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第三章 帝都の奈落

小章① 地下要塞

 九条を乗せた黒塗りの軍用車は、復興工事が進む帝都の大通りを抜け、皇居の堀端を走り、やがて陸軍の管轄する立ち入り禁止区域へと入っていった。  場所は、本所深川に近い、旧陸軍工廠の跡地だった。震災で崩落し、そのまま放置されているとされていた場所だ。  瓦礫の山を越え、車は偽装されたコンクリートの斜面を下り、地下へと吸い込まれていった。

「どこへ連れて行くつもりだ」

 九条が尋ねると、助手席の鏑木は前を向いたまま答えた。

「帝都の地下には、江戸時代から続く水路や抜け穴、そして誰も知らぬ空洞が無数に存在します。震災は多くのものを破壊しましたが、同時に、地中深くに眠っていた『ある広大な空洞』を露出させました。我々はそこに、新たな拠点を築いたのです」

 湿った空気と、油の匂い。そして、微かなオゾンの臭い。  地下三階相当だろうか。巨大な鉄扉が重々しい音を立てて開くと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。

 巨大な地下空洞。  天井からは無数のアーク灯が吊るされ、昼間のように明るく照らし出されている。  その中央には、古代の遺跡から発掘されたような、高さ数メートルの黒い石柱が円形に並べられていた。ストーンヘンジを思わせるが、石の材質は地球上のものとは思えない、光を吸い込むような黒曜石だ。  そして、その周囲を白衣を着た技師や、軍服姿の男たちが忙しなく行き交っている。  最新の発電機、無線機、計測機器といった科学設備と、原始的で冒涜的な魔術的祭壇。  そのグロテスクな融合に、九条は激しい眩暈を覚えた。

「あれが『門』の基部です」

 鏑木が石柱群を指差した。

「あそこから発せられる波動は、既存の物理法則では説明がつきません。しかし、先生が翻訳された『アル・アジフ』の記述と照らし合わせることで、それが空間を繋ぐ装置であることが判明しました」

 九条は、石柱のさらに奥にある、厚いガラス張りの隔離室に目を奪われた。  そこには、数人の人間が収容されていた。囚人服を着ている。  彼らは一様に虚ろな目で壁を見つめ、時折、人間とは思えない奇声を上げて壁に頭を打ち付けている。あるいは、自らの腕を噛みちぎろうとしている者もいた。

「……彼らは?」

「実験体です。無期懲役の囚人たちを使いました。門から漏れ出る瘴気に当てられた結果……残念ながら、精神が耐えきれなかったようです」

 鏑木は平然と言い放った。実験動物を見る目だ。

「彼らは『窓』の向こう側を見てしまった。人間の脳では処理しきれない情報を浴びせられたのです。……先生、あなたには彼らと同じ末路を辿ってほしくない。さあ、翻訳の続きを」

 九条は祭壇の前の机に座らされた。  机上には、タイプライターと辞書、そしてインク壺。  周囲を銃剣を持った兵士が囲んでいる。逃げ場はない。


小章② 狂気の実験

 鏑木は『アル・アジフ』を九条の前に置いた。  そして、ページをめくり、先ほど九条が破り取ったページの欠損に気づいた。

「……教授。ここにあったページはどうしました?」

 鏑木の声が凍りつくように低くなった。  第7章の核心部分。門を開くための正確な星辰の座標計算と、召喚した存在を従わせるための『ナコトの五角形』の呪文が書かれていた箇所だ。

「食べたよ」

 九条は静かに答えた。

「消化され、今は私の血肉となっているだろう。……残念だったな、少佐。これで儀式は完成しない。不完全な呪文では、門は開かない」

 ダンッ!  鏑木が机を拳で殴りつけた。インク壺が跳ね、黒いシミが羊皮紙の上に広がる。

「貴様……! 国家の命運を何だと思っている! この力が手に入れば、帝国は欧米列強を凌駕し、世界を支配できるのだぞ!」

「国家の命運だと? 君たちが呼ぼうとしているのは、国家などという矮小な枠組みで語れる存在ではない! 星々を喰らい、次元を蹂躙する邪神だ。制御できると本気で思っているのか!」

「できる! 我々には『科学』がある! 魔術を科学で解析し、制御する。それが我々の計画だ!」

 鏑木は懐から拳銃を抜き、九条の眉間に冷たい銃口を突きつけた。

「吐き出せとは言わん。だが、内容は覚えているはずだ。今すぐここに書き記せ。さもなくば……」

 鏑木が合図をすると、兵士の一人が隔離室から一人の狂人を引きずり出してきた。  ボロボロの服、伸び放題の髪。だが、その顔を見て、九条は息を呑んだ。  顔立ちは変わってしまっていたが、それは行方不明になっていた帝大の同僚、物理学の教授だった。

「彼を『門』の最初の生贄にする。……あなたが書かなければ、次はあなたの奥様とお嬢さんをここに連れてくる」

 九条の理性が軋んだ。  こいつらは正気ではない。すでに『本』の毒に侵され、力への渇望と狂気に支配されている。  ここで拒絶すれば、家族が犠牲になる。  だが、正しい呪文を教えれば、世界が終わる。

 九条は震える手でペンを執った。

「……分かった。書こう」

 九条は羊皮紙に向かい、サラサラと数式と呪文を書き連ねていった。  鏑木が背後から覗き込み、満足げに頷く。

 だが、九条が書いているのは、正しい呪文ではなかった。  彼は、召喚の座標を「アルデバラン」からわずかにずらし、制御の呪文を「拘束」ではなく「解放・暴走」へと書き換えていた。  不完全な儀式を行えば、召喚された存在は術者の制御を離れ、その場にいる全ての生命を貪り食うだろう。  それは自爆テロにも等しい行為だった。だが、世界を救うには、ここでこの地下要塞ごと、軍部の野望もろとも葬り去るしかない。

「……書けました」

 九条は震える手でペンを置いた。  これが、私の遺書だ。


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