18.いつかその時の為に
「姫様、今日も走るのですか?」
中庭で準備体操をしているとラルフがどこか遠慮がちにそう聞いてきた。それに私はもちろんと頷く。
今日はラルフしかいない。どうやらクライドは別の用に出ているらしく、今日1日は私の護衛はラルフだけだ。そしてラルフは今、私の筋トレに付き合ってくれている。
あれから数日、私の日課には畑仕事、料理の他に、筋トレが加わった。最初はもちろん体力作りを目的にやっていたのだが、今では単純に身体を動かすことが楽しくなってきている。
そういう訳で私は毎日身体作りに勤しんでいる。そして順調にその成果も出てきた。
そう!見て欲しい!この引き締まった身体を!以前の頼りない細さとは違う、ほどよく引き締まった筋肉達を!最近持久力もいい感じについてきており、順調に体力がついてきている。
この調子ならあの階段を登りきるのだって夢じゃない。
「ラルフ見ててね!今度はあの階段を絶対余裕で登ってみせるから!」
「え、あ、そうですか」
私の言葉にラルフは苦笑いをする。何故だろう。その目が若干泳いでいる気がする
「それで、その格好はどうしたのですか?」
ラルフはそう言い、私の格好を見る。そう、今、私はいつもの様なドレスを着ていない。
身体を鍛え始めてすぐ思ったことだけど、そもそもドレスは運動に向いていない。
まあ、当たり前だけど。
どんなに身軽なドレスであっても、やはりひらひらすれば気になるし、汚れでもすればルイザの小言があとからとんでくる。もっと別の服があればいいのに。汚れても気にしなくてもいい服が。
だめもとでルイザに相談するとルイザは何故令嬢がドレスを着るのかを長々と説明し、どうしてドレスを着て大人しくしてくれないのかと言い出した。それから、どれぐらい小言が続いたことだろう。睡魔に襲われながら、何とか相づちを打ち続けているとルイザはため息をつき、乗馬服はどうですかと言ってきたのだ。
これはすばらしい案だった。乗馬服とは馬に乗るときに着る服だ。男性が着ることが多いが女性だって着ることがある。当然、馬に乗るため、ズボンだし、ドレスに比べれば格段に動きやすい。
早速私はルイザに頼み込み、乗馬服を用意してもらったのだ。
「そうなのよ。よく似合うでしょう?」
私は自慢げに見せる。実際にこの格好をラルフが見るのは初めてだ。クライドには前に見せたが、見せた時「他国の姫君はこんな服まで着るんですか!?」と何故か驚かれてしまった。
正直、もうちょっと違う感想を期待していたので、その時はがっくりした覚えがある。
私の格好を見て、ラルフは優しく笑う。
「とても可愛らしいですよ」
さすがはラルフ!私の望む感想を言ってくれる!
私は思わず前屈みなりながらそうでしょうと答える。
「そうなのよ!みて!よく似合うでしょう!」
可愛らしいドレスも確かにお洒落だと思うが、見慣れていない為、正直気恥ずかしさの方が強くでてしまう。
それに比べ、この乗馬服はいい。前世でパンツタイプのスーツを愛用していた私にとってしてみれば、パンツの乗馬服は着慣れている感じが強い。そのうえ、青と白を基調にして作られたこの服はセンスが良く、自分でもかなり気にいっている。
「これで存分に走れるし、どこにでもいけるわ!」
私のその言葉に何故かラルフの顔が曇る。どうしたのかとその顔を見ているとラルフは少し言いづらそうに聞いてくる。
「あの姫様、何故そこまで筋肉をつけることにこだわるのですか?」
「もちろんあの階段を自分の力で登りきるためよ!」
「それだけですか?」
ラルフの言葉に私は首をひねる。
うん、それだけ。それだけだけど。え?他に何か理由とかいる?
「えっと、ほら、体力はあっても困らないし」
「例えば?」
「えっと、ほら、悪い人に追われるとか」
「そのようなことがあれば我々が必ず姫様をお守りいたします」
ラルフが少し顔をしかめて答える。
そりゃあ、そうだよね。だって私を守る為にラルフ達はいるんだもんね。ごめん!悪かったわ!
でも、他に理由なんて、なにかあったかな?
私は再度考え、あっと声を上げる。
「そうだ!陛下に追いかけられた時とかどう!?ラルフ達じゃ止められないでしょう!?」
「陛下に追いかけられるようなことしないで下さい!」
私の返答に即座にラルフが答える。
えっと、はい、仰るとおりです!
でもね。正直、ないことじゃないと私は思ってる。あの短気で、すぐ怒鳴る陛下のことだし。何かあったら本気で怒って追いかけてきそう。
その場合、捕まったらどうなるか。考えるだけで恐ろしい。
「やっぱり体力は大事よ!」
私がそう結論づけて言うとラルフは黙り込む。少し間をあけて、ラルフはそっと口を開く。
「姫様は陛下のことがお嫌いですか?」
「え?」
えっと、何て聞かれた?陛下の事が嫌い?誰が?私が?って、ええ?ええええ?
「ちょ、ら、ラルフ!?急にどうしたの?」
これってあれじゃない!?ぞくにいう恋バナってやつじゃない!?よく女性同士でやるあの話じゃない!?ねえねえ、貴方。あの人のことどう思うの的な!すごい!私、今恋バナをしてる!前世ではこんな話一度だってしたことないのに!!
もっともその話をしているのが同性の女子ではなく、私よりもずっと年上のラルフとで、しかも想像していた楽しい感じじゃなくて、思いっきり真面目な感じで聞かれている訳なんだけど。
しかも中庭で急に。
まあ、でも、恋バナには違いない。私は少し自慢げに答える。
「えっと、陛下をどう思うかって?そりゃあ、怖いし、すぐ怒るし、何食べてもうまいの一言しか言わないし、愛想全くないし、何考えているか全然わからないし、態度もでかいと思っているけど」
「そうなんですか」
あれ、ちょっと待って?
私は思わず押し黙る。ラルフもまた何故か神妙な顔をして黙り込む。
あれ?なんか思っていたより本当に深刻げなんだけど。
いや、違うんだよ。そうじゃなくてね。
「えっと、私、別に陛下のこと嫌いじゃ」
「しかし、陛下のことを、その、良くは思っていないのでしょう?」
「え、いや、ちがくて」
そう、別に陛下のことを良く思っていない訳じゃない。いや、むしろ、どっちかと言うと好ましく思っていると思う。
ただ、なんというか、理由を聞かれると正直困る。
何て言うか、はっきり言える理由がまだ私にもわからない。
ただ嫌いではない。それはわかる。
「では好きということですか?」
「はう!?」
ちょ、ラルフさん!本当にどうしたんですか!?そういうタイプじゃないですよね!?しかもそういうことを真面目な顔で聞かないで!?全然恋バナの雰囲気じゃないから!むしろ圧迫面接とかに近いから!見えない謎の圧力がすごい!
せめてツヴァイぐらいにこやかに、軽口と一緒に聞いてくれるなら、まだ答えやすいのに。
ラルフは本当に真剣な表情で陛下のことを尋ねてくる。
こ、これは冗談とか軽口ではない、まじのやつだ。
「えっと、その……」
私は思わず口ごもる。
まずい。前世で私はこのての話題をふられた経験がほぼない。
いや、よく考えたら、これってすごい恥ずかしいこと聞かれてない?聞かれているよね?いやいや、こんなの答えられないって。
いつの間にか顔が熱くなる。たぶん今私の顔は赤い。最初はうかれ気分だったけど今はもう恥ずかしくてどうにかなりそう。
というか、何で私こんなこと聞かれているの!?
そもそも、好きか嫌いかで答えなきゃ駄目?その間とかってないの?まあまあとか、どちらかと言えば好きとか、そういう返答はなし?てか、本当にどうしたのラルフ!
「その、ですね……」
いつまでたってもうまく答えられない私に何を思ったのか、ラルフの顔があからさまに暗くなる。
あれ、もしかして落ち込んでいる?何で?私が陛下のことを好きかどうかって話だよね?それでなんでラルフが落ち込んでいるの?
「ラルフ?」
「姫様。私は姫様のことを守るべき主君であると思っております」
「え?ありがとう」
あれ?何か雲いきが怪しいような。
ラルフは神妙な雰囲気のまま言葉をつなげる。
「ですから、もしもここを逃げようなどと思っているなら、ぜひとも考え直して頂きたい。万が一貴方が逃げるようならば、私は貴方を捕まえなければいけません」
「え?」
思わぬ方向に話が飛び、思考が止まる。
あれ、これって、もしかして、ひょっとして、私、疑われてる?ここから逃げるんじゃないかって? そっか、そっか。それでラルフはあんな真剣な感じで聞いてたんだ。私が逃げたら困るから。なるほどね。
って、そもそも違うよ!?
「逃げないよ!?私、逃げないよ!?」
思わず私は大声でそう叫ぶ。それにラルフはがあからさまにほっとしたような顔をした。何故かわからないけど本気で疑われていたらしい。
いや、さすがの私だってそんなことしないですからね!?
「良かったです。私はてっきり逃げる算段をつけているのかと」
「いやいや、何で!?何でそんな!?」
「その、姫様が陛下のことをあまりよく思っていないという噂を聞きまして」
「ええ!?そんなの知らないんですけど!?」
ちょ、誰よ!?そんな噂流した人!?ちょっと名乗りでなさいよ!それ、勘違いだから!私さすがにそこまでじゃないから!
「そのうえ、あんなにも必死に体力作りまで始められて、もしかしたら姫様は陛下のことが嫌いになり、ここを出ようと考えているのかと」
「いやいや、ないない!」
さすがの私もそこまで無謀なことしようなんて思わないよ!?と言うか、その場合ここを出る手段は徒歩!?いやいや、するにしてももう少し私も計画ねるわ!さすがに徒歩で脱出はないわ!ここから出ても 祖国に帰るまでが大変そうだし!
私の言葉にラルフは酷く安堵した表情を浮かべる。
「そうですか。良かったです。私の勘違いですか」
「そうそう!勘違いだから!」
いやあ、勘違いがとけて良かった。私はふうと息をつく。
「そもそも、その噂逆じゃない?陛下が私をよく思ってないならあり得そうだけど」
「いえ、それはないです」
私のそれに何故かラルフはきっぱりと答える。
いやいや、あの陛下なら十分あると思うんだけど。何故かラルフは少しもそう思っていない様だった。
「で、でも私、散々陛下に怒られてるし」
「そうですね」
「しかも口げんかまでしたし」
「そうですね」
あれ?全然よく思われる要素ないよね?やっぱり、陛下、私のことよく思ってないんじゃ。
そう思って口にすれば、ラルフはしかしきっぱりと否定する。
「陛下はけして姫様のことをその様に思っていませんよ」
「そ、そう?」
「ええ」
なんでだろう。何でそんなこと言い切れるだろう。ラルフは陛下に長年仕えているから?いや、それにしてもずいぶんときっぱり言っているような。
「ねえ、ラルフって陛下と親しいの?」
「いえ、陛下と親しいなど恐れ多い。私はただ陛下にお仕えしているだけですから」
「でも、前も確か陛下の好みを知っていたわよね?」
ただの騎士が知っている情報ではないと思うけど。私の問いかけにラルフは少し間を空ける。しばらくして少し苦笑いを浮かべながら答える。
「別に隠していた訳ではないのですが、姫様に仕える前は陛下の護衛の任についていました」
「え?」
それって、あれだよね。陛下について回る騎士だったってこと?毒味とかしているあの人達だよね。
そっか!それで陛下の好みがわかったのか。凄いね。ラルフってやっぱり偉い人だったんだ。クライドの上司だけある。
さすがって、いうか。
「ええ!?な、なんで私の護衛になっちゃったの!?」
これは私でもわかることだが、王の護衛騎士に選ばれる騎士はいわゆるエリートが多い。国で一番偉い人を守るのだ。実力はもちろん、地位もそれなりの人が選ばれる。王の護衛騎士はまさに前世でいう出世街道。それがいくら王妃候補とはいえ、他国の姫君の護衛につくなんて。
それは間違いなく出世街道からはずれたことを意味する。
「ど、どうしたのラルフ!?左遷されちゃったの!?」
「させん?すみません。言葉の意味がよくわかりません」
「何で王の護衛から私の護衛になっちゃったの!?何か陛下の機嫌でも損ねることしちゃった!?もしもそうなら、私から陛下に言ってもいいよ!ラルフは凄い優秀ですって!」
実際ラルフはとても優秀な人材だ。何でも出来るし、常に落ち着いているし、すごく真面目。前々から私なんかに仕えるにはもったいないと思っていた。
あ、でも、それでラルフが私の護衛じゃなくなって、陛下の護衛に戻っちゃうのは寂しいかも。いやいや、でも男ならやっぱり出世してなんぼだし、こんなところでくすぶるなんてラルフのためにならないし、ここは潔く見送った方がいいかも。
そんなことを思っているとラルフは少し迷ってから私の問いに答える。
「ありがたいお話ですが私は大丈夫です。それに姫様の護衛に私がついたのは陛下のご意志ですので」
「え?」
「ぜひとも姫様を守ってほしいと陛下より直接お話を頂きました」
「陛下が、私を?」
守ってほしい?あの陛下がそんなことを?しかもラルフが私の護衛についたのはここに来てすぐのことだ。つまり陛下がここに通うようになる前から陛下はそう言っていたことになる。
それは、その、うん、何というか。
「えっと、嘘とか冗談ではなく?」
「もちろん真実です。なんなら騎士の誇りにかけて誓いましょうか?」
「そ、そこまでしなくてもいいけど」
やっぱり、陛下は顔に似合わず優しい人なのかもしれない。
ふと塔に登った時の笑顔が頭によぎる。自分の国を見つめながら浮かべた、あの優しげな笑みが。
普段から、あれぐらい笑ってくれればいいのに。そしたら陛下の周りもあそこまで萎縮せずにすむだろうに。そうすれば陛下も今以上に人気者になって、それで、それで。
そこまで考えて私はあっと思う。
確かに陛下が笑うようになればきっと今以上に陛下は人気者になる。でも、それと同時に陛下は間違いなく女性にもてる。
「やっぱり、それは嫌かも」
陛下はもとから顔はいい。そのうえ、あんな優しげな笑顔を浮かべられたら、そりゃあ世の女性はみんなおちるでしょう。
私だってあの笑顔にはくらっときたもん。
やっぱりそれは、ちょっと、ほんのちょっと嫌かもしれない。
「姫様?どうかされましたか?」
「何でもない」
そう、何でもない。大丈夫。
陛下はいつだってしかめっ面だから。笑うことなんてそんなに多くあるはずがない。
そうきっと。
「ねえ、ラルフ」
「何です?」
「陛下ってよく笑うの?」
私の一言にラルフは「まさか」と言い、目を見開く。
「私は長年陛下に仕えていましたが、陛下が笑ったのはあの日姫様と塔に登った時だけですよ」
ラルフが言っているのは陛下が声を出して笑った時のことだろう。あれでも初めてということは、その後見せた陛下のあの笑顔を見たのは、たぶん私だけ。
そう、私だけ。
そう思うと無意識に口元が緩む。ラルフは私のその様子を見て優しげに目を細める。
「陛下はああ見えて、姫様のことを大変気にされているんですよ」
「え?本当?最初の頃全然来なかったけど」
「それは、姫様を迎え入れる準備を陛下お一人でなさっていたからですよ。陛下は本当に多忙な方です。このアルフガルト王国は陛下のお力もあり5大国に数えられるほど、めざましく発展してきた国です。それ故、行わなければいけない政務は山のようにあり、その多くが陛下を中心にまわっています」
「そ、そうなんだ」
うわあ。なんとなく予想はついていたけど、やっぱり陛下って忙しいんだ。
これじゃあ、塔に登る約束もいつになるかわからないな。うん、とりあえず、それまでには筋肉つけて、陛下をあっと言わせよう。
今度は私が陛下を上から見下ろして、どうですって笑ってみせるんだから。
そう思うだけで気分が弾む。と楽しい気分に浸っていた時、突然大声が響いた。
「姫様!いつまでとれーにんぐとやらをしているのですか!」
大声でそう言われ、私は思わず肩をすくめる。見なくても誰かわかる。私を容赦なく怒鳴るのは2人だけ。
陛下とそしてルイザだ。
私とラルフのもとにルイザは足早に近づいてくる。その顔は予想通りというかめちゃくちゃ怒っている。どうやらラルフと話し始めてから、時間がかなりたっていたらしい。
ルイザは私たちのもとにくるとラルフに一礼し、私に向き直る。
「姫様!いつまでその様な格好をしているのですか!早く着替えて下さい!」
「ちょ、ちょっと待って!まだ走ってないのよ!」
「走っていない!?いったい今まで何をしていたのですか!?」
ルイザはむっとした顔のまま、私に詰め寄る。
わあ、容赦ないわ。本当に貴方私に仕えているのね?私が主人でいいのよね?
そんなルイザを見かねてか、ラルフが慌てて声をかけてくる。
「私から姫様に聞きたいことがありまして、つい話し込んでしまいました。姫様が走れていないのは私のせいです。あまり姫様を責めないであげて下さい」
「ラルフ様の?いえ、いいんですよ!そういう事情なら!」
それまでの怒っていた顔が嘘のように笑顔になる。気のせいかルイザの顔がほんのり赤い。
ああ、なるほど。そうですか。ラルフも顔がかっこいいもんね。
陛下にはかなわないけど。
陛下よりは物腰柔らかいし、すっごく紳士だし、うん、ルイザのその気持ちわかるわ。わかるけど、貴方はもっと私を敬って!貴方の主は私だから!
「ルイザ」
「何ですか?姫様?」
「えっと、いや、いいんだけどさ」
「何ですか、急に。それより姫様、さっさと走って下さい!その格好で長時間いられては困ります!万が一陛下が来られたらどうするのですか!」
「そうそう来ないわよ。陛下は忙しいんだから」
まあ、前回の突然の訪問があったからないとは言い切れないんだけど。ルイザに睨まれた為、私はそれ以上何も言わず、黙って走り始めた。




