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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

本編

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第七話    ☆哀れ夢は現となりて、過去を苛むなり

 時は少し遡り、十年前。

 肌寒い季節が過ぎ去り、そろそろクローゼットの洋服を入れ替えようかという春のはじめ。
 セシル家の三人は大きな窓が特徴的なダイニングで、アンティークの四角い木製テーブルについて朝食をとっていた。
 外は快晴。庭の花壇では、朝露が太陽の光をはじいてキラキラと輝いている。

「今日は天気が良いから、どこかへ出かけてみようか」

 固く焼かれたパンと格闘していた七歳のカミィは手を止め、父の提案に目を輝かせた。
「わたし、もりへいきたい! ピクニックがいいわ!」
 椅子に座ったまま、床に届かない足をパタパタと揺らす。

「森か。それなら吾妻領まで足を運んでみるかな」
「では、お弁当を用意しなくてはね」
 母も乗り気なようだ。

「食べ終わったら準備しなさい」
 父の言葉に、いそいでパンを口に放り込む。

 窓から見える空は明るい。自然のなかを走り回るのはとても楽しそうだ。カミィはパンを飲み込む時間すらもどかしく胸を躍らせた。


 昼前に車で出発ししばらくドライブを楽しんだあと、隣の領地の平原で昼食を食べた。普段は使用人が料理をつくっているが、この日は母お手製のサンドウィッチだ。ふたつ用意されたバスケットのなかには、カミィの好きなフルーツサンドもたっぷりと入っていた。

 暖かい日差しに包まれて、赤子の産毛のように柔らかく芳しい草の上に足を投げ出す。
 さわやかな風に吹かれ、軽やかな空気のなか食事をすると、それだけで特別な休暇を演出できた。

「ごちそうさまでした」
 サンドウィッチで空腹を満たしたカミィが次に満たすのは、抑えきれない好奇心だ。

「あまり遠くへは行くんじゃないよ」
 父の注意を背に、
「はーい」
 と大きく返事をして、どこへともなく駆け出してみる。

 見渡せる範囲には、少し地面が盛り上がったていどの小さな丘と、一面に広がる森。
 丘にのぼってお花を摘むのも良さそうだけれど、森へいくと小さないきものと出会えるかもしれない。
 どちらを満喫すべきか首を捻っていると、薄紫と群青のグラデーションがかかった珍しい色の蝶が目の前を通り過ぎた。蝶はふらりふらりと舞い踊り、森の方へ飛んでいく。
 カミィはそれを追いかけてみることに決めた。

 たどり着いた森の入り口付近は日の光を遮る木々が少なく、それなりの明るさを保っている。

「ちょうちょさん、まってぇ」

 ヒラヒラと誘うように飛ぶ蝶を見失わぬように懸命に付いて行く。
 やっと蝶に追いついた頃、辺りは鬱蒼と茂る木々で薄暗くなっていて、カミィはもう自分のいる場所がわからなくなっていた。

「あれ? ここはどこ? おとうさま、おかあさま、どこにいるの……?」

 自分の置かれた状況を把握した途端、さっきまでの楽しい気持ちが掻き消えて急に不安になりはじめた。

 周りの木々がおばけのように見えて、取り囲まれて襲われるのではないかと恐怖心が煽られる。
 頭上から降ってくる、風にゆれる葉のガサガサとした音が、「おまえを食べてしまうぞ~」としわがれた声で言う呻きに聞こえてきた。

「うっ、うええん」

 堪えきれずに泣き出しかけたとき、そばの茂みが一層大きく揺れた。
 その揺れにビクリと身体を震わせそちらを注視していると、草を割ってひとりの少年が姿を現した。

「あ? なんだお前? ガキがひとりで何してんだ?」

 聞き慣れない話し方をする少年を、潤んだ目を丸くしてキョトンと見つめる。少年の両方の足は透けてもいないし、しっかりと地面についている。
 おばけではなくちゃんとした人間が居たことに安堵を覚え、溢れかけた涙は一瞬で引っ込み、今度はまた好奇心が顔を出しはじめた。

「おにーさん、だあれ?」
「お前こそ誰だ」

 その少年は、褐色の肌に銀色の髪、カミィよりやや年上で十一、ニ歳くらいに見える。

「わたし? わたしはカミィ。ちょうちょさんをおいかけてたら、おとうさまとおかあさまがいなくなってしまったの。たすけてほしいの」

「なんだ、迷子か」
 呟いて、少年はしばし思案したあと、
「お前、金は持ってるか?」
とたずねてきた。

「おかね? おかねは、ないの……」
「だったら助けられないな。俺はタダ働きはしない主義なんだ。残念だったな」

 正直に答えると、少年はあっさりとその場から背を向けて、無慈悲にも森の奥へ引き返そうとする。

 せっかく人と会えたのに、ひとりぼっちで置いて行かれてしまう!
 カミィは少年の腕を掴み必死に縋った。
 この機会を逃せば一生この恐ろしい森から抜けられないような気がする。

「まって! おかねはないけど、かわりにこれをあげる」

 少年を引き止めたカミィがポケットから取り出したのは、繊細に蝶の模様が掘られた指輪だった。
 ところどころに小さな薔薇の形をした宝石が嵌めこまれていて、素人が見ても高価だと分かるもの。内側には【カミィに祝福を】という文字が掘られている。

 これはカミィがうまれた日、父が特別に誂えたものだった。普段からカミィはこれをお守りとして肌身離さず持ち歩いていた。
 大切なものだというのは理解していたが、このまま森を抜けられないよりはマシだろう。小さな頭で一生懸命考えた結果、差し出すことにしたのだ。

「これはさすがに迷子の案内の報酬としては高すぎるぜ」

 指輪を見て、少年は戸惑った。手を伸ばしかけて、引っ込める。受け取るのをためらっている様子。
 だが、少年を上目遣いで睨むように見据えながらじっと差し出し続けると、少年は観念してやむなく受け取ることにしたようだった。

「わかった。じゃあ、貰う。だけど、無用な施しは受けたくねえ。受け取った報酬分はきっちり働かせてもらう。お前、他に望みはあるか?」

 そう聞かれて、うーん、と首をひねってカミィは悩んだ。今はこの森を出て父と母のところへ帰れたら満足だ。それ以外のことは思い浮かばなかった。

「ほかにはないの」
「そうか」

 受け取った指輪をズボンのポケットにしまいこんでカミィの手を握る少年の手は、ひとまわり大きくて温かかった。

「なら、お前の貸しにしておいてやる。俺は借りは必ず返す。お前がいつか、また困ったら、そのとききっと助けてやるよ」

 そして、彼は握った手を引いて歩き出した。


*


 森のなかを、手を繋いで少年と少女が歩く。

 少年は右手に少女の手を、左手に道中で拾った木の棒を持って、ぶんぶん振り回しながら進む。

「お前、こんな高そうな指輪持ち歩いてるなんて、実はお姫様だったりしてな」
 ポケットにしまい込んだ指輪の装飾を思い出しながら、少年は軽口を叩いた。

「ううん。わたし、おひめさまじゃないよ」
「んなこたーわかってるよ、冗談だ。そうだったら俺は城に雇われて、それできっと大出世して、金持ちになれるのになってちょっと思っただけだよ」

 小さい子供相手だから気が緩んだのだろうか。
 自分でも恥ずかしくなるようなありえない妄想を口にして、少年は少し照れくさくなった。騎士気取りで剣に見立てて振り回していた木の棒は、誤魔化すようにその場で捨てた。

「おにーさんは、おかねもちになりたいの?」
「その、おにーさんっての、やめねーか。調子狂うぜ。俺のことはマリクと呼べ」
「マリク……」

 少女は少年の名を、口のなかで小さく復唱する。

「金持ちになりたいかって言われたら、そりゃあそうだろ。金ってのは人間よりよっぽど優しいんだ。俺はいつか金持ちになって、そんでスラムから抜け出してやるんだ」
「スラム?」

 幼い少女は、スラムという言葉の意味が分からないようだった。オウム返しで首をかしげている。

「スラムって場所は肥溜めみたいなとこさ。貧乏人のクズが集まって騙し合いをしてやがる。くだらねえ。俺がもうちょっと大きくなったら、まずはスラムを支配する王になる。それでクズどもをうまく使って金を稼いで、金が貯まったら街に家を買って、もっとマシな生活を手に入れてやるんだ」

 マリクって名前には、王って意味があるんだぜ。と少年は付け加えた。

「マリクのいうことはむずかしくてわからないよ……」

 困った顔をしながら力なく笑う少女に、
「だろうな」
とだけ返事をして、少年は行手を指した。

「ほら、もう森の出口だ。こっからはひとりで行けるだろ」

 そう言って少年が手を離すと同時に、明るい風景に向かって少女は駆け出す。

「うん。ありがとう、マリク」

 一度だけ振り返って暗い森に立つ少年にお礼を言った少女は、また前を向いて走り去る。

「指輪の借りは必ず返すから! 忘れんなよ!」

 その背中に向かって声をかけて、少年も自分の進むべき方向へ歩き出した。


***

 時は戻り、現在。

「またこの夢か……」

 冷たい壁に囲まれた殺風景な部屋のなか、ソファベッドから天井を見上げて青年はひとりごちた。
 青いベッドと、青年の着ている赤いシャツのコントラストが、白い壁に映える。

 何度も繰り返しみるのは、十年前のできごと。貴族が慈善事業としてスラムの人々に斡旋している集団労働に参加したときに、現場近くの森で出会った少女の夢だった。そのときに受け取った指輪の借りをまだ返せていないことが、ずっと青年の心にひっかかっている。

 真面目に働いていたのが功を奏して、数年後には昇格し、現場をまとめる監督役を任されるようになった。現在はスラムで別の仕事をしながら、労働力としての人材を提供する役割に落ち着いている。それに伴い、数ヶ月に一度の頻度で、青年は定期的に貴族の住む地域まで出かけている。

 その度に、後の調べで分かったあの少女の家の前までは行くのだが、あと一歩踏み出せず目的の人物に声をかけられないでいた。
 お姫様ほどではなかったがそれなりの地位の貴族であったあの少女は、遠くから見る限り幸せそうにしている。

 恵まれた立場の貴族の少女に、未だスラムで暮らす自分の手助けが必要になることなどあるのだろうか。



「ボス! そろそろ仕事いきましょうよ!」
「ん、ああ」

 ノックも無くドアが開け放たれ、数人の威勢の良い若者が飛び込んできた。皆青年と同じくらいの歳で、見るからにガラの悪い若者達だ。
 寝転んで、紐を通して首から下げている指輪を弄んでいた青年は起き上がり、ソファの背に掛けていた黒いコートを羽織って家を出た。

*

「オラァ! 金返せ!」

 酔っ払ってトナカイのような鼻をした男のそばにあるテーブルを蹴り飛ばし、若者が怒鳴りつける。
 安物の薄汚れたテーブルは数十センチ吹き飛んでひっくり返った。
 冷たい床に、ほとんど中身の入っていない安酒のボトルからポタポタと残った数滴がこぼれ落ちて哀愁を誘う。

「ひぃい。乱暴は、乱暴はやめてください」

 怖気付いて腰を抜かす男に目線を合わせるように屈んで、先ほどボスと呼ばれた黒いコートの青年は言う。

「酒呑んでる暇があるなら働けよ。借りたもんは返す。それが『当たり前』だろ? 仕事斡旋してやるからさ。二週間くらい貴族様んとこで汗流してして来い。そしたらすぐに返せるだろ? じゃ、来月迎えに来るからな」

 男の返事を待たずにその家をあとにし、青年は次の取り立て先へ向かう。

 この辺りの住人なら誰もが知っていて、恐怖と好奇の混じった視線を送る。そんな金貸し屋のボスとなっていたのがこの青年、マリクだった。

 望む者には誰であれ金を貸し、素直に返さない者には脅しや暴力も惜しまない。どうしても返せないようなら仕事を斡旋してその収入から取り立てる。これが今の彼の本業となっている。

 最初はひとりではじめた事業だった。
 地道な努力が実り、取り立ては厳しいが利息はあまり高くないということから、いつの間にかジワジワと噂が広がってスラムでの認知度が上がり、部下もできた。
 だんだん規模が大きくなり、今では実質この一帯を取り仕切る顔役になっている。

 そして人びとからは感謝と畏怖の念を込めてこう呼ばれるようになっていた。

――スラムの王、マリク と。
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