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プレナ・オートマティック  作者: 右子


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第22話 「眠れない夜」

大浴場を出た八人は、夜風に当たりながら寮への道を歩いていた。

 湯上がりの身体に触れる夜気はひんやりとして心地よく、火照った肌をゆっくりと冷ましていく。


「気持ちよかったネ〜!」


 メイリンが満足そうに伸びをする。濡れた髪先からはまだ微かに湯気が立ち上っていた。


「あぁ。疲れが全部吹き飛んだ」


 シンも肩を回しながら、軽く息を吐く。


「明日から授業だと思うと、少し緊張しますね」


 ソフィアが柔らかな笑みを浮かべる。


「そうだな。だが楽しみだ」


 プルが小さく頷く。


「私も。でも、魔剣士科の授業って厳しかったりするのかな」


 ウルは呟いた。


「だとするのなら、望むところだ」


 フェリックスは胸を張る。


「さらなる高みを目指すには、厳しい環境こそ相応しい」


「厳し過ぎんのは嫌だけどな。まぁ。お互い頑張ろぜフェリックス」


「あぁ! 共に高め合おうシン!」


 そんな会話をしながら歩いていると、1年生寮が見えてきた。

 七階建ての大きな建物。

 窓から漏れる暖かな灯りが、夜の闇を優しく照らしている。

 中へ入ると、一階のホールでは数人のメイド達が後片付けをしていた。

 磨き上げられた床には灯りが反射し、静かな空間に規則正しい動きだけが流れている。


「皆様、お帰りなさいませ」


 綺麗に揃った声が響く。

 その中で、一人だけひときわ目立つメイドがいた。


「お帰りなさいませ」


 ラクだった。

 穏やかな笑顔を浮かべ、一礼する。


「今日は皆様探検をされていたようで。楽しめましたか?」


「はい」


 シンが笑う。


「学園って思ってたより何倍も広かったです」


「それは何よりです」


 ラクも嬉しそうに微笑んだ。


「明日からはいよいよ授業です」


「今日はゆっくりお休みください」


「はい」


 ルキナ達も軽く頭を下げ、それぞれ自分の部屋へ向かっていく。


 —— 200号室


「ふぅ……」


 部屋へ戻ったシンは制服を脱ぎ、用意されていた寝巻きへ着替える。

 窓の外からは虫の音がかすかに聞こえ、静かな夜の気配が部屋を満たしていた。


「今日は色々あったな」


 ベッドへ腰掛ける。

 入学式。

 学園探検。

 夕食。

 温泉。

 どれも濃密で、まだ一日しか経っていないとは思えないほどだった。


「明日から授業か……」


 そう呟いた、その時だった。


 コンコン


「シン様」


「はい?」


 扉を開けると、ラクが立っていた。

 両手には見覚えのある革袋がある。胸元に抱えるように持たれているそれは、彼女の柔らかな体のラインに押し当てられ、わずかに形を変えていた。


「こちら、お忘れ物です。先程お渡しするのを忘れておりました」


「あっ……」


 シンは頭を抱える。


「やべぇ……忘れてた」


「食堂のお席に置かれたままでした」


 慌てて革袋を受け取りに行く。

 しかし、脱ぎっぱなしにしていたスリッパへ足を引っ掛けた。


「うわっ!」


 身体がぐらりと傾く。


「シン様!」


 ラクが咄嗟に両腕を伸ばす。


「っ!」


 勢いを止めきれず、シンはそのままラクへ倒れ込んだ。


 むにっ


「……っ!」


 頬に触れたそれは、思わず息を呑むほど柔らかく、弾力のある感触だった。ふわりと沈み込みながらも、内側から押し返してくるような温もりが伝わってくる。甘い香りが鼻いっぱいに広がり、思考が一瞬で真っ白になる。


(ぉ……や、やばい……)


「シ、シン様?」


「はっ! ごっ、ごめんなさい!」


 慌てて身体を起こそうと踏ん張る。


 ——ツルッ


「……え?」


 再びスリッパが滑った。


「きゃっ!」


 再び体勢を崩いたシンの手が宙をさまよい、咄嗟に両手で掴んだのは——


 むにゅ


「…………」


「…………」


 ラクの胸だった。

 両手いっぱいに柔らかく包み込むような感触と、わずかに弾むような張り。掴んだ瞬間に形を変えながらも、確かな存在感を主張してくる。無意識に何度か握り込んでしまい、そのたびに柔らかさと張りが交互に返ってきて、離すタイミングを失ってしまう。


 ぷにっ


 ぐにゅ


「……んっ……」


 ラクの肩がぴくりと震え、小さく息を漏らす。

 その声で、シンの時間がようやく動き出した。


「わああああっ!? ご、ごごご、ごめんなさいっ!」


 まるで飛び退くように身体を離す。

 勢い余って数歩後ずさり、その場でよろめいた。


「うわっ……!」


 なんとか踏みとどまるが、顔は耳まで真っ赤だった。

 一方のラクも胸元を両手で押さえ、俯いたまま固まっている。


「…………」


「…………」


 気まずい沈黙だけが部屋を支配する。


「……ほ、本当に申し訳ありませんでした!」


 シンは勢いよく頭を下げた。


「故意じゃないんです! 本当に事故で! 俺、最低なことを……!」


「い、いえ……」


 ラクは胸元をそっと押さえたまま、頬を赤く染める。


「…………」


 少しだけ視線を泳がせ、恥ずかしそうに俯く。


「だ、大丈夫……です」


 小さく、照れたような声だった。


「私も咄嗟に支えようとしてしまいましたし……故意ではないことくらい、ちゃんと分かっていますから」


「でも……!」


「本当に大丈夫です」


 ラクは恥ずかしそうに微笑みながら、小さく首を振る。


「ですから、そんなに何度も謝らないでください」


 ラクは柔らかく笑った。

 その笑顔を見て、シンはようやく少しだけ肩の力を抜いた。


「……すみません。じゃなくて、ありがとうございます。……そう言ってもらえると助かります」


 ぎこちなく笑うその様子に、場の空気が柔らいでいった。


「それでは、お忘れ物もお渡しできましたので、私は失礼いたします」


 ラクは一礼して扉へ向かう。

 だが部屋を出る直前でふと立ち止まり、振り返った。


「明日は初めての授業です。寝坊なさらないよう、お気を付けください」


「は、はい!」


 ラクは優しく微笑み、静かに扉を閉めた。


 カチャン——


 部屋に静寂が戻る。


「…………」


 シンはその場で数秒固まり——


「うわあああああああっ!」


 頭を抱えながらベッドへ倒れ込んだ。


「俺ぇぇぇぇぇっ! 何やってんだよぉぉぉぉ!」


 枕へ顔を埋めて足をばたつかせる。


「絶対変態だと思われた……いや事故だけど! 事故だけどぉぉぉ!」


 先ほどの出来事が頭をよぎるたび、顔がさらに熱くなる。


「忘れろ……忘れろ俺……!」


 ぶんぶんと首を振るが、逆に鮮明になるばかりだった。


「……」


 シンは勢いよくベッドから飛び起きた。


「くそっ……最低だ。ごめん、本当にごめんラクさん……」


 そう呟きながら、慌てて向かう先は——

 トイレだった。


 ——一方その頃

 ルキナは部屋の灯りを消し、静かにベッドへ腰を下ろしていた。

 窓の外には、月明かりが優しく差し込んでいる。白い光が床やベッドを淡く照らし、静謐な空気を作り出していた。


「……」


 今日一日の出来事を思い返す。

 学園探検。

 皆との夕食。

 そして、大浴場。


『シンくんのどこが好きなの?』


 メイリンの声。


『全部』


 クロエの迷いのない答え。


『気付いたら好きだった』


 その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

 そして、自分が口にした言葉。


『……だから、少しだけ気になるだけです』


「少しだけ……」


 ルキナは小さく呟いた。

 本当にそうなのだろうか。

 シンと出会って、約一年。

 なのに、笑う顔。真っ直ぐな瞳。努力する姿。

 気付けば、何度も思い出してしまう。


「……何を考えていますの、わたくしは」


 頬が少しだけ熱くなる。

 布団を肩まで引き上げ、目を閉じる。


「明日から授業ですもの。今日は、もう眠りましょう」


 そう自分に言い聞かせても、最後に浮かんだのは、やはり黒髪の少年の姿であった。

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