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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

本編

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第六話    ☆独白

 食器を戸棚に片付けたあと、住み込み用としてあてがわれている自室のソファに座ると、気持ちが緩んだのかセバスチャンの口から自然と言葉が漏れる。

「人生か……」

 ずいぶん大それたことを言ってしまったと少々の恥ずかしさを覚えながら、彼は昔のことを思い出し懐かしんだ。

 彼はもともと、ジュンイチの母・マリアベルの屋敷の使用人だった。
 彼女が結婚するとき、付き人として一緒に吾妻家へやって来たのだった。

 親同士が決めた結婚ではあったが、おとなしい息女であったマリアベルと真面目な紳士だった夫・シンジは、大きくすれ違うこともなく、傍目にはうまく生活していたように見えた。

 そのうちにジュンイチがうまれ、ますます順調に日々は過ぎていくかと思いきや、神はそれほど優しい存在ではなかった。
 子をうんだあとマリアベルは体調を崩しがちになり、横になって一日を過ごすことが多くなった。その生活は数年続くことになる。

 セバスチャンが見ていた限り、ジュンイチは幼い頃から、喜怒哀楽という感情の起伏が非常に乏しい子どもだったように思う。

 いろいろなものに興味を示すが、だいたいにおいてすぐにその構造や理念を理解して興味を無くす。
 さらには手先まで器用、運動神経も抜群だったものだから、何をやらせても完璧にこなしてしまい、張り合いが無くいつもつまらなそうにしていた。

 楽しそうに子どもらしい遊びをしている姿を見たことは無く、八歳になる頃には、さまざまな専門書を読み漁り、ひとり部屋で何やらよく分からない実験をして遊ぶような生活をする子になっていた。

 乳母や使用人達も、はじめこそ「天才だ」「神童だ」ともてはやしあれこれと手を尽くし彼とかかわろうとしていたが、面倒くさそうなジュンイチに躱され、大人以上の知能にやりこめられることばかり。いつしかひとり、またひとりと諦めて、必要以上の世話は焼かないようになっていった。


 そんな息子を気にかけつつも、病床のマリアベルは、「何もすることができないのが悔しい」と、よくセバスチャンに漏らしていた。
「お身体が良くなればきっと、空いてしまった時間を取り戻せますよ」
 そんな励ましも虚しく、長い年月をかけて彼女の病状はゆるやかに悪化していった。

 彼女が自分では起き上がることもできなくなって数ヶ月、もう明日の朝日は拝めないだろうと医師が診断したその夜。

 寒空の下の枯れ木のようにやせ細ったマリアベルを人びとが悲しみ見舞うなか、
「お母様とお話できるのもこれが最後になるかもしれませんよ」
 と自室から連れてこられたジュンイチは、母の顔を一瞬だけ覗き込んでこう言った。

「生きものはいつか死ぬよ。足掻いても仕方のないことだ。さようなら。お母様」

 一言で別れの挨拶を済ませ、最期を看取る気配すら見せずに背を向ける。

【人はいつか死ぬ】

 当たり前のことではあるが、十歳にも満たない少年が母の死をそのように理解して受け止めている事実。それは、セバスチャン含め、まわりの目にはずいぶんと冷酷に映った。

 息子が出て行ったあと、マリアベルはベッドの脇で泣きじゃくるセバスチャンの手に弱々しく触れて、
「あの子は少し難しい子だから……よく見ていてあげてね。お願いよ」
 と言葉を残して目を閉じた。
 そしてその目が再び開かれることは無かった。

 彼女の死後、もと居た屋敷に戻ろうかと思っていたセバスチャンだったが、死に際の約束を果たすべく吾妻家に残ることに決めた。

 実の父ですら扱いあぐねて放置していたジュンイチに、つかず離れずの距離感でセバスチャンは世話を焼いた。
 決して踏み込みすぎず、しかし不自由はさせぬよう。
 それが生前世話になったマリアベルへの精一杯の恩返しだった。

 それからさらに数年。ジュンイチが十六歳のとき、今度はシンジが病に倒れた。当時まだ治療法も原因も不明の病気だった。この病気にかかれば王族ですら、近づいてくる死の足音をただ震えて待つのみだと言われている病だった。

 医者に見せてもただ気休めの薬と不明瞭な希望の言葉を与えられるだけで日に日に弱っていく父に対し、ジュンイチは珍しく興味を示したようだった。
 足繁く父の寝室に通う彼に、
「ついに坊ちゃまにも人間らしい感情がお芽生えになられた」
 と使用人一同で安心したのもつかの間。

 ある日の夜半、唐突にジュンイチが使用人部屋へ訪れて言った。

「お父様の病気の原因と治療法が分かった。すぐに外科的手術が必要だよ。執刀は僕がやる。王室か軍の設備を借りよう」

 国の研究機関ですら解明できていない病の原因と治療法を見つけた? 医師でもない少年が執刀?
 ジュンイチの言葉はセバスチャン含む使用人にとってまるで異国の言葉だった。だれもが丸い瞳を向けたまま口をポカンと開けている。

「解明までにずいぶん時間がかかっちゃった。もう一刻を争う段階にはいっていると思う。下手をすれば手術をする体力がお父様に残ってないかも。手遅れになる前にやれるだけやってみよう」
「ま、待ってください。坊ちゃまのおっしゃる意味がよく理解できません」
「きみ達が何を危惧しているのかは分かってる。大丈夫だよ。人間を切った経験はまだ無いけど、動物で練習したし、手順も全部頭に入ってる」

 できるよ、と自信たっぷりに言う彼の表情は、なんだか狂気を孕んでいる。これから人を、ましてや父の身体にメスを入れると言う少年の顔では決して無い。例えるならば新しいおもちゃを開封する子供のような高揚感を含んだ表情に見える。
 しかし、有無を言わせぬ眼光には妙な説得力があり、なぜだか逆らい難い。もしかしたら本当に成功させるのではという期待すら抱かせる。

「……は」

 はい。と。
 その場にいた誰もがそのまま承知してしまいそうになった瞬間、バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、使用人室に悲報が飛び込んだ。

「シンジ様のご様態が急変しました! もう、今にも息を引き取られそうです!」


 ジュンイチ含む一同が駆けつけたとき、すでにシンジは虫の息だった。数分前まではひどく痙攣して泡を吹いていたという。今はやや落ち着いているが、蝋色の寝顔からはまるで生気が感じられない。
 集まった一同が輪となり心配そうに主人を囲むなか、ジュンイチだけは少し外れたところでつまらなそうに窓の外を眺めていた。

 そこへ、緊急で呼ばれた医師がやってきた。
 眠っていたところを叩き起こされたらしく、髪も服もボロボロで汗塗れ。全員に注目され、医師は少し気恥ずかしそうに咳払いして呼吸をととのえると、輪を割って患者の傍へ寄った。
 心拍や脈を測って首を横に振り、「みなさん順番にお別れを」と厳粛に告げる。

 わっと、堰を切ったように皆が思い思いの別れの言葉を口にし涙する。それを待っていたかのように、たくさんの使用人達に見送られ吾妻家当主は亡くなった。あまりにもあっけのない最期だった。部屋中に老若男女の悲しみの声が合唱となって響く。
 医師の死亡確認までじっとしていたジュンイチはそのときやっと立ち上がり、まだぬくもりの残る手を握り別れを言い続ける人々に割り込んだ。ここまでまったく取り乱すことの無かった彼は、今もまた無表情に父の遺体を見下ろしている。

 そして緩慢な動作でシャツのポケットから一本のメスを取り出すと、そのまま遺体の胸をスッと切り開いたのだった。

 心拍を測るために衣類をはだけさせていたことが、彼に都合よく働いた。
 誰にも止める隙が与えられなかった。シンジの痩せた胸は、緩慢ながらも的確なジュンイチのメスによって、皮膚、皮下脂肪、その奥の肋骨までもが一瞬にしてあらわになった。
 まるでこの為につくられたかのようなメスの一刀。切り口は恐ろしく直線的で、もう一度くっつけてみれば水が染みる隙もないだろう。
 そのままジュンイチがもう一刀をいれようとして、我に返った若い使用人がその腕を掴んで止めた。

 その後はもう阿鼻叫喚である。
 激しく泣き叫ぶ者、吐く者、意識を失う者、殴りかかろうとする者、怯えて逃げ出す者。
 そのなかでなんとか平静を保とうとしている数人と一緒に、セバスチャンはジュンイチを床に組み伏して押さえた。

「坊ちゃま。あなたは一体何を!」

 数人がかりで押し倒されてなお、ジュンイチは表情ひとつ変えずに「解剖」と答えた。あくまで淡々としていて、抵抗する意志は見えない。

「もう死んだんだからいいじゃないか」
「そのようなお言葉は私達には理解ができません! あなたには倫理観が欠如していらっしゃる!」

 若い使用人が興奮して叫ぶ。
 この部屋に来てからずっと無表情を貫いていたジュンイチは、このときにやっと表情を崩し、少しだけ眉尻を下げた。付き合いが長いものでなければ変化すら分からなかっただろう小さな小さな変化だった。悲しみなのか、困惑なのか、嘲笑なのか、どれとも違う感情か。見下ろすセバスチャンには心境を読み取ることができなかった。

「じゃあ、僕はもう自室へ戻るよ。離して」

 これ以上解剖する気を無くしたらしいジュンイチは立ち上がると、もう興味がないといった風に背を向けた。残された者のなかに、後を追おうとする者はいない。
 ドアをくぐる前に彼は一度振り向いて、医師に向かい、
「デスクのうえのレポート読んで」
 と指示すると、そのまま自室の方へ消えていった。



 その後の彼は父との思い出を懐かしむ様子も見せず、葬儀もつまらなさそうに淡々と喪主をこなした。
 念のために埋葬の直前まで、持ち回りで使用人が監視についた。

 それから慌ただしく日々が過ぎ、季節が変わって、暖かい日差しと共に屋敷に平穏が戻りはじめた頃。
 いい加減ジュンイチの行動に嫌気が差していた使用人達は、
「もうこちらのお屋敷には居られません」
 と次々に暇を取り去っていった。

 数十人の使用人で賑やかだった屋敷には、セバスチャンと数名のみが残り、静かな日常に屋敷の広さを実感することが多くなった。
 それから当主の引き継ぎの手続きが終わり、無事にジュンイチが当主になって間もなく。

 セバスチャンが作業室パントリーで銀器を磨いていると、一本の電話が入った。かけてきたのはシンジの担当をしていた医師だった。

「お久しぶりでございます。あれからいかがお過ごしでしょうか」
「おかげさまで変わりなく。ところで、ひとつおたずねしたいことが」

 受話器の向こうで、医師はずいぶんと落ち着きない様子。

「は。いかがなさいましたか?」
「あの日、そちらのお坊ちゃん……いえ、失礼。もう当主様になられたのでしたっけ。新しい当主様が残されたレポートについて……あれは本当に彼がひとりで?」
「はい。私には、どなたかが協力してくださったというような記憶はございません」
「なんと……。あれは大変なものですよ。あの方法で、本当にあの病は治ります。もう少しはやければシンジ様だって」

 この知らせを受けたとき、セバスチャンは、想像していたよりもすんなりと事実を受け入れることができた。
 最初にジュンイチの口から「治療法を見つけた。執刀する」と言われたときこそ驚いたが、冷静になってこれまでのジュンイチの行動を思い返すと、可能性が無いわけではないという結論にたどり着いていたからだった。
 故に、落ち着いてこう答えた。

「なるほど。では、もう同じ病気のかたが続々と治療されているのですか?」
「いえ、それが……」

 明るい話題かと思いきや、医師は言葉を濁す。

「そこがもうひとつの質問なのですが、当主様は本当に人を切ったのはあれがはじめてでいらっしゃいますか?」
「確証はありませんが、おそらく」
「なるほど」

 数秒の沈黙のあと、相手は続ける。

「実は、レポートに書かれている外科手術の方法はあまりにも難度が高く。理論的には可能なのですが、現在この国であの方法を実行できるであろう医師は存在しないのです。あのときのメスの一刀。その切り口があまりに見事でしたので、もしやと思いましたが。仮に当主様があれを成功させたことがあるのなら、それはもはや人の所業ではない。神のそれでしょう」

 医師はここで声色を明るく戻し、

「その確認の為の電話だったのです。いや、やはりよくできてはいるが、このレポートは机上の空論。人間には不可能ですな。しかし原因部分だけでも今後おおいに役立ちます。当主様は素晴らしい頭脳をお持ちですよ。研究機関の設備無しでここまでの結果を残されただけでもじゅうぶんに普通の人間の所業ではない。素晴らしいことです。それではお忙しいところ失礼いたしました」

 そこで通話は途切れた。受話器を置いて、セバスチャンは相手の言葉をもう一度反芻する。
 医師は「不可能だ」と言ったが、ジュンイチは「できる」と言った。彼が「できる」と言ったのなら、それはおそらく本当にできることなのだろう。

 そしてセバスチャンは惜しくなる。
 神とまで言わしめたうら若き当主は、このまま社会に理解されずに埋もれていってしまうのか?
 マリアベルのたったひとりの息子は人並みの幸せを知らぬまま、退屈そうに生きていくしか無いのだろうか?

 凡人な自分は、彼の為に一体何ができる? 


 そんな思いを抱えて数日。
 屋敷の廊下ですれ違いざま、執事は当主に呼び止められた。

「僕、来年士官学校へ行くよ」

 人付き合いが嫌いだと、パブリックスクールへの通学も拒否していた彼が突然こんなことを言い出したので、セバスチャンは驚いた。

「急にどうされたのですか?」
「軍人になれば、国内で一番設備が充実している研究施設が使えるし、捕虜や負傷者の生体サンプルもたくさん手に入る。研究にもっと没頭できる。手っ取り早く軍で研究するには、学校へいくのが一番近道だと思う」

 青年は顔をあげ、まっすぐにセバスチャンを見つめ、

「だから領主の仕事を任せたい」

 十数年の付き合いで、ジュンイチから頼み事をされたのははじめてだった。
 セバスチャンが、一も二もなく引き受けたのは言うまでもない。

 そして翌年、宣言通りにジュンイチは士官学校へ入学した。首席で、体力も申し分なく、身分もある超エリートとして。





 そんな、研究一辺倒な冷たい印象だったジュンイチが、あんなに表情豊かな一面を見せるようになるとは。
 ましてや【恋の相談】めいたものまでされるとは……。

「あなたの息子はやっと人並みの人生を歩む気になられたようです」
 セバスチャンは、心のなかのマリアベルに語りかける。

 ぼんやりと思い出に浸ったままベッドに潜り込もうとした彼を、突然の腰痛が襲った。

「痛たたた」

 患部をさすりながら、あちこちガタが来はじめていることを痛感する。

「私の後任となる人間が必要になりますな」

 いくらジュンイチが変わりつつあると言っても、過去の行いが全て無くなるわけではない。かつての使用人達のように彼に反発する者、さらには、恨みを買うことだってきっと多いだろう。
 その分、彼にも味方があったほうが良い。これから先何十年と、主人のパートナーとなって影から彼を支える人間が必要になってくるはずだ。

 セバスチャンは自らの年齢を省みる。
 還暦に片足を突っ込んでいる自分は、あとどれくらい吾妻家の役に立てるだろうか。

 若く健康で、信頼できる、あわよくばジュンイチの友達にもなりえるような人物がどこかに居ないものかと都合の良いことを考えながら、今度こそベッドへ潜り目を閉じた。
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