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プレナ・オートマティック  作者: 右子


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第29話 「救急学」

 アイラは手を振りながら教室を後にした。

 そして、入れ替わるように扉が開く。


 ガラッ


「みんな、お疲れ様!」


 ピエトロだった。

 相変わらず明るい笑顔で教室へ入ってくる。


「午前中の授業はこれで終了! 待ちに待った昼休憩だよ!」


「やったー!」


 メイリンが両手を上げる。


「お腹空いたネ!」


「もう限界……」


 ウルがお腹を押さえながら机へ突っ伏した。


「腹が減ってはなんとやらだよ! しっかり食べて、午後の授業にも備えてね!」


 ——そして、八人は教室を出て、学食へ向かった。

 昼時ということもあり、廊下には多くの生徒が行き交っている。


「すごい人だな」


 シンは辺りを見回した。


「さすが全学年共通の昼休みですわ」


 ルキナが答える。

 学食へ近付くにつれ、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 焼き立てのパン。

 香ばしく焼かれた肉。

 温かなスープの香り。


「もうお腹鳴りそうネ……」


 メイリンがお腹をさする。


「もう鳴ってる」


 クロエがぼそっと呟いた。


「えっ!? 聞こえた!?」


 やがて学食へ到着する。

 昼の学食は朝以上の賑わいだった。

 席はほとんど埋まり、多くの生徒たちが談笑しながら昼食を楽しんでいる。


「いらっしゃい!」


 元気な声が響く。

 振り向くと、厨房の奥からアウグストが笑顔で手を振っていた。


「おっ! 昨日の一年生じゃねぇか!」


「こんにちは!」


 シンが手を振り返す。


「今日も頼むぜ! おっちゃん!」


「任せろ!」


 アウグストは豪快に笑う。


「腹いっぱい食って午後も頑張れ!」


 八人はそれぞれ料理を受け取り、空いている席へ腰を下ろした。


「いただきます!」


 元気な声が重なる。


「美味い……」


 シンは満足そうに頷く。


「毎日これが食べられるなら幸せだな」


「料理長さん、本当にすごいネ!」


 メイリンも嬉しそうに笑う。


「午後も授業がありますもの」


 ルキナはゆっくり紅茶を口にする。


「しっかり食べておきませんと」


「だな!」


 フェリックスも頷いた。

 昼食は終始穏やかな雰囲気のまま過ぎていった。

 食事を終えた八人は食器を返却し、学食を後にする。


「ごちそうさまでした!」


「おう!」


 アウグストは豪快に笑いながら手を振った。


「また夜にな!」


 八人も手を振り返し、そのまま教室へ戻る。

 教室へ入ると、まだ昼休憩中ということもあり、室内は穏やかな空気に包まれていた。

 シンは椅子へ腰掛け、大きく伸びをする。


「ふぅ……少し眠くなってきた」


「食後ですもの」


 ソフィアが小さく笑う。


「午後も頑張らないとネ」


「あぁ」


 窓から吹き込む風が心地よく教室を通り抜ける。

 昼の柔らかな陽射しが机を照らし、束の間の静かな休息が流れていた。

 

 ——しばらくして


 キーンコーンカーンコーン


 昼休憩の終わりを告げる鐘が校舎へ響き渡った。


「よしっ!」


 メイリンが大きく伸びをする。


「午後の授業ネ!」


「ですわね」


 ルキナも席へ座り直した。

 シンは教科書を机へ置きながら小さくあくびをする。

 その時だった——


 コン、コン


 控えめなノックが教室へ響く。


 ガラリ


 扉がゆっくりと開いた。

 ピエトロの姿は無い。


「皆さん、こんにちは」


 穏やかな声が教室へ広がる。

 一人の女性がゆっくりと教室へ入ってきた。

 艶やかなワインレッドの長い髪。

 窓から差し込む陽射しを受け、絹糸のように艶めいている。

 翡翠色の瞳は優しく細められ、その柔らかな笑顔だけで教室の空気がふっと和らいだ。

 白衣を羽織った落ち着いた姿。

 腰には包帯や薬瓶、小さな救急ポーチ。

 首元には翡翠色のネックレスが揺れ、歩くたびにヒールの音が静かに響く。

 白衣の上からでも分かる女性らしい豊かな体つきはどこか包み込むような安心感を与えていた。


 コツ……


 コツ……


 ヒールの音だけが静かに教室へ響く。

 教壇へ立つと、両手を軽く前で重ねる。


「聖癒科主任教師。そして、救急学を担当しております。エレノア・ローゼンベルクです」


 優しく一礼する。

 その仕草はとても上品で、それでいて堅苦しさはない。

 シンは思わず目を丸くした。


(この前の先生だ)


 探検中出会い、小さな傷を治してくれた女性。

 あの時と変わらない穏やかな笑顔だった。

 エレノアもシンへ気付き、小さく微笑む。


「あら。またお会いしましたね」


「あ、はい!」


 シンは慌てて頭を下げる。


「この前はありがとうございました」


「ふふ。もう傷はありませんね」


 その優しい言葉に、シンも自然と笑みを浮かべた。


「はい!」


「よかった」


 エレノアは安心したように頷く。

 その様子を見ていたフェリックスが小声で呟く。


「やはり素敵な先生だ……」


「聞こえていますよ」


 エレノアがくすりと笑う。


「……」


「……」


 フェリックスは少しだけ照れたように咳払いをした。

 エレノアはチョークを手に取り、黒板へゆっくり文字を書く。


『救急学』


 白い粉がふわりと舞う。

 そして、その下へもう一つ。


『命を繋ぐ』


 エレノアはチョークを置き、生徒たちを見渡す。


「魔剣士を目指す皆さんは、治癒魔法が使えない人も多いでしょう。ですが、だからと言って。仲間を見捨てていい理由にはなりません」


 その穏やかな声には、不思議なほど重みがあった。


「戦場では。聖癒師がすぐ来られるとは限りません。助けが来るまでの数分。その数分を繋ぐのが」


 エレノアは胸へ手を当てる。


「救急学です」


 誰も喋らない。

 全員が自然と先生の言葉へ引き込まれていた。


「それでは」


 エレノアは教卓の横に置かれた大きな箱を開ける。

 中には包帯。

 止血帯。

 添え木。

 消毒液。

 見慣れない医療器具まで綺麗に並んでいた。


「今日はまず。治癒魔法が使えない状況を想定して。命を守るための最初の一歩を学びましょう」


 そう言って一つひとつの道具を優しく手に取る。


「これから先、怪我をすることもあれば、仲間が怪我をする場面にも必ず遭遇します」


 エレノアは包帯をそっと机へ置いた。


「その時。治癒魔法が使えれば、それが一番です。ですが」


 一拍置く。


「魔力切れだったら? 聖癒師が近くにいなかったら? 敵がすぐ目の前にいたら?」


 教室が静まり返る。

 シンも自然と考え込んでいた。


「……確かに」


 エレノアは静かに頷く。


「だから救急学では。魔法が使えない状況でも、仲間の命を繋ぐ方法を学びます」


 包帯を手に持つ。


「例えば、この包帯。ただ巻くだけでは意味がありません。巻く場所。巻く強さ。巻く順番。一つ間違えるだけで、傷口を悪化させてしまうこともあります」


「えっ……」


 ウルが目を丸くする。


「適当に巻けばいいわけじゃないんですね」


「ええ」


 エレノアは優しく微笑む。


「応急処置は、覚えてしまえば決して難しくありません。ですが。思い込みほど危険なものもありません」


 そう言って今度は添え木を持ち上げる。


「骨折した人を無理に立たせてしまう。大量に出血しているのに止血を後回しにしてしまう。気を失った人へ水を飲ませてしまう。どれも善意から生まれる行動です」


 翡翠色の瞳が、生徒一人ひとりを見つめる。


「しかし、その善意が、命を奪ってしまうこともある」


 命という言葉に教室の空気が少しだけ張り詰めた。

 誰も言葉を発しない。

 エレノアは再び穏やかな笑顔へ戻る。


「だから安心してください。皆さんが間違えないように。今日から、一つずつ覚えていきます。焦らなくて大丈夫。失敗しても大丈夫。ここは学園です。失敗できる場所で、たくさん失敗してください」


 その優しい言葉に、生徒たちの表情から少し緊張が解けていく。

 シンも思わず笑みを浮かべた。


(この先生……本当に生徒のことを考えてくれてるんだな)


 エレノアは箱を閉じ、生徒たちを見渡す。


「今日は導入です。次回からは実際に皆さんにも包帯を巻いてもらいます。まずは、自分の身を守ること。そして、大切な人の命を守ること。それが救急学の第一歩です」


 教室は静かだった。

 だがその静けさは重苦しいものではない。

 命を学ぶ者だけが持つ、真剣な空気だった。

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