第百五十三話:天狗の里、空の孤立
統一王国の東端、常に薄い雲が立ち込める険しい山脈の頂上。
風が唸りを上げて吹き抜けるその場所に、天狗族の隠された里があった。
ヒカル王の命を受け、この空の孤立勢力との交渉を任されたのは、疾風の遊撃女王セフィラと、補佐役の空虚の斥候王ゼファーの二人だ。
「さっむいねー、ゼファー。ここ、風は速いけど、なんだか冷たい風の匂いがするよ」
セフィラは軽装のチューブトップとミニスカートにもかかわらず寒がる様子もなく、風の魔力を纏って軽やかに宙に浮いていた。彼女の隣で、ゼファーはフード付きのジャケットの襟を立て、冷静に周囲の警戒を行う。
「セフィラ様。天狗族は、我々竜族よりもさらに古い時代から、この世界の『理』に関する知識を継承しています。彼らの魔力には、外敵を寄せ付けない強固な排他性が読み取れます」
ゼファーは一瞬、感慨深げな表情を浮かべた。
「しかし、セフィラお嬢。貴女がこうして単独で外交の使者を務められるほどに、成長されるとは……長らく補佐官を務めた身としては、感無量でございます」
「あーもう! 何よ、その姑みたいな言い方!」
セフィラは頬を膨らませ、ゼファーに抗議する。
「私だって、ヒカルの団長の王妃の一人なの! いつまでも補佐官時代の子供扱いしないでよね! 私の愛の形が外交の役に立つって、団長が論理的に判断したんでしょ!」
「ええ、論理は理解しています。ですが、王妃としての威厳を主張するなら、もう少し服装を考慮されるべきでは? ——貴女のその軽装は、交渉の場で『遊び』だと誤解される論理的なリスクを伴います」
ゼファーの冷静な指摘に、セフィラは何も言い返せず、悔しそうに唇を噛んだ。
◇◆◇◆◇
ゼファーの分析通り、里の中央にある巨大な社殿の前に、翼を持つ天狗族の長老たちが厳かに並んでいた。彼らの表情は一様に厳しく、セフィラたちを「異物」として見定めている。
その中央に、最も巨大な翼を持つ老いた天狗の長が進み出た。
「竜の王ヒカルの使者よ。貴様らの来訪は、我らの理に反する。これより先、一歩たりとも立ち入ることは許さぬ」
セフィラは、いつものように無邪気な笑みを崩さず、長老に向かってフランクに呼びかけた。
「ねぇ、おじいちゃん。そんなこと言わないでさ」
「な……ッ! お、おじいちゃんだと!? 無礼にも程があるぞ、小娘ッ!!」
天狗の長は、長寿の誇りを根底から揺さぶられたことに激昂し、翼を広げて威圧した。ゼファーが冷や汗を流し、一歩前に出る。
「セ、セフィラ様! 貴女の無邪気な愛は、時に外交上の致命的なリスクとなります!」
セフィラはゼファーの制止を無視し、長老に向かって身を乗り出した。その瞳には、侮辱ではなく、純粋な好奇心と、相手の懐に入り込む愛嬌が宿っている。
「だって、おじいちゃんでしょ? すごく年上なんだから、私は、最高の敬意を込めて『おじいちゃん』って呼んでるんだよ!」
セフィラの動揺しない態度と、予想外の「愛嬌」に、長老は一瞬たじろいだ。
「貴方の風はすごく速くて冷たいけど、団長はね、みんなが仲良しの新しい世界を作ろうとしているの。私たちの風と、天狗族の速い風を合わせたら、最高の空の冒険ができるよ!」
天狗の長は、セフィラの言葉に鼻で笑った。
長老は、ヒカル王が推し進める「優しさの秩序」の裏側にある、世界の真実を突きつける。
「冒険? 愚かよ、竜の娘よ。貴様らは、この世界の均衡を乱す『バグ』だ」
長老の言葉に、ゼファーの表情が一変する。
「な、何を根拠にそのような……」
「我ら天狗族は、太古の昔から、この世界全体が、上位の存在によって『管理された箱庭』であることを知っている」
天狗の長は、翼を大きく広げ、空の全てを支配するかのような威圧感を放った。
「貴様ら竜族は、古代の科学によって生み出された『感情の増幅装置』。そして、ヒカルという人間は、その感情を調律する『想定外のウィルス』だ。貴様らの統一は、管理システムが許容できる『容量』を超えている。やがて、『リセット』が来るだろう」
天狗の長が吐き出す言葉は、ヒカルたちが抱える潜在的な「神の脅威」という懸念を、明確な論理として突きつけるものだった。
ゼファーが冷静さを取り戻し、反論を試みる。
「待ってください、天狗の長。その『リセット』とやらが来る前に、我々はすべての種族を一つに束ね、その脅威に対抗しようとしている。我々の同盟は、貴方がたの生存という論理的利益にも適うはずです」
「無駄だ、風の工作員よ。愛などという非合理なバグが、世界の理に勝てるわけがない。我ら天狗族は、リセットの嵐から逃れるため、この空域を完全に封鎖する。貴様らの『バグ』が滅びるのを、高みの見物とする」
天狗の長は、交渉の余地はないと断言し、社殿の奥へと消えていった。
セフィラは、その場で悔しそうに唇を噛みしめる。外交は、完膚なきまでに決裂し、空という最も重要な領域の封鎖を通告されたのだ。
「ちぇっ……つまんないの。風を止めるなんて、最高の退屈じゃん!」
◇◆◇◆◇
大人たちの交渉が決裂する中、セフィラの娘リベル(7歳)は、里の入り口付近で退屈そうに待機していた。
リベルは母譲りの明るい金髪のショートヘアに、いたずら好きの瞳を持つ。彼女の傍らには、風の魔力でできた小さな光の玉が浮遊していた。
「あー、まだかなー。団長に、お空の素敵な風の匂いを報告しなきゃいけないのに」
リベルが地団駄を踏んだその時、社の影から、一人の幼い天狗の子供が姿を現した。その子は黒い羽根と鋭い眼光を持つが、歳の頃はリベルと変わらない。
天狗の子供は、リベルを威嚇するように睨みつけた。
「てめぇ、バグの竜の娘だな! すぐに帰れ! ここは穢れた竜族の来る場所じゃねぇ!」
「えー? バグって何? 美味しいの?」
リベルは目を丸くし、無邪気に首を傾げた。
「あのね、ボクはリベル。かーさまが、みんなと仲良しになりに来たの! 君も一緒に遊ぼうよ!」
「遊ぶか! 貴様らと遊ぶのは、恥だ! 我は風の戦士だぞ!」
天狗の子供はそう言って、翼を広げ、空へと舞い上がった。その速度は、竜族の遊撃隊に匹敵する俊敏さだ。
リベルは、それを見て目を輝かせた。
「わーい! 速い! じゃあ、勝負だね!」
リベルは迷わず風の魔力を解放し、天狗の子供の後を追った。その風の速度は、まだ制御が完璧ではないものの、母セフィラの血を引く驚異的な機動力を示した。
「ねぇ、君! ボクとどっちが速いか競争しようよ!」
天狗の子供は、リベルの無邪気な実力行使に面食らった。竜族の子供が、遊びで自分に挑んでくるなど、想定外だったからだ。
「速い奴が偉いんでしょ? じゃあ、勝った方が、団長の里へ連れてってあげるんだ!」
リベルの純粋な「力の競争」という提案は、天狗の子供が持つ「実力主義」の価値観に直接響いた。彼は一瞬戸惑いながらも、プライドから挑戦を受けて立つ。
二人の子供の風が、山脈の上空で交錯する。
その様子を、社殿から見ていた天狗の長老たちは、驚きに目を見開いていた。
天狗の長(長老)は、目を丸くして、空で競争する我が孫の姿を捉えた。
「馬鹿な……遊びで、フウガがあんなバグの娘と遊ぶだと? しかも、遊びで、あの速度だと? 感情のバグが、なぜこれほどの純粋な力を生むのだ……」
長老は、孫がリベルの無邪気な愛の影響を受けることを恐れ、静かに顔を歪ませた。
交渉を終えて戻ってきたセフィラは、我が子の無邪気な「実力行使」を見て、ゼファーにいたずらっぽくウインクした。
「ほらね、ゼファー。理屈じゃないんだよ。私の愛の形は、最高の冒険を共有すること! 子供の遊び心は、大人の理屈より速いのさ!」
ゼファーは、リベルの無責任な行動が、硬直した天狗族の心に「遊び」という名の風穴を開けたという、非論理的な成功に舌を巻く。
「……セフィラ様。論理的に見て、リベル様の行動は軍規違反ですが……」
ゼファーは一瞬言葉を切り、長老とその孫がいた場所を遠くから見つめた。
「しかし、長老の孫が、私たちの娘と遊んだという事実は、彼らの『排他主義』という論理に、個人的な感情の楔を打ち込みました。この感情的な突破口は、今後の外交において、論理的な交渉よりも遥かに有効な伏線となるでしょう」
交渉は決裂し、空域は封鎖された。
だが、リベルの無邪気な愛の風は、排他的な天狗の里に、わずかな亀裂を生じさせたのだった。
【第154話へつづく】
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