4.通信石
「騎士団の訓練に七日おきに参加します」
夕食後、ティーカップにつけたまま器用に口をとがらせるウルリーケに、ヘルマンも引かなかった。
「これ以上は譲れませんよ」
「わかったわ。でもいつでも、もっと増やしていいのよ」
ヘルマンは厳しい表情を崩さず、上着の胸元に手を入れてなにか取り出した。
「これをお持ちください」
卓の上に置かれた真っ黒な平たい石を見たコジマは、黙って席を立つと部屋を出ていった。
「これはなあに?」
「通信石です。団長に無理をいって用意していただきました」
「……わたくしに使えるかしら」
通信石は特殊な精霊石で、魔力を通すと対になる石につながり、会話を交わすことができる。稀少であるがゆえに、一部の高位貴族しか所持していないが、そもそも、相応の器をもつ者同士でなければ使うことができない代物である。
「私でも魔力は通せましたから、ウルリーケ様らならまったく問題ありませんよ。石に向けて私に呼びかけてみてください」
ウルリーケはティーカップを置くと、片側が丸く反対側は尖った石を手に取った。もうひとつの石と直線の辺をあわせると雫の形になるのだろう。
「ヘルマン?」
石に樺色のもやがまつわる。と、絡めとられるように魔力が石に吸い込まれて消えた。代わりに初夏に芽生える若葉の色が、ゆらゆらと石を染め上げる。
驚いて顔をあげると、かたわれの石がヘルマンの掌で光を放っている。その光の中には樺色に染まったウルリーケの像が結ばれていた。
『私の魔力では姿は映せませんが、声を伝えることはできます』
目の前のヘルマンと、手の中の緑の石から同時に声が響く。
呆然とする手の中のウルリーケに目を細め、ヘルマンは主の像をそっと両手で包み込んだ。ウルリーケのもつ石の新緑の光も消えて、艶のない黒い石に戻った。
「緊急の際にはこれでお呼びください」
ウルリーケは黒い石を指の間に挟んで、裏返したりかざしたり観察している。
「ウルリーケ様!」
「……ねえ、これはコジマには使えないのね?」
「そうですね。貴族の器がなければ使えません。なにより高価ですから、高位貴族の連絡用です」
「ヘルマンは使える……」
「ご覧のように、声だけで限界ですよ」
「声が伝わるだけでも相当の器でしょう?」
「私は、一応貴族に連なる家の出ですから。ウルリーケ様の母君のご実家の縁だと、ご存じですよね」
「そうね。そうだったわね」
ウルリーケは黒い石に視線を落としたまま、小さく首をかしげた。ぼんやりとして話が耳に入っていないようすに焦れたヘルマンは、眉根を寄せて語気を強めた。
「いいですか? おひとりのときになにかあったら、すぐにこれを使ってください。それをお約束いただけないなら、今まで通りの月に一度のままです」
珍しく苛立っている。はっとしてウルリーケは意識して落ち着いた態度を取り繕う。
「ええ、約束するわ。だから貴方は遠慮なく騎士の務めに励んでちょうだい」
七日に一度、騎士団に向かうヘルマンに合わせて、少し早く書庫へ行き、禁書庫に入って扉を閉じる。夕刻にヘルマンが迎えにくるまで、籠ってひたすら本を読む。
ひとりきりでも、これまでと同じようになにも起こらない。コジマが用意してくれた軽食を昼に食べるとき、あまりにも静かで少し心もとなく感じるだけだ。そのときばかりは落ち着かない気持ちになるが、食事を終えて再び本を開くと、迎えがくるまでは時が経つのを忘れていられた。
表の書庫で読んだ歴史書とは、まったく異なる事実が記されいる史書。極悪人とされている人物の冤罪とその黒幕が秘密裏に処分された経緯の顛末が記された記録。
禁書に書かれている内容は、読みものとしてはとても興味深いものが多い。
しかし、ウルリーケは禁書が禁書である理由にまでは、考えが及んでいなかった。
少しずつ日が長くなると、ヘルマンはウルリーケを部屋へ送り届けてから夜間訓練にも参加するようになり、コジマとふたりで夕食をとる日も増えた。
「ねえ、コジマ。ヘルマンはわたくしの再従兄なのよね?」
「そうですよ。ヘルマンのお母様とウルリーケ様のお母様が従姉妹同士だとか。それが、どうかなさいました?」
ちぎったパンを口に入れ、話を続けようとしたが、コジマがじっと見つめてくるので、飲み込むまで我慢する。
「ヘルマンは貴族ではないのでしょう?」
「そうですが、生まれは貴族の家ですよ。ヘルマンのお母様は伯爵家に嫁がれて、生まれたお子の中でヘルマンは加護の器が小さかったので、商家の養子になっているんですよ。その商家は伯爵家の遠縁なので、あくまで手続きだけでヘルマンはそのまま伯爵家で育ったそうですが」
貴族籍に加えられなかった子が、幼くして養子に出されるのは、よくある話だ。貴族としては不足でも、庶民からすると大きく貴重な器をもっている。
婚姻の相手として迎えられる場合も、生まれる子がより大きな器をもつことを期待される。
養子縁組や縁談が、常に幸福な結果をもたらすとは限らない。迎えた子が期待したほどの魔力をもてなかったり、婚姻によって生まれた子の器が庶民並みであったりすると、たちまち居場所を失ってしまう。
ヘルマンは養子に出されても伯爵家で育てられた、ということはそうした不遇とは無縁でいられたのだろう。
ヘルマンが家族のもとで暮らせていたことには、安堵を覚えた。
「コジマは?」
「はい?」
コジマは怪訝そうに首をかたむける。
「コジマは、どうしてわたくしの世話をさせられているの?」
「まあ! なにを仰るのかと思えば! 私は望んでお仕えしておりますのに」
嘘だ、と言葉にはしなかったが、ゆがんだ口もとに表れている。
「ウルリーケ様、本当ですよ」
樺色の瞳が水面に映る月のように揺れる。
コジマは席を立つと、ウルリーケの側に寄って手をとった。
「私は貴女のお祖父様とお母様にいただいたご恩に報いるために、王城へ参りました。でも今は、私自身がウルリーケ様にお仕えしたいと思っております」
「でも……」
「婚家を追い出され、実家に戻ることもできなかった私を、子爵がエテリンデ様の世話係にと拾ってくださったのです」
コジマの実家は祖父の代までは、土地持ちの豊かな農家であった。
父が家を継いですぐに祖父が亡くなったことが、没落のはじまりだった。堅実に土地を守っていけばよいはずが、なにを思ったのか父は周辺の土地を借金をして買い集めた。
運悪く、その年は冷害にみまわれて大凶作となった。借金は返せなくなり、先祖伝来の土地を形に差し出しても足りなかった。
残りの借財を清算する代わりに、コジマは金貸しの後妻となった。父親よりも年上の夫は若い妻に子どもを期待していたが、一度身籠った子が流れてからは、その兆しは途絶えた。
コジマよりもさらに若い愛人が妊娠すると、すぐに離縁され、実家は借金の清算を求められることを恐れて、扉を閉ざした。
行くあてのないコジマは故郷を出て、仕事を探した。エティコーネン子爵家の子守りとして雇われたのは、祖父の教えによって読み書きや礼儀作法を身につけていたおかげだった。
子爵令嬢エテリンデは当時三歳で、コジマの子が生まれていれば同じ歳であった。
「恐れ多いことですけど、エテリンデ様を我が子と思いお仕えしてきました。侍女として上がられるときも、無理をいってお供させていただいたのです。エテリンデ様をお救いできなかったことは悔やみきれませんが、お仕えできた幸せはなににも代えられません。ですから、忘れ形見のウルリーケ様のお傍を離れるなんてできませんよ」
コジマの手の上にぽとりと涙が落ちる。樺色の瞳から流れるそれを、そっとハンカチーフで押さえる。
あの日、すでに起き上がることもできなくなったエテリンデの青い氷の瞳から流れた涙も美しかった。
「エテリンデ様は無事に出産できていれば、ご実家へ下がられるおつもりでした。私もウルリーケ様を子爵のもとへお連れすることを諦めてはいません」
ウルリーケは母の手を知らないけれど、エテリンデの手をとっていたコジマの手はとても暖かい。それで今は充分に思えた。
「ありがとう。……でも、ヘルマンはわたくしの護衛でいるよりも、騎士として務めたほうがいいと思うの」
重なった手を、小さな子どものようにきゅっと握る。この柔らかな手を離さなくてもよいのなら、大きくかたい手は、やはり自由にしてあげたい。
「だから、急に騎士団へ行く日を増やすようにと仰ったんですか。ヘルマンは望みませんよ、今も不承不承参加しているんですから」
「もったいない、といわれていたわ」
か細い声は少し震えている。
「噂話がお耳に入りましたか」
「……騎士団長に期待されているのなら、将来有望なのよね? 邪魔はしたくないの、ヘルマンが騎士団で出世できたら、それはいいいいことでしょう?」
コジマはゆるゆると首を振って、うつむくウルリーケに声をかける。
「私もヘルマンも、そんなことはどうでもいいと思ってますよ。私たちは、ウルリーケ様を王城から出して差し上げたい、それだけを考えております」
「出られないでしょう?」
ウルリーケは顔を上げて怪訝そうにいった。
「今のウルリーケ様の扱いはおかしいんです。いくら王妃様がお許しにならないといっても、国王陛下が認めていらっしゃるんです。こんな質素な生活を強いられるのは、どう考えてもおかしい」
「それは、わたくしが不義の子だから仕方ない……」
「いいえ! いいえ!」
ウルリーケのことばをコジマは強くさえぎった。
「国王が王妃以外の女性に子どもを生ませるのは、それは褒められることではありませんけど、別に珍しくもないんですよ。それで生まれた子が王になった国だってあるんですから。王妃様のお怒りだけが理由なら、子爵家でなくても、王都の外の離宮へ行かせるとか、ほかの貴族との縁組なり、養女なり、いくらでも名目はあるんです。最も面倒が起こりやすい場所に留め置かれるわけが、なにかあるはずなんですよ」
これまで、ウルリーケにはあえて話していなかったことだ。コジマとヘルマンは、ウルリーケが王城に隠されている本当の理由を探ってきた。それを解消して、自由を得るために。
しかし、今のところ手がかりのかけらも見つかっていない。
「私たちのことを気にかけてくださって、ありがとうございます。でも、私もヘルマンも、ウルリーケ様が大事です。ご自分のことを考えてください。それが私たちの望みでもありますから」
きっとどうにかします、とコジマはもう一度手を握り返した。
その暖かさを感じても、ウルリーケはまだ納得できずに曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。




