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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
59/321

05. チリア砦をあとにして

前話のあらすじ:

勇気を振り絞った加藤さん。

   5



 おれはリリィとともに、先日の襲撃の傷跡も深い砦の外壁の上に出ていた。


 樹海の北域に鎮座するチリア砦の周辺は、ひとの手により拓かれている。見通しを良くすることで、モンスターの襲撃をいち早く発見するためだ。


 外壁の上からあたりを見回せば、茶けた地面と緑の森との境界線が、人間の生存領域を目に見えるかたちで示しているのがわかった。


 ……その境界線が、心なしこちらに迫ってきているように見えた。

 気のせい、ではない。拓けていたはずの地面には、早くも木々が芽を出している。


 おれからすると異常に感じられる木々の成長スピードは、やはりこの世界でも尋常のものではないらしい。


 ここは樹海。濃密な魔力を帯びた特殊な森だ。

 樹海の木々は、成長が早い。

 そこが人間の領域ではなくなってしまえば、尚更に。


 砦を失った土地は、あっという間に樹海の浸食を受ける。

 まるで森が人間の敗北と撤退を知っているかのように、木々はその成長を速め、拓けていた土地を埋めてしまう。


 先日、ケイから聞いた話だった。


 こうして森を目の前にしていると、樹海自体がひとつのモンスターのように思えてきて、少し背筋が寒くなる。


「ここにいらしたのですか、孝弘殿」


 傍らのリリィと一緒に、おれは声のしたほうを振り返った。


 そこにいたのは、がっしりとした体格の長身の騎士――女性だてらに同盟騎士団を率いる団長さんだった。その隣には、おれの友人である鐘木幹彦の小柄な姿もある。


「わたしは先に参ります。孝弘殿。後方については、どうかよろしくお願いいたします」

「わかりました」


 おれに声をかけて、団長は去っていく。

 その背中には、数百というひとの命が乗っている。踏み出す一歩一歩に、その重みが表れているかのようだった。


「……団長さん、ちょっとやつれているように見えるが、大丈夫か」


 おれがそう問い掛けると、幹彦は顔を顰めた。


「樹海深部に救援に向かった連中……特に、探索隊の飯野優奈が帰ってくるのを待つべきだって意見が、最後まで出てたんだ。そいつらを説得するのに、余計な手間を取られちゃってさ。ただでさえ忙しいってのに、まったく」


 樹海深部にある結界石に守られた山小屋には、まだ転移者の生き残りがいる可能性がある。彼らを救援するために、『韋駄天』飯野優奈が帝国騎士団を引き連れて樹海に向かって、今日でもう十日が経過していた。


 チリア砦から比較的近い位置にあった山小屋には、既にシランが率いる同盟騎士が回っている。そのため飯野が向かったのは、ここからもっと遠い場所に建つ小屋だった。


 彼女自身の提案もあって、かなりの数を一度に回り、コロニーにも向かうことが決まっていた。そうなれば、当然、救助者は増えて――無論、生存者を見付けることができたなら、だが――集団としての動きは鈍ってしまう。


 当初は往復で二十日程度を考えていたらしいが、最終的には、安全地帯である山小屋での休憩を挟んで、一ヶ月くらいかかるかもしれないという話になったらしい。


 飯野や帝国騎士には悪いが、そんなに待っていられるほど、砦の現状は甘くない。


 幸い、探索隊でも指折りの戦闘能力を持つ『韋駄天』がいる以上、彼らの安全はかなりの部分、保証されている。

 帝国騎士団からは、見た目の何倍も物が入って保存が利く道具袋など、かなり高価な魔法道具が惜しみなく供出されており、携帯した物資に関しても心配ない。


 撤退を決定した団長の判断は、まず妥当なものと言えた。

 しかし、妥当であったとしても、それが必ずしも受け入れられるとは限らない。


「それに、今後のことを考えるとね」


 幹彦は、ぼさぼさの頭を掻いた。


「大きな事件が起きれば、その責任を取る人間が必要だ。だけど、チリア砦の責任者は軒並み殺されているから……」

「団長さんが責任を追及されるっていうのか」

「……本来の騎士の管轄は樹海にはびこるモンスターの討伐であって、砦の防衛じゃない。実際、団長は騎士たちを率いているだけで、砦の運営に口を出せるような立場じゃなかった。だけど、他にいないのなら、これ幸いと団長だけが責任を押し付けられる可能性はある。おれは孝弘たちより長くチリア砦にいたからさ、同盟騎士の立場の弱さは知ってるんだよ」


 物憂げに溜め息をついて、ぐっと息を詰めた幹彦は拳を握った。


「そうさせないために、おれも頑張らないとね。というわけで、おれは行ってくるよ。そうそう。あとで顔出すからさ。ローズさんと、あと、加藤さんにもそう言っておいてよ」


 ローズの模造魔石の利用法について、今朝のうちにおれは幹彦に相談していた。

 まだ軽くローズから話を聞いた程度だが、幹彦には、いろいろと思いつくことがあったようだ。また時間があいたときに、顔を出すことになっていた。


 これは加藤さんの男性恐怖症のリハビリも兼ねている。

 彼女自身が言い出したことで、今朝の時点では、ローズと幹彦が話をしている場にいても倒れることはなかった。このまま少しずつでもよくなってくれればと思う。


「悪いな。忙しいのに、付き合ってもらって」

「はは。そういうことは言いっこなしだよ。それに、おれも楽しんでるしね」

「そういや、お前、工作とか好きだったもんな」


 多趣味でアクティブなオタクだった幹彦は、中学の頃から学校に内緒でバイトをして、お金を貯めては、プラモデルなりなんなりに手を出していた。


 どうも琴線に触れるものがあったらしく、ローズの製作技術を見た今朝の幹彦は、わくわくした様子で興味を示していたものだった。


「ま。それもそうなんだけど、それだけじゃなくて。ちょっと見ないうちに、孝弘も隅におけなくなってるなあって思うとさ」


 手を振った幹彦が、にやっと笑った。


「リリィのことか。それとも、ガーベラの?」


 リリィ以外でおれに明白な好意を示している少女の名前をあげると、幹彦はかぶりを振った。


「いや。そっちもそうだけど、おれが言ってるのは、加藤さんのことだよ。いじらしいもんじゃん。彼女、おれが孝弘の友達だから、近くにいてもどうにかなってるんだろ。リハビリしようってモチベーション自体、孝弘の足を引っ張らないようにしてるみたいだし」

「……まあ、信頼されているのは確かだけど」


 幹彦の言葉を聞いておれは、幹彦とローズとの会話の席に臨む加藤さんの、「一緒にいてください」という必死な声と、赤らんだ顔を脳裏に思い返していた。


「ただ、彼女はそういうんじゃないからな」


 加藤さんは、ガーベラとは違う。


 事情をなにも知らなければ、確かに勘違いしてしまってもおかしくないところではある。


 しかし、いまの彼女には、そんな余裕なんてないだろう。なにせ、彼女は深刻な男性恐怖症と戦っている最中なのだから。


 ただでさえ、彼女は難しい時期にいる。幹彦は詳しい事情を知らないので仕方のないことではあるが、あまりこうした茶化しかたはしてほしくなかった。


「おれのことをからかって楽しむのはいいけどな。相手のいることだ。やめておけよ」


 窘める口調でおれが言うと、幹彦は絶妙に微妙な顔になって、リリィを見た。


「リリィさん。これ、マジ疑問なんだけど、どうやってこの唐変木を落としたん?」

「成り行きもあるけど、そうだねえ。……真心込めて迫ったら、ご主人様はちゃんと応えてくれるよ?」

「ん? あー……わかった。要するに、押し倒したってこと?」

「どんな意訳だ。どんな」


 ぱちんと指を鳴らす幹彦に、おれは眉を寄せた。


 確かに大体、そんな感じだったが。

 大体……大体? いや。どうだっただろうか。


 言われてみて思い返すと、自分から迫ったことが一度もないような?


 むしろこれまで全部、迫られる格好であったような……?


 男子の沽券に関わる状況を今更に自覚して愕然としたおれに、幹彦が言った。


「みんないい子ばっかりだし、大事にしてあげなよね。おれが言うまでもないことだろうけどさ」

「ああ。それはもちろん」


 幹彦は眼鏡の下の目を細くして笑った。


「そっか。それじゃ、おれは行くわ。……ああ、畜生。おれも団長のぬくもりがほしいぜ!」


 幹彦が叫んだ直後、遠くから声が返った。


「幹彦! なにを馬鹿なことを、大声で叫んでいる!」

「やっべえ、聞こえてた!? ごめんなさい、団長。ふざけて言いましたけど本音です!」


 怒られた幹彦が、戯言を口走りながらも団長さんを追っていく。おれはその背中を見送った。


「……頑張れよ、幹彦」


 チリア砦の滞在期間が比較的長く顔が利き、おれのような微妙な事情も持たない幹彦は、勇者としての立場を最大限利用して、団長のことをフォローしていた。


 というのも、団長さんは、同盟第三騎士団の長、チリア砦の大多数を占める帝国の人間からすれば、所詮は他国の人間でしかない。そんな彼女にとっては、傍に幹彦がいるかいないかで、動きやすさが段違いだ。


 あいつは、自分のできることを精一杯やっている。

 負けたくないなと自然と思うのは、多分、友達だからこそ、なのだろう。


 おれたちが外壁の上から見ていると、正門前に取りつけられた仮設の橋を、一列に兵士たちが進み始めた。

 馬車がすれ違うことのできる幅が保たれた道を、例の魔石を使った車を中央にして、左右に一列ずつ、守りを固めて行進する。


 これを先導するのは、同盟騎士団の鈍色の鎧姿だ。

 同盟騎士の約半数がここにいる。そのなかには、シランの白い鎧姿もあった。


 索敵能力を失っても、樹海北域最高クラスの戦闘能力は健在だ。一団の露払いのために、シランは先頭集団に配置されている。


 これに対して、残りの半数の同盟騎士は集団の中央部分を守っていた。


 街道を五百人で移動するともなれば、集団は自然と長く伸びる。

 森を貫く街道は、左右が凶悪なモンスターのはびこる森だ。団長が率いる本隊は、全体の統制を取りつつ、列の中央を守ることになっていた。

 そのなかには、ひとりだけ革鎧をつけた幹彦の姿もあった。


「……まずは滞りなく出発できそうか」


 様子を見守っていたが、少なくともいまのところ、モンスターの襲撃はない。出発直後に襲われて、出鼻をくじかれることだけはなさそうだ。


「よし。おれたちも、そろそろ行こう」


 おれたちは後方の守りを請け負っている。

 いざというときに眷族を総動員しても、あまり人目につかずに済むポジションだった。


 ちなみに、非戦闘員の乗った車は最後尾に集められている。おれたちの戦力を頼ったかたちであり、同時に、なるべく多くを生かそうと腐心している団長さんがおれたちに寄せている信頼の証でもあった。


 一度建物のなかに入ったおれたちは、改めて正門前に向かった。

 そこに集められていた車は、もうほとんど残っていない。残っている車も、一台を除いてはもうがたごとと動き出していた。


 時間ぴったり。おれは最後の一台――借り受けている車の御者台に跳び乗った。

 追って飛び乗ったリリィを抱き留めてから、内部の様子が外から見えないように入口に取り付けられた布をめくりあげる。


 なかでは、おれの眷属たちに加えて、ケイがなにやら談笑していた。


「そろそろ出すぞ」


 声をかけておいて、おれは御者台にリリィとふたり並んで座った。


 魔力を動力源とする異世界の車の御者台は、基本的には幌馬車のものに近い。

 男性が三人座っても余裕がある広い座席には、傾斜のついた足置きがあり、これで体を固定することができた。


 御者台の前方には、座席に向けて反り上がった泥除けの保護板が取り付けられていた。

 これは御者台に座った御者の胸くらいの高さまであり、丁度、手の届く位置に拳大の灰色の魔石が備え付けられていた。


 保護板には車体の前方に向かって、馬の首から上を象った像が取り付けられており、どことなく、船首の女神像を思わせる。魔石はその首の根元に取りつけられていた。


 おれは魔石に手を触れた。


 操作方法は簡単だ。触れて、自身の魔力を流し込むだけでいい。

 これが点火装置の代わりとなる。大気中の魔力を蓄えて動力源としている以上、魔力を流し続ける必要はない。


 ちなみに、どんな方法で車輪を駆動させているのかと疑問に思っていたのだが、取りつけられた魔石の効果は、『車体に前方に引っ張る力を生じさせること』らしい。要するに、馬車の延長線にある乗り物なのだ。


 この力が及ぶのは、あくまで車体のみで搭載物は含まれない。発進直後は転倒注意だ。


 車輪の軋む音とともに車体が動き始めると、がたがたと地面から揺れが伝わった。

 あまり快適とはいえないが、路面の状態がよくないので、これは仕方ないのだろう。車酔いするひとは辛そうだ。


「孝弘さんっ。姉様はどうでしたかっ?」


 前にある車を追いかけて進み始めると、早速、ケイがおれとリリィの間に身を乗り出してきた。

 人懐っこい子犬を思わせる仕草は、微笑みを誘うものだった。


「シランは立派にみんなを先導していたよ。ケイはなんの話をしていたんだ?」

「わたしの故郷の話です」


 シランと同じ金色をした髪を、今日はちいさなみつあみにして、ケイは胸元に垂らしている。多分、加藤さんの仕業だろう。たまに彼女は、ローズの髪形をいろいろと変えているから。


「ガーベラさんが聞きたいっていうんで、お話をしてたんです」

「うむ。妾はまだ、そのあたりの話を聞いておらんかったからの」


 続いて、ケイの隣に白い少女が顔を出した。

 見慣れていてなお目を奪われずにはいられない美貌は、幼い無邪気さで距離を詰めるケイより更に近い。


 背後から両肩を掴んできたガーベラは、肩越しに頭を出して、こちらの顔を横から覗き込んできた。蜘蛛の糸のような白く細い髪が垂れて、おれの首元を滑り落ちるのがくすぐったい。


「……気を付けてくれよ、ガーベラ」


 ご機嫌なガーベラの赤い双眸を、おれはちらと横目で一瞥した。


「お前が偶然、どこかの誰かに見られたら大変なことになるんだから。ほら、あやめまで真似してる」


 ガーベラが顔を出すのと同時に飛び出してきた仔狐あやめは、おれの膝の上で座っていた。鼻をひくひくさせているのは、車が進むことで変わっていく空気のにおいを感じているのかもしれない。


「わかっておる。とはいえ、妾はこうして上半身だけ外に出ておる分には人間と変わらぬし、膝の上のあやめは角度的に外から見えんよ」


 一応、彼女も考えてはいるらしい。

 それならいいかと思いはしたが、うっかりしているガーベラのこと。釘は刺しておくに越したことはない。


「悪いが、集落に入ったら引っ込んでおいてくれよ。お前の容姿は、ただでさえ人目を引くんだ。隠し事をしている以上、無用な注目を集めるのは危険だ」

「ガーベラさん、すっごく綺麗ですもんね。ね? 孝弘さん」

「ああ。そうだな」

「う、うむ? そうかの」


 てれてれと頬を押さえて可愛らしい反応を見せるガーベラから視線を引き剥がして、おれはケイに尋ねた。


「それで、どこまで話をしたんだ?」

「ええっとですね――……」


   ***


 この大陸で最大の国家である帝国は、正式名称を『イーレクス帝国』という。

 皇帝を頂点として、領土を持つ貴族が支配する封建国家である。


 これに対して、『帝国を宗主国として従属する小国群』を、同盟と呼称する。

 これはかつてこれらの小国が手を組んで帝国に対抗しようとした名残なのだそうだ。何百年も昔の話であり、例の悲劇の不死王カールの治世もこの頃になる。


 そうした経緯があってのことか、帝国はその広大な国土の幾分かを樹海に接しているものの、同盟諸国はすべての国が樹海に接している。


 当然、これら小国群にはそれぞれ名がある。たとえば同盟第三騎士団は、このひとつである小国『アケル』から派兵されている。


 帝国南部に接し、樹海北域に面した同盟諸国を『北域五国』といい、これらの国々はチリア砦から見て西にある。これに対して、樹海の東に位置する同盟諸国を『東域三国』と呼ぶ。ちなみに樹海の西と南は大陸の端までを森が埋め尽くしていると言われているが、これを確認できた者はいない。


 おれたちが団長さんに招待された小国アケルは、北域五国のひとつだ。


 村ばかりの小さな国らしい。その小さな領土の三分の一ほどが峻嶮な山々に占められ、取り残された樹海の一部が残っている地域もあるため、人口は少ない。


 貧しいが、尚武の気風に溢れたお国柄だそうで、ケイのような開拓村の子供は幼い頃から剣を持ち、戦う術を身につける。


 そうでなければ生き残れない、というほうが正しいのだろう。

 小さな国土を樹海に接しているためにモンスターの脅威は大きく、王族は同盟第三騎士団の母体であるアケルの王国騎士団を率いて、国土を西に東へ駆け回っているらしい。


 こうした状況は、北域五国では普通のことだという。

 王様と聞くと、ゲームで出てくるお城で赤絨毯の部屋でふんぞり返っている老人のイメージがあるが、同盟諸国の王族に限っては、むしろ日本でいうところの戦国武将みたいなものなのかもしれない。


 姫君であるはずの団長さんが、普通に騎士たちに混じって戦場に出ていたのも、こうした素地があったからなのだろう。


 団長さんに率いられたチリア砦の生き残りとともに、おれたちは樹海を貫く街道を北上していく。この街道は、帝国南域にある『ローレンス伯爵領』に続いている。


 チリア砦からもっとも近い大きな都市は、ローレンス伯爵領中央部にある交易都市『セラッタ』だ。おれたちは、まずこのセラッタまで北上することになる。


 そこで団長さんが、チリア砦に起こった出来事について各所に報告する予定だった。


 なんでもセラッタには、チリア砦と遥か東の地にあるエベヌス砦とを繋いでいた遠距離情報伝達手段があるのだという。チリア砦にあったものは、モンスターの襲撃を受けた際に失われてしまったから、最寄のものを使おうということだ。


 既に襲撃の翌日には早馬を走らせていると聞いてはいるものの、樹海という土地を通っている以上、情報が確実に伝わっていない可能性もあるし、立場ある人間が報告することにも意味があるのだろう。


 その後は、帝国軍所属の兵士たちの身柄は同じ帝国のローレンス伯爵領に預けて、団長自身は同盟騎士団を率いて本国に帰還し、一度父王と顔を合わせて状況を報告する。そのときに、おれたちを連れて行ってくれるという話だった。

 小国アケルはセラッタから南西にあるのでやや遠回りになるが、そのあたりは仕方ない。


 まずはその前に、無事に樹海を抜けなければお話にならない。

 気を引き締めてかからなければならなかった。


   ***


「やぁぁああ!」


 気合一閃。先行する車を守る兵士に襲いかかろうとしていた六本頭の大蛇、レッサー・ヒュドラーの頭のひとつを、弾丸の如く放たれた黒色の槍の穂先がぶち抜いた。


 体液に濡れた槍の穂先を引き戻したのは、年端もいかぬ少女――の姿を擬態したモンスター、おれの眷族であるリリィだ。


 毒牙を突き刺そうとする別の頭の攻撃を軽やかにかわしたリリィは、お返しの踏みつけで、襲いかかってきた頭を潰した。


「たぁあ!」


 踏み込んだ足を軸足にして回転。

 スカートが翻り、長い足が綺麗な弧を描く。


 後ろ回し蹴り。


 長く伸びた蛇の首の一本に、見た目の華奢さとは裏腹に、強烈な威力を秘めた踵が叩きつけられた。ぶしゃっと粘着質な音がして、吹き飛んだ蛇の首がくるくる飛んで森に消える。


「……圧倒的だな。樹海表層のモンスターとはいえ」

「だの」


 停止した車の御者台に座ったおれがぽつりとつぶやけば、覆い布を持ちあげて車のなかから身を乗り出すガーベラは楽しげに肩を揺らした。


 リリィの動きは以前より格段に良くなっていた。

 チリア砦でたくさんのモンスターを捕食したことで魔力が増えている上、そのなかに、ファイア・ファングのように、捕食することで感覚器官を強化できるモンスターがいたらしい。いまの彼女は、周囲の状況のみならず、モンスターとしての自分の身体能力を把握して、よりよくコントロールすることができるようになっていた。


 それだけではない。


 リリィの左手に、『赤色の』魔法陣が展開する。

 構築されるのは、第二階梯の『火魔法』だ。


 繰り出された火球が炸裂して、大蛇の目を焼いた。

 悲鳴をあげてのけぞったところで、槍の穂先が喉元を裂いた。


 リリィはファイア・エレメンタルをはじめとしたモンスターを食べることで、火魔法と土魔法を使えるようになっていた。どちらも第二階梯だが、戦術の幅が広がったことは間違いない。現在は、新しい力をならすために積極的に新魔法を使っているところだった。


 確実にリリィは階段を昇っている。……とはいえ、それでもチート持ちの戦闘能力には及ばないのだが。


 それこそあっという間に、レッサー・ヒュドラーは地に沈んだ。


 さすがに人目があるので、捕食はできない。チリア砦の後処理の際に食べたことのあるモンスターであることもあって、ここでは放置だ。


 兵士たちの妙に熱い眼差しを浴びながらも、リリィはおれのもとに帰ってきた。


 ローズたちに状況を伝えるのは車のなかに引っ込んだガーベラに任せて、おれはリリィを迎えてやる。


「ただいまー」

「お疲れ様」


 頬に飛んだ蛇の血を布で拭ってやると、御者台に座るおれの隣でリリィがはにかみ笑った。

 こうしてリリィをねぎらってやるのも、これで何度目のことだろうか。


 チリア砦を発ってから六日目。道中には何度となくモンスターが出没していた。

 顔を合わせたときに幹彦から聞いたところによると、どうも想定していたよりモンスターの数が多いらしい。


 チリア砦が機能していない時間、街道近くのモンスターを駆除していた騎士団が動けなくなっていたのだから、これは当然と言えば当然の話だった。


 シランの索敵能力は現在使えない。

 モンスターに対して先手を取れるのは、鼻の利くリリィと、あやめがいるおれたちの一行だけだ。人間と変わらない姿に擬態しているリリィは、一日に何度となくおれたちの車を飛び出していった。


 しかし、それでカバーできるのも、せいぜい集団の後方だけだ。


 直接見ることはできないが、先頭集団ではシランが百人力の活躍を見せているらしい。だが、それだってフォローできる範囲には限りがある。


 残りのモンスターは、団長の率いる同盟騎士と、軍の兵士たちが撃退していた。


 モンスターが現れると、車を挟むように列になった軍の兵士たちは盾を構える。

 怪我人を出しながらも、どうにか兵士たちは最初の一撃をしのぎ切る。場合によっては、その前に遊撃の同盟騎士たちが間に合うこともあった。


 直接戦闘をするのは同盟騎士たちの仕事だ。彼らは大盾を構えて、背後の仲間たちを守りつつ、隙を見ては手にした武器を繰り出す。


 そうして押さえこまれたモンスターには、軍から放たれた援護の矢と魔法が間断なく降り注ぐのだ。


 帝国軍も決して弱兵ではない。直接ぶつかるには力不足でも、遠距離から削り殺すことにかけては、同盟騎士団もかくやの連携を見せる。


 こうした軍の兵士たちの性質は、大人数での連携が取りづらい樹海で活動することが多い騎士が個人で強力な戦闘能力を備えているのと、対照的と言える。


 なるべくなら遠くから弓矢と魔法を集中させて攻撃する。

 近距離戦になれば、槍衾を作って連携で押し潰す。


 彼らの戦闘形式は、チリア砦あっての防衛戦か、拓けた土地で戦うことを前提としている。


 数の暴力を着実に成り立たせる。そういう訓練を、彼らは受けているのだった。


 思うに、工藤のしたように大量のモンスターをぶつけられるのは、数を頼みにする帝国軍にとって、もっとも苦手とするところだったのかもしれない。


 実際、ほぼ殲滅戦に近かった初撃と違って、戦場が砦の内部に移ってからは、モンスターにとって狭い通路を活用することで、軍の兵士たちは戦闘を成り立たせていた。


 あるいは、被害を度外視してチリア砦駐留戦力全てを正面からぶつければ、十文字ともやり合えた可能性もあったのかもしれない。

 無論、それでも多大な犠牲を払わなければならないだろうし、あの十文字が正面からやりあうはずもなく、そもそも兵士たちが勇者相手に弓引くことができたとも思わないが。


 ともあれ、思っていた以上にこの世界の軍隊は強い。

 これなら被害を最小限に抑えて、樹海を越えることも可能だろう。


 怪我をした兵士たちの治癒が終わり、停まっていた車の列が動き始めた。

 最後尾のおれたちが動くのは最後だ。おれが暇をしているのに気付いたのか、ひょっこりと顔を出したアサリナを相手にしながら待つ。


「うーん……」

「どうした?」


 隣のリリィが難しい声をあげたので、おれは彼女に視線をやった。


「どうにもうまくいかないなあ、と思って」


 真剣な顔でリリィは、膝の上に置いた自分の右手を見下ろしている。なにをしているのだろうか。


 と、思ったときに、彼女の右の手首から先に変化が生まれた。


「え……?」


 ほっそりとした手がひと回り大きくなり、剛毛が表面を覆った。

 熊の手だ。それが樹海深部の獣型モンスター、ラフ・ラビットのものだということを、おれは理解して――


「づっ」


 ――リリィが苦鳴をあげるのと同時に、熊の右手が内側でなにかが暴れているかのように、ぼこぼこと蠢き始める。

 制御が利かないのか、リリィは軽く唇を噛んだ。


「あ!?」


 眉を寄せた彼女が見詰める先、その手がぱあんと音を立てて、スライム状に戻って弾けた。


「だ、大丈夫か、リリィ!?」

「ん。平気、平気」


 おれは慌てて彼女の手首を取るが、すぐにその先にスライムの体組織が盛り上がって、少し時間をかけながらも少女の手を形作った。


 おれは修復された彼女の手を握った。ほっと息をつく。


「なんだったんだ、いまの」

「実験かな。あ。ご主人様。前の車が動いたよ」


 おれは車を発進させると、リリィが口を開いた。


「わたしの擬態能力には、どうも限界があるみたいなんだよねえ」

「限界?」

「うん。わたしが一度に擬態できるのは、一種類のモンスターだけなの」


 唇を尖らせたリリィの言葉に、おれは首を傾げた。


「リリィは下半身だけスライムにしたりしていただろ」

「ご主人様。スライムはわたしの本来の姿であって、擬態じゃないんだよ」


 言われてみれば……普段、少女の姿をしているリリィが、スライム以外のものに体の一部を変化させていたことはない。


 擬態しているのではなく、あれは一部擬態を解いているだけ。だからできていた、ということだろうか。ふたつ以上のものを擬態させたところを見たことは、確かにこれまでなかったかもしれない。


「もちろん、この姿に他のモンスターの能力を乗せることはこれまでにもしてきたよ。ファイア・ファングの嗅覚もそうだし、ラフ・ラビットの腕力を借りたりもしてる。火や土の魔法が使えるようになったのだって、そういうこと。だけど、どうしてもそれじゃ劣化するんだよ」

「劣化……?」

「もとのモンスターの能力を百パーセントとすると、わたしがその姿になったときに発揮できるのは、せいぜい八十パーセントくらいだと思う。これが別の姿で能力を発揮しようとしたら、六十パーセントいけばいいほう。もちろん、そもそもこの格好のままじゃ発現できない特殊能力もある……」


 リリィの擬態能力では、擬態したモンスターの能力を完璧に再現できない。それは、これまでにもわかっていることだった。


「擬態は本物じゃない。そこには、偽物と本物の越えられない断絶がある」


 リリィはやや低い声で言った。


「だけど、だからといって、諦めるわけにはいかないでしょ? 越えられないなら越えられないなりに、工夫しないと」

「それが、さっきの部分的な擬態か」


 腑に落ちた。なぜ急にそんなことを、とは言わない。

 チート持ちの力を実感して、危機感を抱いているのはローズだけではないということだ。


 リリィもいろいろと考えることがあったのだろう。ローズが武術という方向を提案したのに対して、彼女はモンスターとしての特性を活かす方面を考えている。


 眷族のリリィたちが頑張っている以上、おれもうかうかしてはいられない。彼女たちの主として、何倍も努力しなければならないだろう。


「ねえ、ご主人様」


 そんなことを考えていると、半ば独り言のような口調でリリィが尋ねてきた。


「どうしてわたしは、チート能力が使えないのかな?」

「え……?」

「やっぱりわたしは……」


 言いかけたリリィが、なにかに気付いたように不意に瞬きをした。


「ご主人様。あれ」


 指差した先に、ひたすらに木々が並ぶばかりだった景色のなか、異様なものが見えた。


 石を積み立てた頑丈な壁。周りには、チリア砦ほどではないものの、十分に深い堀と土塁が張り巡らされている。

 要塞じみた外観は、事前に聞いていたものと合致する。


 おれたちは、チリア砦最寄りの開拓村に辿り着いた。

◆お待たせしました。

続きは多分、明日。というか、月曜日。


◆どうでもいい小ネタ。

魔法の車の魔石のついている箇所を、『馬車の正面部分に自動車のダッシュボードみたいなものが付いている』みたいな感じがわかりやすいかなと思ったが、調べてみたら、そもそもダッシュボードは泥とかが跳ねるのを防ぐための馬車の保護板のことで、自動車の部品にその名が流用されたものらしい。


しかし、馬車のダッシュボードだと、ん? ってなる。難しい。

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