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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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炊き込みご飯(後篇)

 イグナーツとカミルが居酒屋ノブへ顔を出したのは翌日の昼餉時のことだ。
 ノレンは出していないが、店内では常連に昼食を出しているらしい。二、三人の客が美味そうに料理を食べている。てっきりゲーアノートも来るのかと思ったが、本人の姿はなかった。
 以前に二度ほど訪れたことがあるが、やはり変わった店だ。異国情緒にあふれたこの店なら、ライスの新しい売り方の手掛かりが見つかるかもしれない。

「いらっしゃいませ、ゲーアノートさんから話は聞いていますよ」

 出迎えてくれたのはシノブという給仕の他に女給仕がもう一人と、料理人も一人増えている。店内を愛らしく駆け回っていたエーファという給仕はこの時間はまだいないらしい。

「このササリカ米の食べ方を考えているんだ」

 手渡した袋には精米したササリカ米が入っている。
 一般的に聖王国で食べられているコムーネ米と比べると粒の長さが短く、調理すると少し粘り気が出る種類のライスだ。

「ササリカ米、ですか」

 ずっしりと重みのある袋から一掴みのササリカ米を取り出すと、シノブはそれを少し嗅いでからタイショーにも手渡す。

「タイ米みたいな香気はない、か……どちらかというと日本の米に近い気がするな」

 言いながらタイショーはさっそく袋の中身を計量し、水で洗い始めた。その所作はまるで何万回も繰り返してきたように手馴れている。
 さっさっと小気味の良い調子で洗う様子を、もう一人の料理人がじっと見つめている。

「それで、大将はこのお米をどうするつもり?」

 ササリカ米の手触りを何度か確かめていたシノブがタイショーに尋ねた。

「ゲーアノートさんの話だと量が量だっていうことだから、うちだけでどうこうするのは難しいと思うんだ。しのぶちゃんはどう思う?」
「ウナギ弁当の時みたいに少々のブームが来たとしても、倉庫一杯のお米を使うのはうちの店では無理なのよね」
「うん、それはずっと考えてた」

 店内に米を洗う音だけがシャリシャリと響く。
 常連の一人らしい身形の良い男がテンプラを食べながらその様子を興味深そうに見つめていたが、我慢できなくなったのか遂に口を挟んできた。

「シノブさん、それ何の話です?」
「こちらのイグナーツさんとカミルさんのアイゼンシュミット商会で、米を仕入れ過ぎてしまったんですって。それも、倉庫にいっぱい。アルヌさんも何かいい知恵はありませんか?」
「コメっていうとライスか……確かにこの辺りではあんまり食べないな」

 古都での主食は何といってもパンか麦粥だ。ライスを食べる習慣はない。

「それで、うちの店で何か解決策はないかって」
「なかなか難しそうな課題だ。よく知らないんだけど、コメは保存が利くの?」
「脱穀して今のような状態にしたら早めに食べないといけませんけど、玄米のままなら随分と長持ちしますよ」
「なるほどね」

 アルヌという客はそう言って腕組みをするが、あまり期待はできない。遊び人風の男がいったいどんな知恵を出してくれるというのだろうか。
 やはりこんなところでこんなことをしている場合ではないかもしれない。
 冬場の食糧難の時期だ。幾つかの紹介に頭を下げれば、少しは捌けるだろう。まずはそれからでも遅くはないのではないか。
 ササリカ米を洗い終わったタイショーが手際よく野菜や鶏を食べやすい大きさに刻んでいく。

「炊き込みご飯にするの?」
「さすがしのぶちゃん。味が付いている方が、食べ慣れない人にも親しみやすいと思ってね」
「チャーハンとかピラフは?」
「多分、ササリカ米には炊き込みの方が合うと思うんだ。チャーハンやピラフにはどうしても火力が要るから」

 火力という話が出て、漸くタイショーが何を考えているのかがうっすらと見えてきた。
 居酒屋ノブでライスを使った料理を流行らせた後、それを家庭で作ってもらう。
 それならば確かにノブ一軒で使うよりも多くのライスを使うことができるし、この店に来ることができない人たちにも食べて貰うことができる。

「さぁ、ササリカの炊き込みご飯ができるまで、うちの店の米料理を食べて貰いますかね。ハンス、持って来てくれ」

 もう一人の童顔の料理人がはいと威勢よく返事をすると、イグナーツとカミルの前に皿を運んできた。タイショーが説明してくれる。

「焼きおにぎりです」

 握ったライスにタレを付けて焼いた物だ。香ばしい匂いが堪らない。一口齧ると、表面はカリカリに焼けているのに、中身はほろりと崩れる。これは美味い。
 濃い目の味付けも実に良い具合だ。酒に酔った後にこういう味付けの物で腹にたまるものが一つあると嬉しいと思えるような味わいだった。

 だが。
 隣を見ると、カミルも同じことに気付いたようだ。

「タイショー、このヤキオニギリだが……」
「何か問題がありますか?」
「いや、とても美味しい。ただ、このタレはどうやって作るんだ?」
「……あ」

 この店でカイセンドンを食べた時、ショーユという調味料を掛けまわして食べたことがある。気に入ったので八方手を尽くして探したのだが、そういう調味料は帝国には存在しなかった。

「タキコミゴハンにもショーユを使っているなら、一般の家庭で作るのは難しいと思う」

 店内に溜息と思案の声が漏れる。
 秘伝のものなのか、何処かから仕入れているのかは分からない。だが、ノブでしか使えない調味料であるなら、今回のササリカ米に使って貰う訳にはいかない。
 それがいくら美味しくても、だ。

「ごはん単体では馴染みの薄い人には少し難しいかもしれないな」

 タイショーの呟きにシノブが頷き返す。

「おかずを入れたおにぎりの形にするっていうのは?」
「……うちの店でおにぎりを食べて美味しいと思った人が家でおにぎりを作ってくれるかな? 焚いて握るだけだけとはいえ」
「それは焼きおにぎりでも一緒なんじゃない?」
「これはイグナーツさんとカミルさんに米を食べて貰おうと思って作っただけだからな……しかし、これは参った……」

 そこからは、色々な意見の出し合いになった。
 アルヌの連れのイーサクという男はショーユの代わりにボルガンガの魚醤(フィゾーサ)が使えるのではないかと提案したが、給仕のリオンティーヌが首を横に振る。

 古都でよく獲れる雑魚であるボルガンガの魚醤はショーユと似たような塩っ気はあるが、独特の臭みが強い。生姜(インガー)で臭みを消すという方法もあるが、ササリカ米と炊き込むには少し難点が多いというのが彼女の意見だ。

「リオンティーヌさんがそういうなら、確かに難しいかも」

 シノブも顎に手を当てて、黙り込んでしまった。
 他にも色々な意見が出ては消え、出ては消えしていく内に、時間だけが残酷に過ぎていく。
 アルヌがイーサクに何か耳打ちするが、首を振られる。
 釜から立ち上る良い香りが無ければ、誰かが叫び出しているかもしれない重圧だ。
 硝子戸を通して見える陽の光が昼のものから夕方のものに変わろうとするその時、誰かが居酒屋ノブの戸を敲く音がした。

「すみません、今日はまだやってなくて」
「シノブさん、私だ。徴税請負人のゲーアノートだ」

 入ってきたゲーアノートは普段通り落ち着いているように振る舞っているが、どこかは知って来たのだろう。顔にはうっすらと汗をかいている。
 今までの経緯を話そうとイグナーツが立ち上がりかけたところで、ゲーアノートはアルヌに恭しく一礼した。

「サクヌッセンブルク侯爵におかれましてはご機嫌麗しく」

 侯爵、という耳慣れない言葉にイグナーツはアルヌの顔を思わずまじまじと見つめてしまう。そういえば年明け前にサクヌッセンブルクの殿様が代替わりしたと随分話題になっていたはずだ。
 若い若いとは聞いていたが、まさかこれほど若いとは思いもよらなかった。

「良い。居酒屋ノブではただの遊び人のアルヌだ。で、探していたんだろう? 何の用かな?」
「はい。実は承認して頂きたいことが」

 懐から取り出した羊皮紙をアルヌに手渡す。行政書類に使われる上質なものだ。
 書類を一瞥したアルヌの口元に笑みが浮かび、段々と大きくなる。

「なるほど、面白いことを考えたな」

 アルヌが羊皮紙をイーサクに渡すと、今度はイーサクが見る見る内に不機嫌になっていく。いったい何が書かれているのだろうと訝しんでいると、イーサクの手から羊皮紙がカミルの方へと投げ渡される。

「えっと、なになに……サクヌッセンブルク侯爵家によるアイゼンシュミット商会からの救貧備蓄食糧の買い付けに関する覚書? ちょっと待って下さい、何ですかこれは?」

 慌てるカミルからひったくるようにしてイグナーツも書類に目を通す。
 そこに書かれている内容は、ササリカ米をサクヌッセンブルク侯爵家が適切な値段で買い付けるという旨が書いてある。当然、まだ誰の署名もされていない。
 おかしさを堪えきれないという表情でアルヌがゲーアノートに問い質す。

「独断専行だな、ゲーアノートさん」
「アイゼンシュミット商会の商会長と、侯爵家の執事の方と話し合って作成しました。内容にはあまりおかしなことはないと思いますが」

「侯爵家が救貧用に保存の利く食糧を安く買い付けたいと思っていたのは事実だ。それはどうやって調べた?」
「徴税請負人ですから、近隣の穀物の値動きには気を配っております。恐れながら一昨年の不作の際に備蓄を随分と放出されたようですので、もうあまり手元には穀物がないものと推察しました」

 保存が利くという条件に、ライスは合っている。
 安いという意味でも申し分がない。何といっても例年の相場の三分の一の値段で仕入れたのだ。侯爵家に買い取って貰えるなら、相当に値段を下げて販売することができる。

「ということだ。イーサク、どう思う?」
「先程もお答えしました通り、私は反対です」

 どうやらアルヌも全く同じことを考えていたらしい。さすがは侯爵というだけのことはあるが、どうした反対されたのだろうか。

「保管場所か」
「はい。商会の倉庫を埋める量の穀物を保存できるのは侯爵家では年貢の保管倉庫だけです。ですがあそこは……」
「小麦しか入れてはならぬ仕来り、だな」

 貴族というのは意外なほどに伝統に拘る。倉庫に一種類の作物しか入れてはならないという話は何処かで耳にしたことがあった。

「それについても、考えがあります」

 ゲーアノートが懐からもう一枚の羊皮紙を取り出す。

「なるほど、あそこを使うか」
「あそこ?」

 我慢しきれずに尋ねるカミルに、羊皮紙を覗き込んだイーサクが答える。

「アイゼンシュミット商会の者なら名前くらいは知っているかもしれないが、少し前に古都で色々と悪さをしたダミアンという小者がいてな。バッケスホーフ商会に雇われていたこともある奴なんだが、そいつが郊外に活動の拠点としてちょっとした屋敷を買っていたんだ」
「そしてそれを今は、我がサクヌッセンブルク侯爵家が管理している」

 笑いながらアルヌはゲーアノートの肩を何度も叩いた。
「でかした。なかなか良い考えだ。あそこは一度見に行ったが、確かに並の倉庫より大きいし、古都にも近い。穀物倉庫としては申し分ないな」
「ありがとうございます」
「それでゲーアノートさん。もしノブが革新的な新しい料理を作って事態の解決の目途が立っていたとしたら、その時はどうするつもりだった?」

 意地の悪い質問に、ゲーアノートは深々と頭を下げて答える。

「その時は、料理の御相伴に与って羊皮紙は懐に仕舞ったままにするつもりでした。どちらにしても、税が取れれば問題はないので」

 居酒屋ノブの店内に笑いが満ちたところで、シノブが全員に声を掛けた。

「さぁ、炊き込みご飯ができましたよ!」
 皆がカウンター越しに覗き込む前で釜の蓋が取られるとふんわりと柔らかい香りが湯気と一緒に立ち上る。昼からヤキオニギリを一つ食べただけだった腹が空腹を訴えてぐぅと鳴った。
 ハンスが茶碗によそい、リオンティーヌが手際よく配膳していく。

 木匙で掬って、まずは一口。
 味が染みている。ただ炊いただけのものとは印象が全く違った。
 刻み込まれた具材がおかずとなって、茶碗の中身が一つの御馳走として機能しているのだ。
 何処から食べてもどれだけ食べても美味しい。
 一口、もう一口と匙を動かす内に、あっという間に一杯目を食べ終えてしまう。

「義兄さん、これは美味しいよ」
「これなら毎日でも食べられるな……」

 カミルにそう言うと一人だけナポリタンを注文したゲーアノートが苦笑交じりに「心配せずとも毎日食べるだけの量があるだろうに」と小さく笑った。
 アルヌとイーサクも二杯目に取り掛かった所で、漂う匂いに誘われてか、新しい客が硝子戸をあけて入って来る。

「いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」
「今日はタキコミゴハンがオススメだよ」

 タキコミゴハンを頬張る客たちの美味しそうな表情を見ながら、イグナーツはカミルと肩を叩き合ったのだった。
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