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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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密偵と串かつ(後篇)

 リオンティーヌは腰に手を当てて満足げに頷くと、厨房の料理人に目配せした。
 カウンターの向こうからカラカラカラカラと小気味のいい音が上がり始める。
 油の音だ。
 普通は油を惜しんで少しの量で揚げ焼きにするところだが、この店はどうだ。この音からするとたっぷりの油で泳がせるようにして具材を揚げているに違いない。

 なんという贅沢だ、という気持ちと共に、どんなふうに仕上がるのかという興味もある。
 フリットは東王国人であるジャンにとっても馴染み深い料理だ。
 それを帝国でどういう風に料理してくるのかというのには興味がある。そこから読み取れることもあるだろう。

 嘘から出た真、ではないが、ここで重要な情報を得ることができれば奇譚拾遺使で返り咲くことができるかもしれない。
 オトーシのトーフを匙で掬う。
 このトーフを使った料理が東王国の社交界でも密かな関心の的となっている。料理をこよなく愛することで著名な吟遊詩人のクローヴィンケルがダシマキやアンカケユドーフを讃える歌をあちらこちらで歌ったことで、話題になったのだ。
 古都のどこかで食べられるという噂はあったが、まさかこの居酒屋ノブだとは因果なものだ。
 淡白な味わいに舌鼓を打っていると、目の前に取り皿と一緒に金属製の箱が運ばれてきた。

「これがソース。二度漬け禁止だ」
「二度漬け禁止? どういうことですか」

 尋ねるとリオンティーヌがにやりと笑う。

「東王国の幼王じゃないんだから、目分量で一回に要るソースの量くらいは分かるだろう?」
「ああ、確かに分かるが」
「あまり何度も漬けるとソースが汚れる。この店は店員も客も綺麗好きなんだよ」
「綺麗好きなのは良いことだな」

 幼王の名が出た瞬間、ジャンは動揺を表情に出さないようにするのに随分と苦労した。
 東王国の現在の国王は十二歳。
 若くして王位を継承した彼には、暗愚ではないかという噂が付き纏っている。
 よく食べるお気に入りの料理でもソースを掛ける量がいつまで経っても分からず、何度でも注ぎ足して食べるというのも噂の一つだ。

 このリオンティーヌという給仕が幼王の名を敢えて出したのは、何故か。ジャンが王女摂政宮の配下である奇譚拾遺使だと気付いたという事ではないのか。
 今すぐここから抜け出したいが、焦るわけにはいかない。まずは料理を食べてからだ。
 しかる後に、落ち着いて脱出を試みる。

 密偵として国から給金を頂いている以上は命など惜しくはないが、それでも得た情報は必ず持ち帰らねばならない。
 それが、幼王の姉として東王国の政務軍事外交の全てを照覧している王女摂政宮セレスティーヌ・ド・オイリアへの忠誠の在り方というものだ。

「さ、最初は海老からだよ」

 海老。まさか内陸の古都で、と思ったがサラダの時と同じ轍は踏まない。
 水運ギルドのいくつかが手を組んで、北の漁師町から海産物を輸入しているという調べはついていた。海老をどうやって運ぶのかは分からないが、何かしら工夫があるのだろう。
 まずは、一口。
 カリッと揚がった衣のサクリとした歯触りの後にやって来たのは、甘味だ。
 海老とは、こんなに甘いものだったのか。はじめて知った。
 プリプリとした食感と、衣とソースの絶妙な調和。これは、何本でも食べられる。
 また海老が出てこないかな、と思っていると、リオンティーヌが次を運んで来た。

「お次は玉葱だ」

 輪切りにした玉葱がしっかりと揚がっている。
 どんな味かと想像してみるが、水に晒して食べる辛味のある味しか思い浮かばない。炊けば甘味が出るものだが、揚げた玉葱などジャンはまだ食べたことがない。
 サクリ。

「おっ」

 思わず声が漏れたのは、甘味のせいだ。まさか揚げるだけでもこれほどの甘味を引き出すことができるとは。堪らずにもう一口齧り……ジョッキに口を付ける。
 予想通りだ。
 クシカツはトリアエズナマと、合う。
 サクリグビリサクリグビリとやる内に、玉葱が無くなってしまう。
 ああ、どうして無くなってしまうのか。そう思っていると、次の串がやって来る。

「次はウズラの卵と、蚕豆だね」

 愛らしい小さな丸が三つ連なるウズラの卵は見た目と反してしっかり濃厚な味わい。そして蚕豆も小さいながらに豆を主張するいい味に仕上がっている。
 これは美味い。そして、酒が進む。
 堪らずに一杯目を干して二杯目を頼むと丁度良い頃合いにまた次の串が運ばれてくる。

「ホタテと豚ヘレ。ホタテは塩で食べるといい。ヘレっていうのは、まぁ肉の部位だね。脂身が少なくて柔らかい。どちらも美味しいよ」

 美味しいと言われればその方法に従うのが食通というものだ。
 ちょんと塩を付けて食べると貝柱の甘味が口いっぱいに広がる。そこにすかさずトリアエズナマ。
 この店のトリアエズナマは事前に調べた通り、ラガーという醸造方法の違う麦酒だ。エールよりもキレがあるが、微かに苦味がある。

 だが、それがいい。
 ホタテに続いて豚ヘレをとぷりとソースに漬ける。二度漬け禁止と言われているから、扱いは慎重に。まさか二度漬けしただけで店から放り出されないはずだが、こちらは脛に傷を持つ身である。些細なことで身元を疑われるわけにもいかなかった。

 サクリ。
 ああ、これも美味い。それも当たり前だ。ヘレと呼ばれる部位の見当は付く。稀少で、高く売れる箇所だ。肉屋でもいい値段が付くのでなかなか食べられない。
 豚は焼くかハムにするのがこの世で最も美味い食べ方だとついこの瞬間まで思っていたが、それは大きな誤りだった。

 豚を揚げるのは、正義だ。
 次の年越しのフリットでは、必ず豚を揚げる。必ずだ。

 そこからも怒涛のクシカツ攻勢は続く。
 この店のクシカツの仕組みは、自分が満足するまで次々とクシカツが運ばれてくる仕組みだ。
 コンニャク、シシトウ、サーモン、レンコン、シシャモ、モチベーコン、ジャガイモ、イカ、カマンベール、アスパラの一本揚げに鶏ササミ。

 串が進めば酒も進む。
 おまけについてくるキャベツも、良い。
 この店のクシカツは脂っこさを感じさせないが、それでも口の中をさっぱりさせたい時にはキャベツを齧る。これで口の中を元に戻して次の串へ取り掛かるわけだ。
 ウインナーの次にやって来たのは、海老。

「これは一周回ったという事ですかね?」
「ああ、そうなんだ。うちはクシカツの専門店じゃないから、このくらいの品数だってうちのタイショーも謝ってたよ」
「いやいや、これだけたっぷりと美味しい物が食べられたんだから文句はありませんよ」

 顔は赤いが、心の中は驚くほど澄み渡っている。
 ここは酔客の振りをしてさっさと退却しなければならない。

「さて、お勘定を……」

 そう言って腰にぶら下げた合財(がっさい)袋から馬蹄銀を取り出そうとしたところで、手元が狂った。二度漬け禁止のソース箱がひっくり返る。

「ああ、すみません!」

 慌ててどうにかしようとしたところで、リオンティーヌがさっと動いた。
 この身のこなし、ただの店員ではない。
 まるで歴戦の傭兵のような身軽さで、さささっと零れたソースを拭い去っていく。
「いいんだよ、お客さん。この店は店員も客も“綺麗好き”だからね」

 リオンティーヌの笑みに秘められた言外の圧力に、ジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーは言葉を失った。
 気付かれていたのだ。一度目の“綺麗好き”というのは、警告だった。
 この店は薄汚い東王国の密偵が近付くような場所ではない、ということだろう。何たる失敗。敵からも憐憫を掛けられるというのは、密偵としては一生の不覚だ。

「お客さん? 顔色が悪いけど、どうしたんだい? というか、化粧でもしてるのかい? 汗で崩れて……」
「あ、いいえ、大丈夫です。何も問題はありません。御馳走様でした!」

 合財袋を放り出すようにして、ジャンは夜の古都へ走り出た。こんな恐ろしい店にはいることができない。今日の詳細はすぐに文に認めて、奇譚拾遺使の本部へ送り届ける。それが済んだら、暇を請おう。こんな仕事、これ以上は続けることができない。そうだ。田舎へ引っ込んで、麦畑でもやろう。これまでの蓄えで小さな畑くらいは買えるはずだ。

 古都の闇を走るジャンはしかし、もう一度くらいクシカツを食べたたいな、と考えていた。



 古都よりはるか南、東王国の首府ラ・パリシィア。
 遥かいにしえの古帝国時代から続くこの大都市は現在も東王国の政治経済の中心として栄え続けている。
 その最奥部、王城の執務室では王女摂政宮セレスティーヌ・ド・オイリアが国政に関わる報告書を手際よく処理しているところであった。
 連合王国の貴族との外交上の懸案に関する報告に目を通していると、黒楢の戸が小気味よく四度敲かれた。

「殿下、失礼致します」
「通れ」

 入ってきた侍従長の手には、一枚の羊皮紙が捧げ持たれている。

「お待ちかねの報告書にございます。奇譚拾遺使の」
「ああ、あれか」

 奇譚拾遺使に、面白い男がいる。そういう報せをセレスティーヌが聞いたのは去年のことだ。
 料理の解説が、滅法巧い。
 もしその手の仕事に就けばクローヴィンケル並の業績を残せただろう。
 活き活きとした筆致で描かれたサラダに関する報告は、見る者すべてに食べてみたいと思わせるほどの腕前であった。
 その彼を、もう一度古都に派遣することを決めたのは王女摂政宮自身だ。

「今回は何だ?」
「クシカツ、だそうです」
「ほほう、聞き慣れぬ料理だな。今から読むのが楽しみだ」

 激務の合間のささやかな楽しみ。
 報告書がそういう風に扱われているという事は、当のジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーは露と知らないのであった。
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