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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

3章.ありのままの彼女を愛して

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04. 幸せに手を伸ばす

前話のあらすじ:
団長のおうちに遊びに行くことになりました。
   4


 シランに今後の方針を聞いてから、五日が経過した。

 グールの発生による被害を出しながらも、昨日までに戦死者の火葬は完了した。
 シランからは、今日一日兵たちに休息を与えてから明日に砦を発つと聞かされている。

 大量にあったモンスターの屍も、昼夜を問わないリリィの尽力によって順調に処理されている。今日中に作業が終わると、今朝方、顔を合わせたリリィから報告があった。

 そのときにあった出来事に関しては割愛。
 ……期日までに作業を終わらせようと忙しくしているため、朝くらいしか時間が取れないリリィは、どうも無意識のうちに埋め合わせを求めているようだった。

 日々、朝の攻防が危うくなりつつあるのは、攻撃側の激しさが増すとともに、防衛側の防御力が落ちているためだ。
 要するに、おれ自身も心のどこかでさびしい思いをしているということだった。
 流されてしまわないために、鉄の自制心が必要とされていた。

 ともあれ、作業は順調に進んでいる。
 あとは出発のための準備を整えるだけだ。

 遠目にちらっと見ただけだが、こちらも順調なようだった。

 見ていてちょっと意外だったのは、この世界に『自動車』が存在することだった。

「孝弘殿の世界にあるという、『駆け抜ける鉄の箱』とは違いますが」

 見た目はシンプルな幌馬車だ。
 ただし、車を引く馬の姿はない。
 魔石を利用することで、大気中の魔力を動力源として、この車は移動するのだった。

 速度はあまり出ず、最高でも常人が走る程度。徒歩の速度で運用するのが普通らしい。

 特に樹海では、土地に宿る魔力が高い。
 移動しながらになる昼の間だけではなく、動けない夜間のうちに魔力を蓄積しておくことで、日中での連続した運用が可能になるという話だった。

「異世界の魔法技術はすごいな」
「エコだね。わたしは記憶でしか知らないけど、ソーラー・カーみたい。夜間走行できないのは安全上の問題だから、そこはちょっと違うけど」
「孝弘殿の世界のほうがすごいと思いますが。太陽から魔力を得る技術があるのですよね。幹彦殿が言っていました」
「……微妙に違うけど、大体、そんな理解でいいんじゃないか」

 どこが違うのか説明しろと言われても困るので、言葉を濁すおれだった。

 ちなみに、この世界には馬もいるのだが、彼らは樹海に入るのを怖がるらしい。

 樹海を駆けるには特別に訓練された軍馬でないとならず、また、移動速度があがればモンスターに襲われた際の対処も難しくなってしまう。
 そのため、特にこうした樹海に建つ砦への物資の輸送や、樹海の外でも急がぬ旅なら、馬よりも手間がかからないこのタイプの車が使われているということだった。

 今回は、怪我の後遺症で移動が困難な兵たちの移送のために、この車が利用される。
 そのうちの一台が、おれたちにも貸し出されることになっていた。

 ローズやガーベラなど、道中姿を見られると困る者がいるためだ。
 おれはありがたく厚意に甘えることにした。

 シランから明日の出発の細かい予定を聞いたあとで、おれはローズのところに向かった。

 最後の仕事が残っているリリィとは、部屋の前で別行動になる。
 同伴の騎士がいるのでスキンシップは最低限、ぎゅっと華奢な体を抱きしめてから、手を振って別れる。

 残されたおれは、部屋の扉をノックした。

「ローズ。おれだ」

 通路に硬い音が響く。
 ……それはまるで、おれの内心に生まれたわずかな緊張を表しているかのように思えた。

「おはようございます、ご主人様」

 おれのことを出迎えたのは、のっぺらぼうなマネキン人形――ではなく、リリィから借りた服に長身を包み、顔面を覆い隠す仮面をかぶった、灰色の髪の女だった。

 見慣れない格好だが、これがいまのローズの姿だった。

 チリア砦襲撃の日、坂上の追跡を行う前におれはローズと合流した。そのときには、彼女は既にこの格好でいた。

 顔面を覆う仮面は新調されたもので、右目の部分だけ穴があいている。
 そこから片目が覗いていることからも、彼女の顔がもはや無味乾燥なのっぺらぼうなものでないことは明らかだった。

 どうやらローズは、こっそり自分の体を作り変えていたらしい。
 これまでおれに隠していたのは、自分の納得いくものができるまでは見せたくないという、職人としての彼女のこだわりなのだと理解していた。

 チリア砦に押し寄せたモンスターに遭遇した際、ローズの顔面パーツは破損しており、また、そもそもいまはまだ作成途中で他人に見せられる状態ではないとのことで、おれはまだ仮面の下の彼女の顔を見せてもらっていない。

 それでも、仮面の下の彼女の顔が人間のものとほとんど見分けがつかない精巧な造作をしていることは、わずかに覗く目元を見るだけでも、容易に想像がつくことだった。

 ローズと合流した直後は、それはもう驚かされたものだった。
 なにせ加藤さんと一緒にいたのが、仮面で顔を隠した見知らぬ……けれど、おれと眷族たちを繋ぐパスによって、確かにローズだとわかる少女だったのだから。

 いまのローズは、まだ首から下の体が人形のままで、袖口から出た腕やスカートの裾から伸びる足は、関節部分のパーツの接合部が剥き出しになっている。
 肌の色も無機質なマネキンのもので、これではまだまだ人間らしいとは言えない。

 けれど、同時に彼女が以前とは比べようもないくらいに女の子らしくなっていることも、確かな事実なのだった。

 言うなれば、それは少女のかたちをした人形としての可愛らしさだ。
 無機質さのなかに同居した女の子らしさが、独特の可憐さとして華やいでいる。

 なるほど。以前に言っていた『可愛いお人形』を作るというのは、『これ』のことだったのかと、おれは納得したものだった。

 灰色の髪を伸ばして体のうしろで太い三つ編みにして、ワンピースタイプの服に身を包み、目鼻立ちの一切を隠す仮面の下から、これだけは以前と変わらない一途な想いを込めた視線を向けてくる彼女は、無性的というべきこれまでの姿とはまるで印象が違っていた。

 ……そのせいだろうか。
 おれのなかには、いまの彼女と接することに小さな戸惑いが生まれていた。

 目の前の少女はローズだ。
 おれの大事なローズだ。そこはなにひとつとして変わらない。
 けれど、そうした認識に混じるものがある。これまで見逃してきたなにかがある。

 多分それは、ローズが女の子だという意識なのだと思う。

 ……こんなこと誰かに話したら、なにを今更と、きっと呆れられてしまうに違いない。

 おれがこれまでローズと過ごした日々のなかで、喋ることのできなかった彼女は言葉を交わせるようになり、素朴な木彫り人形からマネキンのような見た目に変化した。
 その過程でおれは、彼女の精神が女性的なものだと知り、加藤さんとの関係に年頃の女の子らしさを見出しもした。

 けれど、今回の彼女の変貌はなにか決定的なところが違っていた。
 それがおれに、頭ではわかっていたはずの『ローズは異性だ』という事実を、初めて実感させたのだ。
 そのあたりが、ローズとの会話におれが戸惑いを覚えている理由に違いなかった。

 もちろん、彼女が異性だからといって、戸惑うことなどなにもない。
 おれにとって彼女が大事な仲間だということは、なにも変わらないのだから。

 ……そのはずなのだが、そうした理屈で実際にこの胸のなかにある感情がどうにかなるわけもない。

 どうすることもできない。なんとも困った状態だった。

 座りの悪い状況に内心で当惑しつつ、ローズに開けてもらった扉をくぐって、おれは部屋に入った。
 部屋のなかには、ひとりの少女がいた。

「おはよう。元気そうだな、加藤さん」
「おはようございます、先輩。お陰さまで。もうすっかりよくなりました」

 部屋の中央に敷かれた敷物の上に、正座の足を崩して座る加藤さんの姿があった。

 作業を行うローズに寄り添って、彼女が魔法の道具を作っている間、魔力の流れを感じ取る練習をしていたらしい。
 そうすることで魔法を扱えるようになるのが、彼女の当面の目標なのだった。

「ゴシュ、シュ、サマ!」
「おはよう、アサリナ。あなたも元気そうね」

 外では大人しくしていたアサリナがおれの手の甲からにょきにょきと伸びて鳴くと、加藤さんは彼女を指で撫でつつ挨拶をした。

 彼女たちを横目で見つつ、おれは部屋を横切って窓際に置かれたテーブルにかけた。
 加藤さんは立ち上がってベッドに腰かけると、おれのうしろに続いたローズには、おれの対面に座るようにと手で示した。

 仮面の下から、片方だけのローズの目がおれを向いた。
 おれが頷いてやると、彼女は少し迷いながらも席に着いた。

 それを見て、加藤さんが口元にささやかな笑みを刷く。

「……」

 そうした間、それとなく観察していたのだが、加藤さんに無理をしている様子はなかった。

 ――加藤さんは重度の男性恐怖症だ。
 おれがリリィたちと砦に向かう前、樹海のなかの小道で発見した転移者や騎士のもとに一緒に向かおうとしたときにも、彼女は具合を悪くしていた。

 その後、居残り組だったローズやガーベラと行動をともにしていた彼女だったが、今回、砦を襲撃したモンスターの一体であるベルタを追いつめるための戦力として、おれがふたりを連れて行ったあと、同盟騎士団と一緒に樹海に避難している途中に倒れたと聞いていた。

 おれたちと別れるときまでは平気な顔をしていたのだが、それはおれたちに心配を掛けないように、気丈に振舞っていただけだったのだろう。
 無理をしたのが祟ったらしく、それから数日、体調を崩して寝込んでいた。

 おれに限っては、あの山小屋で彼女を保護したことが刷り込みにでもなっているのか、これまで樹海を旅している間、彼女から恐怖や拒絶の感情を向けられたことはない。

 ただ、それでも男性の近くにいたことで倒れたという話を聞いたあとだと心配するし、身構えてもしまうものだ。
 それだけに、こうしていまでも面と向かって話をできていることには、ほっとするものがあった。

「……」

 そんなふうに感じている自分自身を、ふとおれは意識した。
 以前だったら、素直に自分のなかの安堵を認めることなんてできなかったかもしれない。

 チリア砦にやってきてからおれの内心に起きた変化は、どうやら加藤さんとの関係にも良い方向に働いているらしかった。

 と、不意になにかに気付いたように、加藤さんがおれに視線を寄越した。

「あれ? そういえば、今日はケイちゃん、いないんですか?」
「ああ。ケイなら、明日の出発の準備で今日は忙しいらしくてそっちに行ってる」

 昨日まで、おれがここに来るときにはケイも一緒だった。
 おれが彼女に用があったからだ。

 ここ五日間、砦の後処理に関しておれにできることはなかった。
 かといって、真面目に今後のことを考えるなら、無為な時間を過ごすわけにもいかない。

 おれたちは人間の世界に足を踏み入れることになる。
 味方がいて、当面の指針が立っているだけマシとはいえ、安全な生活を確保するまでは予断を許さぬ状況であることには変わりない。

 しかし、みんなが忙しく働いているのがわかっているのに剣を振るって訓練をするのも気がひけた。

 このような事情から、おれはローズが作業場として借りているこの部屋で静かに魔力を操る練習をする傍ら、比較的時間に余裕のあるケイに頼んでこの世界の常識について学んでいたのだった。

 今日はそのケイも、明日の出発のための準備で忙しい。
 そうした事情を聞いた加藤さんは、小さく肩を落とした。

「そうですか。……残念です」

 今回、加藤さんが倒れたとき、近くにいた女性はシランとケイだけだったという。

 そのときに手を貸した経緯があり、また、寝込んでいる加藤さんを砦でケイが世話していたこともあって、彼女たちは仲良くなったようだ。

 加藤さんの男性恐怖症のことがある以上、ケイのような同性の存在は心強い。
 ローズを含めた三人で自然と交流が生まれていて、少女たちのやりとりは微笑ましいものだった。

「あ。そうでした」

 声をあげた加藤さんの視線が、おれの対面に座るローズに移った。

「ごめんなさい、ローズさん。真島先輩に話があるって言ってましたよね」
「ご主人様と真菜のお話が済んでからでかまいませんが」

 どうやらローズは、おれたちの会話が一段落つくまで待っていてくれたらしい。

「なんだ、ローズ。話っていうのは?」

 おれが促すと、ローズは畏まって答えた。

「ひとつは、お借りしていた魔石についての話です」
「あれか。なにかわかったのか?」

 おれからシランを通じて頼むことで、ローズは同盟騎士団から、以前におれも見せてもらった魔石を用いたいくつかの魔法道具を借り受けていた。

 それらの品は、ローズが作業をしていた部屋の中央の敷物の上に並べられている。
 魔力を流すと水が溢れる水筒や、小さな火が発生するライター、人間とグールとを判別する騎士団の指輪、空間を拡張し物品を保存する効果のある道具袋など、品揃えは様々だ。

 できれば手に入れたいとローズが言っていた未加工の魔石については、騎士団の指輪に使われるものがあったので、それを譲り受けている。
 魔石としては屑石であまり価値もないので、加工してもかまわないと許可ももらっていた。

「ご主人様もご存知の通り、魔石は魔力を流すことで魔法と同じ効果を生み出します。わたしは、これに興味を持ちました。ご主人様のお役に立てるようなものができないかと考えたためです」

 ローズの言う通り、おれにとっても魔石は魅力的な代物に思える。

 おれ自身、魔力は操作できても、魔法は扱えない。
 以前に属性魔法ではなく身体能力強化を選び、危機回避能力を高めようとした決断に後悔はないが、魔法による戦闘能力を少しでも魔石によって補完できるのなら、言うことはなかった。

 魔石は貴重な代物だが、もしもローズが魔石の作製技術を習得できるなら、話は変わってくる。
 問題は、そんなことが可能なのかどうかだ。

「まずは仕組みを知る必要があります。そこで、わたしはケイに魔石の仕組みについて尋ねてみたのですが、残念ながら彼女は詳しく知りませんでした」
「おれが前にシランに聞いた話では、魔石はもともと、魔法を使えない人間のために作り出されたものらしいからな。仕組みを知らなくても使えるようにできているんだろう」

 使い方がわかれば原理を知らずとも使えるというのは、物品が普及するために重要なことだ。
 たとえば、おれだって、太陽光発電そのものは知っていても、その原理をシランに説明することはできなかった。

 それと同じで、魔石が作動する原理を知っている者は、作る側以外には、ほとんどいないのだろう。
 樹海深部の山小屋をモンスターから守る結界石の作製方法は失伝したということからも、それが伺える。

 それに、この異世界はおれたちの元いた世界と違って、一国だけで年間何万冊もの書籍が出版されているわけでもなければ、インターネットを通じて怒涛のように情報が行き来しているわけでもないはずだ。
 魔法技術に関する知識が限られた人間だけのものだとしても、不思議はなかった。

「実際に魔石を使ってもみたのですが、わたしには原理がわかりませんでした。ですから、リリィ姉様に話を聞いてみることにしたのです」
「リリィに?」
「はい。姉様なら魔石なしにも魔法を使えます。比較することで、なにかわかることもあるかと思ったのです」

 わかるのだろうかと首を傾げたおれだったが、すぐにこれが意外と悪くない発想であることに気付いた。

 おれ自身がここ二ヶ月以上樹海で過ごしてきたから感覚が狂っているが、考えてもみれば、リリィはこの異世界の人間が生存圏を勝ち得ない樹海深部のモンスターであり、第三階梯の魔法の使い手なのだ。
 これはこの世界の人間の到達できる最高クラスの魔法であり、むしろ相談する相手として、これ以上ない人選と言えた。

「それで、リリィはなんと言っていたんだ?」
「姉様が言うには、魔石は魔法の構築に必要な魔法陣の作製補助を行う物品なのだそうです」

 勢い込んで尋ねたおれは、思わず眉を寄せた。

「……魔法陣の云々といわれても、おれはその魔法陣がどんなものかわからないんだが」

 専門用語の説明を頼んだら、専門用語混じりの返答が来たみたいなものだ。

 こうした反応は織り込み済みだったらしく、「これはリリィ姉様の言っていたことですが」と断ってから、ローズは丁寧に説明をしてくれた。

「魔法を使うためには魔力を操作する技能が必要です。しかし、それだけでは魔法は使えません」
「そうだな。それでいけるなら、おれも魔法を使えている」
「結論から申し上げれば、ある特定の流れで魔力を動かすことが必要なのです。そうすることで、それに対応したなんらかの現象が起こる。そうした法則が、この世界にはあるのです。魔法の場合は、その流れが魔法陣として目に見えるかたちで現れますが、この法則自体は魔法だけに働くものではありません。わたしたちモンスターに固有の能力も同じ法則に従っています」
「ん? それだと、おれたち人間もモンスターの固有能力を使えることにならないか?」
「おっしゃる通り、同じように魔力を流すことさえできれば、理屈の上では可能だと思います」

 引っ掛かっておれが尋ねると、ローズは一度頷き、そのあとで首を横に振った。

「しかし、実際にはモンスター固有の能力を人間や他のモンスターが使うことはできないでしょう。個々のモンスターはそれぞれ固有の魔力の流れを持っているからです」
「なるほど。そういえば、グールを判別する機能のある騎士の指輪は、人間とグールの魔力のパターンの違いを認識しているって聞いたな」
「姉様も魔法は感覚で使っていたので、魔石を使用してみるまではこうした法則に気付かなかったそうです。魔法道具の作製能力を持つわたしも同じでした」
「当たり前のことに疑問を抱くことは難しいからな」

 木から落ちる林檎と同じだ。
 この世界にはそうした法則に気付いた誰かが過去にいて、それを利用して、魔石を開発したのだろう。

「以前にローズさんに魔法道具の作製を不思議だと言ったら、なにが不思議なのかと返されたことがありましたっけ」

 おれが納得していると、加藤さんが思い出したように付け加えた。
 彼女に頷きを返したローズに、おれは尋ねる。

「とすると、魔石の機能というのは、魔力の流れを作り出すことなんだな?」
「ご賢察です」

 イメージとしては、水が流れる流路を思い浮かべればいい。
 本来ならその流れを自分で作らなければならないが、魔石には流路が元から掘られている。そう考えると、たとえば翻訳の魔石のような、使用するために訓練が必要な特殊なものは、その流路がなんらかの理由で不完全なのだろう。

「ローズはひょっとして、魔石の加工を成功させることができたのか?」

 魔石の機構は判明した。
 仕組みがわかっているのなら、あとはそれを自らの手で作り出せるかどうかだ。

 期待を込めておれが尋ねると、ローズはかぶりを振った。

「いいえ。残念ながら」

 立ち上がったローズが、敷物の上に並んだこの世界の魔法道具から何個かを拾い上げて、こちらに持ってくる。
 人形の掌からテーブルの上に転がり出たのは、よっつの石だった。
 騎士の指輪と似た細工が施されているものがみっつ、未加工のものがひとつ転がっている。色はいずれも黒く、未加工のものも加工済みのものも変わらない。

「魔力を狙った流れに乗せるためには、どのように細工を刻めば、どのように魔力が流れるのかを知らねばなりません。しかし、魔石の原石には、ひとつひとつ癖があるようなのです。三年……いえ。二年あれば、試行錯誤してその癖を把握できると思いますが、いますぐというのは難しいでしょう」
「そうか。だったら仕方ないな」

 ちいさく息をついたおれに、ローズが言った。

「はい。ですから、わたしはわたしなりのやりかたでやってみました」
「……なに?」

 ローズは先程の未加工の魔石とは逆の手に握っていたものを、テーブルの上に置いた。
 細工の刻まれた青い石――のように見えるが、表面に木目状の模様が浮き上がっている。

「これはわたしが試作したものです。『模造魔石』とでも言ったところでしょうか」
「模造魔石……?」
「わたしは先程、モンスターの固有能力も、魔法も、魔石も、どれも同じ原理に則っているという話をいたしました。それはつまり、魔力が流れる特定の経路を準備してやれば、別に魔石ではなくとも魔法は再現できるということです。そして、わたしには魔法道具の作製能力がありました。石のことはわかりませんが、木のことならわかります」

 ローズが魔石に触れると、石の表面から少量の水が飛び出してテーブルを濡らした。
 それは確かに、水属性の魔法の再現に他ならなかった。

「いまはまだ試作品ですし、作りが甘いところもありますが、いずれ本来の魔石と同じレベルにまで到達させようと考えております」
「これは……本当にすごいな」
「ありがとうございます。これまでご主人様の命に従い、様々な物品を作ってきた経験が生きました。それに、最近は細かい作業をよく行っていたことが幸いしたのだと思います。難しい仕事でしたが、どうにか試作は成功しました」

 仮面の頬に人形の手で触れつつ、ローズは目を部屋の隅に向けた。
 そこに置かれた箱には、失敗作なのだろう木片が小さな山を作っていた。

「しかし、わたしの模造魔石には問題点もあります。まず、わたしは魔法を扱えませんので、正確な魔力の流れを把握するためには、実際に魔石を使わなければなりません。作ることのできる模造魔石は、当然、使ったことのある魔石のコピーに限られるでしょう」
「なるほど。だが、それでも十分だ」

 濡れた水の模造魔石をローズから受け取って、おれも魔力を流してみる。
 これは生活用の魔石だが、戦闘用の魔石をコピーすることができれば、使い途はいくらでもあるだろう。どうにかして手に入れたいところだった。

「どのようなかたちで利用していくか、おいおい相談させていただきたいと思います」
「わかった。おれもちょっと考えておこう。こういうのは使い途だからな」

 幹彦に話をしてみるのもいいかもしれない。
 多趣味なあいつは、おれよりもこういうことに向いているから。

「報告については了解した。これからも研究を続けてほしい」
「承りました」
「これが話のひとつ目だな。他の話というのはなんだ?」

 模造魔石をテーブルに置いて、おれはローズを促した。

「はい。これはケイから聞いたのですが、ご主人様は、新しく眷族になったシランという名の女性に、この砦で剣術を習っていらっしゃるとか」
「……? ああ、まだ一度だけだが」

 ローズの口から思わぬ名前が出たことに戸惑いつつ、おれは訊かれたことに素直に答える。

「機会があれば、また教えてもらいたいとは思っているし、そう頼んでもいる。それがどうかしたのか?」
「時間があるときでかまいません。我ら眷族も教えを請えるかどうか、尋ねていただけないでしょうか?」
「……唐突だな。尋ねるだけなら、別にかまわないが」
「ありがとうございます」

 頭を下げたローズに、おれは首を傾げた。

「しかし、どうしてまた」
「……自身の力不足を痛感したからです」

 顔を上げたローズは、片方だけ覗く仮面の下の目を伏せ気味にした。

「わたしは先日、あのアントンという名のドッペル・クイーンと刃を交えました。……恐ろしい力を持つモンスターでした。敵の退路を断つべく動いていたわたしは、ご主人様から託されたお役目を果たすことが叶いませんでした」

 生真面目な口調に、悔しさが滲んでいた。

 おれは別に、あのことについてローズを責めるつもりはない。
 あれはむしろ、状況を読み違えてアントンが伏せていることに気付かなかったおれの責任だからだ。

 けれど、彼女自身がそれをどう思っているのかは、別の話だ。

 忠誠心の強い彼女にしてみれば、自分の役目を果たせなかったことは、痛恨の一事であったに違いなかった。

「そのうえ、あのアントンでさえ、工藤の操るモンスターの一体に過ぎないというではありませんか。それどころか、今回、ご主人様が戦った十文字という男は、あのガーベラでさえ喰い下がるのが精いっぱいな相手だったとか。リリィ姉様からは、自分では足留めにもならなかったと聞きました。わたしより強い姉様でもそうなのです。わたしでは、戦いにさえならないでしょう」

 そういうローズだが、彼女も決して弱いわけではない。
 彼女はもともと樹海深部のレア・モンスターだったし、その人形の体は作り変えられて、出会った頃に比べて強化されている。装備だって、強力なものだ。
 それらは全て彼女の不断の努力によって得られたものである。

 しかし、それでもチート持ちと正面からやり合うのは難しい。
 覚悟はしていたつもりだったが、それでも怖気が走るくらい、彼らの暴力は圧倒的だった。

 無論、争いにならなければそれでよいのだが、現状は予断を許さない。
 行方をくらました工藤のこともあるし、十文字や工藤と繋がっていた、遠征隊内の正体不明の人物のこともある。

 そうでなくとも、この世界でのおれたちの立場は不安定だ。
 同盟騎士団というツテがあるとはいえ、決して安心はできない。

 不測の事態に備えて、可能な限り戦力は揃えていかなければならなかった。

「我らはなんとしてでも強くならねばなりません」
「それで、シランか」

 おれは納得の吐息をついた。

「無論、それだけではなく、先程報告させていただいた模造魔石の活用など、他の方策も模索すべきとは思います。しかし……」
「わかっている。戦闘技術を学ぶことは、特に有効な手段のひとつではあるだろうな」
「ええ。元来、強力な身体能力を持つモンスターである我らの戦いは、力と速さ、生まれ持った闘争本能と、この森を生き抜いてきた戦闘経験に任せたものでしかありません。そこには培われた技術というものがなく、かといって、我ら自身で技術を体系化するのは時間がかかります」

 強大な力を持つモンスターに対して、人間が優れている点のひとつが、知識や技術を後世に伝えられることだ。

 口伝にせよ、文字として書き起こされたものにせよ、蓄積された知識は大きな武器となる。
 ローズの提案は、そこに目を付けたものだった。

「どのようなかたちであれ、長い歴史に裏打ちされた戦闘技術を身につけることは、大きなプラスになるはずです――」

 熱心に語るローズだったが、そこで不意に顔を余所に逸らした。

「――というのが、真菜からの提案でした」

 おれもつられてローズの向いたほうを見た。
 呆気にとられた顔をした加藤さんがいた。

「ちょっ……ローズさんっ!?」

 数秒、呆けていた加藤さんは、慌てた様子でベッドから腰を浮かせた。
 珍しく、その表情は狼狽に満ちたものだった。

「それはローズさんからの提案にしようって、話をしたじゃあないですか!?」
「しかし、これはとても有用な方策です。真菜からの提言であったことは、隠すべきではないでしょう」
「なんだ、これは加藤さんが言い出したことだったのか?」

 おれが尋ねると、ローズはこちらに向き直って頷いた。

「はい。こうしたことは、ご主人様にも知っていただくほうがいいかと判断しました」

 確かに。それはローズの言う通りだった。

 ただでさえ、おれは加藤さんに借りがあるのだ。
 なにも知らずに彼女の好意に甘えるようなことは、なるべくならしたくなかった。

 それに、彼女自身にとっても、正当な評価を受けるのは大事なことだ。
 このあたり、同じことを考えたのか、ローズも言い含めるような調子で加藤さんに告げた。

「そのほうが、『本当は真菜にとってもいい』でしょう?」
「……ぁ、う」

 おれのなかでは弁が立つ印象のある加藤さんだが、いまはただ、ぱくぱくと口をひらくばかりだった。
 頬には朱が昇って、心なし目は潤んでいるように見える。

 そんな彼女を尻目に、ローズは続けた。

「真菜は本当にいろいろと考えてくれているのです。模造魔石に関しても、いくつかの示唆をもらっております」
「へえ。そうなのか」

 相槌を打ったおれのほうを加藤さんが向いた。
 顔はすぐに伏せられた。

「いえ。その……たいしたことでは、ないですから。こんなの、いずれ誰かが言い出していたでしょうし」
「いや。こういったことは、始めるのは早ければ早いほうがいい。助かったよ」

 加藤さんには少し悪いが、おれの声は笑みを含んだものになっていた。
 慌てたり、恥ずかしがったり。そうした年下の少女らしい彼女の姿は、おれにとって新鮮なもので、素直に微笑ましいと思えるものだったのだ。

「ありがとう、加藤さん。これからも気付いたことがあったら言ってほしい」
「……わかりました」

 顔は伏せたままだったが、こくりと加藤さんは頷いてくれる。
 はにかんだ笑みが口元にある。

 常に表情に落ちていた影は薄れている。
 ここにいるのは、礼を言われて照れる当たり前な少女だった。

 こうした姿を見られたこと。
 それ自体が、彼女との関係の変化を実感させてくれたようで、おれは嬉しかった。

 だからこそ、少し残念でもあった。

「と言っても、これからはあまり頼るわけにもいかないか」
「……え?」
「加藤さんと違って、おれたちは帝都には行かないんだから。おれたちも、もっとしっかりしないとな」

 以前にシランも言っていたことだが、おれ以外の生き残りの転移者については、帝都に向かうことが決まっている。

 モンスターを率いるなんて能力を持っているのでなければ、帝都で歓待を受けない理由はない。
 もちろん、加藤さんもそうだ。

 樹海をずっと一緒に旅してきた加藤さんとは、次の街に着いた時点でお別れということだった。

 ローズと友人になってくれた彼女と別れることは、残念ではある。
 おれ自身、彼女との関係が動き始めたばかりであれば尚更だ。

 けれど、安全なところまで連れていくという最初に交わした約束は果たさなければならない。

 そこでやっと、おれは彼女がしてくれたことに、少しでも報いることができるのだった。

「もうあまり時間もないが、ローズとも仲良くしてやってほしい」

 おれの言葉を聞いた加藤さんが、ゆっくりと顔をあげた。
 頬の赤さは既にひいていた。

「……はい」

 すうっと、目の前の少女の存在が遠ざかった。
 そんな気がして、おれは戸惑った。

 加藤さんの口元に浮かんだ笑みが、おれにそう感じさせたのだ。

 それは、先程見せたものとはまったく違う、乾いた笑みだった。
 なくなっていたはずの影があった。

 直感的に、さっき自分が口にした言葉のなにかが、彼女をそうさせてしまったのだとおれは悟った。

 けれど、なにがそうさせたのかわからない。
 である以上、迂闊に声をかけることもできない。

 おれは口を噤んだ。
 加藤さんは口元に力ない笑みを浮かべ、視線を自分の膝に落としている。

 気まずい沈黙が落ちる。
 落ち着いた声がおれのことを呼んだのは、そのときだ。

「ご主人様」

 ローズがおれのほうを向いていた。

「もうひとつだけお話が残っているのですが、よろしいですか?」

 そういえば、話の途中だったのだったか。

「……なんだ」
「お願いがあるのです」

 ローズは言った。

「我らが向かうという小国に、真菜も一緒に連れていってはやれませんか?」

 ばっと加藤さんが顔をあげたのが、視界の端に映った。

「加藤さんを……?」

 唐突な提案に困惑するおれに、ローズが頷いた。

「はい。真菜が倒れたことに関しては、ご主人様もご存知のことと思います。そんな状態で、突然、周りが知らない者ばかりとなっては彼女も心細いはずです」
「……」

 正論だった。
 加藤さんの状態は同盟騎士団も知っているし、それなりの配慮が払われることだろう。
 けれど、そうであったとしても、周囲が知らない者ばかりとなることは変わらない。

 普通の状態ならともかく、いまの加藤さんには精神的に不安定な部分がある。
 ローズの存在がどれだけ彼女の支えになっているのか、おれに想像できるところではないが、彼女たちを引き離すのはあまり賢い選択とは言えない。

「叶うなら、わたしも彼女の傍にいてやりたいと思います。……それに、ご主人様にも。なるべくなら、彼女の傍にいてやっていただきたいのです」
「おれが……?」

 これはよくわからない。
 樹海で長く濃密な時間を過ごしてきた友人であるローズとは違うのだ。
 おれなんかが一緒にいても、あまり意味はないはずだ。

 ……いや。
 考えてもみれば、確かに周囲の男性みんなが恐怖の対象である現状、成り行きのもたらした偶然とはいえ、近くにいても大丈夫なおれという存在は、彼女にとって貴重ではあるのかもしれない。

「ローズの言いたいことはわかった」

 おれはひとつ頷いた。

「だが、おれたちと一緒に来るというのもどうなんだ」
「ご主人様は反対でいらっしゃるのですか」
「そういうわけじゃない。ただ、おれ自身、モンスターを率いるという性質上、この世界での立場は不安定だろう? おれと一緒にいることで、加藤さんがなんらかの騒動に巻き込まれる可能性は否定できない」
「それでは、真菜がそうした事情は知ったうえで望むのなら、ご主人様は彼女を連れて行ってくださることに反対はなさらないのですね」
「……そういうことになるな」

 おれとしても、加藤さんが望むことであるのなら、それを叶えてやることに異存はない。

 頷くおれの姿を確認して、ローズが加藤さんのほうを振り返った。

「ご主人様はこうおっしゃっていますが、真菜はどうなのですか?」
「わ、わたしは……」

 弱々しく、加藤さんは視線を逸らした。

 そんな彼女を見て、ローズが席を立った。
 ベッドに座る加藤さんの前に膝をつくと、彼女の握りしめられた小さな手を取った。

「覚えていますか、真菜。わたしの言った台詞を」

 おれも聞いたことのないような優しい口調だった。
 はっとしたように加藤さんが目を瞠った。

「わたしの幸せのなかに、あなたはいます。それを忘れないでください」
「ローズさん……」
「それとも、加藤さんはわたしを不幸にするつもりなのですか?」
「……そういう言い方は、ずるいと思います」

 拗ねたような口調は、気の知れた友人に対するものだ。
 ローズは仮面の下で笑ったようだった。

「ずるくてかまいません。あなたは、ちゃんと幸せにならなければなりません。言ってください、素直な気持ちを。真摯に訴えれば、ご主人様はちゃんと応えてくださいますから」

 おれにはわからないやりとり。
 けれど、彼女たちには大事なことだったのだろう。

 縋るようにローズを見ていた加藤さんが、おずおずとこちらに視線をやった。

「せ、先輩……」

 彼女は明らかに怯えた様子でいた。
 けれど、それは彼女を遠く感じさせた先程の仄昏い笑みよりも、よっぽどマシなものだった。

 なぜなら、それは彼女が自分のなかの怯懦と戦っていることを意味していたからだ。

「わたしは……先輩と一緒に行きたい、です」

 ぽつぽつと、小さな声で加藤さんは言った。

「足を引っ張ってしまうかもしれません。迷惑をかけちゃうかもしれません。だからこんなこと言っちゃ駄目だとわかってます。ですけど、それでも……」
「足を引っ張るなんてことは……」

 おれは言いかけて、ふと気付いた。
 目の前の少女が求めている台詞は、そんなものじゃない。

 きっといま、加藤さんはおれに初めて、自分のための我が侭を言っている。
 拒絶されることを恐れながらも、懸命に。

 だったら、おれはどうするべきだ?
 彼女への恩を、いまこそ返すべきではないのか?

 加藤さんの傍らで、ローズがおれのことを見詰めている。
 信頼のこもった眼差しだった。

 おれは小さく笑った。

「……わかったよ」

 考えてもみれば、帝都に行ったところで、同じように集められた転移者のなかに十文字のような男がいる可能性もあるのだ。

 遠征隊だってキナ臭い。
 可能性を考え始めれば、どんな悪いことだって起こりうる。

 それだったら、この手の届く範囲にいてもらうほうがいい。
 それなら、少なくとも、この手で守ることだけはできるのだから。

「加藤さんも、おれたちと一緒に行こう」

 おれがそう言ったときの加藤さんの嬉しそうな表情は、思わず見惚れてしまうくらいに、魅力的なものだった。


 明くる日、おれと眷族である彼女たち、そして加藤さんを含めた一行は、生き残った数百の兵士たちとともに砦を出発した。
◆ローズ・加藤さん回です。
久しぶりのふたりなので、長めです。

次回、移動になります。

◆報告です。
お陰さまで、このたび、書籍版2巻の発売が決定しました!
発売日は12/27になります。

1巻と同じく書き下ろしもあります。
Web版ともども、楽しんでいただけたら幸いです。

カバーデザイン、キャラデザなどは、また後日。活動報告のほうで。
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