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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

本編

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第九話    ☆踊る本能と花束の調べ(2)

「面白い人だなあ。名前を聞いておけばよかった」

 一方的に突っかかってきて、一方的に去っていった青年の背中を見送ってから。
 ジュンイチは自分の用を思い起こし、両手で花束を抱え直してセシル家のドアノッカーを鳴らす。

 気分は高揚している。
 舞踏会のあの日、少女が去ったあと。柔らかな手を包み込んでいた自分の手のひらに残ったぬくもりを思い出して拳を握り締める。
 慌てて消えてしまった彼女のうしろ姿はまるでヒラヒラと蝶が舞うようで、捕まえた獲物が手のなかから飛び去っていくような錯覚に陥った。
 そのときの感覚が未だ忘れられない。

 コンコンと澄んだ音が響き、少ししてメイドが対応に出た。

「約束はしていないのだけど」
 用件を伝えると、
「まあ! ついにお嬢様にも良いお人が見つかったのですね」
 おしゃべりが好きそうな若いメイドはおせっかいな事を言って頬を染めた。

「どうぞなかへ。応接室でお待ちくださいませ」
「プライベートルームの様子も見てみたいな」
「いえ、それは……」
「ね、いいでしょ。案内してよ」

 渋るメイドとの少しの押し問答のあと勝利を勝ち取ったジュンイチは、その代わりに、

「本日、ロバート様は次の航海のお品物の買い付け、ソフィア様は乗馬クラブへお出かけで、お嬢様はお部屋に篭って遊んでおられるのです。お嬢様はあまり外はお好きでないですから、おひとりのときはいつもお部屋で読書されたり、ぬいぐるみで遊ばれたりしておられますよ。そうそう、綺麗なドレスを着た海外のお人形よりも動物のぬいぐるみのような柔らかいものがお気に入りで、あとは手触りの良い布にもお名前をつけて……少し変わっていらっしゃいますけれど、私達使用人にもお優しいですし、とても愛らしいお方ですのよ」

 と、目的の部屋に着くまで途切れることなくメイドのおしゃべりを聞かされるハメになった。



「お嬢様、起きていらっしゃいます?」
「なあに? お菓子が焼けた?」

 屋敷二階奥の部屋をノックしメイドが声をかけると、待ちわびたように部屋の主が顔を覗かせた。腕にはぬいぐるみを抱いている。メイドのおしゃべりの通り、ひとりで部屋で寛いでいたのだろう。

 メイドの隣に立つジュンイチが顔を隠すように花束の後ろに隠れていると、目を奪われたらしきカミィの、
「わあ、可愛いお花! どうしたの? 誰からもらったの?」
 というワクワクとした声が聞こえる。

 ジュンイチは漏れる笑いをこらえて
「僕だよ」
 と、悪戯な表情を浮かべて顔を出した。

「はいっ!? えっ、あっ……えっ!?」

 カミィは目を丸くして二度、三度ジュンイチと花束交互に視線を移し、慌てふためいた。そんな彼女を見て、メイドも笑いをこらえている。

 カミィの顔がみるみる赤くなり、耳まで真紅の薔薇と変わらない色に染まっていく。

「それは何?」

 口をあけたままアワアワと狼狽している少女が手に持つふたつのぬいぐるみについて、ジュンイチはたずねた。丸に顔を描いただけのようなよく分からない生きもの? と、トゲトゲした生きもの。

「あ、こ、これはですね、『ももいろのまると、すばやいはりねずみ』という絵本に出てくる生きもので……いえっ、そんなことはいいのです。お知りになりたければあとでお話します! 私、洋服を着替えますから客間でお待ちになって! ご案内して差しあげて!」

 急によそ行きの態度になりメイドに指示を出して、【すばやいはりねずみ】よりも素早いのではないかと思う速度で部屋のなかに引っ込んでしまう。
 そんな彼女の表情は、恥ずかしそうにしながらも突然の訪問を喜ばしく思っているように見えて、ジュンイチは手応えを感じた。




「お待たせしました」

 客間のソファに腰掛けて「ふう」とひとつ息をつくカミィは、急いで着替えを済ませたようで、少し汗ばんで見える。

 広いテラスに面した明るい客間では、ガラス製のローテーブルが中央で存在感を放っている。
 その上には淹れたての紅茶が用意されていて、テーブルを挟むように深緋色の皮が張られた横長のソファが二脚、対になって配置されていた。

 緊張しているのか、カミィは自らの家にもかかわらずソファの上で縮こまっている。出された紅茶をすすりゆったり寛ぐジュンイチは、自分のほうが屋敷の主人になったような気になった。

「あのメイドにはよくからかわれているの?」
「彼女だけではないのです。みんな私にいじわるをして遊ぶのです」

 プンプンという擬音が聞こえてきそうな態度で、少女はリスのようにぷっくりと頬を膨らませる。
 先ほどからの態度を見るに、たしかにからかいたくなるのも頷ける。
 怒っているように見せかけて内心はそれほどでもないのが見て取れるところも、からかわれる要因のひとつだろう。
 メイドが言っていた、「優しくて愛らしい」とはこういう部分のことも含んでいそうだ。知れば知るほど、自分も深みにハマっていくのが分かる。

 ジュンイチは帰ったら、「恋というのは泥のなかに足が沈む感覚とよく似ている」とレポートに記すことを決めた。


「これ、きみにプレゼントだよ」

 ソファに置いていた花束をテーブルの上に運ぶと、正面のカミィはそのかげにすっぽりと隠れて見えなくなった。

「こんなにたくさん! とても嬉しいです。ありがとうございます。どうやって使いましょう。花瓶に飾るだけではとてもじゃないですが余ってしまいます。香りが良いからお風呂に浮かべてみるのも良いですね。ああ、あとは押し花にして栞にしましょう。それから……」

 有用な使い方を考える声を聞きながら、赤い薔薇を一本抜き出して立ち上がる。そして、正面のソファに移動して、悩む少女の隣に座り直した。

「どうしたんですか?」

 突然縮まった距離に頬を赤らめるカミィに薔薇を差し出し、ジュンイチは言った。

「あの夜の返事を、聞かせてもらえないかな? きみのことが、好きなんだ」



 ジュンイチには自信があった。

 数十冊の本を読み終えて立てたプランは、おそらく有効であろう。

 女性は贈りものを喜ぶ生きもので、宝石や花を好み、ストレートな愛情表現に弱い。というのは恋愛の教本から学んだことだ。

 恐怖や驚きで心拍数を上げることで、そのドキドキを恋から来るものだと錯覚させることができるというのは、心理学書から学んだ。だから驚かせるために突然の訪問を選んだ。

 薔薇の花言葉は色により違うが、赤い薔薇を一本は【ひとめぼれ、あなたしかいない】という意味で、百八本だと【結婚してください】になる。というのは、最近若い女性のあいだで流行っているらしい恋愛小説から得た知識だ。

 とにかく持ちうる知識を総動員して、今この瞬間に挑んでいる。これはとても楽しい実験。
 自信があるにもかかわらず少しだけ不安が入り交じるのは、やはり恋という心理現象のせいだろう。


「ああ、あの日……私ったらお手紙を差しあげると言っておいて、ごめんなさい。あなたのお名前を聞き忘れてしまったから、どうしようもなくて……。一応お義兄様にたずねる準備はしていたんですけど、間に合わなかったみたい」

 差し出された薔薇に手を伸ばす前に、少女は舞踏会の夜の非礼を詫びた。

「それで、あの、あなたのお名前は?」
「吾妻ジュンイチ」

 薔薇の花に伸びかけていた手は、その一言で止まってしまった。

「あの…吾妻というと侯爵様の?」
「そう。僕」

 棘が綺麗に落としてある薔薇を、止まった手に押し付けて握らせ、ジュンイチはニコリと笑った。

「なんてこと! ごめんなさい。私ったらそうとも知らず気軽に話しかけてしまって……どこかの貴族の方だとは思っていたのですが」

 まさかずっと身分の高い人物だとは到底想像していなかった。と、持たされた薔薇を胸の前で握りしめて少女は必死に言い繕おうとしている。
 彼女の顔色が赤から青にサーッと変わっていくのを見て、ジュンイチは吹き出すのを抑えきれなかった。

「ククク……面白いねえ。秋の天気みたいだ」
「あの、お返事は、お父様とお母様にも相談しないと、私ひとりでは決められませんから」

 笑われている恥ずかしさからかまた赤くなったカミィは、それらしく振る舞おうとしているけれどまったく様になっていない。それが尚更ジュンイチには面白く感じられる。

「それじゃあ今日はもう帰るよ。良い返事を待ってるよ。本当は今日中に返事をもらおうと思ったけど、決められないんじゃ仕方ない」
 気の済むまで笑ったあと、カップのなかの紅茶を飲み干して、彼は席を立った。

「お見送りいたします」
「ありがとう」

 玄関までの短い距離をふたりは無言のまま連れ立って歩く。

「じゃあ、またね」
「はい。お花、ありがとうございました」
 最後に定型的な挨拶を交わし、ジュンイチはセシル家をあとにした。

 はっきりと返事はもらえなかったが、なかなかの好感触だったのではないかと思う。この【実験】がどんな経過を辿るのかを想像すると胸が躍る。

 この気持ちが【恋】というものなのであれば、なかなかに悪くはないものだ。今日のレポートの最後はそう締めくくろうと心に決めて、家路を急ぐ。

*

 お客様を玄関まで見送ってドアを閉めたあと、カミィはそばの窓から、彼の背中が消えてしまうまでずっとその姿を眺めた。

 そしてその足でもう一度客間に戻って【彼が口をつけたティーカップ】にドキドキして意識を奪われつつ、手渡された一本の薔薇を自室に持ち帰ると、【ももいろのまると、すばやいはりねずみ】の本に挟んで、大切にしまい込んだ。
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