第71話:【小切手】とマフィアのやり方。
「はした金……大金……命……」
「決断の遅い人間は嫌いだ。君はそうやっていつまでもそこで悩んでいればいい。さぁ翔子、早くこちらへ。一緒に行こう」
うさこは明らかに表情を明るくしたものの、父親に睨まれどうしていいか分からないようだ。
「翔子、君もそこの親と同じように決断に時間を割くのかい? もし君が迷うなら僕はここを去ろうじゃないか。本心で選びたまえ。十秒だけ待つ。十……九……八……」
十秒も必要は無かった。これはうさこの背中を押す為だけの儀式だ。
「お父様、私、謝りません。勘当して下さっても構いません。今から私はあの人の物になります。今までお世話になりました」
「ま、待てっ! ふざけるな! お前は私の娘なんだぞ!?」
父親がそんな言葉を吐いている間にうさこは私の元までやってきてこの手を取る。
繋いだ手を頭上に掲げ、うさこの身体をくるりと回転させてもう片方腰を支える。
「お、おねーさ……」
「おっと」
私はその先を言わせないようにうさこの口を塞いだ。両手が塞がっていたので必然的に口で塞ぐ事になってしまった。
唇を離し、そのまま彼女の耳元へ小声で囁く。
「今は私じゃなくて僕だから。うまく合わせて。出来るね?」
再びうさこを正面から見つめ微笑みかけると、うさこは「ど、ドキドキで死んでしまいますの……」と、分ったのか分かってないのか微妙な返事をしてきた。
「お、お前っ! こんな事をして、ただですむと……」
「うん? ただで済むとは思っていないしただで済ますつもりも無いよ。ただね、君は父親として翔子に今まで何をしてきた?」
「……ぐっ、か、金の工面を……」
「それは翔子がここまで育つ為の費用だろう? 君は特別何かしてあげたのかな? 少なくとも翔子は君に大金をせがんだり金のかかる我儘を一度でも言った事があるのかい?」
この辺りは既にジョージや杏子さんから裏を取ってある。うさこはごく普通に学生生活を送り、質素な暮らしをしてきたと。
「誰の金でここまで育ったと思ってるんだ! 全て私の力だ! 翔子は私の物だ! 私が私の物を私の役に立てて何が悪い!」
「語るに落ちたね。結局君が翔子に使ったお金なんて学費と最低限の生活費くらいさ。確かに翔子は君の血を引いているかもしれない。だけど生んだのは君の妻であり翔子の母親であって君では無い。君は奥さんが残してくれた宝物を自分から遠ざけてただ生かして来ただけ、だよ」
父親は憤怒の表情でテーブルをどかっと叩く。
「それがどうしたっ! この日の為に育ててきたんだ! この日の為に金を費やしてきたんだぞ!? それを貴様なぞに台無しにされてたまるかっ!」
「分からない奴だなぁ。君が今までしてきた事なんてペットを飼って毎日餌をやり育てる事とすら比較対象に出来ない程になんの意味も無い事だと気付かないのかい?」
「ペットを育てるほどの労力も使ってないと言いたいのか!?」
「君は馬鹿か? 労力? その考え自体が間違っているというんだよ。ペットというのは飼い主からしたら本来家族なんだ。愛情を持って育てる対象なんだよ。でも君はどうだ? 翔子に何をした? 住む場所と生活費を与えて放置だ。それは家族に対する愛情かい? 僕には到底そうは思えないね。君が今まで翔子に費やしたお金なんてたかが知れている。はした金もはした金だ」
「お前に何が分かるというんだ! いくらはした金だといえど翔子が育ったのは私の金で、だぞ!?」
「はぁ、違うね、翔子はたとえ君が住む場所を与えず生活費を与えなかったとしても生きてこれた。この子は一人でも生きていける力を持っている。周りはそんな頑張り屋の彼女を助けたいと力を貸すだろう。君がしていた事なんてあってなかったような物なんだよ」
隣りで咲耶ちゃんが「よくもペラペラと口が回るもんだ」と小声で呟いたのが聞こえた。
ほっといてほしい。今は役に入り込んでるんだから。
それに、この役を借りてこの気に入らない糞豚に言いたい事を言ってやらなきゃ気が済まない。
「君がこの縁談に何を求めていたのか、翔子にいくら費やしてきたのか。それは分からないがね、どうせ大したものではないだろう。とはいえ横から翔子を奪って行く訳だからね、せめて置き土産を受け取ってくれたまえ」
私はそこでタキシードの内ポケットから、咲耶ちゃんから預かっていた物を取り出しテーブルに叩きつける。
それは一枚の紙きれ。有栖さんが用意してくれたという小切手だった。ゼロの数は見るからに異次元の数字だったのでちゃんと数えてない。
「こ、これは……な、なんの冗談だ? そ、そんな……こんな額、ふ、ふざけるな! からかっているのか!?」
「からかってなどいないさ。僕からの置き土産だと言っているだろう? 要らないのなら持って帰るが、必要ならば僕の気が変わらないうちに懐に入れる事をおススメするよ」
有栖さんは翔子を守る為なら、彼女の父親に頭を下げさせる為ならポケットマネーからこれだけ出せると、用意してくれた。
そこに書かれた丸の数を何度も確認し、父親が小切手を掴み、ゆっくりと引き寄せていく。
「いい判断だよ。その代わり……それを受け取るという事は、分っているね? これは契約のような物だ。僕は誠意を示し、君はそれを受け入れた。この先、君が翔子に関与する事があれば僕は一切の躊躇も遠慮も無く君の命をこの世界から消すよ?」
「そ、そんな事が……この国で許されると……」
「僕がどういう人間なのか、そこのご令嬢は知っているようだから聞いてみるといい。僕の言葉が本当なのかどうかをね」
「お、御伽さん……」
彼は震えながら有栖さんへ確認を取る。
「少なくとも、私が知っている範囲で、ですが……彼が言っている事は本当ですわ。その気になれば私達の命などあっという間に無かった事にされてしまいます。殺される、ではありません。存在しなかった事にされるのですわ」
「存在しなかった事に……そ、そんな馬鹿な……国に対して圧力をかけられる程の存在だとでも……」
「さぁ、お喋りはそこまでだ。君が僕の事を誰かに他言したと判断すれば消す。翔子にちょっかいを出せば消す。それ以外でも気に入らないと思えば消す。大人しく真面目に働いて死んでいけ。少なくともそうすれば僕は二度と君に関わらない」
「ぐっ……」
彼はゆっくりと小切手を懐に入れた。
これで契約は成立だ。
うさこ編も次回でラストです。
今回は間を開けないように数日中に次を投稿予定ですので(汗)





