06. 騎士と勇者
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ぴいぃぃぃ、と甲高い笛の音が鳴った。
警笛だ。櫓の上に、兵士の姿が見えた。
物々しい格好をした男たちが、村を囲む防壁の上に現れる。
村には、軍の兵士が駐留していると聞いていた。
最初から壁の上にいて警備をしていた男たちがそうなのだろう。よく見てみれば、おれたちが同行している軍の兵士たちと同じものを装備している。
とすると、ほんのわずかに遅れて現れたのが村人か。
着込んだ鎧や盾は古びていて、板金が歪んでいるものもあり、修繕の跡がうかがえた。
軍の装備の払い下げらしい装備が多いが、手作りの革鎧を着ているものもいる。武器は不揃いだが、どれもよく手入れされていた。
さて。こうして村に着いたのはいいのだが、あまり大人数で押し掛けて、悪戯に警戒心を煽るわけにもいかない。
まずは団長以下、数人の騎士たちが事情の説明に向かった。
話し合いは穏当に終わった。あとで聞いた話だと、先行している連絡役が、数日前に簡単な説明は済ませていたらしい。
その後、更に騎士たちの半数と転移者だけが村に招かれた。
五百人近い人員を収容し切れるほど、村に余裕はないためだ。
やってきたシランに呼ばれて、おれは車を村に乗り入れた。
防壁は石積みだったが、村にある平屋の家々は木造だった。畑の間の道を進んでいくと、何度か防壁に突き当たって門をくぐった。
道の左右に広がる畑を見れば、何箇所かに集まった村人たちがこちらを見ていた。
おれたちが転移者――すなわち、彼らにとっての勇者であることは知られているらしい。
不安と好奇心、そして憧憬と信仰。……なんとも居心地の悪い視線が集まっていた。
「樹海の開拓は、なによりまず切り拓いた土地に防壁を造成することから始まります。堅牢な防壁を築くために、遠くにある石切り場から石材を運んでくるのです」
御者台のおれの隣に座ったシランが、先導を務めつつ話を始めたのは、おれのそんな内心に勘付いて、彼女なりに気を利かせてくれたのかもしれない。
「開拓が進むと、更に防壁を拡張します。運ばれてくる石材はそちらに回されますから、村人が住む家屋には、いくらでも手に入る木材を使用するのが普通です。樹海を切り拓いたときに得られる木材は、年に何度か、軍の手配で外部に売り払われます」
「村は林業で生計を立てているのか?」
「樹海では、農作物の育ちが悪いのです。これは、土地に宿る過剰な魔力が、もともと樹海に生える木々以外の生育を邪魔するせいだと言われています。ですから、畑からの収穫物だけでは足りない分を、木材を売ったお金で賄わねばなりません」
「シランの故郷の村も、こんな感じなのか?」
「規模は五分の一くらいですし、もっと貧しいですが、雰囲気は似ています。ここはチリア砦との中継地でもあるので、開拓村としては大きな部類ですね」
故郷を思い出しているのか、シランは目を細めていた。
そうしている間も、村人たちからの注目を集めながら、ゆっくり車は進んでいく。
まさかこの車のなかにモンスターが乗っているとは、村人たちは思いもしないだろう。
おれたちの事情を明かしたところで、騎士たちがいる以上、滅多なことにはならないだろうが、通過するだけの村で、あえて無用な混乱の種を撒く必要もない。
村に立ち入っているのは、団長さんのまとめ上げた同盟騎士だけなので、まず秘密が漏れることもない。仮に問題があったところで、この程度の村にある戦力で、おれたちをどうにかできるはずもないが。
おれたちは、村の中心近くにある建物に辿り着いた。
他の家屋に比べると立派な造りをしている。ひさしの下には看板が下がっていて、この世界の文字を更に抽象的にしたような模様が描かれていた。
聞けば、ここは旅籠を兼ねた居酒屋だそうだ。
シランに車を預けて、おれとリリィは車を降りた。
「やあ、真島くん。久しぶりだね。見ていたよ。兵士のみんなを守って、大活躍だったじゃないか」
「三好さん。ええ、まあ。おれではなくて、リリィが、ですけど」
チリア砦襲撃での生き残りである三好たち四人も、別の車のなかから降りてきた。
顔色の悪い者がふたりもいて、リーダー気質の三好は苦笑していた。彼らは車酔いをしたらしい。
団長さんたちは、もう少しすれば来るらしい。それまで、食事をして待っていてくださいと言伝があった。
おれたちは三好たちや騎士とともに、村の居酒屋のなかに入った。
居酒屋のなかは広々としていた。置かれているテーブルは、年月が染みついて、まだらに黒ずんでいる。
体調の悪い三好の連れふたりは先に部屋に通されて休むことになり、残されたおれたちはテーブルについた。
普段は村人たちが、ここで憩いの時間を過ごしているのだろうか。
生憎、今日は人払いがされていて、村人の姿はない。
いるのは騎士たちだが、彼らは立ったままだった。
おれと同じ転移者である三好と彼の連れの女子――多田諒子という――だけは、テーブルについているのが救いだろうか。
三好と多田は、恐らく『そういう関係』なのだろう。親密そうな雰囲気があった。おれとリリィのことも考えると、バランスは取れているのかもしれなかった。
食事はすぐに運ばれてきた。
パンと根菜のスープだ。蒸留酒も出たが、これは断った。リリィなら飲めるのだろうが、おれが飲まないのならと彼女も断っていた。
遅れてやってきたシランに確認を取ると、同じ食事を車のほうに運んでおくよう手配したということだった。
気兼ねなく、おれは食事に手を伸ばした。
***
食事中、主に話をしていたのは、おれと三好だった。
三好だけではなく多田も、リリィのことを気にしている様子だったが、話しかけることはなかった。
三好は終始、兵士たちから聞いた帝都のことを話していた。
多弁だったのは、不安の裏返しだったのかもしれない。探索隊の十文字達也が起こしたあんな事件があったのだ。巻き込まれた当事者のひとりとして、近い未来を不安に思わないではいられないのは当然だ。
そうして話をしているうちに、団長さんや騎士たちもやってきた。
団長さんに同行していた、開拓村の村長だという初老に差しかかった男は、おれたちに対して、平伏せんばかりに畏まった様子でいた。
逃げるように食事を終えたのは、あまりに居心地が悪かったからだ。
そういうおれの性質を、ありがたいことに団長さんは理解してくれていて、彼女の計らいによって、すぐにおれたちは今夜泊まる部屋に通された。
「お疲れですか?」
部屋に入った途端に溜め息をついたおれに、ついてきていたシランが思わずといった様子で笑った。
「少しな。気疲れした」
「村には共同風呂がありますから、リリィさんと一緒に行ってきてはいかがですか。頼めば使わせてもらえると思いますが」
そんな話をしていると、部屋の扉がノックされた。
「お休みのところ申し訳ない。少しよろしいでしょうか」
顔を見せたのは、団長さんと幹彦のふたりだった。
道中、モンスターから兵士たちを守ったことに関して礼を言ってから、団長さんは用件を切り出した。
「予定では、すぐにこの村を発つことになっていましたが、その予定を一部変更したいのです」
「というと?」
「できれば明日一日、この村に滞在したいと考えております。その旨、孝弘殿にも了承いただきたい」
団長さんの話によると、連日、樹海という気の休まらぬ場所で歩き詰めの兵士たちに、予想していた以上の疲れが見られるらしい。
また、チリア砦がなくなったことで、この開拓村はこれからモンスターに襲われる頻度が増えることが懸念される。実際、その予兆もあるようで、不安がる村人たちを放ってはおけないということだった。
そこで、兵士たちを休ませている間に、疲れの軽い騎士の一部が村の周辺のモンスターを討伐してから出立してはどうか、という話になったらしい。
「お話はわかりました。よければ、おれとリリィも参加しますが」
「それはありがたい。是非ともお願いします」
おれが申し出ると、団長さんはやや疲れが見える顔に笑みを浮かべた。
それから、おれたちは明日の予定や周辺地理について説明を受けた。
討伐のために森を出るのは、昼以降らしい。それならばと、おれはひとつ頼み事をすることにした。
「昼まで時間があるようなら、シランにおれの眷族のことを見てやってほしいんだが」
「以前に聞いていた件ですか。わたしはかまいませんが……」
シランの視線を受けて、団長さんが頷いた。
「かまわん。孝弘殿には、本当にお世話になっている。明日もお付き合いいただくのだ。昼までは、特に仕事もない。お前の好きにするがいい」
「了解しました」
ありがたいことに、団長さんのお墨付きももらえたようだ。おれは笑顔で礼を言った。
「よかった。ありがとう、シラン。そうだ。時間が余れば、そのときには、おれの稽古もつけてほしい」
「おろ、孝弘も教わんの? だったら、おれもおれもっ。おれ、もちっと長い剣を使ってみたいんだよねえ」
おれが頼むと、幹彦が手をあげてアピールする。
仕方のない奴だとばかりに、団長さんが口元に微苦笑を刻んだ。
部屋に和やかな空気が流れた。
「……」
ただ、シランだけは違った反応を見せていた。
おれのいまの言葉を聞いた彼女は、なぜか表情を一転させて、浅く眉の間に皺を寄せたのだ。
おれとほとんど同時にそれに気付いたらしい団長さんが、怪訝そうな顔になった。
「どうしたのだ、シラン」
「……いま、孝弘殿がおっしゃった件なのですが」
迷うように言葉を躊躇わせたあとで、シランは意を決した様子でおれと目を合わせた。
「……これは、丁度良い機会かもしれませんね」
「シラン……?」
「孝弘殿。眷属のみなさんのことについては、了承しました。幹彦殿に関してもかまいません。しかし、孝弘殿の鍛錬については、見合わせさせていただきたいのです」
おれは不躾にも、シランの顔を見詰めてしまった。
「……どういうことだ?」
単に鍛錬をつけられないというのならわかる。
眷族たちに鍛錬をつけるのはいい。幹彦もいい。だけど、おれだけが駄目というのは、わからなかった。
「孝弘殿。あなたはもう、戦わないほうがいい」
「……おれだって、別に好きで戦っているわけじゃないが」
おれは戸惑いを隠せなかった。
あまりにも、シランの言いようは唐突に感じられた。
「けど、そんなこと言っていられないだろう。降りかかる火の粉は払わないと、焼け死んでしまうだけだ。それが嫌なら、戦う力を身につける必要がある」
「戦う力を身につけることそれ自体に危険があるとしても、ですか?」
その言葉に、おれの傍らのリリィがぴくりと反応した。
聞き逃せないとでも言いたげな感情が、鋭くなった目元に表れる。
「ねえ、シランさん。それってどういうこと?」
「言葉の通りです。孝弘殿の能力にはリスクがあります」
硬い声で尋ねたリリィに、シランが答えた。
「……いや。ちょっと待て」
おれはふたりの会話に割り込んだ。
勝手なことばかり言われては困る。両手を広げて、おれはシランに抗弁した。
「リスクって、なんの話だ。いったい、おれのどこにそんなものがあるっていうんだ」
「なるほど。本心から気にしていないのですね」
すっとシランの目が、おれの広げた腕の先に向いた。
そこからにょろりと生えたアサリナが、びくりと震える。
「いったいどこの世界に、手の甲からモンスターを生やしている人間がいるというのですか」
「それは……いや。だけど、そんな見た目だけのことなら……」
「単に見た目だけの話ではありません」
確信のこもった口調で、シランは告げた。
「その左手。アサリナが宿ったことで、なにか影響が出ているのではありませんか?」
「……」
おれは黙り込んだ。
この場合、沈黙は肯定と同意だった。
わざわざ確認するまでもないことだが、最初から、アサリナが宿った左腕には違和感があった。
当たり前だ。寄生したアサリナは、おれの肉に根を張っているのだ。これでなんの影響も出ないほうがおかしい。
当初のおれは、この違和感はいずれ消えるだろうと判断していた。
あのままなら、そうなっていたかもしれない。
……しかし、だ。忘れてはならない。
例のアサリナを利用した移動方法を実現するために、『おれの左手の甲から前腕半ばまでは、アサリナの根を張り巡らせることで補強されている』ということを。
あれは関節部を痛めないために必要な措置だった。しかし、可動部である手首に根を通すとなれば、多少なり動きは阻害されざるをえない。
また、人間の手というものは、存外繊細な器官だ。深く根が喰い込めば、それだけ影響が出てしまう。
「盾を持つくらいならともかく、細かい作業はできないのではありませんか?」
「……鋭いな」
苦笑を漏らしたおれのことを、リリィや幹彦が心配そうな顔で見詰めている。
おれはかぶりを振った。
「ちょっと手先が不器用になるくらい、たいしたことじゃない。おれは右利きだしな。力だけに限って言えば、むしろ強くなっているくらいだ」
「それだけではありません」
眼帯で半分隠されたシランの真剣な表情は、崩れなかった。
「それだけなら、わたしもこんなことは言いませんでした。ですが……覚えていますか、孝弘殿? 初めて孝弘殿の鍛錬に付き合ったわたしが、『孝弘殿の魔力の扱いは、独特のものがある』と言ったことを」
「……そういえばあったな。そんなことが」
あれは確か、チリア砦滞在、二日目のことだったか。
魔力を用いた身体能力強化を使ったおれのことを見て、シランはそう言ったのだ。
自分の能力を隠していたあのときのおれは、隠し事に気付かれるのではないかと冷や汗を掻いたものだった。
「あとで話を聞いて納得しました。孝弘殿が自身の身体能力を強化するための魔力の流れは、あの伝説の白いアラクネ、ガーベラ殿のものと同じなのだとか。独特のもので当然と言えます」
「ああ。そうだ。おれはあいつに魔力の扱いを教わったから……」
「それがまずいのです、孝弘殿」
「……なんだと?」
おれは眉を寄せた。
「我々がグールを判別するための指輪が、人間とグールの魔力のパターンの違いを判別していることは、孝弘殿もご存知でしょう? グールには、特有の魔力の流れがある。それは、人間や他のモンスターでも同じです。特有ということは、再現ができないということです。本来ならば」
そういえば、この間、ローズも似たようなことを言っていた。
モンスターの特異能力を使うことはできない。なぜなら、そのモンスター以外には、魔力の流れが再現できないからなのだと。
「孝弘殿の魔力を初めて見たときに、わたしがもうひとつ、言ったことを覚えていますか」
「確か……確か、『普通、そんなふうに魔力は流れないはず』だったか」
「そうです。教わったところで、孝弘殿がガーベラ殿の魔力の流れを模倣することは、本来なら不可能なことなのです」
シランができないと言ったことが、おれにはできた。
……できてしまったのだ。それを、シランは問題視している。
「おれの保有する魔力の大半は、ガーベラから漏れてきているものだ。だから……」
「だとしても、です。魔力とは、魂に宿るものだからです。人間とモンスターとでは、魂のかたちが大きく違います。魔力というのは、魂から流れ出すものです。その魔力の流れが変化しているということは、つまり……」
シランの眼差しは、痛切なものを含んでいた。
「……そういうことか」
おれは、細く長い溜め息をついた。
知らされた事実を受け止めるために、それは必要な動作だった。
思い返してもみれば、おれは魔力の輸血なんてことまでやっている。一度は体中の魔力を、ガーベラのものに換えているのだ。
そのときに、不可逆の変化が起こってしまったのだとしても、不思議はなかった。
そうして考えてみると、アサリナを身のうちに宿したことも含めて、あれがひょっとすると、おれにとって大きな分岐点だったのかもしれない。
「シランが言いたいことは、つまり、『おれがモンスターになってしまうかもしれない』ってことだな?」
「……それだけなら、まだマシかもしれません」
シランは金色の髪を揺らして、首を横に振った。
「孝弘殿がこれからどうなってしまうのか、誰もわかりません。ひょっとすると、人間ともモンスターともつかないものになってしまうのかもしれません」
「……ぞっとするようなことを言ってくれるな」
「これは脅しではありません、孝弘殿。これから先、どのような不具合が出てくるか、本当にわからないのです」
シランのひとつきりの碧眼が、おれの目を射抜いた。
「だから、あなたはもう剣を握るべきではない」
眷族としての特殊性からか、シランに限って、パスはあまり感情を伝えてこない。
それでも、その真摯な表情を見れば、彼女が心からおれの身を心配してくれていることは明らかだった。
だからこそ、申し訳ないと思う。
チリア砦でリリィと過ごしたあの一夜のうちに、既におれの返答は決まっていたからだ。
「悪いが、その提案は受け入れられない」
「孝弘殿!」
「足手纏いのままではいられない。それは、絶対に駄目だ」
おれが戦うことができないままの足手纏いでいれば、他ならぬおれのせいで、リリィたちが失われてしまうかもしれない。
考えたくもない最悪の仮定だ。それだけは、避けなくてはならない。
一度、全てを失って孤独に死にかけたからこそ、手に入れた絆を理不尽に奪われたくないと強く思う。
殺されてから、誰かを失ってから、後悔しても遅い。
大事な彼女たちを失ってから、あのときああしていればと思うなんて、まっぴらだ。
おれは、立ち止まるわけにはいかないのだ。
……とはいえ、もちろん、おれだって好き好んで破滅の道を進みたいわけではない。
シランの言うような、戦いに備えることさえしないという極論はともかくとして、自分の体に起こる変化に対して、より慎重になる必要はあるだろう。
これは、おれ自身の能力に関わることだ。
気を付けてさえいれば、事前に危険なラインを察することもできるだろう。
たとえば、普通に眷族を増やす分には大丈夫だという確信がある。
まずいのは、それ以外……ガーベラに魔力を供給されたり、その身にアサリナを宿したり、あとはシランを眷族にしたときもそうか。
ああした無茶をすると、リスクが生じる。
どんなことでもそうだが、それを見極めることが必要なのだ。
その点、シランの忠告はありがたいものだった。
事前に危険を知れたことには、意味がある。
おれは礼を言おうとして――その言葉が、喉の奥につっかえた。
「……考え直してください、孝弘殿」
ひたむきな声色が耳朶を打った。
激情が、おれの頬に吹きつけてきた。
シランの片方だけの碧眼が、おれのことを見詰めている。その目はまるで、蒼い炎だ。
本来なら、あまりシランの感情を伝えてこないパスが、いまばかりは彼女の心にある熱を伝えてくる。
血の気の通わないその身の冷たさとは裏腹に、彼女の心が燃え上がる激情に駆られているのがわかる。
ともすれば、我を失ってしまいかねないほどに。
「シラン……?」
なにが彼女をそうしているのか。
いまの彼女の姿は、なにかに追い詰められているかのようにさえ、おれの目には見えたのだ。
……なんだか、彼女らしくない。
そんな気がした。
「やめろ、シラン」
更にシランがなにか言おうとするのをとめたのは、団長さんだった。
「孝弘殿は、既に覚悟を決めておられる。それは、余人に覆すことのできるものではない」
「ですが、団長!」
弾かれたように振り返ったシランが、なにかを言おうとして口を噤んだ。
団長さんの静かな眼差しが、彼女のことを見詰めていた。
「……申し訳ありません」
一度、勢いを失ってしまえば、シランが冷静さを取り戻すのは早かった。
彼女はぺこりと頭を下げた。
「出過ぎたことを言いました。少し頭を冷やしてきたほうが良さそうですね」
「シラン。おれは、お前が嫌なら無理にとは……」
「いえ。嫌なわけではないのです。決して」
シランは首を横に振った。
「明日は、ちゃんと剣をお教えします」
「いいのか?」
「戦うと決めていらっしゃるのでしょう? たとえ、わたしが剣を教えないとしても。でしたら、せめて戦う術をきちんと身に着けていただきたい」
誠実な眼差しがおれに向けられた。
そこにいるのは、普段のシランだった。
「わたしの指導は厳しいですよ、孝弘殿」
「……それは、おれにとって望むところだな」
「そうでしたね。ええ、孝弘殿はそうなのでした」
少しだけ笑って、シランは部屋を出ていった。
とめることはできなかった。
シランの背中を見送った団長さんが、おれに頭を下げた。
「部下が失礼をいたしました」
「……いや。ありがたいことだとは思ってますから」
おれは首を横に振った。
なにか様子がおかしいとも思ったものだが……考えてもみれば、シランだってまだおれと歳の変わらない女の子だ。
たまには、自分の感情を抑え切れなくなることもあるのだろう。それが、おれを想っての暴走なのだから、文句をいうようなことでもない。
団長さんは複雑な表情をしていた。
「わたしが言うのもなんですが、どうかわかっていただきたい。あれは本当に、心の底から孝弘殿のことを心配しているのです」
そう言って、団長さんはシランの去った扉を見やった。
「孝弘殿は、我ら騎士がどのような存在かご存知でしょうか?」
「どのような……?」
おれは首を傾げた。
「ええ。我らは国家に属する人間ではありますが、国に己の身の全てを捧げているわけではありません。もちろん、当たり前の忠誠心は持っていますが、それは騎士としての在り方とはまた別の話です。なんのために剣を取るのか。その点が、軍の兵士とは違うのです」
「ええっと?」
「要するに、騎士道は忠義の道じゃないってこと。ですよね、団長?」
おれが理解していないことに気付いた幹彦が口を挟んだ。「そうだ」と団長さんが頷いた。
「我らが己の剣を捧げるのは、ただ正義の理念と弱者の救済に対してのみ。それはつまり、この世界では救世の勇者という存在に集約されます。……無論、騎士にもそうではない者もおります。己の栄達が第一という者も、堕落した者も、昨今では、血に飢えた戦闘狂さえいると聞きます。しかし、シランはそうではない」
団長さんがおれのことを見詰めている。
「あれは騎士です。それをどうか、孝弘殿には覚えていていただきたいのです」
怖いくらいに、それは真剣な面持ちだった。それだけ、これは大事なことなのだろう。
そう察することができたから、おれはしっかりと頷いた。
「わかりました」
「……ありがとうございます」
団長さんはおれの返答を聞くと、安心したように笑った。
それは、意外なくらいに母性に溢れた微笑みだった。
「どうか、これからもシランをよろしくお願いします。孝弘殿」
◆ちょっとリアルのほうが忙しく、ストックが切れてしまいました。
まあ、元からほとんどなかったんですけれど……。
というわけで、次回更新は、10日後、12/13前後を予定しています。
◆それと、報告遅れましたが、1巻の電子書籍版の販売が始まったようです。
これも皆様の応援のお陰です。ありがとうございます。