第百五十二話:南の砂漠、獣の拒絶
統一王国の南端、緑豊かな大地が途切れ、熱砂の風が吹き荒れる境界線。
そこに、ヒカル王の命を受けた外交使節団の姿があった。
率いるのは、兵站・資源大臣であり、王国の母たる磐石の守護龍テラ。
そして、護衛兼武官として不動の防衛将ガイアが付き従っている。
「……暑いな。この熱気、レヴィア様のブレスの残り香のようだ」
ガイアが額の汗を拭いながら呟く。彼らの目の前には、見渡す限りの砂漠と、その中央に聳える巨大な岩山――獣人族の最大勢力『赤獅子族』の根城があった。
「ガイア、弱音はなしですよ。主が憂いておられる『閉じた世界』を開く鍵は、わらわたちが握っているのですから」
テラは日傘をさしながらも、その足取りは力強い。彼女の背後には、食料や織物など、友好の証となる支援物資を積んだ荷馬車隊が続いている。
しかし、城門代わりの岩場に到着した彼らを待っていたのは、歓迎ではなく、殺気立った槍の穂先だった。
「止まれ! 軟弱な竜の眷属どもめ!」
岩山の上から、野太い声が響く。
現れたのは、身の丈3メートルはあろうかという巨躯のライオンの獣人。全身に無数の傷跡を刻み、ただならぬ覇気を纏った男――獣王ヴォルグ・ライオネルだ。
「獣王ヴォルグ殿とお見受けする。わらわは統一王国の兵站大臣テラ・グランディナ。王ヒカルの名代として、友好と通商の条約を結びに参りました」
テラが優雅に一礼するが、ヴォルグは鼻で笑い飛ばした。
「友好だと? 笑わせるな! 貴様らが築いた『平和』とやらは、牙を抜かれた家畜の安寧に過ぎん!」
ヴォルグが岩場から飛び降り、ズシンと大地を揺らしてテラの前に着地する。ガイアが即座にテラの前に立ちふさがるが、テラは手でそれを制した。
「我ら獣人族の掟は『力こそ正義』。弱者は強者に食われ、強者はさらに強い者に挑む。それが自然の理だ。貴様らのように、弱者を庇い合い、傷を舐め合うような生き方は、我らにとって最大の侮辱なのだよ!」
ヴォルグは、テラたちが持参した食料の積荷を蹴り飛ばした。樽が割れ、中から穀物や果物が砂の上に散乱する。
「なっ……!?」
ガイアの顔色が変わり、拳が震える。食料を粗末にすることは、兵站を司る彼らにとって許しがたい行為だ。
だが、テラは表情一つ変えず、静かにヴォルグを見据えた。
「……食料を蹴るとは。王としての品格を疑いますね」
「品格? くだらん! 我らを従えたくば、力で示せ! ヒカルとかいうひ弱な人間の王が、自らここへ来て私の足元にひれ伏すなら、話くらいは聞いてやろう!」
ヴォルグの挑発は、国家への侮辱そのものだった。
ガイアが前に出ようとするが、テラが強い眼差しで止める。
「……今日は、帰りましょう、ガイア。今は、言葉が通じる相手ではありません」
「しかし、テラ様! 王への侮辱をこのまま……!」
「引くのです。今は、まだ」
テラは散らばった食料を悲しげに見つめ、踵を返した。
交渉は、決裂した。それも、完膚なきまでの拒絶として。
◇◆◇◆◇
大人たちの交渉が緊迫している間、テラの一人娘、ソイル(12歳)は、荷馬車の陰で待機していた。
彼女は母譲りの蜂蜜色の髪を三つ編みにし、旅装束に身を包んでいる。今回の旅は、次期兵站大臣としての社会科見学も兼ねていた。
「(交渉、うまくいかないのかな……)」
殺気立った空気を感じ、ソイルは不安そうに周囲を見渡す。
その時、岩陰にうずくまる小さな影を見つけた。
獣人の子供だ。
猫のような耳と尻尾を持つ少年が、腕を押さえて痛みに顔を歪めている。腕からは血が流れていた。
「あ……怪我してるの?」
ソイルは慌てて駆け寄った。
「だ、大丈夫? 見せて、私、治癒魔法が得意なの」
ソイルは膝をつき、少年の腕に手をかざそうとした。テラの娘として、傷ついた者を見過ごすことはできない。それは彼女の優しさであり、正義だった。
淡い土色の光が、ソイルの手のひらに灯る。
バシッ!!
乾いた音が響いた。
ソイルの手が、強く払いのけられたのだ。
「え……?」
払いのけたのは、その少年ではない。背後から現れた母親らしき女性の獣人だった。彼女は、我が子を守るように抱き寄せ、ソイルを鋭い瞳で睨みつけた。
「触るな、竜の娘!」
「で、でも……怪我が……血が出てるわ」
「これがなんだと言うのだ! この程度の傷、舐めておけば治る! 痛みを知らぬ傷など、戦士の恥だ!」
女性の言葉は、ソイルにとって理解不能なものだった。
王立学園では、怪我をすればすぐに治すのが当たり前だ。痛みを放置することになんの意味があるのか、彼女には分からない。
「貴様らのその『恵まれた魔法』が、我々を弱くするのだ! 痛みを知り、耐え、乗り越えることこそが獣の誇り! 弱者の情けなど、我らには不要だ!」
「弱者の……情け……?」
ソイルは呆然とした。
彼女が信じていた「優しさ」が、「侮辱」として受け取られたのだ。
ユリウス(レオーネの息子)を守ると誓い、みんなの盾になりたいと願ってきた彼女の信念が、ここでは通用しない。
「帰れ! ここは貴様らのような、温室育ちが来る場所ではない!」
獣人の女性は子供を連れて去っていった。
残されたソイルは、砂の上にへたり込んだ。
叩かれた手の甲が痛い。だが、それ以上に、心が痛かった。
「……ソイル様」
交渉を終えて戻ってきたガイアが、うずくまるソイルに気づき、優しく声をかける。
「ガイアおじさま……。私……何もできなかった」
ソイルの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「治してあげようとしただけなのに……。優しさって、いけないことなの?」
ガイアは何も言わず、その大きな手でソイルの頭を撫でた。
そして、戻ってきたテラが、静かにソイルを抱きしめた。
「ソイル。……優しさは、時に相手の誇りを傷つける刃になるのです」
テラの声は厳しく、しかし温かかった。
「彼らには彼らの『強さ』がある。それを理解せず、ただ与えるだけの優しさは、傲慢なのです。……わらわたちも、それを思い知らされました」
テラは、遠くの獣王の岩山を見つめる。
「でもね、ソイル。諦めてはいけません。優しさが届かないなら、届く形に変えればいい。拒絶されたなら、受け入れてもらえるまで、何度でも土を耕せばいいのです」
「ママ……」
「泣くのはおよしなさい。貴女は、磐石の守護龍の娘でしょう?」
ソイルは袖で涙を拭った。
砂混じりの風が、彼女の頬を打つ。痛い。熱い。
でも、その痛みは、彼女に「世界は自分の思い通りにはならない」という現実と、「それでも折れない心」を教えた。
「……うん。私、諦めない」
ソイルは立ち上がり、砂を払った。その瞳には、テラと同じ、揺るぎない大地の強さが宿り始めていた。
「あの怪我してた子……次は絶対、私の手当を受けさせてみせる。だって、痛いのは嫌だもん。……仲良く、なりたいもん」
外交は決裂した。
だが、その失敗は、次世代の心に「異文化を知る」という種を蒔いた。
帰りの馬車の中で、ガイアは拳を握りしめた。
王への侮辱、そしてソイルの涙。
このまま引き下がるわけにはいかない。
「力こそ正義」と言うのなら、こちらの「守るための力(愛の拳)」を証明するしかない。
砂漠の熱風は、次なる激突の予感を孕んで吹き荒れていた。
【第153話へつづく】
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