12.訪問者
それから数日の間、ほかにも手がかりとなるものを探したが見つからなかった。もはや、一度開封した書物は。確認してそのまま積み上げていく。書架の残りも少なくなっていた。
焦りを募らせていたのはヘルマンのほうで、ウルリーケはむしろ、これ以上なにかを知ることを恐れていた。
精霊姫を祖名にもち、存在を隠されて暮らしてきた。なにより、あの一覧の最後にウルリーケの名が記されている。
それでも、『予見』の力などという恐ろしげなものに心あたりはない。どうか間違いであって欲しい。そればかりを考えていた。
ウルリーケの心の内を理解していたヘルマンは、急かすことはしなかった。間違いであれば、と思うのは彼も同じで、それが認められれば、王城から出る手立てになるのではないかと期待する気持ちもあった。
しかしながら、これまでの経緯を考えると、ありえないだろうと考える冷静さもあった。
行き詰まり、まばらに書架に残る書物を一箇所に集めていった。封印された書物も開こうとしなければ、ヘルマンでも弾かれはしない。
入り口の扉の裏側にある書物を動かして、空になった書架の最下段に手をつくと、ヘルマンの指に凹みに引っかかった。
ほかの書架は最下段の棚板が床に直接置かれていたが、この書架だけは床の石よりも下にはめ込まれているようだった。
カツカツと爪先で凹みを確認していると、ウルリーケが側に寄ってきた。
「どうかしたの?」
「この棚の一番下に凹みがあるのです」
「凹み?」
場所をかわり、ウルリーケがしゃがんで棚板に触れる。小さな凹みは、ちょうどウルリーケの人差し指の先ほどの大きさだった。
凹みの縁をなぞりながら、なにかが入るように思えて、相応しいものを考えた。
そのとき、コンコンコン、と音が響いた。禁書庫の扉はウルリーケの魔力で封印されている。それに干渉して、室内に聞こえるように扉を叩くことができるのは、同じ王族の魔力を持つ人物であるはずだ。
王族ならあの日と同じように、封印を解いて入ってくればよい。それをせずに扉を叩くのは何者なのか。
ウルリーケとヘルマンはともに息を殺して、扉から離れた。
樺色の魔術灯が消える。封印の解かれた扉が開き、背の高い老爺が入ってくる。整った白髪まじりの頭に不似合いな無精髭。艶のない亜麻色の長いローブ。体の前で重ねた手には、亜麻色の光を放つ精霊石の指輪がある。エイリーケの魔力だ。
その指輪を見てウルリーケは気がついた。あの棚板の凹みには、精霊石がぴたりと収まるだろうと。
扉がしまると魔力灯から亜麻色の光が落ちてきた。
老爺はまず、ウルリーケに顔を向けて目を細めると、表情をあらためてヘルマンを見た。値踏みする不躾な視線を正面から受け止めて、ヘルマンは老爺の大地の瞳ををじっと見つめた。
甲を上にして右手を前に差し出した。中指に光る精霊石をしっかりと見せてから、腰を折る。
「突然のご無礼をお許しください。エイリーケ殿下の使いで参りました。精霊術師メルシオールと申します。お時間をいただけますかな」
柔らかい口調ではあるが、許しを求めているのではない。これは命令だ。ウルリーケはうなずいて、書見台の椅子をすすめる。向かいあって座ると、ヘルマンが背後に立った。
「ウルリーケ殿下にこちらをお渡しするよう、申しつかりました」
メルシオールは、長い袖の中から小さな箱を取り出して、ウルリーケの前に置いた。茶色の革張りの箱には、掛け金がついているが、鍵などはついていない。ただ、エイリーケの魔力による封印がなされていることは、ウルリーケにはわかった。
「エイリーケ殿下が封印の魔法をかけておられますが、ウルリーケ殿下の器であれば解けるものです。ただし、必要なときまでは封じておかれますよう。中身についても、今は詮索しないことをおすすめいたします」
ウルリーケが、箱の表面の革をそっとなでると、亜麻色の輝きがちらちらと舞った。
「エイリーケ様は、すべきことをせよ、と仰いました。そのとき、ということですか?」
「さて、この爺はただの使い走りですからな。エイリーケ殿下のご意向を推しはかるなど、とてもとても」
くっくっと無遠慮に笑うメルシオールを、ヘルマンは不快に思ったが、それ以上に恐ろしさを感じていた。精霊術師とは、大きな器をもち修練を積んだ精霊術士を束ねる長である。この老人は、マーンリオ王国の精霊術士の頂点である。
ヘルマンの決して小さくはない器をもってしても、メルシオールの器ははかれない。
ウルリーケにはメルシオールの器がどれほどのものかわかっているのだろうか。王城を出たことはなく、かかわる者も極端に少なかった上に、彼女よりもはるかに小さな器の人間にしか会う機会はなかった。だが少なくとも、警戒しているようすはない。
「そうですか、わかりました。エイリーケ様にお礼を申し上げてください」
眉を下げてメルシオールは笑顔をつくったが、意外な言葉を口にした。
「それはお伝えできませぬなあ。エイリーケ殿下はウルリーケ殿下からの謝辞をお喜びにならないでしょう。この件は、あくまでもエイリーケ殿下にとって必要であった。それだけのことなのですよ」
「なっ、待ってください! それなら、もう少し事情を聞かせてくださってもよろしいでしょう」
「ヘルマン!」
ヘルマンが身を乗り出して、メルシオールに反駁するのをウルリーケは諌めた。メルシオールは視線だけをヘルマンに移していった。
「勘違いをするでない。エイリーケ殿下には、殿下のお考えがある。しかし、それがウルリーケ殿下を利するとは限らない。ウルリーケ殿下は、ご自身のためになるように、行動なさればよろしい」
エイリーケは「アウストラシアはウルリーケ・クロティルダを守りはしない」といった。アウストラシアには、エイリーケ自身も含まれているのかもしれない。
「ええ。エイリーケ様には、わたくしの存在を不愉快に思われても仕方がないものと心得ております」
「それも、また勘違いですな。エイリーケ殿下は確かに、姉妹としての情のようなものはお待ちではない。しかし、それはお互いにというものでしょう」
ウルリーケを諭すように話すメルシオールは、教師のようだ。実際に多くの精霊術士を育ててきたはずだ。ウルリーケは素直にうなずいた。
ヘルマンは緊張を解くことなく、しかしこの機を逃してはならない、と訪問者から情報を引き出す糸口を探した。
「メルシオール師」
「なにかな?」
「貴方は精霊術師と仰いました。それは大地の精霊殿の長ということですね?」
「左様。もう三十年ほどになるかな」
しわの刻まれた手が無精髭をなでる。機嫌を損ねた気配はない。ヘルマンは覚悟を決めて、問うた。
「我が国の精霊殿の長であられる貴方が、エイリーケ殿下の使い走り、とはどういうことでしょうか。エイリーケ殿下は王城でお暮らしのはず。精霊術師とのかかわりを深くされているとは、寡聞にして存じません」
かっかっと、メルシオールは耳障りな声をあげて笑った。その声に震えるウルリーケの肩に、ヘルマンはそっと手を添えた。
「ウルリーケ・クロティルダ殿下!」
はっきりと通る声量でメルシオールが呼ばわった。大声ではないが、体の中心を揺さぶられる。
ウルリーケはいっそう身をこわばらせたが、息を吸って返事をした。
「はい」
「『アウストラシアの簒奪』を読みましたな?」
「『アウストラシアの登極』は読みました。簒奪にあらず、とありましたが」
気圧されながらも、引かない。ウルリーケの中にある芯に似たものが、それを許さない。あるいは、王族の血がそれであるのかもしれない。
「ご存じでしょうに。原本の方です。『アウストラシアの登極』に続く古き記録には、クラウディーネ様が封印の魔法を施されました。その封印が数日前に解かれた。ゆえにこちらへまかりこしたのです」
メルシオールは立って、積み上げられた書籍の中から迷うことなく目的のものを取り上げた。濃い茶色の表紙をぱんと払い、一瞬だけ目を閉じたがすぐに戻ってくる。
「ここにエイリーケ殿下とウルリーケ殿下の名を記されたのは、クラウディーネ・クロティルダ殿下です」
「わたくしの祖名をクロティルダとしたのは、クラウディーネ様ですか?」
メルシオールは書見台の上で最後の頁を開いた。
「精霊姫は『大地の精霊の守護』を与えられた姫君のこと。ウルリーケ殿下は生まれながらにクロティルダの名をもっておられる。クラウディーネ様もエイリーケ殿下も同じですな」
「わたくしには、ここに書かれているものはあてはまりません。なにかの間違いでしょう」
「クラウディーネ様に間違いのあろうはずがない」
老爺の指はクラウディーネからウルリーケまでの三人を指し示す。強く言い切った言葉にどのように応じればよいか、ウルリーケにはわからない。
黙っているウルリーケに、メルシオールは皮肉めいた視線を投げて、声色だけは優しく話しだした。
「精霊殿では、毎年多くの赤子を迎えて器の検分を行います。貴族の子が、貴族に足り得る器を持っているか調べるわけですな。連れてこられるのは一歳前後の赤子で、その頃になれば精霊の加護が瞳にも現れており、魔力も注がれております」
生来の瞳の色はさまざまであるが、精霊の加護の器に魔力が注がれると、加護の色に変わっていく。一度変化した瞳の色は、器に加護の力がある限り変わることはない。つまり、死ぬまで生来の色には戻らない。
精霊術師の検分とは、器の大きさと、そこに注がれる加護の力の量を調べて貴族籍に加わる者と、その資格のない者をわけることをいう。
貴族家に生まれても器が小さい者、充分な器でも注がれる魔力が少ない者は貴族からはじかれる。
器に注がれる魔力の総量が定まるのは、一歳前後とされている。定まった量を超えて器に魔力を注ぐためには、修練を積まねばならない。
「ウルリーケ殿下には、この爺の器もレニエの器もわかっておられるでしょう。いかがですかな」
「メルシオール師の器はヘルマンの倍、魔力の総量はそれぞれ八割くらいでしょうか?」
一般の貴族や民の器に注がれる魔力は、五割もあれば充分に多いといわれる。
それが八割に達するには、どれほどの修練を積んだのだろうか。
「御名答。レニエは随分と修練を積みましたな。結構。さて、そうした貴族とは異なり、精霊姫は特別な器と資質を持っておられる。生後ひと月もすれば、器には魔力が注がれているそうです」
「ただし、これを検分できるのは、修練を積んだ精霊姫のみでしてな。エイリーケ殿下とウルリーケ殿下の器はクラウディーネ様が確認されました。エイリーケ殿下も先日、ウルリーケ殿下の器は間違いないと仰いました。ただし、エイリーケ殿下は次代の器の検分に必要な修練を修められましたが、今のウルリーケ殿下にはそのお力はありませんな」
「ですが、わたくしには『予見』の魔法は使えません」
メルシオールは口の端を上げ、ウルリーケに問う。
「たとえば、これまでにご覧になった夢は、すべてがただの夢でしたかな?」
「え?」
「怖い夢を見た、美しい夢を見た、そうしたものの中には、知らぬ場所で現実に起こることを予め見たものもあったかもしれませぬぞ。王家に、大きな器の姫君が新たに生まれる、とかね」
それは誰が見た夢だったのか。
「『予見』が成立するためには、正しく判断する技能と知識が要るのですよ。ある場所で起こる出来事が、どこで何の意味をもつのか。王女としての教育を受けられなかったウルリーケ殿下には、それが『予見』であると知ることができないでしょう」
メルシオールは息を吐いた。それは、やりきれない思いを振り払ったようにも見えた。
「『予見』の魔法を自在に操るには、相当の器と修練が必要なのですよ。精霊姫は十歳から修練に入るのが慣例です。ウルリーケ殿下も、その予定でした。しかし、直前に王妃殿下の耳に入ってしまいましてな。それは強硬に反対なさいました。精霊姫はエイリーケのみ、と仰ってね。それで、ウルリーケ殿下を精霊殿にお迎えするのは断念しました。さらに御身に危険がおよぶやもしれぬ、と護衛をつけたのですよ。適任者がなかなか見つからなくて時間はかかりましたが、相応しい者がついてよかったですな」
ヘルマンはメルシオールの言葉に目を見張った。
「精霊姫とは……?」
声を震わせるヘルマンは、ウルリーケの肩においた手を離さず、強敵に相対しているように身構えている。だが、メルシオールは飄々と笑った。
「そうですなあ。最初から話しましょうか、昔話をね」




