第十話 ☆組み立てたパズル、外された一ピース※
***
深夜、再び肉。
王城のひときわ豪華な一室で、秘密の解体ショーが上演中。
演者はひとり。観客は無し。
黒い衣装を纏った【何か】は、今夜も月光のスポットライトを浴びて。
横たわる【小道具】に、そっと爪先をあてる。
小枝を手折るのと同じ。綿を裂くのと同じ。軽い力で、何の苦もなく。
【何か】は、とっくに動かなくなった【小道具】から柔らかい部分を削ぎ落とし、口に詰めて、飲み込んだ。
プルプルした長いものを掴んで勢い良く引きずり出すと、生きものみたいにうねうねと踊る。桃色の芋虫にも見えるそれは、食感も芋虫によく似ている、と【何か】は思った。
ひとしきり【小道具の中身】を撒き散らすと、空になった【小道具箱】に、満足の証の体液を注ぐ。
ビクビクと体を震わせ充分な余韻に浸ってから、【何か】は【劇場】をあとにした。
*
「ゲツエイ、うまくやったのか」
毎度のことながら、絞ればバケツ一杯満たせそうなくらい体中を血まみれにして戻ってくる【何か】を、【ゲツエイ】と、男は呼んだ。
「誰にも見られなかっただろうな」
ゲツエイはニヤニヤと首を縦に振る。
「よし。もう下がっていい」
手を払うと、ゲツエイは頷いてどこかへ消えた。
「クク……ククク」
男はひとり、闇のなか。
「ハハハハ。ハハハハハ! アハハハハ!」
こらえること無く、盛大に声をあげて笑う。
***
「何っ!? 父上が!?」
早朝、使用人の口から父の訃報を受け、王子はベッドから飛び起きた。
「落ち着いて。ゆっくり聞かせてくれ」
全力疾走してきたのだろう。使用人は息も絶え絶え、部屋につくなり倒れこんだ。冷たい水の入ったグラスを手渡すと、一気にグラスは空になる。
「あり……がとう……ございます」
「それでまさか、また例のアイツの仕業か?」
【例のアイツ】。それは、ここ数年のあいだに起きている王族殺人事件の犯人を指す。全ての犯行において、遺体が激しく損傷しているという特徴がある。
「手口からみて、おそらくそうでしょう」
「一体警備兵は何をしていたんだ。侵入者に気が付かないなど」
状況の把握に努めながら、トーマスは鏡の前で最低限髪を整え、仮面を着けた。夜会時以外でも仮面を着用するのはトーマスのある種の癖。数年前から収集をはじめ、今ではコレクターとしても有名だ。
「一晩中、寝室の入り口で見張っていたはずですが物音ひとつしなかったらしく。朝、薬をお運びするために部屋に入ったときには、もう王様は……」
惨状を思い出したのか、使用人は顔面蒼白。
「現場を見てこよう」
「お止めになったほうがよろしいのでは……室内は非常に凄惨なありさまで」
「覚悟はできている。それに、父上の最期を自分の目で見ておきたい」
「王子……」
うつむいて黙り込んだ使用人をそこに残し、トーマスはひとり、足早に現場へ。
「王子、いらっしゃったのですか」
「ご苦労」
王子が到着したとき、現場はまだ"そのまま"の状態で保たれていた。
四方の壁に無法則な模様を描き出している乾いた血液。歩くとジュクジュクと赤い液体が染み出す絨毯。ベッドのまわりに飛び散る細切れの肉は砂利のよう。弾けた臓物は床に叩きつけられでもしたのか。折られた肋骨は手の甲とベッドをつなぎ磔刑さながらで、中身が引きずりだされ空洞となった腹部と、そのなかに残る白い……。
原型を留めていない、父親の死体。
その光景を目の当たりにしては、さすがに堪えきれない。トーマスは口元を押さえ、肩を震わせた。
「王子、やはりお気分が?」
現場を見張っていた兵士が気遣わしげに駆け寄ってくる。
「大丈夫だ。問題ない。ポリシアは?」
「連絡は済んでおります。じきに捜査官が到着するかと」
「何か分かったら知らせてくれ」
王が死んだとあれば、国に残った王族はついに自分ひとり。これからやることが山ほどある。トーマスは気丈にふるまい、早々に執務室へと足を向けた。
執務室に到着すると、大臣が抱きつかんばかりの勢いで駆け寄ってきた。
まるまると太った体で走る様は、例えるならば転がるボール。場の空気に似合わずコミカル。サーカスにでも入れば走るだけで笑いを誘うだろう。
「ああ、王子。おいたわしや。恐ろしいことがまた繰り返されましたな……。病に伏せっておられた王にわざわざ追い打ちをかけるような仕打ち。不憫でなりませぬ」
「感傷にひたるのはあとだ。今はやらなければならないことが山のようにある」
「王子、ご立派でございます」
オイオイと涙を流す大臣の横を通り抜け、トーマスはデスクでペンを取った。
「まずは、父上の回復後に予定していた王位継承を前倒しに。来月頭を目処に行おう。準備を頼む。父上の件は病死ということで国民には触れを出せ。それから、オルレアン領のセシル家へ至急この手紙を届けてくれ。可能なら返事をその場でもらって帰るように」
視線はデスクに向けたまま、取り出したのは一通の封書。
「は、直ちに。しかし、とりたててちからを持つでもないセシル家に、この時期、急ぎの用件とは?」
「結婚の申し込みさ。本当は王位を継いでからと思っていたんだが、この際だから王位継承のお披露目と結婚のパレードを同時に行ってしまおうと思ってね。とにかく明るい話題をぶつけてマイナスイメージを払拭しなければ」
「なるほど、良い案でございますね。しかし、突然のプロポーズ、相手の女性に承諾してもらえるでしょうか?」
そこでトーマスははじめて仕事の手を止め、顔を上げた。
「ハハハ、面白い冗談を言うな、大臣は。僕の求婚を断る女がこの世にいるとでも?」
「……たしかにそうでございますね」
大臣は一瞬、驚いたような素振りを見せたが、すぐにそのまま同意した。
*
ドアが開く音がした。
「パパが帰ってきた! 吾妻様のことお話しなくちゃ」
カミィは手のなかの赤い薔薇を、いちばん好きの絵本【ももいろのまると、すばやいはりねずみ】に、大事に大事にいれた。もらった薔薇は、火みたいに熱い。
お部屋から走って出て、くるくる舞わって玄関ホールへ。お客さんのお部屋の前を通ったら、【吾妻様が座ったソファ】があって、ドキドキで目を開けられない。ギュウ。
「お帰りなさぁい。えっと、ちょっとお話があるんだけど」
「なんだね?」
「あのね、わたしに結婚してほしいって言う人が」
「ああ、もう聞いているのか。それなら話がはやい。ぜひともお受けさせてくださいと、先ほど返事をしたところだ」
「もう知ってるの?」
「知っているも何も、今そこでお城の使者に会ったところだよ」
「ほわぁ? お城?」
カミィが不思議に思うと、パパも鏡みたいに不思議そうな顔をした。いたずら妖精が音を泥棒したから、ホールはシーンと静かになって。
「ふむ。どうやら話が食い違っているらしい。お城の王子様からの結婚の申し込みの件ではないのかい?」
「ううん。違うよ」
「そうか。しかし……。タイミングが悪かったようだが、城以上に良い縁談は無いだろう。もう承諾の返事をしてしまった。申し込んでくださった方には悪いが、そちらはお断りしなさい」
「やだぁ! わたしの王子様はお城の王子様じゃないよ」
いつもだったら、"カミィがいやだって言うなら、仕方ないね"って笑ってくれるはずだけど、雨の日みたいな顔をしたパパが言うのは、
「その人はトーマス王子より立派な家柄のお方かい?」
「そ、それは、違うけど」
はじめて聞く、怖いお話の仕方。パパはいつも優しかったのに。
「いいかい、よくお聞き。決して意地悪で言っているんじゃないんだ。私もお母さんも、カミィの幸せを一番に願っているんだよ。王族というこの国で一番の地位があって、紳士的で、外見だって申し分ない。一体何が不満だっていうんだい?」
「違うの。お城の王子様が悪いんじゃなくて」
「それなら、ね、わがままを言わないで。頼むからお父さんとお母さんを安心させておくれ」
「でも、わたしの王子様はもういるんだよ」
王子様とお姫様はいつも、ひとりとひとり。違う人じゃダメなのに。
「カミィ、そろそろ大人になりなさい。もう返事は伝えてしまったのだから、今更お断りはできないんだ。いいね? さ、部屋へ戻って、少し頭を冷やしなさい。ディナーのときには元気な顔を見せておくれよ」
おとなになったら、お姫様にはなれないのかな。おとなより、お姫様になりたいのに。
おとなって、大嫌いな風邪のお薬よりも、もっともっと、ずっと苦い味がする。
お部屋に戻って、カミィは吾妻様に「ごめんね」ってお手紙を書く。
ペンがとっても重い。インクをちょびっと舐めてみたら、やっぱり苦い味がした。
『結婚できないです。でも――』
舞踏会のとき、楽しかった。好きって言われて嬉しくて、ほんとはすぐに良いよって言いたかった。会ったのは二回だけだけど、好きなところはいっぱいあって。
目より長いだらっとした髪(不思議なかんじ!)。暗いお日さま色の目(食べられちゃいそう)。背が大きくて強そう(これはちょっと、おとなすぎる)。とってもかしこい(なんでも知ってて)。あったかい手(お布団よりも)。のんびりしてる(優しい)。
もっともっとお話したいっていう気持ち。
そんなことを書いては捨てて、何回も。
ぐしゃぐしゃの紙がゴミ箱から飛び出ちゃう頃、やっと上手にお手紙が書けた。
だけど。
今から言っても、もうダメなんだって。
だから、やっぱり『結婚できないです』って、それだけの紙をゆっくり折って、封筒に閉じ込めた。
窓の外には、半分のお月さま。涙でぐにゃぐにゃ、ふたつに見える。半分と、半分。くっついてひとつになったら、丸くなるのに。