炊き込みご飯(前篇)
年が改まると滞っていた物流も少しずつ元に戻り、古都にも荷馬車が訪れるようになる。
荷馬車の積む商品のほとんどが食糧だ。
古都の人々が各々食糧を蓄えていると言っても、地下室には限りがあるし、目算が狂うこともある。もっとも、一番多いのは最初から冬を越せない程度の蓄えしか持たない人々だ。
そういうお客を当て込んで、穀物商は都市の周りにちょっとした倉庫を作って年明けを目途に小麦やその他の商品を運び込んでくるのが毎年の恒例になっている。中には遠くの都市の承認を頼って買い付けをする商会もあるが、ごく稀なことだ。
当たれば、大きい。春先を前に潤沢な回転資金を得ることができれば、一年の商いはぐっとしやすくなる。だが、失敗すると春の仕入れに差し障ることにもなるし、そもそも物が手に入らない。
今年のアイゼンシュミット商会は、稀有な成功者の一例となるはずだった。
「どうするんだ、これ」
イグナーツは怒っているのか泣きそうなのか分からない表情で義弟のカミルに尋ねる。
商会の倉庫に運び込まれたのは、夥しい数のライスの袋だった。
「どうにかするしかないよ、これ」
羊皮紙の証文と写しを見ながらカミルは溜息を吐いた。
聖王国のクルヴァルディア商会から届くはずだった量の三倍の袋が、目の前には積み上げられている。いや、注文した額とは合致しているのだ。問題は、その量だった。
「聖王国でライスが大豊作だとは聞いていたが……」
「まさか価格が三分の一にまで暴落しているとはね……」
現地からの報告では、聖王国では記録的なライスの大豊作で倉が溢れ、それを食べた鼠が猫ほども肥え太っているという。誇張もある表現だろうが、想定していた三倍の量が買い付けできてしまったということはあながち全てが嘘ではないのかもしれない。
「これだけの量を、売り捌けると思うか?」
「何とか売り捌くしかないよ。春までにはこの倉庫を空っぽにしておかないといけないんだから」
「しかし、なぁ」
古都ではライスを食べる習慣がほとんどない。
一時期ウナギ弁当という物が流行った時に少しだけ見かけたが、最近はそれもないようだ。
この三分の一の量なら冬場の食糧難で捌き切れると考えていたのだが、この量ではさすがに尻込みしてしまう。逆に売切れれば莫大な利益を得られるが、方法が思いつかない。
商人として商品を捨てるつもりはないのだが、売るための工夫を考えようにもどうしていいのかさっぱり分からなかった。
「どうしたお二人さん。年明けから辛気臭い顔をして」
そんな倉庫にふらりと入って来たのは、徴税請負人のゲーアノートだ。
古都参事会に名を連ねる男で、税の取り立ての厳しさからあまり好まれていない。最近は少し人当たりが良くなったという噂をイグナーツとカミルも耳にしていたが、どうにも信じられずにいる。
人間の性格はそんなに短期間で変わるものではない。
「ああ、ゲーアノートさん。年明けから精が出ますね。でも、倉庫にまで勝手に入って来られては困ります」
イグナーツが軽く詰るのもどこ吹く風で、徴税請負人は胸からハンカチを取り出してモノクルを拭きはじめた。
「勝手に入られて困るなら表に誰か立てておくことです。私は商会の入り口で三度も声を掛けたのです。それでも誰も出て来なかった。もし中で誰か倒れでもしていたら随分と事です。心配になって踏み込んだだけですよ」
嫌味だ。こういうものの言い方をするから、ゲーアノートは嫌われるのだ。
徴税請負人は古都参事会から徴税の任を請け負っている。余分に取り立てることができた分はすべて自分の懐に収めることができるのだから、随分と悪辣に取り立てる者も多い。
その筆頭として知られているのがゲーアノートだ。
こうなるともう、売り言葉に買い言葉になる。カミルを庇うように前に立ち、イグナーツは喧嘩腰に捲し立てた。
「それはどうも御親切に。御覧の通り私たち二人とも無事ですから、どうぞお引き取り下さい。税の話についてはまた後日ということで」
「税の話は後日で結構ですよ。そもそも今払えと言って払えるものでもないでしょうし。今日は新年の挨拶回りのつもりでしたから、それほど固くならないでください」
「こちらには挨拶される筋合いはありませんよ。貧乏暇なしっていうでしょう? さ、二人とも無事だと分かったならさっさと帰って頂きましょうか。お帰りはあちらです」
しかしイグナーツの指差した出入り口の方には見向きもせず、ゲーアノートは積み上げられたライス袋の山をじっと見つめている。
「……まだ何か御用ですか?」
「聖王国のライスですか。それもササリカ米。また珍しいものを仕入れましたね」
目を付けられてしまった。無理もない。壁際いっぱいに同じような袋が積み上げられているのだ。見つけるなという方が無理な相談だ。
これも徴税の査定に関わって来るのだろうか。大量に仕入れたライスが仇になって税まで上積みされるのでは儲けが出るどころか大損だ。
「ライスをご存知ですか」
「私の故郷は帝国南部でほとんど聖王国と接しているところです。子供の頃にはパスタだけでなく、ときどきライスも食べたものだ。リゾットなんかが美味かったな」
それならば、何か美味い料理法を知っているのではないか。
淡い期待がイグナーツの心の中に点りかけ、消えた。何を血迷ったことを考えているのか。相手は血も涙もない徴税請負人だ。こちらの為になりそうなことなどやってくれるはずがない。
「それはそれは懐かしいでしょうね。どうです? 一袋差し上げましょうか?」
冗談のつもりで言ったのだが、ゲーアノートの表情が途端に曇る。
「イグナーツさん、ご存知かと思うが私は徴税請負人だ。そしてその仕事に誇りを持ってもいる。徴税対象者から便宜を図られたとあっては、知らぬ者から見れば賄賂と受け取られかねない。ご厚意だけ頂戴しよう。しかし……」
「しかし?」
「これだけの量のライス、古都で捌き切ることができるのかね?」
痛いところを突いてきた。色々な紹介に出入りする徴税請負人という仕事柄、商品の事にも多少の知識はあるのだろう。
「何でそんなことを心配するんですか?」
イグナーツの後ろからカミルが口を挟む。<臆病>カミルなどと仇名されていたが、最近はそんな呼び名も鳴りを潜めている。
「それはもちろん、徴税の為ですよ、お二人さん。これだけの商品、売れませんでしたとなれば色々支障があるでしょう。アイゼンシュミット商会からの税の取り立てができないとなると、徴税を請け負っている私としても、とても困るのですよ」
「それは、そうでしょうが……」
やはり、税か。唾でも吐きかけてやろうかと思うが、イグナーツはじっと堪えた。ここでやり合っても何にもならない。そんなことよりも今はライスをどうするかが先決だ。
「一つ、私に腹案があります」
「徴税請負人が徴税対象者に腹案とは穏やかではないですね。何か良からぬことの片棒でも担がされるのかな?」
嫌味を返したつもりだが、ゲーアノートは気にした風もない。
「居酒屋ノブ、という店があります。あそこに助力を仰ぎましょう」
「その店ならオレたちも知っていますけど……」
そもそもイグナーツとカミルがライスを仕入れようと決めたのも、あの店でカイセンドンを食べたからだ。当然、あの店にも何袋かは買って貰いたいとは思っていたが、今抱えている量が量だ。
居酒屋一軒ではとても使い切れる量ではない。
「あの店の常連がいくら大食いでも、これだけの量は無理だと思いますよ、ゲーアノートさん」
期待する方が莫迦だったと思いながらそう答えると、ゲーアノートのモノクルが怪しく光った。
「ライスを使ったウナギ弁当もあそこが発祥ですから。何か流行りさえ作ることができれば、何とかなるかもしれない」