第21話 「まだ名前のない気持ち」
賑やかな食堂を後にした八人は、夜風に吹かれながら石畳の道を歩いていた。
見上げれば、空には満天の星。
建物の窓から漏れる灯りがぽつぽつと夜を照らし、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「夜の学園も綺麗ネ!」
メイリンが両手を広げる。
「あぁ」
シンも夜空を見上げ、小さく頷いた。
「昼とは全然違うな」
「夜は落ち着きますわね」
ソフィアが優しく微笑む。
すると前方に、大きな建物が見えてきた。灯りに照らされたその外観は重厚で、どこか神殿のような荘厳さを感じさせる。
『大浴場』
金色の文字が刻まれた看板が、柔らかな光を反射して輝いている。近づくにつれ、ほのかに湯気の匂いと温かな湿気が漂ってきた。
「着いたネ!」
メイリンが嬉しそうに駆け寄る。
「思ったより大きいな」
シンが感心すると、フェリックスも頷いた。
「さすが王国最高峰の学園だ」
入口へ着くと、男女で暖簾が分かれている。暖簾の向こうからは、かすかに水音と人の気配が伝わってきた。
「じゃあまた後でネ!」
メイリンが手を振る。
「のぼせないようにな」
「シンくんもー」
クロエが小さく手を振った。
女子達は女湯へ。
シンとフェリックスは男湯へ向かった。
——男子大浴場
「広っ!」
シンは思わず声を上げた。
扉を開けた瞬間、ふわりと立ち込める湯気が視界を包み込み、温かな空気が肌にまとわりつく。床は磨き上げられた大理石で、足裏にじんわりとした温もりが伝わってきた。
広々とした浴場。
大きな湯船。
露天風呂まで備えられている。
「学生用とは思えねぇ……」
二人は身体を流し、温かな湯を浴びると、肌にまとわりついていた疲れが一気にほどけていくのを感じた。そして、ゆっくりと湯船へ浸かった。
「はぁぁぁ……」
思わず力が抜ける。湯の熱がじんわりと身体の芯まで染み込み、筋肉のこわばりがほどけていく。
「生き返る……」
「まさに極楽だ」
フェリックスも満足そうに頷いた。
しばらく湯気だけが静かに揺れる。耳に届くのは、湯がわずかに揺れる音と、自分たちの呼吸だけだった。
その時、フェリックスの視線がシンへ向いた。
「ふむ」
「どうした?」
フェリックスはシンの肩から腕へと視線を移し、小さく頷く。
「いい身体だ」
「……」
シンは数秒固まる。
「……その言い方、なんか気持ち悪ぃな」
「何?」
フェリックスはきょとんと首を傾げる。
「褒めたつもりなのだが」
「いや、もっと言い方あるだろ」
フェリックスは腕を組み、真剣な表情になる。
「肩の厚み。腕の筋肉。無駄がない。剣士らしい身体だ。相当鍛えてきたとみる」
「……まぁ」
シンは照れくさそうに頭を掻く。
「相当鍛えられたのは事実だけどさ」
シンが異世界へ来てから、わずか一年。
身体は見違えるほど逞しいものとなっていた。
そして、今度はフェリックスを見る。
「いや、お前の方がすげぇよ」
引き締まった体つき。
長年鍛え続けてきたことが一目で分かる。
「俺なんかより、ずっと剣士って感じだ」
フェリックスは少しだけ笑う。
「日々の積み重ねだ。負けないよう、これからも鍛える」
「あぁ。俺もだ」
二人は笑い合い、再び湯船へ身体を沈めた。
——女子大浴場
立ち上る白い湯気は、ほんのりとした檜の香りを含み、肌にやさしくまとわりつく。
大理石で造られた広々とした湯船からは、湯気がゆっくりと天井へ昇っていく。
「わぁ〜!」
メイリンが目を輝かせた。
「広いネ! こんなに大きいお風呂、初めて見たヨ!」
ウルとプルも周囲を見渡す。
「見て! 露天風呂もあるよ!」
「これはすごいな……」
「本当に学園のお風呂ですの……?」
ソフィアも驚いたように辺りを見回す。壁の装飾や整えられた洗い場に視線を巡らせ、思わず感嘆の息を漏らした。
「床もつるつる……滑りそうでちょっと怖いですわね」
「気をつけてネ〜」
メイリンが笑いながら手を振る。
六人は髪をまとめ、足先からそっと湯へ浸かる。じんわりとした熱が足先から全身へ広がり、自然と表情が緩んでいく。
「んっ……あったかい……」
クロエが小さく声を漏らす。肩まで浸かると、ふわりと身体が軽くなり、思わず目を細めた。
「はぁ〜……」
プルも静かに湯船へ身を沈める。温かな湯が全身を包み込み、水面が揺れるたび、心地よい温もりが肌を優しく撫でていく。
「なんだか、身体が溶けちゃいそうネ……」
メイリンは腕を伸ばして湯をすくい、水滴が腕を伝ってぽたりと湯船へ落ちた。
「ふぁぁ……あったかぁい……」
ウルも肩まで浸かり、思わず頬を緩める。湯の中で脚を伸ばすたび、水面が静かに揺れ、細い腕や脚を伝う水滴がきらりと光った。
「疲れが一気に抜けていきますわ……」
ソフィアはゆっくりと息を吐く。湯に温められた白い肌はほんのり桜色に染まり、長い金色の髪から落ちた雫が静かに水面へ溶けていく。
湯気の向こうでは、ルキナの白い肌と銀髪が幻想的に揺れていた。濡れた髪が背中に沿って流れ、水滴が髪先からぽたりと湯の中へ落ちる。
「さすがルキナ……」
メイリンが思わず見とれる。
「肌きれいネ……すべすべ……」
「鍛えているのに全然傷もありませんね」
ソフィアも感心する。腕や腹部の引き締まった筋肉が、湯の中でもはっきりとわかる。
「手入れは欠かしませんもの」
ルキナは平然と答えたが、わずかに胸を張る仕草が誇らしげだった。
一方。
「ルキナもすごいけど……」
メイリンがクロエへ視線を向ける。クロエは湯の中で少し身を縮めるようにしていたが、柔らかな曲線は隠しきれない。
「クロエも負けてないネ」
「……?」
クロエは首を傾げる。濡れた髪が頬に張り付き、指でそっと払う。
「そう?」
「そうだよ! ほら、ここも……」
メイリンが軽く手を伸ばし、クロエの肩から腕にかけて触れる。
「やわらかいし、でもちゃんと引き締まってるネ!」
「ひゃっ……ちょ、ちょっとくすぐったいよぉ」
クロエが身をよじると、水面が揺れて小さな波が広がる。
「スタイルすごくいいネ!」
「えへへ。ありがとぉ」
クロエは少し嬉しそうに笑った。頬がほんのり赤く染まり、湯気と相まって柔らかな雰囲気をまとっている。
クロエが湯に肩まで浸かりながら、ふとソフィアを見つめた。
「ソフィアちゃんって……」
一度言葉を切る。
「思ってたより、すごいねぇ」
「な、何がですの?」
ソフィアが戸惑う。
クロエは悪気なく指を口元へ当てた。
「スタイルゥ」
「っ……!」
ソフィアの頬が一気に赤くなる。
湯気の中でも分かるほど整った体つきだった。細く引き締まった腰から自然に続く柔らかな曲線は均整が取れており、その上品な立ち姿も相まって、令嬢のような華やかさを感じさせる。
「ルキナちゃんとはまた違う雰囲気だけど、お姉さんみたいぃ」
「確かに」
プルも微笑む。
メイリンも勢いよく頷いた。
「細いのにちゃんとメリハリがあるネ!」
「め、メリハリだなんて……」
ソフィアは思わず胸元を隠すように腕を寄せる。
「み、皆さん見すぎですわ……」
ルキナが小さく笑う。
「普段は制服ですから、気付かなかったのでしょう」
「なるほどぉ」
クロエは納得したように頷いた。
「服の上からじゃ分からなかったもん」
「もう……」
ソフィアは照れ笑いを浮かべながら肩まで湯に沈む。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいですわ……」
「ソフィアちゃん可愛いぃ」
そして、クロエはふと隣に視線を向ける。
「……プルちゃん」
クロエがじっと見つめる。
「ん……?」
プルは不思議そうに首を傾げた。
けれど、クロエの視線は止まらない。
まるで絵を眺めるように、ゆっくりと視線を滑らせていく。
「プルちゃんって、ぷるぷるしてるねぇ」
「……え?」
プルはきょとんと目を瞬かせ、自分の腕を見下ろす。
細身の体つきではあるものの、肩や二の腕にはほどよく柔らかな丸みがあり、湯の中で身体を動かすたび、水面が小さく揺れてその柔らかさを感じさせた。
「ぷるぷる……?」
「うん。名前もプル・プルプラだしぃ。なんだか柔らかそうっていうかぁ」
「クロエの言いたいこと分かるネ! ぷるぷるしてるネ!」
メイリンも笑顔で頷く。
「ふふっ……そんなこと、初めて言われたな」
プルは照れ笑いを浮かべると、癖のように眼帯へそっと指先を添えた。
その時、ウルが自分の身体を見つめ、小さく呟いた。
「みんな、スタイル良くて羨ましいな」
「ん?」
メイリンが首を傾げる。
「私はまだ子どもっぽいし」
「そんなことありませんわ」
ルキナが穏やかに答える。
「人にはそれぞれ魅力があります」
「そうだヨ!」
メイリンも元気よく頷く。
「ウルはスラーっとしてるし、お尻がすごく綺麗ネ!」
「それ褒めてる?」
「もちろん!」
ウルはなんとも言えない表情をしている。
そして自然と、全員の視線がメイリンへ集まる。
「な、なんだヨ?」
メイリンがきょろきょろと辺りを見回す。
「今度はメイリンちゃんだねぇ」
クロエがくすりと笑った。
元気いっぱいに両腕を上へ伸ばしたメイリンの身体は、細身ではあるものの、腕や太ももには適度なやわらかさがあり、健康的な引き締まりも感じられる。湯の中で身じろぎするたび、水面が優しく揺れ、そのしなやかな身体のラインがふわりと浮かび上がった。
「意外としっかりしてるんだねぇ」
クロエが感心したように目を丸くする。
「細いのに、すごく健康そう」
「毎日動いてるからネ!」
メイリンはえっへんと胸を張った。
その仕草に、胸元や肩が小さく揺れる。
「元気いっぱいなのが、そのまま身体にも表れていますわ」
ソフィアが優しく微笑む。
「柔らかい雰囲気なのに、ちゃんと鍛えられていて、とても綺麗です」
「うん。綺麗だ」
プルも穏やかに頷いた。
「健康的で、見ているだけで元気をもらえそうです」
ルキナも静かに口元を緩める。
「無理に鍛え上げた身体ではなく、日々積み重ねた自然な強さを感じますわ」
「えへへ~」
メイリンは照れくさそうに頭を掻いた。
「そんなに褒められると恥ずかしいネ!」
クロエは皆を見回しながら、ふわりと微笑む。
「やっぱりみんな、それぞれ違って可愛いねぇ」
その言葉に、一同は顔を見合わせ、自然と笑い声を響かせた。
そして、メイリンが思い出したかのように口を開いた。
「そういえば」
メイリンがクロエを見る。湯に浸かりながら腕を組み、じっと観察するような視線だ。
「日が暮れてからはシンに抱きつかなかったネ」
クロエはぷくっと頬を膨らませる。頬がふくらみ、湯気の中でほんのり赤くなる。
「ルキナちゃんに止められるもーん」
ルキナは静かに頷く。
「毎回抱きついていては駄目ですわ。節度というものがあります」
「でも……ぎゅーってしたいんだもん……」
クロエは指先で湯をいじりながら、小さく呟く。
「今日は我慢したぁ……」
「えらいですわ」
ルキナが優しく微笑む。その視線はどこか柔らかく、普段よりも穏やかだった。
「えへへ」
「偉いネ!」
メイリンも笑う。
「うんうん」
プルも小さく頷く。
褒められたクロエは少し照れくさそうに笑った。肩をすくめると、水滴が鎖骨を伝って胸元へと流れていく。
「ねぇ、クロエ」
メイリンがニヤリと笑う。湯の中で足をばたつかせ、小さな波を立てる。
「んー?」
「シンのどこが好きなんだ? 今日初めてのはずだけど、一目惚れか?」
その一言に、ルキナとソフィア、プル、ウルも思わずクロエを見る。
クロエは少しだけ首を傾げた。
「どこ……?」
「うん!」
メイリンは興味津々だ。
クロエは少し考え込む。
「……うーん」
そして、小さく微笑んだ。
「全部」
「全部!?」
メイリンが目を丸くする。
クロエはこくりと頷く。
「へぇ……」
ウルが感心したように頷く。
クロエは湯気の向こうをぼんやり眺める。
「気付いたら好きだった」
「やっぱり一目惚れネ!」
「素敵ですね」
ソフィアが優しく微笑む。
メイリンはにやにやと笑った。
ルキナはそのやり取りを聞きながら、ほんの少しだけ視線を逸らした。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。どうしてこんな話題で、こんなにも落ち着かなくなるのか、自分でもよく分からない。
湯の中で指先がきゅっと握られる。
クロエの言葉が、妙に引っかかる。
気付いたら好きだった——そんな曖昧で、でも確かな感情を、自分は持っているのだろうか。
「……そんなに強く想ってるのですね」
静かな声だったが、どこか落ち着かない響きが混じっていた。
言葉にした瞬間、少しだけ後悔する。余計なことを言った気がして、視線を泳がせた。
メイリンはその様子を見逃さず、にやりと笑う。
「ルキナも気になるネ?」
「べ、別に……」
即座に否定するが、わずかに頬が熱を帯びる。
否定したはずなのに、胸の奥では別の声が小さく反論している気がして、余計に居心地が悪い。
「ただ……」
言いかけて、ルキナは少しだけ言葉を探すように視線を落とした。
どう言えばいいのか分からない。軽く流せばいいのに、なぜかそれができない。
「……シンはあんな感じですけど、すごく優しいですから」
ぽつりと零れたその言葉に、メイリンの笑みがさらに深くなる。
言ってしまった、と内心で小さく息を呑む。もっと別の言い方があったはずなのに、と自分に苛立ちが募る。
「それで?」
「それでって……」
ルキナは小さく息を吐き、観念したように肩を落とした。
逃げ場を失ったような感覚に、ほんの少しだけ苦笑が浮かぶ。
「……だから、その、少しだけ気になるだけです」
その言い方は、どこか拗ねたようでもあり、素直でもあった。
本当はそれだけではない気がするのに、それ以上を認めるのが怖くて、言葉をそこで止めた。
クロエはそんなルキナを見て、くすりと笑う。
「ルキナちゃんもシンくんが好きぃ」
「なっ……!」
一瞬で顔が赤くなる。
心臓が跳ね上がり、思考が一瞬真っ白になる。
「ち、違います!」
「違わないぃ」
クロエはあっさりと言い切る。
「シンくんのこと考えてる時の顔、私と同じだもん」
「同じじゃありません!」
思わず声が大きくなり、周囲からくすくすと笑いが漏れる。
否定しながらも、自分の表情がどうなっているのか分からず、余計に焦りが募る。
メイリンは楽しそうに手を叩いた。
「これはもう決まりネ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ルキナは慌てて手を振るが、誰も止まらない。
「いいじゃない、素直になれば楽になるヨ?」
「そうですよ、ルキナ様」
ソフィアまで優しく背中を押すように微笑む。
「う、うぅ……」
逃げ場を失い、ルキナは肩まで湯に沈み込む。
顔の熱が引かない。むしろ、みんなの視線が集まるほどに強くなっていく。
クロエはそんな様子を見て、満足そうに小さく頷いた。
「大丈夫ぅ」
「何がですか……」
「好きでも、いい」
その言葉に、ルキナは一瞬だけ言葉を失う。
否定しようとして、できなかった。
胸の奥で何かが静かに揺れている。
それを認めるのが怖くて、でも少しだけ、嫌ではなかった。
やがて、誰からともなく笑いがこぼれる。
張り詰めていた空気がほどけ、浴場には穏やかな温もりが戻っていった。




