07. 思いがけない遭遇
(注意)本日2回目の投稿です。
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村々を経由しながらディオスピロについたのは、三日後のことだった。
ディオスピロは人口二千人ほどの町で、これは町の規模としてそれほど大きなものではない。
ただ、アケル国内での交易の要所ということもあって、石壁で囲まれた町の防備はそれなりに厚いものだった。
町の防衛のため王国軍も常駐しているらしく、揃いの装備に身を包む兵士の姿も見られた。
近隣の村々に変事があった際には、ここから兵力を割いて救援に向かうという話だ。
ここまで利用してきた街道は、そのまま町の大通りになっている。
通りの左右には、主に二階建ての木造の家々が立ち並んでいた。
セラッタなどのように、もともとそこに砦があった周りに安全を求めた人々が町を作り上げたのではなく、街道沿いの宿場町が大きくなってできた町なのだろう。
町を二分割する街道は、そのままアケルの首都エベナセアに繋がっている。
シランの故郷の開拓村も、方角はそちらだ。
ともあれ、今回ここにやってきた目的は、車を動かすために必要な魔石を手に入れることである。
なるべく早く目的を達成して、リリィたちのもとに戻りたいところだった。
「まずは、宿ですね」
そう言ったシランには、周囲から視線が集まっていた。
同盟騎士団というのは本当に人気があるのだなと感心するのは、アケルに入ってこれで何度目のことだろうか。
もたもたしていたら、声をかけられて、身動きがとれなくなってしまうかもしれない。
シランは持ち前のきびきびした足取りで通りを抜けた。
途中で寄った村で紹介してもらった宿屋の看板を手早く見つける。
「ここですね」
扉をくぐる彼女のうしろについて、おれたちは宿屋に入った。
正面には受付。左手には食堂が併設されており、数人の客が飲食している。
受付には、宿屋の主人と思しい中年太りした男性が座っていた。
そして、その前。
そこに、ひとりの少年が立っていた。
――不意打ちというのは、まさにこういったことを言うのだろう。
「あん?」
扉の開く音を聞いて、なにげなく振り返った少年が怪訝そうな声をあげた。
黒髪黒目の、背の高い少年だった。
やや険の強い顔が、こちらを眺めている。
自然、足がとまっていた。
睨まれて足がすくんだ、というわけではない。
異世界風の衣装に身を包んでいるものの、どう見てもその少年は、この世界の人間の顔立ちをしていなかったのだ。
「……」
思いがけない遭遇に、自然とおれの体は強張っていた。
とはいえ、まだわからない。
落ち着け、とおれは自分に言い聞かせた。
おれ自身が恩寵の血族として身分を偽れていることを考えれば、日本人にしか見えない彼が本物の恩寵の血族である可能性も……。
「なんでこんなとこに、おれ以外の転移者がいやがるんだ?」
……という考えは、少年のぶっきらぼうなつぶやき声で否定された。
あれは、やはりおれと同じ転移者でいいようだ。
そして、疑問もまた同じだった。
どうしてこんなところに、おれたち以外の転移者がいるのだろうか?
「……」
少年からは、強い眼光が向けられている。
あまり好意的とはいえない視線だった。
それを見たローズとシランは、武器こそ抜かなかったものの、ふたりとも臨戦態勢に入っていた。
睨み合いは、数秒ほどの短いものだった。
「お客様……?」
宿の主人が困惑の声をあげる。
すると、少年は呆気なくこちらから視線を逸らした。
「……なんでもねーよ。宿泊の延長は一週間。先払いだったな」
少年は革袋から硬貨を取り出すと、それを受付台に置いた。
そして、おれたちのことなど見なかったかのように、受付を離れて階段へと向かった。
「なんだろうが、おれには関係ねー」
面倒くさそうな独り言が聞こえた。
階段を昇る音が遠ざかっていく。
声をかけるような暇はなく、また、あえて呼び止めるような理由もなかった。
通り雨にでも遭ったかのような気持ちで、おれは少年が去った階段を見上げた。
「ご主人様、あれはやはり……」
少年が去ったのを確認して、緊張した様子でローズが声をかけてきた。
おれはとめていた息を吐き出した。
「ああ。そうみたいだな」
おれたち以外の転移者。
それも、こちらを警戒した一瞬に感じた重々しい魔力の気配からすると、恐らくチート持ちだ。
警戒せずにはいられない相手ではあった。
とはいえ……。
どうも彼は、こちらに興味がない様子だった。
仏頂面をしていたのも、おれたちに敵意を持っていたのではなくて、あれが素のように見えた。
その態度からは、面倒事は避けたいという意思が感じられた。
スタンス自体は、おれとあまり変わらないということだ。
「どうしますか、孝弘殿?」
シランが尋ねてくる。
「そうだな……」
飯野からは、チリア砦に辿り着いた探索隊は、帝国で帝都に向かっていると聞いている。
それなのに、どうして帝国ではなくアケルに、おれ以外のチート持ちの転移者がいるのか。
気にならないといえば、嘘になる。
しかし、下手に詮索をすれば、藪蛇をつつくことにもなりかねない。
「……互いに不干渉を決め込めるなら、それでかまわないだろう」
おれだって、自分たち以外の転移者とはなるべく関わり合いになりたくない。
相手がこちらに害意を持っていない以上、こちらからなにかする必要はないだろう。
「了解しました。それでは、宿泊の手続きを済ませてしまいましょうか」
「そうだな」
例によって加藤さんとの関係を勘違いされつつも、宿屋の主人とやりとりをしているうちに、さっきの少年が階段を降りてきた。
こちらに一瞥だけくれると、彼はそのまま宿屋を出て行った。
どうやら本気で、おれたちに興味がないらしい。
一応、宿屋の主人に話を聞いてみたところ、あの少年も、おれたちと同じで恩寵の血族だと身分を偽っているようだった。
同行者とのふたり連れらしい。
そちらは、恩寵の血族ではない――言い換えると、転移者でもない――という話だった。
得られた情報は、それくらいのものだった。
探索隊であるのなら、身分を偽る必要はないはずだ。
飯野からは探索隊から離脱者が出ていると聞いているが、仮に先程の少年がそのひとりなのだとしても、おれたちより先にアケルに入っているのは少し不自然なように感じる。
とはいえ、これ以上のことはわかりそうにない。
それに、おれには他にやることがあった。
宿屋に着いたあと、シランに連れられて、おれたちはすぐに宿を出た。
向かった先は、軍の施設だった。
この町の軍には、シランがもともと騎士団で一緒だった知り合いがいるのだという。
シランの話では、同盟騎士団で働いていた騎士たちは、騎士団を辞めて国に戻ると、指南役として軍に招かれることが多いらしい。
樹海というこの世界最悪の魔境で戦ってきた騎士たちの経験を、軍の兵士たちに伝えてもらうためだ。
また、彼らは見込みのある兵士を騎士に推薦する役目も持っている。
そうしたひとりが、ここディオスピロにもいるということだった。
まずは彼を頼ることで、この町で車を手に入れるあてを付けようというわけだ。
辿り着いた軍の施設は、石造りの頑丈な建物だった。
有事には、こうした建物が避難所にもなるのだという。
「おお、シラン。久しぶりだ」
アドルフと名乗った青年は、シランの顔を見ると破顔した。
背丈は低いが、よく鍛えられた体をした男だった。
ただ、左腕が根本からなくなっていた。
これが騎士団を辞めた理由なのだろう。
おれたちは石造りの建物の一室に迎え入れられた。
「そうか、騎士団がそんなことに……」
騎士団の関係者であるアドルフには、シランも包み隠さずチリア砦襲撃にまつわる事実を伝えた。
シランがアンデッド・モンスターになっていることや、転移者であるおれの固有能力については伏せたものの、騎士団に大きな被害が出たことや、団長さんがマクローリン辺境伯によって拘束されたことは伝えた。
片手で額を押さえたアドルフは、沈痛な顔をしていた。
彼にとっては、背中を預けて戦った仲間たちのことだ。
団長さんのことも含めて、心痛は想像するに余りあった。
「話してくれてありがとう、シラン」
しばらくしてから、彼はかぶりを振った。
気持ちを切り替えたのか、口元にはむしろこちらを気遣うような微笑が湛えられていた。
「事情はわかった。騎士団のみなを守ってくれた御仁……それも、勇者様の助けになるとなれば、わたしにできる協力は惜しまない」
「ありがとうございます、アドルフ」
「なに。お前は大変な思いをしたのだろうからな」
アドルフはかぶりを振った。
「以前より顔色も悪い。苦労したのだろう」
血の気のないデミ・リッチの顔に、シランは曖昧な笑みを浮かべた。
「まあ、魔石の手配については任せておけ。軍の伝手を当たってみよう。わたしの権限では、軍用で使われている規格の車を用意するのは難しいが、魔石だけでいいのならどうとでもなるはずだ」
「助かります。これで肩の荷が下りました」
「ただ、すぐに動ければいいのだが、いまは折り悪く、少し忙しくてな。動き出せるのは明日になる」
「それはもちろん、かまいませんが……なにかあったのですか」
「実は、近隣の村からモンスターの目撃情報が複数あがっている。まあ、それ自体はよくあることなのだが、そのなかに厄介なものがあってな。いずれも偵察隊を出すことになっているのだが、その人員に関する調整をしなければならないのだ」
「厄介なモンスター……ですか?」
シランが問うと、アドルフは渋い顔で頷いた。
「ドラゴンだ」
「……それは本当ですか、アドルフ」
シランの表情が鋭いものに変わった。
ドラゴンと聞いておれが思い出したのは、転移直後のおれたちに襲いかかってきた個体だった。
喰らおうとした学生のパンチ一発で顔面が吹き飛んでいたが、当然、あれはチート持ちの尋常ならざる戦闘能力あってのことなので、普通はそうはいかない。
ドラゴンは、総じて強力なモンスターだ。
強靭な翼で長い距離、空を飛べる彼らは、稀に樹海から出てきて人間社会に大きな被害をもたらすのだという。
通常の村々にある戦力で、対抗することは難しい。
「それが本当だとすれば、護国騎士団に救援を要請すべき事態ではありませんか」
「ああ。しかし、竜種を見たというのは、ここからかなり離れた場所にある辺境の村の住人でな。被害が出ていないことからも、巣があるとしたら、もっと遠方だろうと考えられる。それも、遠目に見ただけだというので、本当に竜種だったのかどうかもわからない。緊急性は低い」
「ですが、無視できる情報ではありません」
「その通りだ。だから偵察隊を出そうという話になっているわけだな」
アドルフは重々しく頷いた。
「言うまでもないことだが、町を出るときにはくれぐれも気を付けてほしい。わたしはもう、戦友を失いたくはないのだ」
***
明日には、アドルフが軍の御用聞きの商人に声をかけてくれるというので、魔石が手に入るとしたら明後日以降ということになる。
気になる話を聞いてしまったが、おれたちにできることがあるわけでもない。
明日一日は、時間が浮いてしまったかたちだった。
「のんびり休養を取ればいいのではありませんか」
宿に戻ったところで、シランが言った。
「おれとしては、もしもシランさえよければ、鍛錬をつけてもらいたいと思っていたんだが」
「……孝弘殿らしい言葉ではありますが、たまには休息も必要ですよ?」
珍しくシランはあまり気乗りしない様子だった。
アケルに入ってからは、彼女に頼るシーンが多くなっている。
気疲れしているのかもしれない。
「そうですよ、先輩」
それではどうしたものかなと考えたところで声をあげたのは、加藤さんだった。
ぱんと手を合わせて言う。
「そうだ。明日はみんなで町を見て回りませんか」
「ま、真菜……?」
なぜかローズが少し動揺したふうな声をあげたが、加藤さんは頓着しなかった。
「これまではずっと目的地に向かって進んできて、どこかをゆっくり見て回る機会なんてあまりなかったじゃないですか」
「観光しようってことか?」
「ああ、それはよい考えですね」
シランも加藤さんに賛同した。
「わたしはアドルフのところに顔を出す予定でいますが、みなさんはどうか町を見て回ってきてください」
シランにまで勧められてしまっては、おれも考えないわけにはいかなかった。
正直なところ、その発想はなかった。
ただ、悪い提案ではないと思う。
どうせ明日一日でなにができるわけでもないのだ。
だったら、シランの故国であるアケルの町を見て回るのも悪くない。
「わかった。そうしよう」
おれがそう言うと、加藤さんはとても嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
◆業務連絡です。
『モンスターのご主人様』4巻は、今月8月30日発売になります。
書籍1巻が出たのが去年の8月なので、丁度1年でもありますね。
ラフの公開は来週あたりにする予定です。