本当にお願いだから!
私のその思いが通じたのか、陛下は黙って腕を緩める。すかさず、私は陛下のそばから離れ、立ち上がる。陛下もまた体を起こし、隣に立った。
相変わらず背が高い。さっきまで近かった顔が一気に遠くなる。
「で、お前は何をしているんだ?」
陛下は目を細めて私にそう問いかける。向けられる目が急に冷たくなる。
まあ、そうなりますよね。その目にじわじわとダメージを受けながら、私は乾いた笑みを浮かべる。
「えっと、何って、見てわかりませんか?」
「わからないから尋ねているが?」
いやいや、絶対わかってるよ。だって、私が何をしていたか絶対見てたもん。
しかし陛下は私に直接答えさせないと気がすまないらしい。じっとりとした陛下の視線を受けながら、私はもうやけだと思いながら答える。
「えっと、走ってました!」
「何故、走る必要がある?」
「何故かと言われますと。まあ、筋肉をつけようと思いまして」
私の言葉に陛下の眉間に皺がよる。ああ、どうやら私の返答が気に入らなかったらしい。
とはいえ、もうどうしようもない。私は正直に答えることにした。
「前回陛下にすばらしい景色を見せてもらった訳ですが、その時階段を登り切れず陛下のお手を煩わせてしまったので!今度は、今度こそは自力で登ってみせようと今まさに体力をつけています!」
胸をはって答える私に陛下は心底呆れたような顔をする。
何故だろう。この話をすると決まって、みんなこんな顔をする。
私、そんなに可笑しいこと言ってる?
「やはりお前は阿呆だな」
陛下はそう言って私の格好を見る。上から下へ、一通りみてから、陛下はため息をつく。
「乗馬服がほしいというから、馬でも乗るのかと思えば」
陛下はそう言ってまた呆れたように私を見る。
あれ、もしかして、その言い方は?あれ?この服ってもしかして陛下が用意したとか?
まさか、そんな。
「あの、まさかと思いますけどこの服を用意したのって陛下ですか?」
「他に誰が用意する?」
そ、そうなの!?そんなの全然知らなかったんですけど!?まって!そういえば、最初に比べてドレスの量が日ごと増えていくんだけど!もしかして!?
「他のドレスとかも陛下が用意してます?」
「そうだが?」
よ、用意してるんだ!そっか、じゃあ、えっと私の服の趣味が筒抜けってことですね!最近やたら気安いドレスが増えてて、やったとか思ってたけど。もしかして陛下が私の好みを見て、用意させてるとか?それはちょっと恥ずかしいんですけど!
というか、陛下意外とセンスがいい!もしかして私よりもいいとか、ないよね?
そんな。でも、陛下の服っていつも結構こだわったものが多いし。そりゃあ、王様だからってこともあるけど、ただ豪華なだけじゃなくて、こうお洒落で。
「おい、なんだ?」
つい陛下の服をじろじろ見てしまったせいだろう。陛下が不快げに私を見る。
まずい、見過ぎた。私はあいまいに笑ってごまかす。
「そ、そういえば、見て下さい!少し筋肉がついてきたんですよ?」
私はそう言って得意げな顔をする。てっきり褒めてもらえると思っていたのだが、何故か陛下はとても微妙な顔をする。
「そもそも何故王妃に筋肉がいる!?必要ないだろう?」
陛下の一言に私は固まる。
うん、そうだね。そのとおりなんだけどさ。
私はさっと周りを見る。周りの人たちは皆黙って、頷いていた。
あ、みんなそう思ってた感じ?あれ?
「い、いりますよ!体力は大事ですって!」
私は必死に陛下に筋肉の必要性を説いたが、どうも陛下はぴんとこないようで、ますます眉を寄せる。
うう、なんで?体力は大事なのに!あって困るもんじゃないのに!
私がいくら説明しても誰も納得しない。それどころか何故か憐れむような眼で私を見る。
「お前は何故そういう変わったことばかりするのだ?」
「な、変わってないですよ!普通ですよ!」
「普通だと!?普通の姫が料理をし、畑を耕し、木に登り、あげく肉体を鍛えようとするのか!?」
あ、うん、確かにそこは普通じゃない気がする。でも、違うんですよ!?そこには訳があるんですって!
「そもそも陛下がいけないんですよ!ここでなら何でもしていいって言うから!」
「普通そんなことすると思わないだろう!?」
そうなんだけど!本当にその通りなんですけどね!まずい。これは勝てる気がしない。何言っても墓穴ほりそう。
話題を変えよう。うん、そうしよう。
「そ、それにしても何で急に来たんですか?」
私の言葉に陛下の顔があからさまに不機嫌なものになる。
いや、聞いただけじゃん!そんな怖い顔しなくたっていいじゃん!なんですぐそういう顔するの!?
「いつ来ようと余の勝手だろう」
「それはそうですけど」
なんだか前に比べて最近はよく会う気がする。最初は会う日や時間帯まで決めていたのに、今や事前の知らせが一切ない。事前に知らしてくれれば、私だってこんな格好しなかったのに。
見てよ。あのルイザの顔。本当にしまったという顔で私の格好を見ている。
これじゃあ、下手したら乗馬服なんて今後一切着るなって言ってくるかもしれない。
それは本気で困るんですけど。
「でも、先に言ってくれれば、こっちもそれなりのものを用意できたのに」
「別に必要ない」
「本当ですか?新しいお菓子とか興味ないんですか?」
「なに?」
あ。陛下の顔が僅かに変わった。
やっぱり食べ物には興味あるんだ。
そうだよね。陛下はなんだかんだ言って私の料理結構気に入っているよね。
うまいって言うし、全部食べるし。やはり男は胃袋をつかむのよと言った母の言葉は嘘じゃなかった。
うん、ありがとう。
「陛下、今食べたいと思ったでしょう?」
「思っていない」
「もう意地張らなくてもいいのに!でも安心して下さい!こういうときのためにちゃんと用意してありますから」
本当は私とルイザのおやつにする予定だったんだけど、まあしょうがないよね。後でルイザには謝っておこう。
さて、今日もうまいって言ってくれるかな。
私は満面の笑みを浮かべ、陛下を見る。陛下は相変わらず不機嫌そうに私を見返した。




