10.王位継承
王城の尖塔の鐘が、十一回鳴り響いた。
特別な鐘は、特別な意味をもつ。
国王コンラート・テウデベルト・アウストラシア崩御である。
枯葉が舞う王都の広場では、人びとが皆足を止めて尖塔を見つめた。普段は時を知らせるだけの鐘の音が、不穏な調べをまとって空気を震わせる。
鐘の意味を知る者は、沈痛な面持ちで祈りの姿勢をとった。
王都の中心から、はりつめた空気が国中に広がっていく気配を、どれだけの人が感じていただろうか。日常の中に影が落ちた。それを少しばかり哀しみ、少しばかり鬱陶しく思う、その程度のことかもしれなかった。
国王の葬礼は慣例に則り、ふた月の服喪の後に行われる。しかし、玉座は即日、新たな主を迎えた。正式な即位式は国内外の賓客を招いて執り行われるが、王太子アルノルト・テウデリク・アウストラシアは、速やかに新国王となった。
少なくともここから一年は、新国王の即位にかかわる国家行事が続くことになる。
そのすべてにウルリーケの席はなく、それどころか当然のように知らせのひとつもなかった。
もちろん、ウルリーケたちもなにも気にかけることはない。それよりも、時間を割くべき重要事項があった。
「もういいでしょう? コジマの知っていることを教えてちょうだい」
ウルリーケとヘルマンが、ようやく仲直りをしたかと思えば、がっちりと手を携えるようにして迫られてコジマは呆気に取られた。
「まあまあ。……そうですね。とはいっても、私はそれほど多くのことを知っているわけではありませんよ」
「王妃殿下が、懐妊したエテリンデ様に配慮されていた、というのは事実ですか?」
まずヘルマンが切り出した話に、コジマは思わず天を仰いだ。それを口にするには、少なからず勢いが必要であったが、腹を括るときがきたようだ。
「事実ですよ。エテリンデ様は王妃殿下のお気に入りの侍女でした。しかも王太子殿下よりも歳下でしたからね。王妃殿下からすれば、嫁入り前の令嬢を預かっている形ですから。それなのに国王陛下が申し訳ない、と詫びていらっしゃるのを目の前で見ました」
国王夫妻の仲は、決して悪くなかった。王太子を含む三人の子どもに恵まれて、政略結婚としては上手くいっている、と思われていた。
当時の王妃は怒りの感情よりも、困惑しているようすで、国王は早々に謝罪した、という噂もあった。
ウルリーケが生まれ、エテリンデがそのまま体調が戻らず寝込んでも、王妃の態度は変わらず、心から気にかけているように見えた。
「エテリンデ様が亡くなる前に一度だけ、国王陛下がいらしたのです」
病床のエテリンデを見舞い、生まれたばかりの王女の顔を見るために国王が訪れた。
その場には王妃と王妹も同席していた。
「王妹? というと……」
ウルリーケには、心当たりがなかった。コジマがいい添える。
「クラウディーネ殿下です。六年前にお亡くなりになった」
「病弱でずっと王城でお暮らしだったという方ですか?」
ヘルマンは、騎士団で風聞程度にその名前を聞いたことがあった。
「そう、私もそのとき初めてお目にかかっただけでしたけど。ただ、病弱でいらっしゃるようには見えなかったのと、精霊術師のローブをお召しになっていたので、不思議に思ったのを覚えています」
「精霊術師のローブを……」
ヘルマンとウルリーケが顔を見合わせる。それは先日、目にしたものではなかったか。
「クラウディーネ殿下だけは、エテリンデ様にはまったく話しかけないで、ずっとウルリーケ様をご覧になっていましたね。国王陛下は逆にエテリンデ様にお声をかけただけで、王妃殿下に促されてやっとウルリーケ様のお顔に目を向けておられました」
「王妃様は、そこまでしてくださっていたの? 本当に?」
信じられない、というよりも別人ではないのかと疑いたくなる。あの憎悪に満ちた視線を、幼いウルリーケに浴びせた人が。
「ええ。父親でしょう、と仰って。でも、お優しかったのはその日が最後でした」
翌日の昼頃、まどろんでいたエテリンデのもとに、憤怒の形相で王妃が再び訪れた。
先ぶれもなく、扉を叩くことすらせずに、踏み込んできた王妃は、驚くエテリンデにいきなり怒鳴り散らした。
「この恩知らず! わたくしがやっとの思いで得たものを! どうしてお前が! このようなことになるなら、取り立ててなどやるのではなかったわ!」
追いかけてきた近衛騎士が止めなければ、そのままつかみかかっていただろう。
エテリンデは青い顔でひたすらに、申し訳ございませんと繰り返し、王妃の豹変ぶりに怯えていた。
近衛騎士たちが引きずるようにして王妃を連れ出せたのは、おそらく国王の命令があったからだろう。
その後エテリンデは高熱を出し、そのまま一週間後に亡くなった。
「エテリンデ様が亡くなると、国王陛下のご指示ですといわれて詰所へ移されたのです。かろうじて乳母はつけてもらえましたけれど、それもウルリーケ様が乳児の間だけで、あとはご存知の通りの生活を続けてきたというわけです」
コジマは、訳がわからなかった、と振り返った。
エティコーネン子爵と連絡を取ることもままならず、何度も書いた手紙で少しずつ現状は伝わったが、それを打開する策はなにもなかった。
唯一許されたのが、護衛をおくことであったが、これも望んだ結果ではなく王命によるものだった。
「王妃殿下の差配ではなく、すべて国王陛下がかかわっておられたのですか?」
ヘルマンの言葉にコジマは、確かにとうなずく。
「少なくとも、王城で噂されているような、王妃殿下の悋気から逃れるためではないでしょう。それならここを出ればよいだけですから」
「むしろ、表面上は王妃殿下のお怒りのせいにして、ウルリーケ様を王城に留めて隠しているように思えますね」
コジマはこれにも深くうなずいた。
「クラウディーネ殿下は、精霊術士のローブだったのね?」
ウルリーケの言葉にヘルマンは、先日の貴人の姿を思い浮かべた。
「エイリーケ殿下と同じですね」
ふたりの王妹が、人知れず精霊殿に入っている?
ウルリーケの存在が隠されているのと同じように?
「エイリーケ様は、国王陛下が亡くなっても、わたくしの不自由は変わらないと仰ったわ。王太后の権能は盤石だとも」
ウルリーケが、王城の片隅に捨て置かれているのは、誰のためなのか。何のためなのか。
王位とともに継承されるものはなにか。
コジマとヘルマンが思案顔を向ける。
「時間を無駄にして悪かったわ。見つけましょう、必要なものを」
翌日から、ウルリーケはヘルマンをともなって禁書庫通いを再開した。
ヘルマンは騎士団長に引き留められたが、王族の警護が強化される中で、ウルリーケだけが放置されていることをあげて押し切り、護衛に専念することを許された。
長年、書物に親しんできたウルリーケが、集中して文字を追う速度はヘルマンも驚くほどで、次々と読み進めていく。
前国王コンラートの葬礼が行われる頃には、禁書の半分以上を読み終わっていた。
ヘルマンもウルリーケが封印を解いた書物に、目を通していたが、手がかりは見つからなかった。
禁書庫の扉を開いてから、一年が過ぎていた。
王城の中は即位式の準備が立て込んでいて、働く者たちは常に忙しなく動き回っている。
その中で、ウルリーケたちは淡々と変わらぬ日々を過ごしているように見せて、焦りはじめていた。
新たな年を迎える。この年、ウルリーケは十八歳になる。まだ、必要なことはわからないままだった。




